第32話:女子風呂にて
ボスの用意したホテルは、高級ホテルどころか今にも崩れそうなほど傾いた旅館だった。
先に着いていたミナミと鬼大と合流し、私は絶望する。
ボロボロの看板を掲げた旅館。
門は錆び付き、入り口付近にある池には水がない。
吹けば飛んでいきそうな屋根。雪の重みで潰れそうだ。
そして目には見えない陰のオーラが。
「あの野郎!なにが高級ホテルだ!」
「いやこれもう廃墟だろ」
「まぁ、俺は大体予想していたがな」
「くそ!まさかこんなもんで俺らの給料踏み倒すつもりじゃねぇだろうな!」
「まさかもクソも、その通りでしょ」
「え!そうだったのか!?」
「ボスめ……」
「いやもっと早く気付けよ」
まるで少年のように純粋な思考回路だよ。
とにかく宿が見つかっただけでもマシかということになり、私達は旅館に足を踏み入れた。
奥から出てきた女将さん(この世界でもそう呼ぶらしい)に受付を済ませ、部屋へと案内された。……が。
「ちょっと待てぃ……」
「どうした、レン」
私は部屋を見渡した。
畳が敷き詰められた和室。日本のごく一般的な旅館とそう変わらない。縁側までついてる。
中央には横長の低いテーブルがひとつ。
広い。部屋は確かに広い。広いけど!
「なんでみんな一緒の部屋?!こんな野蛮な男共の近くで寝るなんて耐えられないよ!」
「あ、そういえばそうですね」
レンさん女性でしたよね、なんて言いやがる鬼大。
私は荷物を投げつけて懇願した。どうか別の部屋を取ってくれと。
しかし全員から猛反対された。
「バカヤロー。そんな金はねぇ」
「何で!?ボスからおこずかい貰ったんじゃないの?!」
「何言ってんだ。あいつは宿手配しただけだろ。交通費だって俺達の自腹じゃねえか」
「自腹っていうか……いたいけな美少年から飛行船かっぱらっただけじゃん……交通費浮いてんじゃん」
「おーい、みんな見てみろよ外の景色」
「シカトすんなぁ!!」
全く、これだから男は気が利かないよ!
「部屋取ってくれないんなら私帰るからね!」
叫ぶ私に、眉をひそめるミナミ。
「ワガママな女だな」
「あんたにだけは言われたくないよ、ミナミ」
史上最強のワガママ男が何を言うか。
どうやら、これ以上訴えても無駄らしい。
ケチな貧乏組織め……。
だってもうみんな既に違う話題に移ってるし……。
うなだれる私に、鬼大がなだめにきた。
その大きな手で私の肩をぽんと叩く。
「大丈夫ですよレンさん、そんなに気にしなくても。着替えなら脱衣場ありますし。ちゃんと大浴場もあるみたいですよ。アジトにいる時とそう変わらないじゃないですか」
「ん……まぁそう言われるとそうかも……」
にっこりと鬼大は笑う。そして私の荷物をひょいと担ぎ、部屋のすみに片付けてくれた。
お母さん。まるでお母さんのような優しさだよ。
「心配しなくても誰もテメェなんざ襲わねぇよ」
ケッと吐き出すように言ったグンゼ。うわ、うぜー。予想してたけど実際言われるとムカつくよ。
「私だって一応女なんですけど」
「分かってても興味ねーわ」
「……死ねハゲ」
「……オイ」
なんだこらやんのかこら、とチンピラのようにメンチを切りながらグンゼが近付いてくる。
こ、殺される!
そう思った瞬間、立ちはだかったのは飛翔だった。
「まァまァ、落ち着けよグンゼ」
飛翔はくるりと私の方を向いて歯を見せた。
「誰もレンちゃんに手ェ出さねェように俺が隣で寝てやるよォ」
「はぁー?あんたが一番心配……」
言い終わる前に、飛翔が折れた片腕を私に向かって出した。
そして周りに聞こえないくらいの声でぼそりと呟く。
「あぁ〜そういやさっきの戦いしんどかったなァ。なんせ片腕折れてるからなァ……」
(こ、こいつ……!)
