桔梗
祖母との思い出について書きました。
わたしは大のばあちゃんっ子でした。
両親は共働きでしたから、弟とわたしは祖父母に預けられていました。
祖父は弟を大変可愛がっていました。
祖母は、わたしの事をとても気に入っており、おやつもわたしの方が身体が大きいからと、手作りの卵がたっぷりと入った、黄金色のホットケーキを焼いてくれる時に「内緒よ」と言いながら、わたしの分が必ず大きかったです。
夜もわたし達は祖父母の家に預けられていました。父は飲みに出歩き、母はバトミントンやミニバレーをしていたりして、二人とも夜は帰りが遅かったです。そのまま祖父母の家に寝てしまっていました。
わたしの名前も祖母がつけてくれたのでした。弟は祖父がつけたのだそうです。
祖父は大の相撲好きでした。場所中に入ってテレビ観戦をしていました。わたしも好きな力士を応援していました。
地方巡業が近くに来たときに、祖父母と弟とわたしの四人で見に行ったは、楽しかったです。
祖父母は年に二ヶ月ほど秋から冬にかけて、湯治にも行っていました。未だ幼稚園に行っていた頃には、弟とわたしも一緒に温泉宿にずっと滞在していました。
弟は最初は温泉を楽しんでいましたが、途中から飽きて、「帰る」と泣いていました。わたしは生まれつき肌が薄く、過敏で弱かったです。温泉も大好きでした。一日二、三回入っていました。
母から、「あんたは顔も性格もお母さんにそっくりね」と憎々しげに言われたことがありました。
嫁姑問題は我が家にも存在したようでした。
母は弟に構ってばかりいました。父はわたしに甘かったです。わたしの顔や気性が祖母に似ているせいかな、と感じていました。わたしもそんな父が好きでした。べたべたに甘やかされていました。
祖父母の家には、飯炊きさんと父が呼んでいる、お手伝いさんが、父が小さい頃から同居していました。時々、わたしたち兄弟に飴などをくれていましたが、祖父母や両親がいない時に「かわいそうな子たちね」と言われていました。祖母にも両親にも、その事は言えませんでした。
祖母は和裁学校を二つ出た経歴を持ち、昔から和裁をしていました。わたしの寝巻きは祖母が縫ってくれた浴衣でした。「寝巻きは白色、昼間着るのは紺色」と、祖母は話していました。
「あんたは爪まで私に似てるね」と、縦に線が入っているわたしの爪を祖母が舐められたことがあります。「あんたは私に似とるなぁ」と、つねづね言われていました。
母は父と、祖母とわたしの関係のあり方について口喧嘩をしていました。
結局両親は離婚しました。弟は母に引き取られました。わたしは父に引き取られました。
わたしは祖父母に育てられる事になりました。父は仕事がさらに忙しくなり、たまにしか会えないようになりました。
わたしは中学受験をして、他県の中学校に進学することになりました。
中学二年の梅雨時に、祖母は突然亡くなってしまいました。
祖母が縫いかけていた浴衣の柄は桔梗の花でした。
紺地に白色の桔梗の花の図柄の浴衣でした。わたしの為の浴衣でした。
夏になると必ずその浴衣をわたしは着ています。
思い出が多過ぎて、文章を書く整理していたら、短くなってしまいました。。。。
祖母から受けた愛情が伝わればいい良いなぁと思います。