エルフの集落
「着きやしたぜ、旦那」
「へぇ、ここがエルフの集落かぁ」
――エルフの集落。
そこは木々が空を覆い隠し、静寂のみが支配する場所。
重なり合う枝葉から漏れる木漏れ日。
その心許ない光源では、森は薄暗いはず。
しかし、木漏れ日は集落全体を、とても鮮やかな緑色に浮かびあげていた。
太陽の激しい眩しさとは違う、不思議な光。
木々を覆っている苔に木漏れ日が当たると、苔は淡い輝きを見せる。
森に広がる苔たちが、あたかも電灯のような役割をしているようだ。
ここまで案内してくれたエルフが、長を呼んでくると言って俺たちから離れていった。
ギジョンが部下たちに楽にするように命令している。
一方、俺はというと、物珍しい光景に辺りをキョロキョロと見まわしていた。
目に入るエルフたちは、もちろん全てが美男美女。
だが、残念なことに金髪だらけで、俺好みの白銀の髪の持ち主はいない。彼らは金髪がデフォみたいだ。
このまま、長が来るまでねっとりと美女を見ていたいが、さすがに気味悪がられるからほどほどにしておこう。
意識を集落へと移す。
集落は円状のなだらかな窪地となっていて、窪地の中には、いくつもの太い幹を持つ巨木が立ち並んでいた。
木々を見上げると、そこにはロッジのような木で組まれた家が、数えられないほど存在している。
彼らエルフは、木の上で生活しているようだ。
木々の袂では、想像していたよりも多くのエルフたちが行き交っている。
俺の勝手な思い込みで、エルフってのは個体数が少ない貴重な種だと思っていた。
しかし、ざっと見た限り、意外と人口は多そう。
エルフたち、俺たちにさほど興味を示すことなく、ある者は畑の世話をし、ある者は家畜の世話をしている。
俺は家畜を見て、少し驚いた。
(エルフって、家畜飼うんだ)
俺の持つエルフの知識は、全てゲームや本といった空想から得たもの。だから、そこから得た知識が、必ずしも正解というわけではない。
(これは先入観を捨てないとな)
エルフに関する知識を一度ゼロにして、彼らに接しようと心に構えることにした。
数分ほど待っていると、エルフの長らしき人と道を案内してくれたエルフがこちらへやってきた。
「ようこそ、クレムナイムド・クレイドクレイへ。この森を治める、ムアイと申します。今日という出会いに感謝を」
何度聞いても覚えられる気がしない森の名前を口にしながら、形式的な歓迎の言葉を交える。
多くのエルフは、緑に近い色の服を着ているようだが、ムアイと名乗ったエルフの長だけは、白いローブを纏っていた。
また、彼の容姿は、俺の想像していたものとはかなり違っていた。
長といえばジジイのイメージがあったが、彼はかなり若い見姿。
人間の年齢での見た目からすると40代ほど……長命なエルフなので、見た目通りの年齢ではないだろうけど。
俺はムアイへ挨拶を返そうとする。
しかし、俺が一の句を告げようとした途端、ギジョンが割って入るかのように、先に長へ挨拶を交わした。
「どうもご丁寧に、あっしはこの商隊をまとめているギジョンといいやす。こちらこそ、今日はお目通りさせていただき感謝いたしやす」
「ご用件は何でしょうか?」
「実は、新しくアルトミナを治めることとなったコーツ様より、御届け物を預かってまいりやした」
ギジョンは、完全に俺の存在を無視して、エルフの長と話を進めていく。
この扱いを受けて、俺はギジョンの役割を理解した。
彼は無難に交渉を終えるように努めるのが役目のようだ。
俺が余計な無礼を働いて、エルフたちのご機嫌を損ねぬように……。
命じたのは、たぶんグレンさん。
ギジョンの紹介はグレンさんによるもの。
つまりグレンさんは、俺のことなど端っから信じていなかったというわけだ。
もっとも、信用されるような材料があるのかと問われると、『ない』としか答えられないですが……。
じゃあそうなると、何のために俺をここに寄越したのかという疑問が浮かぶ……おそらくこれは、あくまでもグレンさんの考えにおけるもの。
コーツ様の意向とは、別のもののはず。
もし、期待値がゼロならば、コーツ様が俺をここに派遣するわけがない。
コーツ様は一応なのであろうが、三家のいざこざを収めた俺の実績を買っているのだろう。
俺はグレンさんには期待されず、ギジョンには舐められている。
しかし、コーツ様にはある一定の期待を持たれている。
さて、どうしたものか。
