第22話:ふつつかものですがお世話になります
「これがボスの部屋か…」
二階の奥には確かに部屋があった。鍵はかかっておらず、ドアを開けると嫌な音が響いた。
ホコリ臭いその部屋には机がひとつとベッドしかない。しかま大量に積まれた書類でそれらも埋め尽くされている。
適当にそこら辺の書類を拾って見てみたけれどどれも暗号のような独特の文字で読むことができなかった。
「つまんなーい」
この部屋を見るとボスが多忙なのも納得がいく。
そういえば、殺し屋以外にも色んな仕事してるって聞いたしなぁ…
何気なく机の引き出しを開けてみた。
「本…?あ、手帳か」
深い緑色の小さな手帳だった。
好奇心が先に立って、恐る恐る手を伸ばした。
どうせ読めない文字が書いてあるんだろうと思ってパラパラと中をめくってみたが、何も書いていなかった。
随分古いのか、紙は茶色く変色しているし、破れたりもしている。
ふと、途中のページに何か書いてあるのが見えた。
どうせまた読めない文字だろうと思ったけれど、それは私のいた世界と同じ文字で書かれた文章だった。
今日、久しぶりに彼女の夢を見た。
彼女と離れてもう三十年ほど過ぎただろうか。もう忘れてしまった。今彼女は結婚しているのだろうか。それとも二度と還らぬ俺を待っているのか。
今更、何者にも未練は無いが、願わくばもう一度逢いたいと思う。
夢のおかげで懐かしい名前を思い出した。あやのこと、そして杉原達也という男が生きていたということは、一生忘れないでおこう。
「日記、かな」
ボスが書いたのだろう。あやって誰かな。それに、
「杉原達也…」
私の住んでいた世界にいそうな名前だ。妙な胸騒ぎがした。
いろいろと引っ掛かるところがある。
三十年、とボスは書いている。でもどう見てもボスの見た目は20代だ。若作りったって限界がある。なのに【あや】と離れて三十年、というのはおかしい。
何か分かりそうな気がするのに、今一つぼやけている。
「戻ろう……」
何だかここにいちゃいけない気がした。急にこわくなって、私は慌ててボスの部屋を飛び出した。
居間に戻って少し経った頃、アルに渡された携帯電話がけたたましく響いた。驚いて電話に出ると、いつか聞いた透き通るような声。
「レンさん、僕です、キリオです」
「え、なんで?」
思わぬ人物に、私の声は1オクターブ上がった。
「話はあとです。今すぐアジトの外へ出てください」
「え?あ、はい」
携帯を片手に言われるがままに玄関を開ける。その瞬間、私の頭上に被さる大きな影。見上げると、上空にはくそデカイ飛行船(のような飛行機のような)
あんぐりと口を開けてそれを見ていると、誰かがこちらに向かって手を振っていた。まさか。
「レンさん!」
今度ははっきり聞こえたリアルなキリオくんの声。携帯の通話は知らぬ間に切れていた。
「え、え、急に?なんで?」
私も負けじと叫び返す。
「アルさんから連絡があったんです!レンさんが一人だから、迎えに来ました!」
「アル……」
心配性のアルが、私を一人にしないようにキリオくんに頼んだんだ。それを思うと、彼の優しさに泣きそうになった。
「レンさーん、着陸するんでこの木とかジャングルとかちょっとどかして下さい」
そんな無垢な顔で言われても。
「そりゃ無理だよあんた」
「えー、じゃあいったん、砂浜に戻ります」
しぶしぶ、といった感じで、キリオくんを乗せた飛行船は大きな音をたてながら離れて行った。
私はアジトの扉を閉めてからそれを追いかける。ジャングルをかき分けた先の真っ白な砂浜に、銀色で楕円形の飛行船が、海をバックに着陸していた。え、これが噂のUFO?
その中から出てきたのは宇宙人ではなく、黒髪の美少年。初めて会った時と同じ、純粋そうな笑顔が太陽の日を浴びて異常に輝いている。
私はキリオくんのそばまで駆けて行った。サンダルにまとわりつく砂が鬱陶しい。
キリオくんは嬉しそうに私の手をとり、飛行船へ乗り込もうとする。
「キリオくん、アルに言われて来てくれたの?」
「いえ、アルさんには、レンさんがしばらく一人でアジトにいるってことしか聞いていません。今ここにいるのは僕の意思ですよ」
う。恐ろしい少年。お姉さん危うく心持ってかれそうになったよ。
引っ張られるがままに中へ乗り込む。銀色の船体の中はひんやりと涼しかった。
「よう、また会ったな」
操縦席にいたのはツナミさんだ。強面のキリオくんの上司。
私とキリオくんが後ろの座席に座ると、自動的にドアは閉まった。そしてゆっくりと動き出す。
小窓から外を見下ろすと、小さくなっていく陽炎たちの島。空を飛ぶような感覚に、つい興奮する。
それを見てキリオくんは目を細めた。
「可愛いなぁ、レンさんは」
「……」
これじゃ、どっちが年下か分からない。
「レンさんは陽炎たちが戻るまで、カリブで預かります」
「それってまさか、キリオくんたちの組織?」
なんてことだ私。殺し屋組織をはしごしちゃうよ。まさかの二件目だよ。
「えぇー……でも、悪いよ」
前にカリブは大きな組織だって言ってたし、なんか気使いそう。陽炎はあんなんだからいいけど。
私の不安を読み取って口を開いたのは、キリオくんではなくツナミさんだった。
「大丈夫だ。うちは陽炎ほど血の気が荒い奴ばかりじゃねぇよ。それにうちのボスにも、陽炎のメンバーにももう話はつけてある」
