序幕 馬には乗ってみよ人には添うてみよゴミは拾ってみよ
故事やことわざだけが真ではない、何事も経験してこそである
物質やエネルギーは高きから低きへ流れるのを好む。棚上のぼた餅は下へ落ち、鉄は早く打たないと冷めてしまう。
川を流れる水も常に上流から下流へと流れている。一所に留まらない水は腐らず、滞留した水は腐ってしまう。ことわざにもあるように、それらの性質は人も同様なのかもしれない。
川の流れに逆らえない水は、ある地点に自分の意思では戻れない。海へ出て、天に昇り、再び山へと降り注ぐ。そんな環境循環によれば戻れるかもしれないが、そこに水の意思はなく、大いなる自然の摂理に従っているだけなのである。
時の流れも同じように、過去から現在を経て未来へと、常に一定の方向へ流れていく。時は戻せず、そこに抗う術などない。時に残酷なその流れにより失敗は取り消せないし、黒歴史が白に変わる事はない。しかし一方で、その流れは成長や進化なども見せてくれる。万物が従う最大規模の流れ、それが時間という概念なのである。
水の流れと時の流れ、生物はそれらによって繁栄してきた。古来より人々もまた、川や湖に寄り添って生活している。太陽光の恩恵もさる事ながら、この星に生物が生まれたのは水あってこそ。母なる海とはよく言ったものだが、現在の地上生物が海水そのままを生きる糧にするのは難しい。故に言い換えるのであれば、全ての生物において母なるは水なのだ。
そんな母なる水を汚す不届きな生物がいる。考えるまでもなく人間だ。工場排水により汚染し、ゴミ箱という物があるのに川や湖にゴミを捨てる。母なる水に対してなんたる冒涜であろうか、水がなければ生きてもいけない分際であるクセに。時は戻せない、故に水を汚れる前には戻せない。人々は今一度理解する必要がある。水の大切さと、時間という概念を。さもなければ人は衰退の一途をたどるだろう。時の流れは戻せないのだから。
*****
五月も下旬の昼過ぎ、かなり暖かくなり始めた今日この頃、福朗ご一行は龍綱川にてゴミ拾いをしていた。役所の知り合いからの打診で本来ならボランティアとして行われるような作業なのだが、人数が集まらないので渋々報酬有きで『何でも屋』に泣きついてきたのである。とはいえ、福朗と明日香の二人だけでは焼け石に水。という訳で本日の福朗ご一行は、
「ったく、なんであたし達まで」
「まぁそう言わんでくれ。ちゃんと報酬は出るんだからさ、臨時のバイトだと思えばいいじゃないか」
「そうだよ、ヒナちゃん。私は、バイトしてないから、臨時収入は、嬉しい」
「私も嬉しいです。日向さんと望深さん、お二人に手伝って頂けて」
と、先日の依頼で知り合った、猫宮と高月を駆り出しての計四名となっている。
「あたしとしても臨時収入は嬉しいけどさ。でもコレ、役所から受けた仕事なんでしょ? 労力に見合った報酬が出るとは思えないのよね」
「そう、なの? お役所は、ケチ? 私が欲しい、画集、けっこう高い、のに……」
「こらこらお二人さん。労働にすぐ対価を求めるようになっちゃいかんよ。こんな作業、本当なら無報酬のボランティア枠なんだから、お金が出るだけマシだと思わないと」
「それは聞いたけど、だからこそ報酬額に疑念が出るんじゃない」
「そう言うなってば。ほら、明日香ちゃんを見てみなよ」
福朗が示した先には、鼻歌交じりに次々とゴミを回収する明日香の姿。その熟練者のようなハサミ捌きは、釣り人が忘れた疑似餌も、心無い者が捨てた空き缶も、果てはなぜ捨てられたのかわからない高級そうなバッグでさえも、ゴミの大小に関わらず決して逃がさない。可燃用と不燃用に持ったゴミ袋を見もせずに、それらはスムーズに分別されながら飲み込まれて行く。
「なんであの娘はあんなに楽しそうなのよ……ったく」
「明日香ちゃん、いい娘、だよね」
「さっきの言葉聞いてなかったのかい? 明日香ちゃんがあんなに楽しそうなのは、君達と一緒に仕事できるからなんだよ。雇い主の俺としちゃ、仕事をちゃんとこなしてくれるなら態度は問わないが、そりゃ楽しそうにやってくれた方が断然いい。二人が来てくれて良かったよ。ありがとう」
福朗があんまり素直に礼を言うので、ケチをつけた猫宮としては少々バツが悪い。それに礼を言われて悪い気はしないが、猫宮は知っている。
「別にあたし達がいなくても、明日香は嫌々仕事するような娘じゃないでしょ?」
「そりゃそうかも知れんけど、やっぱりテンションに差はあるさ。君達がいるからこそ、あそこまで楽しそうにしてるんだろう、きっと」
