第10話:線香花火の消える頃
時計が9時丁度を指した。その瞬間、全員が一斉に立ち上がる。アルはライター、鬼大はバケツを抱えている。夕飯も食べて、テレビも見た。待ちに待ったこの時、外は充分すぎるくらい真っ暗だ。
「早く行こうよ!」
「全く花火ごときで、レンはガキだな」
「そういうお前もしっかり花火握り締めてるけどな、ミナミ」
「お前もな、アル」
「グンゼさんもですよ」
ほんとに馬鹿の集まりだよ。
このまま置いていたら誰が一番花火を楽しみにしていたか、という下らない討論まで始まりそうな勢いだったので首根っこ掴んで外へ出した。
出た瞬間、生温い風が頬を撫でる。真っ暗なジャングルで、椰子の木がザワザワと話し合っていた。
花火は海でやるため、鬼大を先頭に歩き出した私たち。ほとんど何も見えない為に歩くだけで大変だった。そういう時に限って後ろからわざと背中を押して「早く歩け」とせかしてくるグンゼ。どんだけSなんだ、この男。
「ちょっとやめてよ」
「テメェが遅いからだろ」
「覚えとけよ、あとで海に突き落としてやる」
「落とし返す」
私たちの口げんかは、ミナミの「お前らいい加減黙れ、殺すぞ」の一言によって終わった。こんな暗闇で襲われたらたまったもんじゃない。大人しくしておくのが利口ってやつだ。
ほどなくして砂浜へ着いた。さらっさらの砂浜を思わず走り出し、先頭の鬼大を追い抜いた。
「レンさんは海が好きなんですね」
「うん!」
「夜の海もいいものです」
鬼大が私の斜め後ろに立ち、真っ暗で静かな海を見つめる。遠くまで広がる黒い海はすごく神秘的に見えた。潮の匂いを吸った。
ふと見上げた夜空には、一面に星が広がっていた。夜の海に星空、その完璧な組み合わせに思わず息を飲む。と、同時に胸の奥から熱いものが込み上げてくるのが分かった。感動、というのだろうか。たとえ世界は違っても、綺麗なものは綺麗なのだ。それに私の住んでた都会じゃ、こんな濁りのない夜空は見えない。
少し遅れてから、みんなも集まってきた。靴の中に砂が入って気持ち悪いやら、潮風は肌に悪いやら文句を垂れている。全くダラダラダラダラ本当にだらしない奴らだよ。
ミナミが私の隣に来て、自慢の髪の毛をなびかせながら言った。
「万が一、こんな海の中に落ちたりしたら終わりだな」
「そうだね。本当に人生終わるか試しに飛び込んでみてよ、鬼大」
「さわやかな笑顔で恐ろしいこと言わないで下さい、レンさん。普通に死にますから」
「鬼大は既に人生の敗北者だから今更死ぬも生きるもねぇだろ」
「アンタまで何言ってるんですか、グンゼさん」
「本当のことだから仕方ないだろ」
「……私帰っていいですかね」
若干病んでいる鬼大は気にせず花火はスタートした。
みんながロケット花火やら色とりどりの花火を手にする中、線香花火を取ろうとしたアルに思わず跳び蹴りを食らわす。
「いきなり何するんだよ!レンっ」
「それはこっちの台詞だよ!花火の中で線香花火は一番最後に持ってくるって相場は決まってるんだよ!」
「知らねーよ、そんなもん!俺は線香花火が好きなんだ!」
「こっちこそアンタの好みなんて知らねーよ!」
「……俺にだけは優しいと思ってたのに、レン」
甘いね。私は誰でも平等に態度がでかいのさ。
「私には厳しいですよね、みなさん……」
ちょ、雰囲気乱すなよ鬼大。空気読めよ。と口々に言い出すみんな。最早何を言っても君はいじられキャラなんだよ、可哀想に。いや、むしろおいしいよ。
すると予告もなしにロケット花火に火をつけるミナミ。しかも何本も同時に。
「ぎゃあ!危ないって!」
