2 自殺願望
冷たい空気が街を覆っている。本日の気温は五度と平年の冬並みの寒さとと予報だ。S市は太平洋側に位置しているため温暖な気候ではあるが、都会のような人や車が多くなく一歩大通りから外れると夜の底が見えてしまう。それでか視覚的に肌寒く感じてしまうことが多い。
結垣はコートの襟もとを口にまで上げて寒さをしのぎながら、調書に載っている栗栖洋治という学生が住む二階建ての一軒家の前に立っていた。ブザーを鳴らすと妙齢の女性の声が返ってきた。
「はい、どなたでしょうか?」
「警察の結城と申します。この度は洋治君に対してお詫びを申し上げに参りました」
警察という単語が出ると、インターホンの声が聞こえなくなる。すると、鍵が二つ外れる音がして、鉄の扉から頬の肉が弛んだ女性がいぶかしむよううな顔をのぞかせた。おそらく彼女が栗栖洋治の母親であろう。結垣が偽の警察手帳を見せると、女性は苦々しい様相で家の中に入れた。
リビングに通されてテーブルに座ると、お尻が氷の上に座ったかのように冷たい。暖房のストーブは女性の方にしか向けられてなく、お詫びの品を持ってきているというのに熱いお茶一つも出さないということから警察に対して良くない感情を持っているだろう。
「お調べしました結果、担当が別の事件のものと取り違えたことによるものでして。洋治君とご家族にご迷惑をおかけしましたことを深く反省します」
結垣が普段使わない丁寧な物腰で謝罪する。だが心の内ではどうしてあたしが警察の尻ぬぐいしなければならないのよと腹を据えかねていた。
斬風の指示で、内部調査のために警察に扮してお詫びと称して潜入せよと命令が下された。警察が自殺した栗栖洋治の現場検証のために再度訪れたが、実際には生きていたという通常ではありえないことが起きていた。無論家族は無礼であると腹を立てた、そこをつけという。
潜入するためのバックボーンとしては非常に好都合であるが、何も関係ないこちらが怒られるのは理不尽である。だが目の前にいる栗栖洋治の母親は、結垣が警察でないことなど知る由もなく、睨む姿勢を崩していない。引き続き警察のふりを続けて適当に作った説明を続ける最中に母親が言葉を遮った。
「こっちもいい迷惑よ。大事な大学受験が控えているというのに、息子が自殺しただなんて、手違いにも度が過ぎているわ。あなた、結構若そうだけどもしかして同僚の子がしでかしたのではなくて?」
「それはこちらからは申し上げることは……」
「何よ! だいたい謝るなら間違えたその人を寄こしなさいよ! は~あ、警察って役に立たないのね。この間の能力者による殺人事件の犯人もまだ逮捕できなくて、買い物に出るのだって怖いのよ。何のための警察なのよ! 税金泥棒」
ヒステリックに母親が机を叩きながら結垣にぶつける。
ギリーナイフの事件は世間に知られている事件であるが、組織が裏で拘束していることは未だに知られていない。だがギリーナイフだけでない、他の能力者に対しても警察は後手に回っている。能力者に対してのノウハウが圧倒的に足りないのもあるが、裏で組織が能力者の囲い込みをしてノウハウを育てる土壌を奪っているが主な理由なのだ。
故に一般市民の認識としては、警察では能力者相手では当てにならないが、忘れたころには普段の生活に戻っている。それを解決しているのは裏で組織が動いていることも知らずに……
「すみません。ちょっとトイレに行かせてもらえませんか。お腹を冷やしてしまったようで」
結垣が席を立つと、「都合が悪くなるとすぐそう」と母親がぶつぶつと聞こえる音量でぼやく。リビングの扉を閉めると、結垣はトイレには向かわず階段を上がった。一階には自殺をした栗栖洋治の部屋はなかった。