「明日香ちゃんは、本当に、いい娘」
猫宮も高月も、人付き合いが得意ではない。従って交友関係も広くはなく、大学では往々にして一人行動が多い。そんな中知り合った明日香は、二人にとってほぼ初めての後輩にあたる。加えて猫宮は一人っ子であるし、高月にも兄しかいない。よって二人にとって明日香は後輩であるのと同時に、妹のような存在となっている。最近できた妹がせっせと清掃作業に従事している。ともすれば、二人は姉としてどうふるまうべきか。
「ったく、わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば」
「そう、だね。私達も、明日香ちゃんを、見習わないと」
「その意気だお二人さん。若いうちの苦労は買ってでもしろって言うだろ? コレも一つの経験だよ。一見意味のなさそうな経験に思えても、塵積もって山ともなればいつかどこかで用に立つのさ」
「なんか色々混ざってる気がするけど、つまり自分の為と思ってやれっての?」
「まぁね。それに、情けは人の為ならず、とも言うだろ? 何かにつけ、物事は繋がってるもんなのさ。誰かの為に、何かの為に。そう思って動く事は決して無駄にはならない。あの時、言い合いになると知っていても猫宮さんの為に立ちはだかった明日香ちゃんは、現在こうして二人の姉を得た訳だからね」
そう言われてしまっては猫宮も思い出してしまう。目に涙を溜めながらも、手を広げて立ちはだかった明日香の姿を。あの行為があったからこそ、自分は福朗の話を聞く気になったのだ。そうして今、こうして一緒にゴミ拾いに従事する事ができている。明日香も、高月も含めて。
高月もその辺りの経緯は聞いている。人当たりが良く自分の会話ペースを尊重してくれる明日香は、高月にはとても接し易い相手。だからこその『いい娘』表現である。名前に『日』を持つ明日香も猫宮と同様に、高月を照らす光になりつつあるのだ。
誰かの為に動けば、その想いは必ず伝わるし、結末は良き方向へと向かって行く。『何でも屋』が体現してくれたその摂理を、二人は良くわかっている。
「ホント、普段はだらしないクセに、たまに含蓄のある事を言うんだから」
「さすがは、年長者、ですね」
「そりゃこれでも君達より十年長く生きてるから多少はね。でもまぁなんだ。ことわざを借りてそれっぽく言っただけで、俺自身の言葉には重みなんてないよ」
「なにソレ、謙遜のつもり? 一度年上ぶったんなら最後までドンと構えてなさいよ、ったく」
「ん~、んなこと言われてもなぁ……」
猫宮が額に手を添えて溜息をつく一方、福朗は後頭部を掻いて苦笑いを浮かべている。猫宮が呆れた時にする仕草と、福朗が困った時にする仕草だ。
高月はそれらを把握しているので改めて思う。十歳も年下の女子に横柄な態度をとられようとも、福朗という男は決して怒らない。年齢を笠に着ない福朗は、自分達を対等に扱ってくれるのだ。時折もたらされるアドバイスも押しつけがましいものではなく、老婆心からくる老馬の智。長く生きた老馬は、ただ知っている道を指し示すだけ。そのまま受け入れるも良し、はねつけるも良し、選択権はコチラにある。それでも――
「ことわざを、借りたとしても、フクさんの口から、出たのだとしたら、それは全て、貴方の言葉です。ヒナちゃんが、含蓄があると、評価したのなら、相応の重みは、あると思いますよ?」
「なんだよ高月さんまで。だからそれはことわざ自体の力なんだってば」
「いいえ、私が言いたいのは、貴方の言葉だから、ヒナちゃんが評価した、という事です。だよね、ヒナちゃん?」
話を振られた猫宮は、一瞬目を見開いてからそっぽを向いてしまった。それが都合の悪い事実を突きつけられた反応なのだと高月はよく知っている。猫宮の性格上、自分達の仲を取り持ってくれた恩はあれど、相応の評価がなければ関係を続けようとは思わないはずだから。
「あの反応は、図星ですよ、フクさん」
「そうなのかい?」
「ちょっ、望深⁉ 余計な事言わないで――」
「あの~、皆さん。早くしないと日が暮れちゃいますよ?」
赤面した猫宮の苦情に割って入ったのは、二つ分のゴミ袋をもう一杯にした明日香だった。ちゃっかり明日香はしっかり聞き耳を立てていたらしく、会話の流れを理解している。
「望深さんの意見は私も正しいと思いますから、別に反論しなくても素直に受け取ればいいんじゃないです?」
