第20話:おめでとう
朝起きていつものように居間へ行く途中、廊下でアルに会った。
おはよう、と挨拶を交わして一緒に居間に入ると、鬼大がアルに向かって『おめでとうございます』なんて言うからつい首を傾げた。
それに鬼大だけじゃなく、みんなが口々に同じ言葉を発する。
「よぉアル。めでてぇなァ」
「サンキュ」
何が何なのか分からない私は一人眉をしかめる。
するとそれに気付いた鬼大が説明してくれた。
「アルさん今日、誕生日なんですよ」
「えぇ!そうなんだ!おめでとう!」
アルは口の中で卵焼きを頬張りながら無表情でサンキュ、と短く答える。
「いくつになったの?」
「21。多分」
「多分て何だよ、多分て。ていうか21とかリアルだよ」
「何だよ、それ」
アルが笑う。21歳初の笑顔はとても輝いて見えた。
私より3つ年上か……。それにしては童顔だな。なんて思いながら朝ご飯を食べた。
殺し屋も誕生日パーティーをするらしい。
その夜、珍しくアジトに帰ってきたボスは片手にケーキ、片手にシャンパンを持っていた。
世界は違ってもやることは変わらないらしい。
相変わらずの黒装束に身をつつみ、いつものポーカーフェイスでアルに近付く。
「誕生日おめでとう、我が息子よ」
「誰が息子だ、誰が」
心底呆れたようにため息をつくアル。だけどやっぱり、ボスが帰ってきてどこか嬉しそうだ。
ううん。アルだけじゃない。みんな仕事で疲れてるはずなのに、柔らかい表情をしてる。あ、ちなみに私は一日中寝てました。
「これはプレゼントだ」
アルは受け取った包みをゆっくり解く。
中から出てきたのは、腕輪。
「普通の腕輪じゃないぞ」
そう言ってボスは自分の袖を捲る。ボスの腕にも、同じデザインの腕輪がついていた。黒くてシンプルなプラスチック製のものだ。
「どんな腕輪だよ」
「抜群に記憶力がよくなる腕輪だ」
へぇ、とみんな腕輪を覗く。
それは飛翔にあげた方がいいと思うよ。とは言わなかった。
アルはインチキでも見るような目でボスを見る。
「これをつけてから俺は本当に記憶力が良くなったんだぞ」
「へぇ……昨日の夜なに食べた?」
「……鳥、みたいなやつ……だったかな?」
「……」
それ確か、記憶力良くなるんですよね……。
やっぱり馬鹿だ、ボス。
完全に月が上った頃、アルの誕生日パーティーが始まった。
「あれ?ケーキのろうそくは?」
私がそう言うとみんな不思議そうな顔をする。
どうやらこの世界では歳の数だけろうそくを点けるという習慣がないらしい。
軽く説明すると、鬼大が即興でろうそくを用意する。
「あの、レンさん……これしかなかったんですけど」
「仏壇用持ってきてどうすんのよ。何ひとつめでたくないよ」
だけど仕方なくその仏壇用をひとつケーキに差す。アルは少し照れながらもそれを吹き消した。
「誕生日おめでとう!」
「おい、もう一回火点けろ。俺もやってみてぇ」
「黙れ飛翔。子供か」
「おい、いいから飲もうぜ。鬼大、酒」
「はい、グンゼさん」
誕生日パーティーという名の酒盛りが始まる。酒の弱い私は巻き込まれないようそそくさと端っこの方へ移動する。こいつらのペースに乗せられたらたまったもんじゃないよ……。
飲み始めること一時間。主役のアルはボスの買ってきた変なパーティーハットを頭に乗せられている。くそ、ちょっと可愛い。
すると悪のりをした飛翔がとんでもないことを言い出した。
「俺様の裸が見たい奴ー!」
アホだ……。
みんな見事に無視。鬼大に至っては疲れているのか早々に寝転んでしまった。
「お、レン。見たそうだな」
「そんなわけないだろ馬鹿。察しろよこの空気」
「そうかぁ!そんなに見てェか!」
「ぎゃー!汚いモン見せんな変態!死ね!」
嫌がる女子に痴態を見せつけるなんてもうあんた終わってるよ。
飛翔が自分のスボンに手をかけた瞬間、それまで普通に飲んでいたグンゼが後ろから飛翔の背中を蹴り飛ばした。