「馬鹿かテメェ!」
びゅんびゅん飛び回るロケット花火達に必死で避ける私たち。身体能力の高い殺し屋たちは避けられるからいいとして、私普通の一般人なんですけど。今肩のとこかすったんですけど。普通に笑えないんですけど。
しかもこっちの世界のロケット花火は随分元気が良いようで、びゅんびゅんと加減なしに飛び回っている。
火をつけた張本人であるミナミは「俺の顔に傷ついては困る」と自己中なことを言いながら鬼大を盾に使っていた。
「そっち行ったぞ、アル」
「おう」
アルは向かってくるロケット花火の前に逃げようともせずに真っ直ぐ立つ。片手にはどこで拾ってきたのか、太い木の棒。まさか、
「死ねぇぇ!」
甲子園球児もびっくりの特大ホームラン。木の棒でロケット花火を打ち上げたのだ。最早人間技じゃない。
そうかと思えば今度はグンゼが違うロケット花火を一瞬で蹴り落とした。無残にもロケット花火は砂浜に打ちつけられる。あんたはもう人間技とかいうレベルじゃないよ。どんだけ危険な蹴り持ってんの。
「フン。俺様にたてつくなんざ百年早い」
花火相手に何言ってんの。
その後もバッタバッタとロケット花火を倒していく二人。花火と戦う奴ら初めて見たよ。ていうか危ないよ、花火よりもこいつらが危ないよ。
「ちょろいな、グンゼ」
「あぁ」
殺し屋もいろいろだ。 先ほどまで蹴りを連発していたグンゼの弁慶辺りを見る。ひざ下丈のジャージを着ているため、肌が見えた。暗くてよく見えないけど、赤くなっている。当然と言えば当然なんだけど。痛くないのか、本人は平気な顔してアルと笑っている。
「グンゼー」
「あぁ?」
ナイフかよ、お前。名前呼んだだけでそんな鋭い返事されたの初めてだよ私。
「すね、火傷してない?」
私だって少しくらいは心配するのだ。赤くなった部分を指差してそう言えばグンゼは少し複雑そうな顔をしたあと「あー……」と言葉を濁した。
「いいんだよ、別に。……痛くねぇから」
「えー嘘だ。思いっきり火傷してるじゃん。強がりも大概にしなよ」
「はぁ?痛くないっつってんだろ」
「……うっそだぁー。変な我慢してないで早く冷やしときなよー」
「うるせぇな。お前は俺の保護者か」
バーカ、とグンゼは捨て台詞を吐いて余っている花火を漁りに行った。 私は言い返さずにその背中を見つめる。
「……」
わざと茶化すようにああ言ったのは、痛くないと言ったグンゼが何かを隠しているように見えたから。グンゼは自分では普段通りに振る舞ってるつもりだろうけど意外と表に出やすいから、何となく……分かる。
ミナミと一緒になって鬼大に花火を向けているグンゼを遠くから見ているとすごく楽しそう。(鬼大が可哀想なのはともかく)だけどその背中にはいろんなものを背負ってるのが時々垣間見える。それが私は、すごく辛いんだ。
「ちょ、やめて下さいよミナミさん」
「いいから黙ってこの花火を食え」
「どんなプレイですか、それ。確実無意味でしょ」
「いいから食えって」
「熱っ!ちょ、待、グンゼさんんん!?」
うわぁ……。本当にヘビ花火食わそうとしてるよ、あのドSコンビ。
傍らではアルが一人でこっそり線香花火やってるし。あの野郎、最後にやろうって言ったのに。花火奉行は誰だと思ってるのよ、全く。
でもあんまり楽しそうなアルの横顔を見ると怒る気にもなれない。何故なら私もアルと同じく線香花火が一番好きだから。
「私も線香花火しよーっと」
勝手に盛り上がるメンバーを放って、私は線香花火を一本引き抜くと少し離れた、波がギリギリ届かない場所に腰を下ろした。後ろを向けばみんなの楽しそうな笑い声と(鬼大の叫び声と)花火の火が小さく見える。子供みたいだ、と思わず笑みがこぼれた。