栗栖洋治がどうやって死神と接触したかつかむ必要がある。すでにこの家の金銭事情はリビングを見ただけで判別でしていた。客を通すリビングは装飾など一番金をかける、つまりこの家の金銭的能力の物差しになると斬風の教えである。では栗栖家はというと、さしてお金があるわけでもかといって貧乏であるわけでもない。いたって普通な家庭だ。大学受験を控えているぐらいで、さしたる家庭事情も抱えてそうにない。となれば、栗栖洋治個人の問題で死神と接触したと予想した。
音を立てないように二階に上がるとすぐ、扉のプレートに『YOJI』と書かれたのがぶら下がっているのが目に入る。中に入ると、クローゼット棚に高校の制服がかかっており栗栖洋治の部屋だと分かった。制服があるということは、今どこか――受験生であるから塾に通っているのだろう。
手始めに栗栖洋治の机から物色を始める。引き出しという引き出しや本の隙間など細かいところまで探す。
調書に載っている人物には共通点があった。一つは皆十代後半であること。もう一つがギリーナイフの件を除けばいずれも自殺という形で死んでいた。学校という閉ざされた空間に加え、思春期という多感な時期に死を考えることは別に不思議でない。しかしいざ実行するとなると相当の覚悟が必要だ。
だが、ここ一か月で五人もの十代の人間が自殺し、蘇っている。未成年のみんなは自殺願望を持っている? 誰が好んで死にたいと思っているのよ。死が全部解決できるわけないわよ。
机の上を総当たりで探したが目星がつくものはなく、彼の通っている桂陽高校のカバンに手を伸ばす。中には教科書がきちんと背表紙を上にして並んでいる。机の上もそうであるが整理整頓が行き届いており、遺体だった写真でしか見たことがない栗栖洋治の性格を思わせられる。カバンの下にも手を伸ばしたが砂粒以外何もなく、カバンの側面に手を入れると一枚の紙に当たった。ごそごそと手が圧迫されながら取り出すと、二つに折られたノートの切れ端だった。
『僕は今から死にます。でも安心してください、数日後には帰ってきます。なぜなら復活する力を与えられたからです。これは死の体験です。臨死でなく本当の死を体験するのです。では皆さま暫しのお別れです。 栗栖洋治』
遺書、というにはどこかへ旅行にでも出かけるような軽い感覚で書かかれていた。文面からして死神と接触したことが示唆される重要な紙であったが、結垣は引き破りたい衝動にかられた。
体験感覚で簡単に死ぬなんて! そんな力、死にたくない人にあげなさいよ。
指に力がこもり、本当に引き裂いてしまうほどの力が入ったが寸でのところで理性が働き、紙は破かれずに済んだ。ほかのところも探したが、あの紙以外に目新しものはなかった。結垣は、恨めしそうにポケットに入れた紙をちらりと見ながら階段をゆっくりと音を立てずに降りていく。が、降りた先にあの母親がまるで親の敵と出会ったような険しい形相で見上げていた。
「出てって、出ていって! もう家には用がないのでしょ!! これ以上家を荒らさないで!!」
母親がグーで体を殴りつけて、わめき立つ。どうも失礼をと捨て言葉のように玄関に掛けてあったダッフルコートを取って、栗栖家から出ていった。
外に出ると、家の中より冷たい空気が結垣の体温を奪っていく。日が西のかなたに沈み、住宅街で灯りがほとんどなく暗黒の冷たい空間が広がっており寒さが骨身にしみる。来るときに穿いていたパンプスも逃げるように出たため、きちんと穿いていなく変なところに靴擦れができそうなほどズキズキとストッキングの中から足から小さな悲鳴を上げている。
この家にはもう用事はない。手がかりはポケットに入っているムカつくような遺書もどきだけ。まったく、もうこのあたりにはしばらく近づきたくないわね。
「よう、結垣お疲れ。飯、まだ食べてないだろ。近くで食おうや」