派手にソファーに突っ込む飛翔。ヘラヘラと笑っている。
「ったく。酔いすぎだって」
呆れたように言うグンゼは少しも酔っていないようだった。
珍しい。いつもは飛翔に負けず劣らず飲みまくってるのに。
すると突然、酔ったアルがグンゼに抱きつく。どうやらミナミやボスに飲まされまくって非難してきたらしい。
「助けてくれグンゼ!あいつら鬼だぁ!」
「暑苦しい!離れろ!」
「嫌だぁ!」
「これでも飲んどけ!」
そう言いながらアルの口に酒ビンを突っ込む。うん、鬼畜だね。
もう暴れまくる奴らのせいでテーブルの上のご馳走もぐちゃぐちゃだ。唐揚げが私の顔面にヒットした。
「少しは静かに飲んでよ!特にミナミ!食べ物投げんな!」
「黙れ小娘。ちなみにお前いくつだ」
「18だけど……なに」
「18でその体型か」
「どういう意味よ」
「幼児体型だという意味だが何か」
「テメ。コノヤロ」
この無神経男は死んでも直らないだろうな、きっと。
こうなりゃやけだと思い、つがれたグラスを一気に飲み干せば胃がじんわりと熱くなってきた。
いい感じに酔っ払った私は、アルと共に寝ている鬼大の顔に落書きをする。低レベルな遊びも何だか今はすごく楽しい。
やがて鬼大いじめに余念がないミナミが参戦し、マーカーのペンを鬼大の鼻に突っ込んだ時に時計の針が0時を指した。
「俺そろそろ眠い」
アルがそう言って欠伸をする。
働いているみんなとは違い、一日中ゴロゴロしている私は無駄に有り余った体力を発散したかった。
だけどアルに続き、飛翔やミナミまで寝ると言い出す始末。
ボスは私達が鬼大で遊んでいる内にそそくさと部屋に戻ってしまったようだ。
各々部屋へ戻ろうとする一同。つまらん。
「ねぇミナミ、鬼大どうすんの?全然起きないよ!」
「知らん。飛翔が水上バイクの筆記試験に受かる日が来るまで海底へ埋めておけ」
「一生来ないよ」
みんな居間を出て行った時、私は気付いた。
グンゼの姿がない。彼がいつ居間を出て行ったのかも覚えてない。
まぁいいか……。
まだ眠くない私は一人、こっそりと廊下に出る。昼間よくひなたぼっこをするお気に入りのベランダに出ようと足を踏み出す。
そこには予想外にグンゼがいた。
「あ、」
「あ?」
振り返った彼はあぐらを掻いてドカッとベランダに腰を下ろしている。後ろ手に重心をかけ、何をするでもなくただ夜風に当たっていた。
私は遠慮してグンゼと少し距離を置いて体育座りをする。
緑と潮の匂いが風に乗ってきた。夏の夜は気持ちがいい。
グンゼは何も言わない。
憂いを帯びたようなその横顔は、どうしても放っておけない雰囲気がある。
月明かりに照らされたグンゼは、綺麗だった。
「……ここは空が広いね。私の住んでた世界とは大違いだよ」
「そうか」
「うん」
「あいつらは?」
「もうみんな寝てる」
「……ふぅん」
そしてまた沈黙。
耐えきれなくなった私は、素直に疑問をぶつけた。
「グンゼ、何で元気ないの?」
別に、などという素っ気ない返事が返ってくるんだろうと思っていた。
だけど違った。少し間を開けたあと、彼は小さく口を開く。
「元気ないように見えるか」
「見えるよ。アルの誕生日、嬉しくないの?」
「……俺もまだまだ子供だな」
「え?」
その意味が分からず聞き返した。グンゼは自嘲気味に笑ったあと、真剣な表情になる。
「お前、誕生日いつ?」
「9月24日だけど……」
「そっか」
私はじっと次の言葉を待った。
「……俺、自分の誕生日を知らねぇんだ」
夜のジャングルに、グンゼの声が吸い込まれた。
私はすぐには言葉を発せず、ただ真っ直ぐにグンゼの横顔を見つめる。
少し俯いた彼は行き場のない迷子のように弱々しく見えた。
「自分がいつ生まれたのか分からない」
「……」
「子供の頃、親に捨てられたんだ。野良犬みたいな生活してたから誕生日なんてもん自体知らなかった。ボスに拾われたのは何年も後だ」
