コーツ家へ出向
貴族の駆け落ち騒動をうまく収めた良人。
しかし、それがきっかけで危うい立場となる。
その立場ため、シフォルト伯爵及びフィネルリアの頼みを断ることができない。
彼はコーツ家へ『一応』スパイという形で潜入することになった。
クエイク家当主、モール=メイ=クエイク。
彼の祖となる人物は、元商人だったらしい。そこから貴族へと駆け上がった。
しかし、元は商人という立場であるためか、生粋の貴族達からは疎まれていた。
また、クエイク家自身も生まれに対して、コンプレックスを感じていた。
そこで、名家であるアスル家と血縁を結ぶことで、不満を持つ貴族達への牽制及びクエイク家が抱える劣等感を払拭しようとした。
そんなどうでもいいことに関わってしまったため、俺はややこしい立場へと追い詰められてしまった。
もう、これ以上、事態を複雑化することは避けたいと切に願う。
季節が冬へと移り変わる、束の間の安息をもたらす秋の時間。
暖かな南方国家であるオブリエン王国であっても、季節にはあらがえない。
冬の到来を予感させる風は、このモール=メイ=クエイク家が治める領地、ランスティにも届いていた。
モールの持つ領地ランスティの中で、豊かな穀倉地帯であるアルトミナ。
その町をコーツ、アリサ夫妻が治めることとなった。
穀倉地帯は食糧供給の重要地区であるが、クエイク家は商家の貴族。
そのため、アルトミナはよほどの有事でもない限り、あまり重要視されていない町。
つまり、コーツ夫妻は閑職に追いやられた格好である。
しかし、一応重要地区なので、コーツの実父であるテラ家のフラインツも文句が言えない。
せっかく、三家とも仲良くやれる状況なのに、なんでそんなことするのか?
俺には分からないお家事情があるんだろうが……バカだねぇ。
さて、俺は色々とあり、貴族の中の貴族のシフォルト家から、劣等感に苛むクエイク家へと出向となった。
元主であるシフォルト様とテラ家の正妻フィネルリアに頼まれ、コーツとアリサ及びクエイク家の動向を見張るために。
要はスパイ。
手続等などは俺の与り知れない場所で行われ、適当な書類を携えてコーツ、アリサ夫妻の元で働くことに。
役職は執事補佐。
どんなことをやっているのかというと、簡単に言えば事務員。
コネグッドでは、識字率が芳しくなく、読み書き計算ができるだけで、かなり重宝される。
俺はそれができると理由で、事務員として潜り込まされることへ……。
事務員という立場で職に就かされたのは、もう一つ理由がある。これには、シフォルト様とフィネルリアの意向が大きく反映している。
情報が行き交う場所で『しっかり良い情報探せよ。んで、報告しろ』ということだ。
因みに、異なる世界で読み書き可能なのは、以前説明した理由と同じ。
何故か、この世界の言語の聞き取りが可能という話。それには読み書きも含まれる。
なんで、そんなことができるのかは謎。
理由を知りたいなら、調べろ、旅をしろ。と、いったところだろうか。
しかしながら、調べるのも旅も面倒臭く危険なので、ノーサンキュー。
コーツの家、おっと、現在ご主人様に当たるからコーツ様か……。
コーツ様の屋敷にてお勤めを果たすようになって、10日ほど過ぎたが、特に彼らに近づく者、怪しげな書類を目にすることもない。
もっとも、そんな怪しい書類を、俺のような新参者に目を通させるわけないだろうけど。
おまけに、シフォルト伯爵からの推薦ということでコーツ様の元で勤めているが、あの駆け落ち騒動の後だ。
この推薦自体、色々と勘ぐられているだろうし。
特に執事長からは……。
俺専用の机に向かい、いまいち使え慣れない羽ペンを用いて、屋敷内の備品の在庫を記した書類をチェックをしていく。
そんな中で、堅物の執事長のことを思い出して、欠伸混じりの溜め息をついた。
「はぁ~あ」
「どうしましたか、手が止まってますよ」
噂をすれば、というやつだろうか。
背後から執事長の声が聞こえてきた。
「いえ、雑務ばかりで気が滅入って」
俺は椅子に座ったままで、背後を向く。
執事長であるグレンさんは、相変わらず人間味を感じさせない表情を見せていた。
この人の感情の変化が伴うところを見たことがない。
背は高く、190センチくらいはあるんじゃないだろうか。年はかなりのもので、髪は白髪で、鼻の下には立派な白髭をこさえている。
今日もいつものように、背筋をピンと張り、パリッと糊の効いた赤茶色の執事服を着ている。
胸元には屋敷の勤める全使用人の責任者の証明である、緑色の石の付いたブローチが光っていた。
グレンさんは、俺の手元にある書類に目を向ける。
「数字ばかり見ていては辛いでしょう。ですがヨシト、これがあなたの仕事です」
「わかってます」
「しかし、愚痴が多いわりにはヨシトの仕事は丁寧で助かってます」
「え、そうですか。なんか、照れるなぁ」
「あとは、もう少し字が上手になっていただけると、私が目を通す際に解読する手間が省けるのですが」
「あ、はい、努力します」
(上げて、落とすのか……言葉に嫌味な感じがないから、気にならないけど。つまり、冗談もなんでもなく、マジで言ってんだろうな、この人)
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも。あの、忙しい中、わざわざ顔を見せに来たということは何か用があったんじゃ?」
「ええ、旦那様がお呼びです。処理してほしい案件があるそうで」
「ええ~、増えるのこれ」
机に乗る、山のように積まれた書類の見て眩暈が覚える。
「そちらは他の者に仕事を分配しますから、ご安心を」
「そうなんだ、よかった……」
とも言えない気がする。
つまり、処理してほしいという案件は、これ以上にきつい仕事の可能性が高い。
なにしろ、呼び出すほどのもの。
(断った方がいいか?)
