4 模倣犯
木目調のクラシカルな扉を開けると喫茶店特有の優雅な音楽が出迎えた。一番奥の席で眼鏡かけた栗栖洋治がカップに口をつけて待っていた。遺体だった写真とは異なり目に精気があるが、細い眼鏡の奥から内側を覗かれている不気味な印象だった。
奥の席に座り、結垣は偽の名刺を来栖に渡して初対面の人に会うように少し遠慮がちに話しかけた。
「新垣夕見と申します。あなたが、栗栖洋治さん?」
「間違いなく栗栖洋治という人ですよ。ええ驚かれるでしょう。重要であろう話の相手が一受験生だなんて」
やはり油断できないと感じた。確かに驚いてはいたがその理由が、遺体でしか見たことがない人物と殺人犯の情報を得ようとは思わなかったからだ。
「先輩は心理系の大学に行くために勉強していて。そういうことに強いんです」
來山がメニューを渡して紹介すると、栗栖はクククと笑った。それは何も知らない小さな子供を前にしているような感じだった。
「來山君、心理系と言ってもさまざまあるんだよね。臨床心理とか哲学とか。僕の場合は犯罪心理、つまり人はなぜ人を殺すことをするのかについて研究したいんだ。ああ、どうぞお決めになってください、ここのカプチーノは甘くて絶品ですよ。もっとも貧乏学生の僕はブラックしか頼まないですけど」
栗栖が來山が手にしたメニューに目を配らせると、手に持っているブラックコーヒーを少し傾けてちらりと見せつけた。
「じゃあカプチーノ三つで。支払いは全部あたしが持つから」
「おやいいのですよ。僕のは自分で払っても」
「これくらい情報提供料としても安いですし」
誰も栗栖の分であると言っていないのに、さも自分のために注文してくれた前提で遠慮がちに礼を述べた。
結垣の頭の人物メモに、栗栖洋治が几帳面の他に不遜な性格が加わった。あの遺書の内容でこの性格なら納得がいく。店員にカプチーノ三つを注文し終えると栗栖が口を開いた。
「さて、來山君。今回は残念だったね。僕の予想ではしばらく犯行は行われないと思っていたけど、模倣犯らしき人物が出るとは予想外だった」
「模倣犯……ですか?」
結垣が疑問を示すと、その反応を待っていましたと言わんばかりににやりとノートを開いた。ノートはテーブルと平行になるようにまっすぐ置かれている。開いた中身も整然と書き留めていて、自分のと比較すると子供と大人のようだ。実際栗栖の方が二歳上なのだが。
「ごらん。今までの犯人は人通りの少ない暗闇を好んで犯行を行った。僕の予測では、犯人は小心者でマウントを取ることに快楽を感じるのだろう」
ぴったり当てはまっていることに背中に冷たいものが入ったかのように震えた。 取り調べしたうえでギリーナイフという人物を探り当てたのに、目の前のただの一般市民である青年はピタリと当ててしまった。
店員が熱いカプチーノを運んでくると結垣は早々に喉に流し込み体を温める。味を見る暇もなくカップを置くと、結垣は知らないふりを続けた。
「どうしてそこまでわかるの?」
「まず金銭目的なら高齢のお年寄りを狙うべきだ。学生では多くて一万が限界だ。僕の財布があと一野口さんしか存在しないのを見ればね。彼が小心者である理由は、暗いところで犯行することだ。つまり姿が見つからずに逃げたい欲求が見られる。本当に殺人がしたい狂人なら白昼堂々駅前ですればいい。間違いなく捕まり蔑まれるが、狂人はそのリスクをリスクと思っていない」
さらりと恐ろしいことを述べた。それを淡々とした口ぶりで言うものだから結垣の持っていたカップが震え、ソーサーにカチリと音を立てた。しかし、ギリーナイフの小心者さや動機を場所や対象を含めてまでとは結垣には考えが及ばなかった。
しかし殺人を起こす衝動へのリスクの無視。これをどう表現すべきか迷っていると「世界が敵となっても、と?」來山がぽつりとつぶやいた。
「いい表現だ來山君。世界が敵になる。そう、狂人は世界が敵になる恐怖を突破してしまったんだ。だがこの能力者はそれが恐ろしいと思ってこそこそ行動している。僕たち一般人とは異なる恐ろしい能力を持っているというのに」
いや、あんたのほうがよっぽど恐ろしい。と喉の奥で突っ込みたかったがカプチーノで押し戻した。栗栖がおすすめしたカプチーノの味は三度も飲んだが味がしなかった。目の前の栗栖洋治の得体のしれないさに味覚が頭に回ってこなかった。
「警察でも模倣犯であるとの情報は出ていなかったのだけど。どうやって調べたの?」
「最近では危ない画像もインターネットで出回っているようで。そこから推察することで相手の動きを見ていたのですよ。犯罪心理学を学ぶための予習としてね」
栗栖がポケットに入っていたスマホを見せつけるように取り出した。画面には出さなかったが誰かがSNSにアップした事件現場の写真を取り込んでいることは予想がついた。もしあの中に來山の友人が事件に巻き込まれた場面も入っているかもしれないことを容易に予想できるのに、この男は人の気持ちが読めないのかとギリーナイフの時に似た感情が膨れ上がった。
だが來山はなぜか怒りの感情もあらわにしていなく、ソーサーを手に持ちながらカプチーノを飲んでいる。本当によくわからない子だ。
「まあ本当は別のことを大学で学ぼうとしていたですが」
「別のこと? どこの学部?」
「学部じゃないですよ。そんな次元の低い話じゃない。死についてだよ。自殺したら人はどこに行くのかとかね。自殺、他殺、自分は何も悪くない人間は本当に天国とやらに行けるのか真実はどれか不安で恐ろしいと寝る前よく考えていたもので。でも実際には死は無だった。信じられないと思いますが、死神に死の体験をしてもらってね」
死神!?