「いんや、そうはいかない。女性の評価を過信してしまえば、男は悲惨な末路を辿るものなんだよ。それに文芸科の明日香ちゃんがことわざの力を侮るのかい?」
「そうは言ってませんよ。そもそもことわざとは、故事や経験からくる教訓や知識を簡潔な言葉にして伝えられてきたものです。覚えやすくて扱いやすいので、引用するだけで言葉にそれなりの説得力を持たせる事ができます。かと言って身の丈に合わない引用をすれば、説得力は逆に下がってしまうと私は思うんですよ。ことわざの力を引き出すには、扱う人の力も重要になります。ですよね、日向さん?」
「だからなんであたしに振るのよ……」
猫宮の苦い顔を見て、明日香と高月はニコニコしている。猫宮は二人の笑顔に弱い。そんな笑顔を見せられては、もう肯定するしかない。
「ったく、わ~かったわよ。そりゃその辺のオッサンに言われるよりは、フクさんに言われた方が説得力あると思うわ。これでいいんでしょ?」
「態度が悪いけど、一応上出来、かな?」
「上出来ですね」
「アンタ達ねぇ……何様なのよ、ったく」
猫宮がまた溜息をつく一方、やっぱり福朗は頭を掻いて空を見上げる。
「その辺のオッサンと比べられてもなぁ」
「なによ、文句あんの?」
「いんや、そうじゃないんだが……」
猫宮の気難しさは福朗も良く知るところだ。明日香と高月に無理矢理言わされた感は否めないが、それでも本心でなければ二の句は継がないだろう。ともすれば、ここは明日香の言うように素直に受け取っておいた方がいい。このまま話し込んでいては、それこそ明日香の言うように日が暮れてしまうかもしれないし。
「ま、そうだな。精々若人の指標と成れるよう努力するさ」
「そうね。今回の忠告は聞き入れるけど、普段はホントにだらしないんだから。もっと大人としてシャキッとして欲しいものだわ」
「それは私も、そう思います。初めて会った時、凄く怪しかったから」
「ですよね~。あのスーツ、最後にクリーニング出したのいつです? よれよれで逆にみっともないです」
素直に受け取った尻からこれだ。やっぱりな、と福朗は思う。猫宮は福朗の反応を謙遜と取ったようだが、そんな良いものではない。上げて落とされるくらいなら、最初から上がりたくないから避けようとしただけなのだ。
「他人の一張羅になんて事を……クリーニング代だってバカになんないんだよ」
「そういうトコロがだらしないってのよ。大人だったら必要経費でしょうに」
「せめてアイロンだけでもかけたらどうです? なんなら私がやりましょうか?」
「えっ、マジで⁉ なら――」
提案に乗って身を乗り出した福朗を、猫宮がすかさず片手で制する。
「ダメよ明日香。そうやってアンタが甘やかすから余計だらしなく見えるんでしょうが」
「うぅ……そうなんです?」
福朗の株を少しでも上げられるなら、明日香としてはそれくらいの労など取るに足らないと思って提案したのだが、猫宮の言い分ももっともな気がする。甲斐甲斐しく世話を焼く事が、必ずしもその人の為になるとは限らない。情けは人の為ならず。優しく接するだけでは、その人の成長を潰してしまうかもしれないから。
「そう、だね。私も、そう思う」
「ですか……じゃあ、アイロンがけは自分でお願いしますね、フクさん」
明日香は福朗にとっての助手兼女給。そして家事手伝いでもある。それなりの給料を払っている手前、それなりの働きを望みたいところだ。さりとて、助手としてだけで申し分ない明日香を便利に使い過ぎていたのもまた事実。『何でも屋』のバイトである明日香は、その長である福朗の『何でも屋』ではないのだ。若人の指標を目指すと言った以上、自分の事は自分で熟さなければならない。
「わかったわかった。取り敢えず一回クリーニングに出すとするよ」
「それがいいわ。そうしなさい」
ともあれ、このままやり込められている福朗ではない。福朗は年下に横柄な態度をとられても怒りはしない。ただ、少し意地の悪い返しをするだけで……
「さて、そろそろ本格的に始めようじゃないか。本当に日が暮れちまうからね。ま、小さい猫宮さんには重労働だろうから、確かに報酬は見合わないかもね」
「なっ⁉ なんですって⁉」
「それに、明日香ちゃんは胸に大きな錘がついてるから、余分に疲れるかもしれないけどよろしくね」
「錘? ……‼ またセクハラ発言ですね⁉ 酷いですフクさん‼」
「またってどういう事⁉ アンタそんな被害にあってんの⁉」
「それがですね! このあいだ――」
