1 死神グリムリッパー
ギリーナイフの確保から数日後、中心街より離れた商業ビルに間借りしている部屋で結垣はパソコンとブルーファイルに閉じられた資料とにらめっこしていた。結垣が資料を開くたびに表情を変える一方で画面は同じ表情のままだ。
『組織』は表立っての活動ができないが、全国に普通に生活を送っている能力者たちを観測するための拠点をつくらなければないらないため偽の会社名義で間借りしている。もちろん実際に仕事はしているのだが大々的にできないため、たいがい三坪程度しかない狭苦しい中でするため他の組織の人間も辛酸を舐めている。そうした狭苦しいなかで鬱憤が溜まっているのか、結垣の机の周りには空いたジュース缶が転がっている。
「結垣、ココアかコーヒーか俺が配分間違えて淹れたジュースより甘いコーヒーのどれが欲しい」
「配分間違えた奴で」
コトンとマグカップが置かれる。ミルクとコーヒーが混じった甘そうなブラウン色の熱い液体を喉に流す。後ろでは斬風が足元に散らばる空き缶をビニール袋に入れて回収していた。
「狭い事務所なんだから、整理整頓をしっかりしろ。組織にいてもう何年だ?」
「六年、そのうち三年は異能力検査と訓練で不自由なく過ごし、残りの三年は五十にもなるおじさんの下で分からず屋な異能力犯罪者を捕獲と始末してきました」
ぐるりと椅子を回転させて自分の経歴を述べると、斬風は頭に手をやって減らず口をと言いたげな表情を見せた。五十路のおじさんというのはどうしてこう説教臭いのだろうか。
斬風の下に配属されたのは組織での訓練が終わってすぐだ。最初に斬風に抱いた印象は、名前負けしているだった。斬風という名前だからすらっとしたスマートな人物であると結垣は年頃の少女らしい淡い期待に胸を膨らませたが、入ってくるなりその期待は風船が割れたように弾け飛んだ。
スーツは気崩さずにしていたが細身の猫背姿勢で、おまけに剃り切れていない無精ひげが目立つため冴えない陰気な人という印象であった。配属された後、その雰囲気を正そうという気はみじんもなかった。だが仕事はできる人間であった。苦手な事務や所以大人の交渉事や作戦などを担当し、いずれも成功に導いた。普段の生活もセクハラといった結垣が不快になることはなく、見た目以外はパーフェクトだった。
「さて、あいつの取り調べが終わった。あいつの経歴についてだが」
「ギリーナイフ。一言で言えば吐き気を催す邪悪、温情なしで薬でラリらせて、『私がやりました』看板でも提げて町中に曝してやりたいほどです」
「嫁入り前の娘が汚い言葉を並べるな」
「こんなところでこんな仕事していたら口も汚くなりますよ。能力に物言わせて暴力を振るやつは始末し、超常現象を発動させて一般人を巻き込む奴を危ない輩を黙らせる。いい迷惑ですよ普通の人たちも、あたしたちも、もっと人の迷惑を考えれば世界は平和になるし、残業だって減らせるわよ」
「甘ちゃんだな。お前がいるだけでコーヒーがいい塩梅になる」
皮肉めいた口調で言われて結垣は反論したかったが、さっさと内容を聞いて終わらせたいので押し黙った。斬風がマグカップを置き、パッドを開いて結垣に手渡す。中身はギリーナイフの取り調べの内容だった。
『俺がこの力に目覚めたのは、そう半年前です。急にでさぁ、派遣先の工場でうっかり製品詰め込んだ段ボールを能力で切り裂いてしまって上司にこっぴどく怒られたのはよく覚えています。これが巷に聞く異能の力かと見えないナイフを最初はしげしげと研いでいました。ふとある日、ガタイのいい高校生ぐらいの男子にうっかりぶつかってして。その時能力が発現して、そいつの腕から血がドバドバ出て、そいつあんな図体で怯えて悲鳴を上げたんですよ。そして次の時にはそいつに胸に一突きですよ。あの時は、ちょっとばかりびっくりしましたが、次に同い年ぐらいの女子を殺した時はたまりませんでした。女の悲鳴を聞きながら、きれいな顔をナイフで切り裂き、未熟な白い胸を自由に支配する感じときたら』
腹に溜まった甘ったるいコーヒーやジュースが苦々しい毒に変わったように顔が歪んだ。殺された人たちが結垣と変わらない年というのもあるが、女としての屈辱と恐怖をさも娯楽のように楽しんでいるのにむかっ腹が立つ。ただの文字の配列なだけなのに、ギリーナイフの独白がやけに臨場感があるのも相まって思わずパッドを指圧で画面を割りかけそうだった。
すると持っていたパッドをひょいと斬風が取り上げて操作をした。
「最後の方だけ見とけ。こんなところ重要じゃないし、せっかく淹れたコーヒーがまずくなるぞ。俺たちがこのクソ野郎をこっちで拘束したのはその最後が重要だ」
資料をめくり、一番最後のページを結垣に見せた。相変わらずギリーナイフのさも誇らしげに語る独白文が続いていたが、後半から様子が変化している。