俺が思い悩んでいる間に、ギジョンとムアイの交渉が進んでいるようだ。
だが、彼らの話す内容は水の掛け合いのようなもの。
ギジョンは、贈り物を受け取ってもらえるようにムアイに頼んでいる。
しかし、ムアイは。
「いえ、我々が贈り物をいただく理由がありません」
「まぁ、そう仰らずに、我々としては今後、エルフの方々と懇意にしていただきたく、」
「我々はアルトミナが新たな領主を戴いたことを承知しております。本来なら、我々の方が、祝いの品を納めるべきでしょう。しかし、かようなことはしておりません。その意味、お分かりかと」
「そりゃ、ええ……ですがっ」
ムアイの言葉から、人間と交流を持つ気はないという思いが伝わってくる。
ギジョンも、言葉に含まれる思いは百も承知だ。
だが、交渉役として、最低限の仕事をこなすための体裁のみ取り繕う。
あと数度やり取りをすれば、ギジョンは諦めて、俺に帰るように促す。
俺としては、このまま帰ってもいいのだが、やはり釈然としないものがあった。
なにせ俺はコーツ様に期待されている、ってのはどうでもいいが、グレンさんやギジョンに馬鹿にされっぱなしってのが癪だった。
俺は改めて、集落を観察する。
畑の世話をするエルフ。
そこで何を育てているのか知らないが、畑を見下ろしながら、顔を僅かに顰めている。彼の様子から、作物の生育が芳しくないようだ。
また、彼の持つ農具はよく手入れはされてあるものの、かなり使い込まれ古ぼけていた。
だが、別の者が持つ農具は、先程の農具と比べ、まだ新しいもののようだった。
家畜の世話をするエルフ。
家畜たちにエサを与えるため、先端が金属の三又になった道具で干し草をすくっている。
三又の道具も農具と同様に古ぼけていたが、立てかけてある道具のうち僅かであるが、新しいものもあるようだ。
農具も道具もほとんどが古びていて、新しいものが少ない印象だった。
さらに家畜の数に注目する。
家畜の見た目は、眉間に角の生えた豚のような生き物。
数にして、10いるかどうか。
家畜の数に対して、木々の袂を行きかっているエルフの数は50人ほど。家の中にいる者や木々の上を移動している者を含めると、軽く倍はいる感じがする。
これでは家畜の数が少なすぎる気がした。
俺が観察している間に、ギジョンとムアイは形式的で不毛なやり取りを終えたようだ。ギジョンが俺の傍に来て、予想した通りの言葉を出した。
「旦那、どうやら贈り物は受け取ってくれない様子で。これ以上続ければ、顰蹙を買いかねやせん。ここは一度、帰りましょうや」
ギジョンは、俺に返事をする間も与えずに、部下たちに帰り支度の指示を始めた。
流石にあからさますぎる態度に、カチンときた。
だからといって、怒鳴り声を上げても仕方ない。
ここでいま、俺がやれることといったら……。
ムアイは帰り支度を始めたギジョンたちを見て、集落の奥へと戻ろうとした。
俺はとりあえず、彼を呼び止める。
「ムアイさん、ちょっと待ってください」
「ん、何か?」
「だ、旦那っ?」
後ろからギジョンが慌てた声を上げるが、そんなのはポイッしてムアイに話しかける。
「自己紹介がまだでしたね。俺の名は、佐藤良人といいます。コーツ様から正式に交渉役を任された者です」
「サトウ、ヨシト? 正式に? 一体、どういう?」
「あ、こっちの都合なんで気にしないで下さい」
「はぁ……?」
ムアイはキョトンとした表情を見せる。後ろからは、ギジョンが「旦那、旦那」と小声で何度も声を掛けてくる。
あまり余計な話をする時間はなさそうだ。
さて、何の話をするべきか? もちろん、まずは原因となった話だ。
「あの、森の通行を禁止したのは、水泥棒が原因と聞きましたが?」
「ええ、そうです。昔、道に迷った商隊の一人が、我らが聖域である水源に侵入し、無断で水を口にしたことが原因です」
「道に迷った? それは初耳ですが、道に迷ったのであれば悪意があったわけじゃ?」」
「たとえ悪意がなくとも、厳しい掟があります。聖域はエルフ以外の者が決して立入ってはいけない場所。絶対に守らなければならない、とても大切な掟」
「掟ですか……他にも、水に関する掟があるんですか?」
「水源から水を汲む際、我らエルフは水の精霊に感謝し祈りを捧げます。これもまた掟、決まり事です。そして、必要となる分だけ水を甕に注ぎます」
「決まり事と掟は同一のものと考えても?」
