第21話:初めての留守番
アルの誕生日から3日。
ある日の陽炎。
常夏の島、殺し屋達のアジトにて、大の男達が揃いも揃って、朝からそわそわと落ち着かない様子だった。
「よし、俺は今日も完璧。美しい」
と、ミナミ。
「やべっ。髪の後ろハネてるわ」
と、飛翔。
「う、緊張してきた……トイレ」
と、アル。
「おうコラ、俺のスーツにアイロンかけとけって言っただろーが」
と、グンゼ。
「すみません!ただ今ぁ!」
と、家政婦。
いつも見た目も中身も果てしなくだらしない男達も、今日は皆真剣だ。
やけにめかしこみ、身だしなみのチェックに余念がない。
私はひとり、鬼大の焼いてくれたトーストをかじりながら冷めた目でそれらを見ていた。
「おいミナミ。ヘアスプレー貸せ」
「断る」
「断るんじゃねーよ。いいから貸せ」
「触るな飛翔。妊娠する」
「スプレーが妊娠するか!」
「お前の遺伝子だけはごめんだ」
「テメーがすんのかよ、妊娠」
「うるせえよ、てめぇら!今俺は精神統一中だ」
こいつらがいつもと違うのには、ある理由があった。
ある依頼人から届いた一通の手紙。
今回は護衛の依頼だった。
そしてその依頼主というのが、アカル大陸というこの世界で3番目に大きい大陸を仕切っている王女様だというのだ。
王女様が賊に狙われているらしく、蛇には蛇をということで殺し屋組織でも有名な陽炎が指名された。
その王女様、噂によると絶世の美女だとか。
スリーサイズは上から90、58、70だとか。
でもその王女様は人前に姿を表さないので、見た者はごく僅かだと言う。
生きる伝説的美女が今回依頼人なのだから、男達の気合いが入るのも当然だろう。
「王女様口説いて逆玉に乗ればこんなクソみたいな組織からはおさらばだ……」
さっきからブツブツと馬鹿な夢見事を呟いているのは飛翔だ。
「そんなすごい王女様が、アンタみたいな下品な男選ぶわけないだろ。頼むから性犯罪だけは辞めてよ」
「おいおいレンちゃんやきもちかぁ?心配しなくても俺ぁ一夫多妻制だから大丈夫だぜぃ。ま、王女様が許してくれたらだけどなぁ!ギャハハ!」
「あのー、ここに馬鹿がいるんですけど。くそポジティブな大馬鹿がいるんですけど」
「無視しろレン。王女のハートを射止めるのはこの俺様だ」
「あ。ここにも馬鹿」
「あぁん?次期王子に向かってなんだブス」
吠えているグンゼを放って、冷蔵庫の牛乳を飲んだ。
「ねぇ鬼大、その王女様の護衛って全員でするの?」
「えぇ、一応全員と聞いてます」
護衛だからきっと何日かかかるだろうし。
と、いうことは……私一人でしばらく留守番!?そんなの嫌だ!餓死しちゃうよ!