「そんな……」
初めてグンゼが自分のことを話してくれた。だけどその内容があまりにもショックで、私はただただ眉間に皺を寄せるばかりだ。
抱えた自分の両膝をぎゅっと寄せた。
私には家族がいる。でも父親がいない。それだけでも幼い頃は寂しかったのに、グンゼは私なんかよりももっと寂しい想いをしてきたんだ。
「だから誕生日を迎えるって、どんな気分なんだろうって思う。なぁ……笑うだろ」
「……そんなことない」
そんなことないよ、ともう一度繰り返したあと、奥歯を噛んだ。
グンゼは黙ったまま、正面に広がる闇をじっと見つめていた。
「……捨てるくらいなら生まないで欲しかった」
グンゼの目が少しだけ潤み、声が微かに震えた。こんな弱気な彼は初めてだった。
「グンゼは、生まれてきたこと後悔してる?」
「……たまに思う」
「あのさ、」
私はグンゼの方に近づき体を向けて座り直した。
グンゼは怪訝そうに眉をひそめて私を見る。構わず彼の腕を掴んだ。握手をするよりも強く、自分の両手で彼の手を包み込む。唖然としたまま片手を差し出す彼は、あどけない少年のようだった。
「おい、何を」
「今日がグンゼの誕生日にしよう」
「は、」
「アルと1日違いね。来年からは2人の合同誕生日会だよ」
「何だよ、それ。お前馬鹿だな」
「グンゼ」
「あ?」
「誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう」
「……馬鹿だろ」
「本気だよ。だって私はこの島で、グンゼに拾われたんだから」
「拾ったつもりはねーよ」
「だからもう二度と」
「おい。人の話を、」
「生まれてきたこと後悔してるなんて思わないで。だって君は」
「聞けよ……」
「君は、こんなに優しいじゃない」
「……」
優しい?とグンゼが聞いた。
私は頷いた。
彼はよく分からないというように首を捻ったあと、私の手を雑に振りほどき、素早く立ち上がる。
「いらねーよ、誕生日なんか」
「ダメ。みんなにも言っとくからね!今年は急すぎて無理かもしんないけど、来年は絶対グンゼの誕生日会を、」
「いらねって。だってお前、来年はここにいないだろ」
「……」
頬をぶたれた気がした。
グンゼは冗談で言ったんじゃない。グンゼの言うとおり、来年の今頃私はこの世界にいないかもしれない。どうしてそんなこと言うの?と責めたかった。言葉にならなかった。
「いるよ!」
「はあ?」
「私、来年もいる。グンゼの誕生日会一緒に祝う。もし明日、元の世界に帰れたとしても、グンゼの誕生日には必ずここに帰ってくる」
グンゼはしばらく突っ立ったまま私を見つめた。
私の方も意地だった。
しばらく無言のまま時が流れる。
「……無理すんなって。別にそういうつもりで話したんじゃねぇ」
「そんな、」
「でも、ありがとう」
「……」
寝るわ、と一言呟いてから、彼は背伸びをした。
グンゼがテラスを出て行く直前、引き止めるようにもう一度言葉を放った。
「誕生日、おめでとう!」
すると彼は今まで見たこともないような笑顔で、あぁと頷いた。
胸が痛い。自然と目頭がじんと熱くなる。思わず唇をキュッと結んだ。
グンゼのお母さん。あなたは今、どこにいますか?どうして彼を捨てたんですか?
一度でいいから、彼を抱き締めて欲しい。
グンゼは今まで何度そう願ったことだろう。
途方もない願いがある。叶わない想いもある。
それでも人は、夢を見るのです。
私は、本当は抱き締めたかった。彼を。
だけど、出来なかった。
私なんかがグンゼの力になれるのか、そう考えることすら浅はかに思えて。
あなたならこういう時、どんな言葉でグンゼを慰めた?
ううん。きっと、何の迷いもなく抱き締めるんだろう。彼の為に流す涙も隠さずに。
ルイさん。私には、どうしてもできないの。