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第四幕 選んで歩くが人の道

道なき道をゆく。その足跡を、いつか道と呼ぶ。

 ところ戻ってファミレスの一席に納まる女子大生四人組は、各々のメインディッシュを食べ終え、現在はデザート待ちの状態にある。デザートがまだなので食後とは言えないまでも、明日香の予想通り高月も会話に混ざれるくらい親交は深まっていた。

「へぇ、そんな事があったんですか。たまにはゴミ拾いもしてみるものですね」

 昨日の出来事を聞かされた沙和は、嘆息気味にそう言ってみせた。内心では、嫌いな福朗も一緒に処理されてしまえば良かったのに、と思っているが、そんな事はおくびにも出さない。

「そうね。バッグの件は置いといて、お金が出た事を差し引いても、割と清々しい気分になったわ。今度ボランティアにでも行ってみようかしら」

「それは良い、心掛けだけど、その前に、自分の部屋を、掃除したら?」

「ほほぅ。高月さんの口ぶりから察するに、猫宮さんの部屋は随分と――」

「ちょっと⁉ 変な想像しないでくれる⁉ 別に汚くなんかないからね!」

「そう、かな? いつ行っても、ぐちゃぐちゃじゃない?」

「ぐちゃぐちゃじゃない! アレはアレでちゃんとなってんの!」

「ソレ、整頓できない人は皆言いますよね」

「なっ……⁉」

「画材は本当に、ちゃんとしてるんだから、他のもちゃんと、すればいいのに」

「くっ……」

 柔よく剛を制すとはよく言ったもので、力押しを常とする猫宮も、絶妙な線を突いてくる二人の前では形なしだ。冷静、客観の性質から言えば、相性は高月と沙和の方がいいのかもしれない。

 とはいえ、猫宮は不屈の女であるからして、柔らかく言われたくらいではマウントを譲りはしない。だが、今相手取っているのは親友と、これから仲良くなろうという妹分の友達である。牙を剥くのが憚られる場合、猫宮の取る選択は、

「あたしの部屋はどうでもいいの! それより明日香! USBはどうなったのよ!」

「ふぇっ⁉ USBです⁉」

 と、剛とて受け流しが使えないわけではない。強引に方向を変えるその手法は、球速が計算されていないのでとばっちりを受ける側としてはたまらない。明日香が狼狽えるのも当然である。

「えと、その、あの……」

 あわあわと狼狽する明日香の方に注目が移行したので、『汚部屋疑惑』から逃げおおせた猫宮は一安心だ。自分のせいで慌てている明日香を、可愛いヤツめ、と早くも他人事のように眺める始末。

 皆の注目が集まってしまったので、明日香としては更にプレッシャーのかかる思いだ。しかしこのままでは、折角イイ感じに回っていた会話が止まってしまう。明日香は二、三回頭を振り、深呼吸を挟んでから気持ちを切り替えて口を開く。

「え~っと、昨日のUSBなんですけど、中にはソフトが一つ入ってました」

「ソフト? 怪しいソフトじゃないだろうね?」

「ううん、そんなのじゃないよ。フクさんが言うには、『起動した人に合わせて迷い事に方向性を示してくれるソフト』、なんだって」

「ふ~ん。なんか便利そうなソフトね」

「だね。私はよく、優柔不断って、言われるから、助かるかも」

「私もそう思ったんですけどね、フクさんは使わない方が良いって言うんですよ」

「なんでよ? 迷ってる時間がなくなるなら良いソフトなんじゃないの?」

「でも、フクさんが、そう言うなら、なにか考えが、あるんじゃない?」

「あ~~、かもね。フクさんが口に出すくらいだから」

「はい。私もうそう感じたので使うつもりはないんですけど……どうしてなんでしょうね?」

 明日香達が首を傾げる中で、沙和だけは福朗の考えがなんとなくわかるような気がした。あんな男と同じ思考回路をしているのは御免被りたいが、明日香が妙なモノに手を出さないよう取り計らった点だけは褒めてやろう。しかし反応を見るに、あの男はどうも明日香だけではなく、猫宮と高月まで懐柔しているようだ。どいつもこいつもフクさんフクさんと。あんなヤツのどこがそんなにいいのか沙和にはわからない。