私は鬼大の服をぐっと掴んで見詰めた。
鬼大は何か予感を感じ取ったのか、嫌な苦笑いを見せ、何ですか?と聞いてきた。
「私を一人にしないよね……鬼大」
「えっ」
「私を一人にしないよね……鬼大」
(大事な事なので二回言いました)
私と鬼大が見つめ合っている所へ、ミナミの声が飛んできた。
「誰が貴様のような足手まとい連れて行くか。お前は一人で囲碁でもやってろ」
「一人じゃ出来ないよ!寂しくて死んじゃうよ!」
「仕方ない。ぬいぐるみ買ってやるから我慢しろ」
「お気の毒すぎるだろ、私」
しかし鬼大やミナミだけじゃなく、グンゼや飛翔にまで邪魔者扱いされた私。
まぁ確かに私みたいなか弱い女子を連れて行くのは心配で仕方ないのかもしれないけど……。
すると、アルがトイレから戻ってきた。もう彼しかいない。
私は真っ直ぐアルの体に突進する。
「アル!」
「わっ。どうしたんだ」
「私一人で留守番なんてヤダよ!大人しくするから連れてって!邪魔もしないし足手まといにならないように気をつけるから!」
「レン……」
アルが困ったように私を見る。
その光景を見ていた鬼大が『まるで親に捨てられる時の子供みたいですね……』と零した。
アルの手が私の頭を撫でる。それこそ子供を諭すような声音で彼は言った。
「ごめんな、レン。任務には連れて行けないよ。この前みたいな事が起きたら傷付くのはレンだろ?」
「……」
初めて任務に同行した、あの日の事が脳裏をよぎった。
泣き叫ぶ人の声と、私が殺した男の顔。
忘れたわけじゃない。でも思い出さないように、あの記憶を隠していたのも事実。
「でもレンを一人にするのも可哀想だしなぁ」
そうですねぇ、と鬼大。
すると、低い声でグンゼが言った。
「あんまり甘やかすんじゃねーよアル。ガキじゃあるめぇし。いいか、レン。俺達は遊んでんじゃねぇ。これは仕事だ。お前を庇いながら戦えばそれだけリスクを背負うことになる。もしお前が敵に捕まり盾にでもされたら、俺は間違いなくお前を殺すぜ。手段は選べねぇからな」
「……」
キツい言葉だ。でもそれは本当だろう。
俯く私に目線を合わせ、庇うようにアルが言った。
「じゃあ……そうだな。俺も一緒に残るよ」
「えっ」
はぁ?と全員の声が合わさった。
「オイオイ、何言ってんだアルちゃんよォ。王女様に会えるチャンスだぜ?」
「そうだアル。頼んでも写真なんか撮って来ないぞ」
「それに命令は『全員で』との事ですし……」
しかしアルは笑顔で言った。
「別にいいんだ俺は。レンの方が心配だから」
その言葉に不覚にもどきりとした。
な、とアルがこちらを向く。
私は素直に頷けず、眉間にシワを寄せて彼を見た。嬉しいけど、本当にいいのかな……。
準備ができ、皆がアジトを出て行く頃、私とアルは外まで見送りに出た。
あとでボスにどやされますよ、と鬼大が心配そうに言う。
「俺の分まで働いて来いよー」
「はっ。これが最後かもしれねェなァ。なんせ俺は王女とあんな事やこんな事……」
「分かったから行くぞ変態」
「いってぇ!引っ張るなよミナミ!」
ミナミに引きずられて行く飛翔。
最後尾のグンゼがこちらを振り向いた。
「本当に残るつもりか、アル」
「お、心配してくれてるのか?」
アルがおどけて言うとすかさず、うるせェとグンゼが言い返す。
この二人は仕事でチームを組む事が多い分、特別仲が良いんだろう。
ふと、グンゼの視線がこちらに向いた。
また文句を言われるのだろうかと思わず身構える。
しかし彼の言葉は意外なものだった。
「……さっさと仕事終わらせて、すぐ帰ってくるからよ」
「グンゼ……」
危うく、行かないでと言いそうになった。慌てて言葉を喉の奥に押し込んだものの、その表情は読み取られたかもしれない。
ふい、とグンゼが顔を背けて歩き出す。
濃い灰色の髪の毛がふわりと揺れた。
「だからぁー、仕方ないだろ!レンを一人になんてできねーよ」
電話口に向かってアルが怒鳴っているのはボス。
アルだけ仕事に行かなかったことを責められているのだ。
私は何だか申し訳なくて、ソファーの上で正座してじっと大人しくしていた。
アルは相変わらずボスとの言い合いを続けている。
