第6話:クローゼットの奥の過去
目覚めは最悪だった。夢にあの男が出てきて私を睨みつけたのだ。
寝汗をびっしょりとかいてしまったせいで髪の毛が顔に貼り付く。鏡を覗くと頬には涙の跡が残っていた。服も汗で濡れてしまい、着替えようと体を起こした時、急にドアが開いた。
「よぅ」
「……何がよぅだ、コラ癖毛」
ノックもせずに入ってくるとは相変わらずの無神経。しかしグンゼは悪びれるどころか「あぁん?」とデカい態度で私を睨みつけ、堂々とベッドまで寄ってきた。
私を見ると、途端に顔をしかめた。
「汗だくじゃねぇか、気持ち悪いな」
「ほっとけよ、平気で部屋に入ってくるあんたの方が気持ち悪いよ」
いつもならもっと言い返してくるグンゼだが、なぜかそれ以上は言わなかった。ズボンのポケットに両手を突っ込み、偉そうに上から私の顔をじっと見る。何を言い出すかと思えば出てきたのは「無理すんなよ」という至極意外な言葉。
「お前は俺たちと違って弱虫なんだからよ」
「なにそれ」
「昨日も夕飯来なかったろ、他の奴らも気にしてたぞ。あんま心配かけんなよ」
「……うん」
「だからその顔を止めろって。俺が苛めてるみてぇじゃねぇか」
めんどくせぇな、と舌打ちをするグンゼ。いきなり部屋に来て説教、挙げ句めんどくせぇとは何事だ、こいつ。昨日のアルとは正反対だなとつくづく思った。
「言っちゃあ何だがよ、お前のいた世界とここは似てるらしいが全然違うんだぜ。ここには殺し屋なんて俺たち以外にも沢山いる。それにあの時殺らなきゃお前が殺られてた、そうだろ。いちいち傷ついてめそめそ泣いてたらキリねぇぞ」
「……」
「強くなれよ、レン」
「……そうだね」
言い方はキツいけど、これがグンゼなりの優しさなんだと分かっていた。
私は甘えてたんだ、みんな優しいから。この世界が私の住んでいた世界と似てるから。だから、ずっとここで暮らすのもいいかもなんていう安易な考えを持ってしまっていた。私には生きる覚悟が、足りなかったんだよ。ここは別世界、グンゼの言葉でそのことを気付かされた。
「…ありがと」
「おう、分かったらとっとと起きて朝飯食いに来い」
「ねぇ、ひとつ聞いていい?」
「いいけど。なんだよ」
グンゼを見た。濃い灰色の髪の毛。起きたばかりなのか後ろ髪が跳ねている。目は少し垂れ目で、四六時中眠たそう。背は私よりも少し高いくらい。グンゼだって、普通の少年なんだ。
「初めて人を殺した時、君は泣いた?」
「……」
グンゼの表情が少しだけ悲しみの色を見せた瞬間、私は聞いたことを後悔した。だけど遅い、聞いてしまったものは仕方ないのだ。
彼はまるで感情を隠すかのように、いつものだるそうな表情に戻った。そしてくるりと背中を向けて言ったのだ。
「忘れたよ、そんな昔のこと」
「おはよー」
居間へ来た私をみんなは快く迎えてくれた。昨日夕飯時に行かなかっただけなのに何だか凄く久しぶりに感じる。
卓袱台の上にはしっかり私の分の朝食が用意されていた。それが嬉しくてついにやけてしまう。するとすかさず、気持ち悪い女だとミナミに嫌みを言われた。うっせぇよナルシスト。
「よぅよぅレンちゃん、元気になったかァ」
「うん、もう大丈夫だよ飛翔。なにさり気なく腰に手回してんの」
「にしても昨日は悪かったなァ。何せスイッチ入ったら記憶飛んじまうからよォ」
「うん、分かったからその手を退けろって言ってんだろ変態」
相変わらずお調子者の飛翔をやんわり(?)とかわして食卓につく。アルはまだ食べている途中らしく、私を見ると柔らかく微笑んだ。口の中に含んだトーストのせいでハムスターのような顔になっているのがまた可愛い。もしかしてわざとか、確信犯か。
「あれ、グンゼは?」
「さぁ、部屋じゃない?」
「朝から仕事のはずなのにな」
ブツブツ言いながらアルは残りのトーストをつまんだ。
アルとグンゼは何かと相性がいいらしくよく一緒に仕事をすることが多いらしい。協調性のある鬼大はその都度違うメンバーと仕事を組み、逆に自我の強い飛翔やミナミなんかは個人での仕事が殆どだと言う。それも全てボスが決めるみたいなのだが私はまだそのボスとやらに会ったことがない。
それをみんなに言うと、「まぁそのうち会えるんじゃね」的な曖昧な返事を頂いた。
「今日はみんな朝から仕事?」
「あ、うん……」
アルが申し訳なさそうに言葉を濁したのは、きっと私をアジトに一人で残すことを気にしてるんだろう。心配させてはいけないといつもより明るく努めた。
「私なら全然平気。何なら夕飯作って待ってようか?」