 という事で、沙和は福朗の考えである事を塗り潰すべく、自分の考えを披露する。

「あの男と同じ考えかはわかりませんし、たとえ同じでも虫唾が走るので心底嫌な話ですが、ボクも使わない方が良いと思います」

「またトゲのある言い方するのね。七熊さんってフクさんの事嫌いなの?」

 この時猫宮は冗談めかして言ったつもりだったが、その瞬間沙和の表情から特有の爽やかさが消え、無機質な無表情に変わる。そして、

「ええ、嫌いです。川面に浮かんでいればいいのに、と思うくらいには」

 と、えらく物騒な回答が返って来た。猫宮が予想外の事態に明日香の方を向くと、困り笑いを浮かべる明日香の顔には『ソコは触れないで頂けると……』、と書いてあるようだった。高月も突然沙和の雰囲気が変わったので固まってしまっている。知らなかったとはいえ、発端の猫宮としては早急に場の空気を戻さねばならない。

「ま、まぁ、相性ってあるからね。あたしも初対面の時は嫌いだと思ったし」

「そうですね。ボクはいまだに嫌いですけど」

「よ、世の中合わないヤツの一人や二人は居るものよ。フクさんの話は置いといてさ、七熊さんの考えを聞かせてちょうだい」

「そうですね。あの男の事を考えるとどうもイライラしてしまって……申し訳ありませんでした」

 猫宮の早口により、なんとか沙和のスイッチが切り替わったようだ。ペコリと一礼する沙和を前に猫宮は胸を撫で下ろし、息が詰まっていた高月も平常呼吸を取り戻した。

 それにしても、一体なにをどうすればここまで嫌われるのやら。『川面に浮かべ』とは要するに……いや、深く考えるのはよそう。とにかく、今後沙和の前では福朗の話題は避けた方がいい。そう思い、猫宮と高月は顔を見合わせて頷き合った。

「そ、それで、沙和はどうして使わない方が良いと思うの?」

 沙和の福朗嫌悪は明日香も危惧していたところだ。基本的な相性は心配していなかったとはいえ、依頼を経て福朗傘下に収まったと言える猫宮達とは、その一点だけはどうしても相容れない。実質福朗は沙和に対してなにもしていないのだが、フォローを入れる事でコチラの関係が崩れるくらいなら、福朗は嫌われたままでも良しとするだろう。福朗を理解してもらえないのは悲しいけれど、明日香はそれでも沙和が大好きなので、ソフトの方へと話を誘導した。

「すまない、そういう話だったね。時に明日香。君は『レールの敷かれた人生』、という例えについてどう思う?」

「え? ソレって、進学や就職を親が決めちゃってる、ってヤツだよね?」

「そう、ソレだね。君は楽チンだと思うかい? それとも不自由だと思うかな?」

「う~ん、どうだろう。実際になってみない事にはなんとも……」

「なに言ってんのよ明日香。自分で選べないのよ? 不自由に決まってんじゃない」

「でも、ある意味では楽チン、だよね」

「ですです。自分で決めたものじゃないにせよ、目標があるならソレに向かって努力すればいいだけですし」

「だ~か~ら、自分で決めるからこそモチベーションが保てるってもんでしょうが。押しつけの目標なんかに努力が続くと思う?」

「それは、そうかも。私の進路は、ヒナちゃんを追いかけた、ものだけど、それでも自分で、選んだもの。無理矢理誘われただけじゃ、頑張れたとは、思えない」

「そう、ですね。やっぱり、自分で選ぶって大切な事なんですね。あっ、それでか……」

「わかったようだね。使わない方が良いっていうのは、ソレが理由なのさ」

 得心のいった明日香がうんうんと頷くのに対し、沙和は柔らかに微笑んだ。しかし、猫宮はまだ腑に落ちないといったように眉を寄せている。

「そりゃさ、自分で選ぶのが重要なのはわかるけど、人生の岐路みたいな大きな場合もあれば、デザートどっち食べよう、っていう小さい場合もあるじゃない? さっきの明日香みたくアホみたいに悩むくらいなら、ソフトに頼ってパパッと決めた方が良くない?」