曲がり角からトレンチコートを着た斬風がぬうっと出てきた。陰気な雰囲気と身長が結垣より二十センチ近く高いのも相まって、夜灯りが少ない住宅街だと徘徊する幽霊のような感じだ。だが、街灯のスポットライトの下に入ると一変して、分厚い皮の手袋とトレンチコートが似合っていて昔の刑事ものドラマの中年刑事みたいで渋い。
「あたしが出てくるの待ち構えてたのですか」
「端末の発信機で追ってきた。コート持っててやるから靴履いときな」
脇に抱えていたコートを斬風に渡してずれて履いていたパンプスをスコンと足にはめる。そして、それをもらおうと腕を上げると斬風は後ろに回って結垣の肩に掛けてくれた。
「ほら、いくぞ」
「あ、うん」
斬風は相変わらずぶっきらぼうな口調であったが、突然親切にされたことにちょっと頭が混乱する。
なんだろう、なんかいいことでもあったのかな。でも普段と変わりなく陰気臭いのは変わらないけど。
住宅街からすぐ近くにあるマクドナルドのカウンターで二人は食事をとっていた。夕食時だからか、人がかなり多く話声と中の厨房の命令が店の中を飛び交ってうるさい。逆を言えば、こううるさければ隣の席の人の話も聞きずらいといえる。結垣は油と塩が効いたポテトを二本口に咥えて、先ほどの栗栖家での仕打ちを斬風にぶつけた。
「まったく酷いわよ。客にお茶は出さない。暖房はこっちにむけないあたしだけ冷蔵庫の中に入れたかと思ったわ」
「そりゃ災難だ。ホットアップルパイ追加で頼むか?」
「あとでお持ち帰りでね。それでね、そのおばさんさ」
ポテトを飲み込むと、今度はクラブハウスバーガーを年頃の女の子にしては似合わない大きな口でかぶりついた。トマトケチャップが口についてふきんを使わずに指で舐めると、近くを通りかかった男性がぎょっとした目で見た目とのギャップに驚いていた。
一方の斬風はチーズバーガーだけ頼み、もそもそと外のバンズ部分を一口しか食べていない。他の人から見れば、逆のものを食べるべきと見られる量である。
「それで、手ぶらで追い出されたわけじゃないだろ。見せてみろ」
中のトマトをこぼさないように注意して半分まで食べると、汚れていない手で栗栖洋治の遺書を斬風に手渡した。中身を見るなり斬風は困惑した表情を見せて、バーガーを置いた。
「なんだこりゃ? なんとも気が抜けた文だな。真剣じゃないというか」
「ムカつくでしょ。最初は恨みつらみ云々でと思ってみたら、体験してみたかったって、ふざけんじゃないわよ。そもそもなんで死神はこんな奴に能力を与えたのかしら。本当に死にたくない人にその能力授けろっての」
「なあ、結垣。お前死神を拘束したら、沖を蘇らせたいのか?」
ポトリとバーガーに挟まっていたトマトが袋から落ちて、トレイに赤い汁とトマトケチャップを広げた。結垣はゆっくりバーガーをトレイに降ろすとさっきまでの威勢が消えていた。
「来海のことは関係ない。死にたくない人っていっぱいいるって一般論で言っただけ」
「その中に沖も入っているんだろ。けど沖は。死にたくないと思って死んだんじゃないんだぞ」
わかってる。けど、身代わりになって死ぬだなんてやるせないよ。
沖来海。結垣と同じく斬風の元部下であり、同じ児童養護施設で過ごしていた唯一の親友にして幼馴染であった。二人とも同じく親から手放されたという境遇が似通っていたのか自然と意気投合していた。そして運命のいたずらか二人とも能力者だった。
二人は能力を持て余すことなどしなかった。沖が仕掛けをつくり、結垣がそれを発動させて他の養護施設のこどもにいたずらを繰り返していた。物心ついた時に結垣が能力を保有していたことやそれを秘匿すべきことであることを組織に通告されて、誰にも言えない悶々としていた日々を送るはずを沖というあまりにも同じ境遇を持つ人物がいたことで発散していた。