私のせいで折れた飛翔の腕。
私の為に戦った飛翔。
「なぁ、レンも俺の隣で寝たいよなァ?」
「……………はい」
夕飯まで時間があるとのことで、お風呂へ行く事にした。
「あ、浴衣があるじゃん!」
タンスの中から浴衣を発見した私は、みんなに一枚ずつ配る。
着たことがないのか、頭の上にハテナマークを浮かべている。
ただ一人を除いて。
「フン。浴衣も知らんのか、お前ら」
ビシッと着こなしているのはミナミ。
色白で黒髪の彼は誰よりも浴衣が似合う。
そうだ。そうだよ、ミナミは本来綺麗な顔立ちなんだよ。性格の悪さでビジュアルまで霞んでたけど。
「うわぁ、似合うねミナミ!浴衣着たことあるんだ」
「当然だ。なんせ俺は、」
「え?」
ふいに言葉を遮ったミナミ。
何か考えるように、首を横に振った。
「いや、なんでもない……」
ふぅん、なんて返事をした私だけど内心すごく気になる。
だってミナミ、ここに来てから少し変だった。いつも変だけど、いつもより変なのだ。
「さすが俺だな。スーツだけじゃなくこんな布切れまで着こなしてしまうとは……」
鏡に向かってうっとりした表情を浮かべる飛翔。
すかさずグンゼが後ろから蹴りを入れた。
「どけ。邪魔だ金髪馬鹿」
「んだとコラァ!」
「うっせー。俺の方が似合ってるだろ。気だるい色気出てんだろ」
そう言いながらグンゼは前髪をかき上げ目を細める。おー。色っぽい色っぽい。
そして飛翔の方を振り返って言った。
「てめーはスーツ着たら胡散臭ぇし、浴衣着たらカマっぽいな」
「おい!今のは傷付いたぞ!謝れ!」
「嫌だ」
「謝れよ!あーやーまーれー」
「ちょ、いてえよ!つねんな!ガキか!」
グンゼの頬をつねる飛翔に、それを阻止しようと蹴るグンゼ。
アルは何事もないかのような笑顔で、じゃあ風呂でも行こうかと言った。
「まだやってますよ、あの二人。ミナミさん止めてあげて下さいよ」
「断る。馬鹿が移る」
「うわー、貸し切りだぁ」
広い女風呂には他に誰もいなかった。
私は素っ裸で大浴場を謳歌する。気分はもうセレブ。旅館はボロいけど。
「あー、広いお風呂嬉しいなぁ!ずっとアジトの狭くてきったないお風呂だったからね!」
鼻唄混じりで髪を洗っていると、後ろで戸の開く音が。
振り返るとひとりの女の人が入ってきた。
彼女は長い髪を揺らしながら、離れたところに腰掛ける。
それにしてもスタイル抜群だな、オイ。
(いやいや、飛翔じゃあるまいし……)
そう思い返してぱっと顔を反らした。
全身を入念に洗ってから湯に浸かる。熱すぎず、いい湯加減に私の心も和んだ。
(私、本当に異世界にいるんだな)
だって、ここには私の知っている人が誰もいない。あるはずのものもなくて、無いはずのものがある。
それに、今日の出来事を思い出すとびくっと肩が震えた。
やっぱりひとりになると、急に不安になってしまう。
「気持ちいいね」
急に声を掛けられて驚いた。
気付くと私のすぐ近くで湯に浸かっている女の人。
(あれ、さっきまで……もう体洗ったのかな)
不思議に思いながらも笑って返事をする。
女の人も笑った。丸い目がきゅっと細くなる。
その笑顔があまりにも綺麗で、つい見惚れてしまったほどだ。
何歳くらいかな。なんか大人の色気に溢れてる。
でもこの人、なんか見たことあるような気がする。
いやでも、こんな美人だ。一度見たら忘れないだろう。
「旅行、ですか?」
長い髪をかきあげる彼女に尋ねた。
「まぁね。あなたは恋人と?」
「いやぁ、そうだといいんですけどねぇ〜。私は殺……」
『殺し屋組織の慰安旅行です』
「……」
「……」
い、言えねぇー!!
純粋無垢な目した美女に言えねぇー!
「……こ、殺……ころっ……えーと」
「あ。もしかして、殺し屋の慰安旅行とか?」
(当てたー!!まさかの慰安旅行まで当てたー!!)
慌てる私を余所に、彼女は上品に笑った。冗談よ、と。
どんだけ鋭い冗談だよ。
「お風呂に来る前に見ちゃったの。あなたずいぶん沢山の友達と来てるのね」
「友達っていうか、なんというか……」
「賑やかで楽しそう」
「まぁ、そうですね」
「男の人ばかりだったけど、泊まり?」
いたずらっぽい目をして彼女が尋ねてくる。
私は力無く頷いた。
「私、あいつらに女として見られてないんで」
「そう?可愛いよ」
「いやぁ、ブスとか貧乳とか……」
うん。自分で言ってて悲しくなってきたよ。
美人は、しばらく私の顔を覗きこんで微笑んだ。
そしてその上品な声で、名前は?
と尋ねてくる。
「レンです」
「ふうん。いい名前ね」
あなたは? そう尋ねようとした時私の耳に、お風呂場の外から聞き慣れた馬鹿声が響いてくる。
「おーい、レンちゃぁーん!俺が背中流してやろうか!?」
飛翔だ。
次いで他のみんなの声も。
どうやらもう出たらしい。
なんて迷惑な奴等なんだろう。他人への配慮は皆無に等しい。
「レンー!俺達先に部屋戻ってるからなぁ!」
さっさと行けよ。
「返事くらいしろ、ブース」
大声でなんてことを……シカトしよ。
「おや、返事がないですね。もしかしてレンさん先に出たんじゃないですか?」
「ない。あのどんくさい女が機敏に動けるわけがない」
「じゃあのぼせてるんじゃね?」
「それは心配だなァ!今助けにいくぜェ!」
「チッ。仕方ねーやつだな。じゃあ俺も」
「おいおい二人とも!……なら俺も」
(あの変態ども!)
「はいッ、一歩でも入ってきたらコロース!私の人生かけて全力でコロース!!」
ぴた、と止まる足音。
どうやら思いとどまったらしい。ギリギリ、風呂場のドアは開けられてない。
数秒後、舌打ちと共に、はやくでろよ、という声がした。
遠ざかるあいつらの気配にほっと
胸を撫で下ろすと、美人はクスクスと笑った。
「ふふふ、楽しそうね」
「はぁ……」
何か疲れた。風呂でくらいゆっくりさせてほしい。
「羨ましいな」
「いやぁ、もう馬鹿が多いから毎日毎日喧嘩ばっかりで!」
私が言うと、彼女はふっと瞼を伏せて呟いた。
「どんな相手ともいつかは離れる時が来るよ。大切にしてね」
「……」
彼女を見て、この時私が感じた違和感は、何だったろう――。