「そんな……アホみたいって……」

「でもですよ猫宮さん。迷いながら唸りを上げる明日香って可愛くありませんか? それが見られなくなるんですよ?」

「ちょっと沙和⁉ なんでそんな――」

「ああ、それは少し、残念かも」

「コラッ望深、気持ちはわかるけど惑わされんじゃないわよ」

「うぅ……日向さんも否定はしないんですね……」

 無用にイジられた明日香は、しょんぼり顔で俯いてしまった。それもまた可愛いなぁ、と猫宮は思っ……てる場合じゃない。惑わされるなと言った自分が、惑わされてどうするのだ。

「話をすり替えないでちょうだい。あたしが言いたいのは、要は使いどころの問題なのよ。なんて言うか、薬じゃないけどさ。用法用量を守れば、一概に否定しなくてもいいんじゃないの?」

「ボクは別に、そのソフトの全てを否定するわけじゃありませんよ。使わない方が良いとは思いますけれど、絶対に使うな、と言うつもりもありません」

「だったらなんで――」

「ですが、薬とは良い表現ですね。ならば中毒や依存、といったイメージも湧きやすいのではありませんか?」

 知らぬ者からすればケンカ腰に聞こえる猫宮の口調も、ソレが普通だとわかっている沙和ならば冷静に対応できるというもの。会話が主なコミュニケーション方法である人間にとっては、言い方がキツいというだけで大きなデメリットになってしまう。如何せん猫宮の間口は風が強く吹いているので、それ故に『合わない人間』が続出してしまうのだ。その点沙和には明日香のお墨付きがあるし、持ち前の冷静さもある。猫宮と議論をするという段において、沙和はこの上なく適任だ。やっぱり紹介して良かったなぁ、と明日香は安心して見守っている。

「なによ、一回使っただけで中毒になるとでも言うつもり?」

「いいえ、そこまでは。それに、猫宮さんのような意思の強い方なら問題はないのでしょう。しかし人間とは、一度味をしめれば楽な道についつい進んでしまうもの。生活が便利になる技術は大いに結構だと思いますが、意思決定にまで及ぶのは違うのではないかと」

「なるほど、確かに便利な道具は手放せなくなっちゃうものね。ソレが単なるモノであるなら良いにしても、行動原理に寄与するのは芳しくない、ってトコかしら」

「そうなります。猫宮さんが仰ったように大なり小なりはありますけれど、人が人として自分で決めて進むからこその人生です。たとえ自分に合った便利なコンパスがあろうとも、迂闊に頼るのは危険だとボクは思います」

「ふむ。従うかどうかは結局自分次第だけど、有ったら有ったでどうしても影響は出ちゃう、か……うん。七熊さんの考えはわかったわ。あたしも使わない方に賛成する」

「ご理解頂けてなによりです」

 ここでようやく猫宮も納得し、且つ沙和の考えとしてソフトは使わない方がいい、という結論と相成った。沙和にとっては重畳の結果だ。福朗が言うのなら、という指針を塗り替えられたのだから。

「さて、使う使わないの話は一段落しましたけれど、ボク達がなにを言ったところで結局は拾い物です。明日香、ヤツはそのUSBをどうするつもりなんだい?」

「うん? もちろん落とし主に返すつもりだよ?」

「もちろんって……ソレ、副詞として間違っていないかい?」

「ううん、そんな事ないよ? ですよね?」

「あはははは、さすがはフクさん。らしいじゃない」

「うん。それでこそ、だよね」

「ほら、ね?」

 折角塗り替えられたというのに、またしても場の雰囲気が福朗色に染まってしまったようだ。拾ったUSBを落とし主に返すだと? この町に、ひいてはこの国に、一体何人の人間がいると思っているのか。普通に考えればどう考えても労力の無駄だろうに、明日香達の反応ときたら随分と肯定的じゃないか。あの男の毒はどこまで根深いのかと、沙和は思わず舌を打ちそうになる。