「あ、ライター忘れた」
あーあ、と火のついてない線香花火をじっと見る。
諦めてぺたりとその場に腰を下ろした。規則正しい波の音を聞いてると、初めてこの島に打ち上げられた日を思い出す。あの時は焦ったな……本当に。
「おうおう、姉ちゃん。ひとりで何してんだよ」
突然聞こえた馬鹿っぽい台詞に振り向くと、偉そうに見下ろしてくるグンゼがいた。さっきまで鬼大をいじめてたくせに。
私と目が合うと、馬鹿にしたようにフンと笑う。
「何だよ。振り向いたと思ったらとんだブスだぜ」
「……っさいなぁ」
1日何回ブスブス言ったら気が済むんだ、この男。そして何回言われてるんだ、私。
ふん、と目をそらして波へ視線を戻す。グンゼは何をするでもなくその場に立ったままだった。
「ホームシックか?レン」
「そんなんじゃないよ」
「じゃあ何で元気ねぇんだよ」
ぼとりと私の横に何かが落ちた。グンゼが投げたそれを拾えば、ライター。私が線香花火を持ってることを知って、わざわざ持ってきてくれたのかな。
少し考えたあと、線香花火に火をつける。少し湿っていてつきにくいけど、何度もやっていたら何とか点いた。
「綺麗だねー……」
ぼーっと玉のような火を見つめていると、訳も分からず切なくなってきた。わりかし早くぼとっと火は堕ちる。線香花火はあっという間にただの紐になってしまった。あーあ、とグンゼの声が漏れる。
「……」
去年の夏も家族やら友達やらで花火をした。そして今年は遠く離れた異世界でこうして花火をしている。しかも殺し屋たちと、南の島で。
膝を抱えて顔をうずめた。泣き顔を見られたくなかった。寂しいと思ってるなんて気付かれたくなかった。
「どうしたんだよ」
「別にぃー」
「言えよ」
「グンゼに関係ない」
「……ふーん」
ズキリと胸の奥が痛んだ。心配してくれてるのに関係ないなんて、私最悪だ。
「レン」
「なに……」
「何かあるなら言えよ。俺が嫌なら、」
「……」
「アルとかでもいいからよ」
「……グンゼ」
グンゼが、珍しく優しい言葉をくれたから、
「……帰りたいよ」
だからつい、弱音なんて吐いちゃったんだ。
私の呟きに、グンゼは何も言わなかった。顔を上げる気力もない私は首をうなだれたまま時が経つのをじっと待つ。
もちろんここでの生活は楽しいよ。不満なんてない。まぁあえて言うなら最近鬼大の料理が手抜きだとか、グンゼの暴言がムカつくとか、ミナミのナルシストっぷりが鼻につくとかいろいろあるけど、でも毎日楽しいことには変わりない。
でもやっぱり、ふとした時に思い出すのはお母さんや妹や友達の顔。今頃どうしてるんだろう……。
「……」
どれくらいの時間が経っただろう。ふいに口を開いたグンゼは、落ち着いた声で言った。
「探してやるよ」
「え?」
「お前が早く帰れるように、俺たちが方法探してやる」
顔を上げてグンゼを見る。至って真剣なその瞳につい引き込まれそうになった。
「だから心配すんな」
「……うん」
ねぇグンゼ。確かに私は元の世界に帰りたい。だけどね、この世界も嫌いじゃないよってそう言って笑ったのも、本音。
「お、そろそろアジト戻るみたいだぞ」
「あ、うん」
見れば花火に飽きたメンバー達がさっさと引き上げて行く。
行こう、とグンゼは言った。
うん、と頷いて私も立ち上がった。
花火のあとに残ったこの日の火薬独特の匂いを私はきっと、一生忘れないよ。
「ありがとう……」
「あぁ?なんて?」
「だから、ありがとね」
「聞こえてるよ、馬鹿」
「……ムカつく」