「え?何でだよ。別にいーじゃん、俺が好きでやってる事なんだから……ってバカそういう意味じゃねえよっ!は?代わらねーよ!つか給料払え!」
しばらく同じような台詞を繰り返してから、アルが溜め息を吐いて私に電話を渡す。
受け取ると、ボスが話したいって、と短く言った。
「もしもし……ボス?」
「あぁ、レン。お前なぁ、アルの事あんまりたぶらかすんじゃないぞ。あいつ純粋なんだから」
「いや、何の話……」
「とにかくな、組織にとって今回の仕事はかなりデカいんだ。王女を狙う程の賊だ。今分かってるだけで、敵さんこちらの5倍以上の人数だ。ただでさえ俺達は少数だしアルは大事な戦力だ。レンには分からないかもしれないけど、ガキの遊びじゃないんだよ」
「うん……」
「だから、アルに王女の元へ向かうようにレンから説得してくれないか?頼む」
ボスの真剣で、どこか威圧的な低い声。
私、やっぱり馬鹿だ。
邪魔する為にここにいるんじゃないのに……。
電話を切ったあと、私はアルに言った。
アルは、心配そうな目で私を見ていた。
「ねぇアル。ごめんね。私のせいで仕事休ませて」
「気にするなよ。レンのせいじゃないし」
「でも……アルはみんなと一緒に仕事へ行ってよ。今から追えば間に合うし」
「馬鹿言うなって。ボスに何か言われたんだろ?」
「ううん。違うよ」
「飯どうするんだよ。もしこのアジトに敵が来たら……何か、万が一の事があったら誰がレンを守るんだよ。レンは俺達とは違う、普通の女の子なんだ。何日かかるか分からない仕事に出て、レンはその間ずっと一人だろ。知らない世界に一人にされて……そんなの俺は嫌なんだよ」
アルの優しさが胸を刺した。
アルの言葉はいつも優しい。でも、もうこれ以上甘えるわけにはいかない。
「ご飯は、自分で何とかする」
「冷蔵庫にあるもんが無くなったらどうやって海の向こうまで買いに行くんだ」
「それでも……何とかする。敵だって、普通はこの島には辿り着けないから大丈夫だよって、アル言ってたじゃん」
「そうだけど、」
「お願い。邪魔したくないんだ」
暫くの間、どちらも言葉を発さず時間だけが過ぎた。
居間の空気が重い。
みんながいたから私はこの世界でも生きてこられた。本当に一人で大丈夫なのか、不安だけどこればっかりは仕方ない。
ボスの言葉を聞いて、私は気付かされた。
私は君たちのお荷物になりたいんじゃないんだよ。
仲間になりたいって、思ったんだ。
みんながいない間、アジトの留守を守れる仲間に。
「……分かったよ」
先に折れたのはアルだった。
そして彼は、脱いでいたスーツのジャケットに袖を通した。
「せめてこれ持っててくれ」
そう言って渡された携帯電話をぎゅっと握り締めて強く頷いた。
「気をつけてね……アルも、みんなも」
「おう。すぐ帰って来るよ」
太陽に照らされたアルの笑顔が、ジャングルの向こうに消えて行った。
一人になった私はまず、冷蔵庫を開けて中身を確認した。
よし、鬼大の素晴らしい家事センスのおかげでかなりの食材が入っている。元々大食らいの男所帯。
これくらいあれば私一人で2週間は持つだろう。
少し安心した私は、アジトの掃除をすることにした。
こんな時くらい役に立たないとね。
掃除道具を探しに廊下に出る。
しんと静まり返った暗い廊下は、やっぱり寂しかった。
その奥を進み、物置を見るけど肝心の掃除道具が見当たらない。
「もー。どこにあるのかな」
と、突き当たりの壁に手をついて体重をかけた瞬間、壁が開いてガクンと体が下がった。
「えっ」
突然の事に叫び声すら出せず、突いていた手を引っ込める間もなくそのまま倒れた。
これが噂の忍者屋敷のからくり扉ですか?
「いたた……」
強く打った肩をさすりながら見上げると、そこには階段が姿を表していた。
これってまさか……前にグンゼが言ってた二階に続く隠し階段?
絶対そうだ。そしてその上には、ボスの部屋があると言ってた。
ゴクリ、と生唾を飲んだ。
私の中の好奇心が疼き出す。何か、予感がした。
もう痛みなんてどこかへ行ってしまった。
私はぎゅっと拳を握り締め立ち上がると、一段一段、ゆっくりと階段を上り始めたのだ。