 しかし、ここでまた嫌悪を露にしてしまうのは良くない。道楽じみた福朗の行動にバイトである明日香も必然的に付き合わされるのは許し難いが、どうせ落とし主など見つかりっこないのだ、福朗の徒労は鼻で笑い、落ち込んだ明日香を自分が慰めるのも一興だろう。

 沙和はそう考えたので、これ以上口を挟むのを止めた。福朗が絡んでしまうと、どうも沙和の性格は悪くなるらしい。

「でも、私のハガキ、みたいに、名前なんて、書いてないよね? どうやって、探すつもりなの?」

「そうよね。手掛かりらしい手掛かりなんてそのソフトだけなんでしょ? 署名とか、開発者名みたいなものがあったりするの?」

「いえ、そういったものはなかったと思います。一応プログラムに詳しい人に見てもらうらしいですけど……」

「それでなにかわかったりするものなのかしら?」

「さぁ、どうなんでしょう。なので、とりあえずは貼紙でもしよう、という事になってます」

「今のところ、それしか方法はない、かな?」

「だったらさ、今ここで作っちゃわない? あたしスケブ持ってるから」

「あっ、それは楽しそうですね。是非是非お願いします!」

 猫宮と高月は肯定的どころか、もはや手を貸すつもりらしい。明日香もそれになんの疑いも持っていない様子だ。さすがは福朗の一声で休日を返上し、ゴミ拾いに参加しただけはある。

 スケッチブックを広げてワイワイと貼紙の構想を練り始めた彼女達を見ているだけでは、さすがに沙和も面白くない。とはいえ、福朗を嫌いだと公言した以上、今更輪の中にも入り辛い。なりより沙和は自分に絵心がないのを知っているし、コンクールで賞を取る程の実力を持つ、美術科の猫宮とデザイン科の高月が居るのだ。文芸科でも意外と絵の上手い明日香ならまだしも、自分の出る幕なんて欠片もない。

 歯噛みしながらどうしたものかと考えていると、沙和はふと妙案を思いついた。ソレは形の上では落とし主を見つける行為でありながらも、福朗を適度に貶められそうな方法だ。しかしこの案は、明日香に話したところで却下される可能性が高い。こういった悪ノリに荷担してくれそうなのは……

「あの、猫宮さん。ボクからも一つ提案があるんですが――」


 ↓そろそろ愚痴が終わった頃合いの事務所では↓


「あ~~~スッキリした! ありがとね、福朗君!」

「ええ……はい……まぁ……どうも……」

 晴れ晴れとした顔でコーヒーを飲み干した碧の対面では、福朗が曇った顔で机の角を見つめている。あまりに対照的な二人の様子を見ていると、スッキリの対義語がグッタリではないかと思える程だ。

 あれから小一時間、冷めていくコーヒーに反してヒートアップしていく碧から矢継ぎ早に繰り出される愚痴を、福朗は一身に受け止め続けていた。ようやく碧の矢弾は尽きたらしいが、福朗にはもう刺さるスペースなんて残っていない。あともう一愚痴でも多ければ昏倒していたところだ。それ程にギリギリの戦いだった。

「やっぱ人ってのは会話してナンボよねぇ~。ビバ! 言葉のキャッチボール~、なんつってね!」

「キャッチボールねぇ……」

 福朗からすればキャッチボールというよりも、無理矢理投球練習に駆り出されたキャッチャーの心境だ。示し合わせもなく好きなところに次々と放ってくるのだから、ミットがあろうが防具があろうが被弾は免れられない。そう考えると、子供の頃にやった『シケイ』という遊びを思い出す。ジャンケンで負けたものを壁際に立たせ、ボールを投げ込んだり蹴り込んだりするというヤツだ。口にしていただけなので正式名称が『私刑』なのか『死刑』なのかはわからないが、大人になってまで似たような状況に立たされるとは。今回のはさしずめ、『詞刑』といったところだろうか。