そして十の時に、結垣と沖は組織に正式に組み込まれた。組織内部でも二人は相変わらずで、周囲からは似ていないが双子のようであると言われていた。二人も悪くないと思って疑似姉妹を謳歌していた。
しかし一年半前。ある能力者を陽動作戦で追い詰めた際、普通の人間の少女が入り込み、能力者の力に巻き込まれる前に沖が身代わりとなった。その能力者は結垣の手で始末できたが、沖はもう虫の息だった。
「ちぎり、女の……こ……ぶじ?」
喉元を切られて、息も絶え絶えだった沖の最期の言葉だった。無能力者相手にいたずらを繰り返していた沖が、最期は無能力者を心配して助けた。そして結垣に、無能力者たちを恨まないような意味を込めて彼女の腕の中で息を引き取った。
あの時あたしの到着が早ければと何度後悔したか。
過ぎたことなんていくら反省してもどうにもならないのに、ああしていたらこうしていたらあの言葉をとかを来海が死んだシーンが映像としてよみがえる。でもリテイクはできない、そのシーンはそれで完成されてしまったのだから。
「もうあの子は墓の下でゆっくり寝ているんだ。一年半ぶりに叩き起こされちゃうるさいぞ。沖は寝起きがものすごく不機嫌だったの知っているだろ」
「……うん」
完全に沈黙状態になっている結垣。揚げたてだったポテトが半分も残ったまま冷めていくが、細い手はピクリとも食指が動かない。口がぎゅっと何物も拒むように結んでしまっていた。
斬風の元々垂れ下がった目から憐憫の表情が表れ、結垣の頭を撫でた。瞬間、手をパンッと弾く音が出た。
「セクハラ!」
「なんだよ。急にしおらしくなったと思ったら、生き吹き返しやがって。頭触っただけだろ」
「うっさい。新規臭いおじさんに辛気臭いことを慰めてもらってもうれしくないの!」
急にいつもの調子に戻ったことに戸惑いながら「なんだよおじさんおじさんって、好きでおじさんになったわけじゃないんだぞ」と愚痴をこぼしていた。
突然、結垣のポケットにある携帯から事件発生用のアラームが鳴った。結垣が頭をきりっと仕事用に切り替えて携帯を取る。
「はい、こちらS市第一区域担当結垣です」
『こちら第二区域担当新田。S市にて少女の惨殺死体を目撃したとの情報をキャッチ。情報によるとギリーナイフと同じ手口であることが判明、なお容疑者であるギリーナイフは組織から出ていない模様』
ウチの牢屋にいるはずのギリーナイフと同じ手口? でも奴は脱獄もしていないだって!?
携帯を持ったまま現場に急行しようと席を立とうとするが、斬風が結垣のけいたいを奪い取る。
「こちらS市監察部統轄区長斬風、しばらく様子見だ。現場の状況の捜査とギリーナイフの取り調べを尋問に引き上げるように」
上司の命令に電話向こうの新田は受け入れるしかなく、切電してしまった。斬風は食いかけのバーガーの続きをしようとつかむが結垣が納得いかない感情をぶつけてバーガーを叩き落した。
「どうして!」
「模倣犯である可能性がある。ギリーナイフがここしばらく活動していなかったから、似た事件を引き起こしてギリーナイフの仕業に見せかけるただの人間がやったかもしれん」
「でも」
「俺たちはあくまで能力者が対象だ。普通の人間の事件にはノータッチだ。それに、死神が今殺された少女に能力を与えた可能性もなきにしもあらずじゃないか。俺たちの仕事を忘れるな。まあどの道現場に入れないから、警察に潜んでいる同僚の報告を待つしかない」
斬風は足を組んで丁寧に命令の意味を懇々と伝える。結垣は唇を噛みしめ、叩き落した衝撃でケチャップが零れた斬風のバーガーを見つめていた。
だが数日経っても殺された少女は蘇ることもなく死体のままだった。そしてギリーナイフの尋問も、室内にいたまま殺人を犯すような能力は保有していないということが分かった。