「ええ」
「ということは、人間が森を通り抜けてはいけないというのは掟の一種?」
「ええ、その通りです。あの出来事以降、我らが聖域を守るためにできた掟です」
「ふ~ん、掟ねぇ……」
(掟、掟と……なるほど、こいつらがどんな連中か見えてきた。だけど、どこまで? ちょっと試してみるか……こんな方法は、あんまいい感じはしないんけどねぇ)
あることを試すために、一案が浮かんだ。
だが、それは反感を買うもの。
もし、俺がそれをされたなら、絶対にいい気分はしない。
「少々、失礼」
話しを中断して、ムアイに少し待ってもらうよう、ペコペコと頭を下げながら軽く手の平を向ける。
俺は荷馬車の荷をガサゴソと弄り、中から絹の織物を取り出した。
そして、織物を両手の平の上に載せてままムアイに近づき、彼の前で片膝をついて、恭しく差し出した。
高貴な者にでも敬意を表すような姿に対して、ムアイは怪訝な表情を浮かべる。
「一体、何のつもりかわかりませんが、贈り物は受け取れないと何度も」
「贈り物ではありません」
「では、これは?」
「これは……水の精霊様に捧げる供物でございます」
「今、なんと?」
ムアイは短く、驚いた声を上げる。さらにムアイだけではなく、ギジョンやムアイの傍にいたエルフも同じく声を上げた。
今まで、無関心だった周囲のエルフたちも、足を止めて、俺を見ている。
「ムアイさん。人間が水の精霊に祈りを捧げてはいけない掟があるのですか? 供物を捧げてはいけない掟があるのですか?」
「いえ……ございませんが……」
「ならば、受け取ってもらえますよね」
「あ、ああ」
ムアイは俺から絹の織物を受け取った。そこで、もうひと押しと立ち上がり、彼にあるお願いをする。
「我々は水の精霊に誠意を示しました。よろしければ、我らに水を分けていただきませんか? もしかして、人間に水を分けてはいけないという掟でも?」
「いえ、存在しません……ユム、彼らに水を」
「はい」
ムアイの隣に立っていた道案内をしてくれた男。
ユムと呼ばれた彼は、ムアイに命に従い、水を取りに行く。
彼は後ろを振り向こうとした際に、一瞬、俺を睨みつけた。
俺は彼の態度に対して、何の反応も見せずに黙っていた……ユムという名の男の気持ちがわからないでもなかったから。
ユムは高さ30センチほどの水瓶を手に戻ってきた。水瓶を一度ムアイに渡し、ムアイから水瓶を受け取った。
そして、飲めば魔力が回復しそうなエルフの水を、ギジョンたちに振る舞う。
ギジョンたちに水が行き渡ったことを確認して、俺も金属製のコップに水を注ぎ、皆で一緒に水を飲んだ。
「おっ! うまっ!」
「ぷは~、こいつぁ、スゲェ」
俺とギジョンはほぼ同時に、称賛の声を上げた。部下たちも同様の反応を示している。
エルフから貰った水は、俺たちが持ってきた劣化した水とは段違いの美味しさ。
水源からの淹れたてであるため、キンキンに冷えているのはもちろんことだが、水の持つ味そのものが全く違うのだ。
本来無味である水に混じる、ほのかな甘み。
だがそれは、決して乾いた舌の邪魔をすることない。
のどを潤した後には引くものはなく、残るのは身体に沁みわたる清涼感のみ。
ギジョンがもう一杯とおかわりを求めてくる。彼の動きに釣られるように、部下たちも水瓶を持つ俺の周りに集まってきた。
俺が皆に水を配り終えると、丁度そこで水はなくなった。
ギジョンは水を口に含み、ゆっくりと堪能しながら言葉を出す。
「エルフの酒がうまいわけだ」
酒のことは詳しくないが、テレビで水の質が良いと酒がうまくなると放送していたのを覚えている。
これだけの上等な水だ。これから作られた酒は、恐ろしく美味いに違いない。
酒なんか苦いだけだと思っていたが、エルフの酒には少し興味がでてきた。
(くそ~、コーツ様から勧められた時に、少しでいいから口にしとけばよかった)
俺たちが水を飲み終えたところを見計らって、ムアイが話しかけてきた。
「それでは、もうご用件は終わりですか?」
「……ええ、そうですね。お世話様でした。帰ろうか、ギジョン」
「いいんでやすか、もう?」
「うん」
短く返事すると、ギジョンは何か言いたげな表情をしたが、俺がエルフたちに気づかれない程度の動作で首をフイッと前に動かすと、彼はすぐに意を汲んで帰り支度を始めた。
帰り間際に、ムアイへ挨拶を交わしてから、彼らの集落を後にした。