福朗の一言二言で、明日香と猫宮がキャンキャンと話し始めた。それを見る福朗は、どこか満足気な表情を浮かべているようだ。作業を始めようと言ったのはどこの誰だと、高月は溜息が出てしまう。
「よくもまぁ、そう簡単に、神経を逆なでできる、ものですね」
「ん? そりゃ少なからず彼女達の事を知ってるからね。これくらいの芸当は朝飯前さ」
会話した相手の心に忍び寄り、その心情を予測演算可能になる福朗。時としてその力は救いに繋がるが、悪用すれば故意に怒らせるなんて造作もない。他人の望みが予測可能なら、他人の不快も予測可能なのだ。
「ソレ、自慢気に言う事じゃ、ないですよ……因みに私には、なんて言うんですか?」
「高月さんはそうだなぁ……君、インドア派だろ? 太陽光を長時間浴びるのは辛いんじゃないのかい?」
ニヤリと笑う福朗の発言に、高月は一瞬ムッとした。インドア派は否定しないが、自分は引きこもりじゃない。猫宮との仲直り以降、遊び回るのは専ら日中だし、そもそも太陽の光は大好きだ。猫宮との仲直り以前は、ずっとソレを欲していたのだし。その辺りの経緯を知っているのに何故そんな発言が出来るのか、そう思ったから高月は一瞬ムッとした。しかし、経緯を全て知っているからこそ、福朗はその言葉を選んだのだ。そう考えると、明日香や猫宮だけじゃなく、自分の事もちゃんと理解してくれているのだろう。そう思えてしまったので、高月は困ったように笑う。
「フクさんは、厄介な人、ですね」
「そうだよ。俺はそういう人間なんだ。反面教師としてなら申し分ないだろ?」
小さく溜息をつきながらそう言った福朗は、ゴミ袋を拾い上げて明日香達背を向ける。
「んじゃ、俺はアッチを担当するから、コッチは頼んだよ」
「わかり、ました」
飄々と歩き出した福朗を高月は見送る。『何でも屋』は本当に何でもできるらしい。仲違いの仲裁人にも、道をそれとなく指し示す老馬にも、そして意地の悪い大人の見本にも成れる。そんな背中をまた困ったように笑いながら見ていた高月は、直後驚きに目を丸くした。なぜなら、隣を走り抜けていった猫宮が飛び蹴りを食らわせたからだ。
「違った、かな? フクさんは、しょうがない人、かも……」
高月が三度困り笑いを浮かべ始めた後ろで、明日香は控え目にガッツポーズをしていた。そんなこんなありつつ、福朗ご一行の清掃作業が幕を開ける。
↓蹴られて別れて数分後↓
『何でも屋』である福朗がそれなりの信用を得るには、どんな依頼であろうともそれなりの成果を出す必要がある。なので今回のゴミ拾いにおいても、たとえ女子大生に蹴り飛ばされてテンションが下がろうが手を抜く訳にはいかない。意地の悪い大人に演じずとも成れる福朗ではあるが、依頼に対しては真摯に取り組む。『何でも屋』を続けられる手腕の核は、真面目な大人である事なのだ。
せっせとゴミを拾いながら歩いていると、川縁に到達した福朗の前にガチャガチャのカプセルが一つ現れた。
「まったく、中身だけとったら外身は用済みなんだろうけど、だからってこんな所に捨てなくても」
そう言いつつ福朗がカプセルを拾い上げてみると、どうやら中身が入っているらしい。しかしその中身は、本来入っていたであろうモノとは異なるようだった。
「ん? なんだコレ? USBメモリーか?」
USBメモリーの当たるガチャガチャ。世の中を探せばそんなガチャガチャも見つかるかもしれない。容量やメーカーを選ばなければ、昨今ではかなり安価に落ち着いてきている商品ではあるし。しかし、カプセルに入っていたのは一見してなんの変哲もないUSBメモリー。福朗のイメージでは、ガチャガチャのウリの一つはヘンテコ商品である事だ。こんなごく普通のUSBメモリーを入れるガチャガチャが、はたして本当にあるのだろうか?
福朗は左手でカプセルを取り、右手で頭を掻く
「ん~、コレは……どうしたもんかな……」
捨てられた物であれ落とし物であれ、河原に不釣り合いなこのカプセルは、今の福朗にとってゴミでしかない。そのまま不燃の袋に突っ込んでも良かったが、ソコは真面目な大人である福朗。落とし物であるなら、落とし主が困っているかもしれないと考える。
「なんか、前にもこんな事あったな。ま、なんとかなるだろ」
福朗はカプセルをゴミ袋には入れず、ポケットに突っ込んだ。
「面白いデータでも入ってるといいな。河原で拾えるのが大人の絵本から、時代の移り変わりによって大人の画像データになったのかもしれんし」
『何でも屋』飛鳥福朗は、真面目な大人である。同時に意地の悪い大人でもあり、割と邪な大人でもあった。