 『あな恐ろしや、女性の愚痴よ』。福朗はこの言葉を心の標語集にそっと書き加えた。『人は会話してナンボ』、という点には賛同するし、福朗が他人を理解する上で話を聞く事はとても重要だ。だからと言って愚痴を聞き続けるのも楽ではない。それに『愚痴を聞く』と『話を聞く』とでは意味が全然違ってくるので、福朗の疲弊も致し方ない。

 予定とは違う疲労に少々うんざりしつつ、福朗も冷めたコーヒーを一口含む。中途半端な温度のコーヒーはとても美味しいとは言えないが、それでも口直しは必要だ。ある程度気持ちを切り替えて、本来の予定に沿う為には。

「碧さん、気持ち良さそうなトコ悪いんですが、そろそろソフトについてお伺いしてもいいですか?」

「え? ソフト? あっ、ああ、そうだったそうだった! あたしはその為に来たんだったね。すっかり忘れてたわ」

「忘れんで下さいよ。まったく、どんだけ鬱憤溜まってたんですか……」

「あ~~ははは……まぁまぁ、そんな顔しないでよ福朗君。ちゃんとそれっぽい見解を述べてみせるからさぁ」

「ホント、頼みますよ。アレを見てくれそうな知り合いは碧さんしか居ないんですから」

「わかったわかった。だからちょっとだけ待ってね。今、思い出すから」

「……」

 碧が腕を組んで頭を捻り出したので、福朗からはもう言葉が出ない。このままもしソフトの情報が得られないのであれば、愚痴の聞き損になってしまう。とは言え、さすがに聞き損は言い過ぎかもしれない。たとえ愚痴という形であったとしても、元気そうな碧や風間家の近況を知れたのは喜ばしい。それらの情報は、余計なお世話と知りつつも、あの時手を出したのは間違いではなかったと感じさせてくれるのだから。

 福朗は一度頭を掻いてから、溜息ではない一息を吐き出して背もたれに寄り掛かった。手元のソフトが逃げるわけでもなし、そもそも返却したいというのも道楽に近い考えからだ。それにソフトの調査を頼みはしたが、すぐ開発者に繋がると思っていたわけでもない。今日のところは、碧との交流を深められたと考えればいい。

 と、そんな風に福朗が思い始めた時、碧からお声が掛かった。

「よしっ、じゃあ福朗君、本題に入ろうか」

 一回忘れた者が今更『本題』とは説得力に欠けるが、諦めかけていた福朗としても、なにか進展が得られるのであれば願ったりだ。期待はし過ぎない程度に傾聴の姿勢に移る。

「本題に入って頂けるのなら、よろしくお願いします」

「ん、わかってる。色々と愚痴聞いてもらったからね、相応の働きをして見せようじゃないさ」

「ええ、頼りにしてますよ碧さん」

 以前色々と相談に乗ってもらった時もそうだが、碧から見た福朗という男は、自身の労力に対して見返りを求めない。相談料と称して金銭を支払おうとしたが結局受け取ってはもらえず、アフターフォローという形で経過を話しつつ、夕食代を一度持ったくらいしかお礼というお礼はできていなかったのだ。久々に会って話を聞いてくれると言うので、ついつい愚痴をぶちまけてしまったが、『頼りにしてます』と微笑む福朗を前に、碧は本当の意味で本題を思い出した。碧の『本題』、福朗への恩返しを。

 自分にどこまで協力できるかはわからないが、碧はプログラマーとして感じた事を精一杯伝える為に、今日初めての真剣な面持ちで口を開く。

「まず初めになんだけど、あのソフト、と言うかプログラムを書いたのは、二人の人間だね」

「二人? プログラムを見ただけでそんな事がわかるんですか?」

「まぁね。福朗君だって疑問に思ったでしょ? あの変なフォルダ名」

「ああ、二字熟語と英単語に別れてるなぁとは思いましたが、特に疑問には思いませんでしたよ。という事は、アレらはそれぞれ別の人間が作ったものなんですか?」

「そう。もうちょい詳しく言うと、漢字フォルダの方はAIプログラムになってて、英語フォルダの方はWEBプログラムになってんのよ。ソレらを上手く組み合わせて動いてるのが、あの『指神』っていうソフトなのね」