「死神ってどういうことですか?」
「クックロビンの歌と共に僕の部屋にふらっと現れて、君は死に興味があるのかいと聞かれたんだ。むろんあると伝えると、一回死んでみるかいと誘われた。まあでも死の瞬間は、酷く鈍い痛みが続いた後にカクンで終わり。もう死の真実を知った僕には死に恐怖しない。先を知っていることは残酷だが真実と受け取るしかない」
「講義はもういいので、本題に。話が長いですよ。それに死んだだなんて、実際には生きているではないですか。ねぇ」
來山の冷たい声が栗栖に突き刺さる。すると栗栖は急に黙った。顔色も少し青ざめており様子がおかしい。
「あ、ああそうだったね。模倣犯のことだよね」
急にしおらしくなった栗栖は、目の前に置かれていたノートを慌ただしく何度もページをめくっては戻りを繰り返して明らかに動揺している。來山とのあの会話の中で何か彼の気に触れるような言葉があったのだろうか。
「今回の事件が模倣犯である理由は、死因が多量失血死だ。今まではめった刺しで傷が深かったのがなぜか今回は多量の血を失うだけにとどめている。こうした芸当をどんな能力でやったのかはわからない。そこは僕の専門外だからね」
栗栖が喋りながらページを行ったり来たりしてようやく目的のページを開き、地図が張られており繁華街の少し離れた裏路地を指さした。
「それで次の犯行場所がこの裏通りだと僕は予測する。状況と行動がほぼ本物の犯人と同じ場所を狙っているんだ。こんなことを良く調べているのは僕と似た人物か警察関係者ぐらいだろうね」
それか、組織の人間か。と結垣は思い浮かべた。犯行が能力者であるなら、警察内部はすでに組織の人間が潜入して能力者の引き抜きは完了しているので警察の線は薄い。これはもう一度調書や警察の内部の人間を使って調べる必要がある。
しかし栗栖が先ほどから挙動不審な様子が結垣には気になっていた。視線をこちらに合わせないように努めているような。合わせちゃいけない後ろめたさに怯えている感じだった。
「それでは僕はこれで。ご馳走様でした」
「あっ、ちょっとまだ聞きたいことが」
結垣が止める間もなく栗栖がテーブルの上に置いていた物を片付けて逃げるように店から出ていった。最初に頼んでいたブラックコーヒーの代金を払うのも忘れるほど。
呆然と鐘が鳴って出ていくのを見届けてしまった後、「あち」と來山の可愛らしい小さな悲鳴が上がった。どうもカプチーノをこぼしてしまったようで、シャツに茶色い染みができていた。
「ご、ごめんなさい。コーヒーが思ったより熱かったので」
「動かないで、拭いてあげるから」
濡れたおしぼりで染みを薄めて拭き取る。おそらく言い訳だろうと結垣は思った。一緒に運ばれてきたカプチーノはすでに冷めきっている。自分の友人が殺された内容を間接的にも聞いてしまって普通にしていられる(あの栗栖を除いて)はずがない。
「私いっつもドジで、よく変なものや人をを引き寄せる体質なんです。栗栖先輩はあんなですけど勉強を教えてくれますし、いい人なんですよ」
「そうなんだね。あれでいい人……」
几帳面から相当な変人に切り替わっていた頭の中ではいい人というイメージが覆されられない。ましてや自分で払うといっておきながら、逃げるように伝票を置いていった人がとこれ以上言及するのをやめた。すると、苦笑していた來山がだんだんと言葉を詰まらせてきた。
「けど本当に変なことに良く巻き込まれて……友達もあんまりいなくて。けど事件に巻き込まれたあの子だけはわたしからずっと離れなくて……だから巻き込んでしまったのかなって」
顔を上げてみると、來山の目に涙があふれかえり目玉ごと零れ落ちそうなほどだった。
「だから、その子のために敵を取らないと」
「ダメよ」
結垣が彼女が握り締めた拳に覆いかぶせるように手を乗せた。小さく細い手、ただの一般人が能力者相手に相手に太刀打ちできないのは目に見えている。偶然に模倣犯に遭遇したら彼女に何ができるのか、沖でさえ人を守りながらの状況で命を落とした。
「そこはもう大人のやることだから。來山さんは家に帰りなさい。もしあなたが巻き込まれたら、あたしが悲しむから。友達の敵はあたしが討ってあげるから」
ぽとりと手の甲に涙がこぼれた。ダムのように溜まっていた涙の水量が決壊してしまっていた。結垣がバッグからハンカチを取り出して心の染みも拭き取る。
「ありがとうございます。ハンカチ汚してしまったので洗わさせてくれませんか。ちゃんと返しますので」
「そんないいわよ。すぐに乾くし」
「いえ、そのお祈りしておきたいのです。結垣さんが敵を取るって」
結垣はハンカチを折りたたんで來山に渡し、彼女に微笑みながら別れを告げて店を出ていく。
あー、こういうのであたし甘いって言われるのかな。やはりこの事件は絶対解決させなければならないと、日が落ちた街の冷たい風が吹きすさぶ中、事務所に戻っていく。