「え、そうなの?」
「奴等もその方が安心して仕事に打ち込めるだろ」
ツナミさんは、顔は恐いけど優しい人みたいだ。
キリオくんは私の隣で、そういうことです、と微笑んだ。
「あの、なんか……重ね重ねすいません」
「レンさんは謝らなくていいんですよ。女の子を一人で放っておくあの人達が悪いんです」
「でも、」
「大丈夫です。あとで陽炎のボスからたんまりお小遣いもらいますから」
語尾にハートマークをつけてキリオくんは言う。さすがちゃっかりしてるよ。将来が楽しみだね、こりゃ。
「ツナミさん、ちんたら運転してないでもっとスピード出して下さいよ」
「上司を顎で使うんじゃねーよ。始末書書かせるぞ女顔」
キリオくんにとってのタブーをさらっと言ったよこの人。
キリオくんは一瞬氷のように冷たい視線をツナミさんに送ったあと、またすぐに笑顔になる。
「レンさん、ツナミさんは昔陽炎に入りたかったんですよ」
「え、そうなの?」
操縦席から、ツナミさんの怒鳴り声が響く。相当触れられたくない過去のようだ。
ツナミさんには悪いけど、気になる。
「でもね、ツナミさん人相悪いから陽炎のボスに『何睨んでんだこのクソガキ』ってボコボコにされたらしいんです。笑えますよね」
うん、それは恥ずかしいね。確かに触れられたくないわカッコ悪いわ。
「キリオてめぇ、二度とその口きけねぇように歯全部抜き取ってやろうか」
「いいですけど、そんなことしても過去は変えられませんよ」
「いいんだよ俺は!別に陽炎みたいな無給同然の貧乏組織に入らなくても!今はカリブで満足してんだ!」
「はい。知ってます。僕もツナミさんとカリブで働けて幸せですよ」
キリオくん、可愛いこと言うなぁ。
ツナミさんも少し戸惑っている。
「な……なんだよ急に。いきなり素直だな」
「だって冗談ですもん」
「殺す。絶対いつか殺す」
飛行船を降りた島には、見上げるほど大きな建物がどっかりと腰をおろしていた。コンクリートで作られたお城のようだ。
「ようこそ、カリブへ」
確かに、陽炎の組織とは大違い。ていうか、本来アジトってこうあるべきじゃね?あそこ、普通の家じゃん。
大きな門の前には二人の若い男が椅子に座って話していた。
ツナミさんとキリオくんに気付くと話を止めて挨拶をする。
「あ、ツナミ様、キリオさんちーっす」
「今お帰りッスかぁ。ご足労したぁ」
え……ヤンキーですか?
一人は短髪で無精髭が生えている。もう一人は金髪で前髪が長い。気だるそうな雰囲気は同じだ。
「あれえー、女の子だ」
「マジッスか。今からしけこむんスか」
これッスかこれッスか、と言いながら短髪は小指を立てた。どこのエロ親父だよ。
ツナミさんが溜め息を吐きながら私を紹介する。陽炎から預かった女の子だと。
どうやらこの若い男達は門番らしい。何ひとつ守れそうにないよ。軽いノリで誰でも中に入れちゃいそうだよ。
門番が門を開け、中に入る。建物の入口まで、また随分歩いた。陽炎とは金のかけ方が違う。
すれ違う人達は、ツナミさんとキリオくんに頭を下げていく。二人は適当に流しながら歩き続けた。
どうやら、カリブ内での二人の地位は高いらしい。
ツナミさんはともかく、キリオくんはまだ子供なのにすごいな。
建物の中は、飛行船と同じく銀色だった。壁も床も天井もだ。ピカピカに光っている。
「わー、なんか滑りそうだね」
「その時は僕が支えます」
キリオくんが私の手を握る。どうしてこの子はいちいち私をドキドキさせるのだろう。
まずはボスに挨拶、ということで最上階へ。
エレベーターの最上階と、カリブのボスの部屋は直結しているらしい。
チン、と音がしてエレベーターは止まった。私は二人に挟まれるようにして立っている。
う、緊張してきた。
「エス、連れてきました」
ツナミさんが始めにその部屋に入った。やはり銀一色。半円型の部屋は、これこそ宇宙船のような印象。机も棚も何もかもが銀色。趣味なのだろうか。
エス、と呼ばれた人物は巨大な水槽の前にいた。こちらに背中を向けて立っている。
「あの、はじめまして」
私がそう言うと、その人はゆっくりと振り返った。
黒い髪に浅黒い肌で痩型。歳は40代前半といったところ。穏やかに微笑むその人の片目は白く濁っていた。
この人が、カリブのボス。なんだか物凄いオーラを感じる。
「はじめましてレンさん」
彼が一言喋るだけで周りの空気が大きく歪む。私は少し怖くて、つい後退りしてしまった。
それを見て、彼は笑う。
「感受性の強いお嬢さんだ。あの陽炎達の仲間だから当然なのかな」
「あの……」
「身構えなくていいよ。とって食ったりはしない。うちも陽炎には世話になってる。安心して羽を伸ばしてくれ」
以上、とエスが言うと、両脇にいた二人が同時に頭を下げた。キリオくんもツナミさんも初めて見る真剣な顔。私もつられて頭を下げる。
約一分弱で、その部屋をあとにした。
「あー!緊張したぁ」
「ふふ、エスはレンさんを気に入ったみたいですよ」
「え、そうなの?」
「ええ。何となく分かるんです。ねぇ、ツナミさん」
キリオくんが言うと、ツナミさんも頷いた。なんだか分からないけど、取り敢えず良かった。
「そうだレンさん。レンさんにとっておきのものを見せてあげますよ!」