「へぇ~、あんな英数字の羅列を見ただけでそこまでわかるとは、プログラマーってのは凄いですね」

「あっはは、そう言ってくれるのは嬉しいけどさ、これくらいならちょっと勉強すれば誰にだってわかる事よ。だからあたしは、もっと掘り下げた見解を述べなくちゃならない。福朗君だってそういうのが欲しいんでしょ?」

「まぁ、そりゃ多くを得られるに越した事はありませんが、そこまで気負ってもらわんでも良いんですよ? 二人の開発者が居るってだけで、俺としては十分な進展なんですから」

 持ち主を探したいから情報が欲しい、と福朗は言ってきた。確かに無数の中の一人から二人に増えたのなら、確率としては上がったのかもしれない。だからと言って進展と言う程の事だとは碧には思えないので、呆れ交じりに忠告してしまう。

「相変わらず欲のない事言うのね。そんなんじゃ、いつか大損しちゃうわよ?」

「別に、そんなつもりはないんですがねぇ」

 福朗はいつものように後頭部を掻きながら苦笑いして言ったが、直後、碧の見た事のない表情に変わる。

「それに俺は、昔欲をかいて大損したんですよ。だから――」

 その表情はどこか悲し気で、それでいて強い憤怒が漏れ出しているようなものだった。

 碧は一瞬息を飲んだが、それでも福朗よりは長く生き、それなりに苦労という場数を踏んできた女だ。言葉を切ってなにやら追想しているらしい福朗を見ても、表情を変えはしなかった。

 ほんの二、三秒後には、福朗は元の暢気な顔に戻り、飄々とした口調で語り出す。

「まぁアレですよ。強欲よりは謙虚な姿勢を取ってた方が、世の中イイ感じにわたっていけますからね。忠告はありがたいですけど、コレが俺のスタイルって事にしといて下さい」

「そっか、そうだね。あたしも福朗君のスタイルは嫌いじゃないから、さっきのは忘れてちょうだい」

「いんや、年上のお姉さんからの忠告だ、忘れはしませんよ。心の隅に留めときます」

「そう? なら、もう一つ忠告してあげましょう。若い女の子はお姉さん扱いを喜ぶもんだけど、あたしくらいになるとね、あんまり年長者扱いされても嬉しくないのよ。あたしをオバサンだと思ってんの?」

「いやいやそんな、滅相もない。碧さんは若作りだから、なんで再婚しないのか不思議なくらい――」

「あん? 若作りだと?」

「あ~~っと、コーヒーが切れてますね! もう一杯淹れて来ますんで、続きは二杯目を飲みながらにしましょう! では、一時退散しますっ!」

 マグカップを素早く回収した福朗は、脱兎のごとく給湯室へと消えて行った。

 怒る素振りを見せたものの、その実はああする事で、一旦福朗が引っ込むだろうと考えたからだ。カチッというコンロの音が聞こえたところで、碧は深く背もたれに寄り掛かる。

「ふぅ、ビックリした。福朗君でもあんな顔するんだ。そりゃ彼もいい歳だし、色々あったんだろうなぁ。話してくれるような雰囲気じゃなかったから、無理に聞くのはやめた方がよさそうか……」

 時間の経過は平等で、あらゆる全てに与えられる。しかしその中で得られる経験は、一人一人違うもの。かつての現在を過去と呼び、その過去が現在を形作る。歳を重ねる毎に過去は増え、栄光や悔恨が降り積もってゆく。人並みに愚痴を吐く碧ではあるが、基本的にはサバサバ系の切り替えの早い女だ。早死にしてしまった旦那を思うとそれはそれは悲しいものだが、いつまでもそんな事では、大切な息子を育てられないと知っている。過去を踏み越え、現在を明るく生きる。それが碧のスタイルなのだ。よって、

「ま、とりあえずは、今回頼まれた事に貢献すればいっか」

 と、碧が選んだのは、現在の福朗の頼みに対し、現在までの知識を以って応える事だった。それは間違えようもなく、碧自身が選択したものである。

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