『四人目の少女を殺した二日後のことです。俺は殺人をした数日後は、この市で唯一あるスクランブル交差点を歩くのが習慣でして。この大勢の人だかりの中に殺人犯がいるなんて誰も思っていない、俺を下の人間だと思っている奴らが俺に怯えている。そしてそいつが隣にいるだなんて誰も知らない。ある種人間を恐怖で支配していたのです。しかし、それは崩れたのですよ。交差点の真ん中あたりで俺が殺した少女が現れるまでは。ええ、最初は幻覚か人違いだと気にしないようにしていたのです。そのまますれ違おうとした時、そいつは俺に肩をぶつけて言いやがったのです「おじさんでしょ私を殺したのは。痛かったよ頬のあたりがまだヒリヒリ痛いんだよ。あと女の子には優しくしないと」そして切り裂いた箇所を指さしたのです。次の時にはもういなくなっていた。ほんとですよ! 肉の温かみもあったのですから! もしかしたらこの中に今まで殺した三人が俺に復讐しようと狙っているのではと、もう俺は急に怯えた子犬のようになって、人という人が全部恐ろしく見えるようになったのです。今も独房の中であの殺したはずの少女の声が聞こえるんです』
殺したはずの少女が生き返った? 死者が蘇った? 理解が追い付かなかった。能力者には様々なタイプがいる。その中には『組織』でさえ把握できていないタイプもいるから、死者を蘇らせるだっている確率がある。しかし近しい能力を持った人間はいることにはいるが、死者を蘇らせるという完全な事例は初めてだった。
斬風の弛んだ額の皺が険しくなると、束になった資料を投げて渡す。
「ありえないと思うだろ。だが、警察に潜入している組織の同僚が殺されたと記入された人間ががなぜか生きていると大わらわだ。それは蘇えった少女の調書のコピーだ」
受け取った調書には、殺された場所に死亡推定時刻と事細かに記載されている。殺され方もギリーナイフが被害者を殺す手口と同じだ。だが、少女は何事もなく生きている。
結垣はまだ残っているコーヒーに口をつけれずにいた。
もし自分が殺されたら、間違いなく復讐しに凶器を持つ。さもなくば警察などの応援を呼ぶのどちらかを選ぶ。自分も女の子であるからわかるが、男性と女性では圧倒的に筋力が弱い、おまけに能力者ともあれば一人でなんとかできるとは思えない、もう一回死に行くようなものだから。しかしその復讐の方法も、ただ人ごみの中にいた犯人を見つけて脅すだけ。一歩間違えれば逆上してまた殺される可能性がある。どうも少女の整合性が取れない。
しかもすでに組織が昨日、その殺された少女に警察に扮した組織が接触したという。だが殺された少女はただの人間だった。さらに、ギリーナイフが出会った時間にスクランブル交差点に行ったか聞くと、いたにはいたがどうしてそこに行ったのか覚えていないとくる。おまけに家族も少女がいなくなった空白の時間も「たしかいたはず」と述べた。まるで何もなかったかのように都合よく書き換えられている。
「なんかちぐはぐね。あたしの理解力が追いつけていないから?」
「安心しろ。能力者に関しての知識が不足している警察も、こっちも首をひねったさ。で、一応上も能力者の仕業と思って類似した事件がないか調べると、ビンゴだ。数件あった。しかし、全員ただの人間。おまけに死体も含めて全員都合よく記憶を改ざんされている。残っているのは死亡と認定したはずのおかしな調書と写真だけ。ただ、今回とは違って全員自殺だ」
「自殺!」
殺人のお次は自殺と不穏でない単語のオンパレードに思わずマグカップをひっくり返しそうになった。幸いにもカップはこぼさずにすんだ。だが、死がそんな簡単にひっくり返っていいものだろうか。今のマグカップのようにもしひっくり返ったら、中のコーヒーだけでなく机の上の書類まで被害が及ぶ。死が周囲の人の心に黒い染みをつくり、簡単に拭えないように。
だが彼ら全員、数日後には何事もなかったように蘇った。周りの人間も同じくいつもの日常を過ごしてきたと改ざんされていることも知らず。幼児施設で教えられたキリストの復活のような出来事だ。しかし、全員神の子でも神でもないただの人間だ。
斬風がマグカップを口に当てると、ぷっくら膨らんだのどぼとけが下がり、一気に飲み干す。いつも思うがあんな濃いブラックをよく飲めるなと結垣は、自分の甘ったるいコーヒーを口に含みながら思った。
「もし考えられるとすれば、人間を蘇らせる力を持つ能力者が能力を与えたということは?」
「……なるほど、能力者が他人である説か。それなら少女がギリーナイフを脅した件も、そいつの背後にその能力者が潜んでいたからもあり得るかもな。ただ殺しをした人間以外の記憶の改ざん能力持ちとはやっかいそうだ」
「けどなんのメリットがあって蘇らせる能力を与えたのだろう? ただの愉快犯なの?」
「それ以上考えても不毛だ。所詮は机上の空論、いちサラリーマンが余計なこと考えることじゃない動け結垣、上からの任務だ。未認証能力者、コードネーム『死神』の捜索と拘束だ。手始めに先の少女以外で死んだはずの奴らの周辺を調査してくれ」
結垣が立ち上がるなり、部屋の隅に掛かっていたダッフルコートを取ると「行ってきます」も言わず出入り口の扉に手をかける。
「けど、もしその死神が良い人だったら。死んだ人を生き返らせれるかも」
小さなつぶやきであったが斬風の耳に入っていたようで、ソファーに椅子に座りながら「甘ちゃんが」と結垣と同じぐらいの声量で呟いた。