「え、レン料理できるのか?」
「当たり前じゃん」
嘘だ、料理なんて滅多にしない。卵焼きが限界だ。だけど私の言葉を鵜呑みにしたアルは嬉しそうに目を輝かせた。うん、完全に信じてるね、可哀想に。
「じゃあ楽しみにしてるからな!」
「え、」
「レンちゃんの手料理ねェ。いい加減鬼大の料理にも飽きてきたしなァ」
「ちょっと、」
「不味かったら殺すぞ小娘」
「ミナミまで……」
やばいよ、完全に殿方たち信じてらっしゃる。今更嘘だって言ったら確実殺されるだろうな……ナルシストに。
その後勢いにまかせて本当に夕飯を作る約束をしてしまった。まぁ、どうにかなるよね。多分。
只今朝10時。
みんな仕事で誰もいなくなった居間は無駄に広く感じた。ぽつんと一人ソファーに座ったままぐるりと見回す。安っぽい箱型テレビも使い込んだ卓袱台も、長い間みんながここで暮らしている証拠だ。突然私が転がり込んできて、みんなの中では何か変わったりしたのだろうか。
(何だかな……)
話し相手がいないのはキツい。この島で今私は一人っきりなのだ。家族はおろか、知り合いなんてこの島には……いや、この世界には一人だっていない。
そう思うと急に寂しくなってきた。ふと胸の中にざわついた感情が浮かぶ。何かで気を紛らわさないと。
……あ。そうだ。
「みんなのお部屋チェーック」
悪趣味だと言うなら言えばいい、どうせ誰もいないんだと私の中の悪魔が囁いた。秘密のことをするというのはなぜこんなにもワクワクするのだろう。
すぐさまソファーから飛び降り、みんなの部屋へと向かった。
まずは一番手前の鬼大の部屋へ、そう思ってドアノブを回すが残念ながら鍵がかかっていた。くそ、家政婦のくせに用心深い。
仕方なく諦め次のドアへ。飛翔の部屋だ。
「……うわ」
散乱するエロ本にエロビデオ。わぁ~お、とよくテレビなんかであるようなピンクの声が聞こえてきそうだ。ガサ入れする気にもなれず、終了。
気を取り直して次はグンゼの部屋。この部屋は一度だけ入ったことがある。そっとドアを開けると相変わらず几帳面に整理されたシンプルな部屋だった。面白くない。 だけどこういう奴に限っていろいろと隠しているもの、そう思った私は遠慮無くガサ入れを始めた。
だけど本棚の裏にも、ベッドの下にもエロ本は隠されていない。その代わりクローゼットの中には大量の拳銃やナイフが隠されていた。うん、リアルに嫌だよ。
「つまんないの」
クローゼットを閉めようとしたその時、上から何かが落ちてきた。私の足元に落下したそれを拾い上げる。一枚の写真だった。
写真に写っているのはグンゼとアル、そして2人に挟まれるようにして立っている一人の女の人。
「誰だろう……」
この組織に女はいないはず。
なのに間違いなくこの写真はアジトの前で撮られている。
私はじっと写真を見つめた。両側の2人よりも幾分か背が低く、小顔で、白い肌に栗色のショートカットがよく似合う。薄い唇を少しだけ上げて笑う写真の女は、つい見とれてしまう程綺麗だった。
右側にいるアルはまさに無邪気という言葉がぴったりな笑顔で、彼女の肩に手を置いている。反対側のグンゼは……
「……」
笑っていた。それはアルのような目一杯の笑顔ではないけれど、どこか嬉しそうに、薄く笑顔を浮かべていた。いつもふてぶてしい態度で私に暴言を吐くグンゼとは到底違い、何ていうか……まさに美少年?
こういう表情もするんだ、と感心した反面なぜか少しだけ切なかった。
そして2人共、今より少し幼い感じがする。
「グンゼもいつもこんな風に笑ってたら格好良いのに、勿体無いなぁ……」
ははは、と笑いながら何気なく写真の裏を見る。真っ白な裏には、女の人の丁寧な文字で、小さくメッセージが書いてあった。
《貴方を忘れない。
愛を込めて――》
どくん、と胸が高鳴った。絶対に見てはいけないものを見た気がして私は急いで写真をクローゼットの奥に隠しあ。扉を閉めて一目散に部屋を出る。
何故だろう……あのメッセージを見た瞬間、ひどく泣きたい気持ちになったのは。
あれはきっと、グンゼかアルどちらかへのメッセージ。でもグンゼの部屋にあるってことは……。
廊下を出た時もう一度グンゼの部屋を振り返った。あのグンゼがたった一枚の写真をクローゼットの奥なんかに隠しているなんてかなり意外だった。
ふと写真の中のあの笑顔を思い出す。グンゼはあの女の人のことが好きだったんだろうか。
あいつも……そういう想いするんだ。
「へぇ……」
(勝手に見てごめんね、グンゼ)