「何をしているのですか? 旦那様の執務室に向かいますよ」
何か、適当な言い訳を考えようと頭を捻っていると、グレンさんから有無も言わされず、コーツ様の元へ行くように催促された。
どうやら、拒否権はない模様。
「はい、ただいま」
足は重いが、仕方なくグレンさんと一緒にコーツ様の執務室へと向かった。
「グレンです。失礼します」
「ああ、構わないよ」
数回ノックをして、グレンさんが立ち入りの許可を求めると、中からコーツ様の声が聞こえてきた。
許可をいただいた俺たちは、執務室へと入っていく。
部屋に入ると俺は、物珍しそうに辺りを見回した。
まだ、この屋敷で勤め始めたばかりで、執務室には1回しか入ったことがない。
だから、この部屋の細部がどうなっているか詳しく知らなかった。
ざっと見る限り、塵一つなく整然としていて、高そうな絵や骨とう品・美術品が置いてあり、壁際には本棚と高級そうな酒瓶が収まったガラス棚があった。
「なんか、貴族っぽい部屋」
「これ、ヨシト」
「あ、いけね。声に出ちゃった」
グレンさんに注意されて、咄嗟に片手で口を覆う。そんな仕草を見て、コーツ様は笑い声を上げた。
「ははは、貴族っぽい部屋か。なかなか面白いこと言うね」
「申し訳ありません。思わず……あまり、このような豪壮な部屋を見ないもので」
「ん、シフォルト伯爵に勤めていた頃に目にしているだろう?」
「たしかにお屋敷は立派でしたが、書斎は……ひどいものでしたから」
シフォルト伯爵の部屋にも、もちろん調度品の類は飾ってあった。
しかし、それ以上に仕事に追われ築かれた、机の上に散らばる書類の束や、調べ物で放置された書籍類の方が目立っていた。
俺が溜め息交じり首を横に振ると、コーツ様は苦笑いを浮かべる。
「色々大変そうだと感じるけど、あまりそのようなことを誰かに話すものじゃないよ」
「え、あ、そうですね」
「とはいえ、そういった物言いができるほど、ヨシトは身近な関係だったみたいだね」
「あんまり、よくないことですよね。今後は気を付けます」
「そうかい、面白い関係だと思うけど。ぜひとも私ともそんな関係でいて欲しいな」
「え?」
「君と私とでは年も近い。気軽に話せるような人物が傍にいて欲しいんだよ。シフォルト伯爵に信頼されている君になら、安心できるしね」
そういって、コーツ様は席を立つと握手を求めてきた。
彼の握手に応えて良いものか悩んだが、上司の好意を無にするわけにもいかず手を差し延ばした。
俺が手を握ると、コーツ様はがっしりと手を握ってきた。彼の手から、元は武名で名を馳せたテラ家の子息らしい、力強さを感じた。
剣の振るってできたと思われる、ごつごつとした蛸。
本気で握られたら、俺の細腕なんか簡単に握りつぶされてしまう。
しかし、そんな力強さを見せながらも、コーツ様自身は筋骨隆々とした体格というわけではなくスラリとした方だった。
背は俺よりも頭半分くらい高く、180センチは超えている。
空のような髪色を持ち、中世的な美しさを兼ね備えた若者。それらの美しさを彩るかのような、朱に染まる服装が良く似合っていた。
さぞかし、モテるだろう。
容姿で目立った要素のない自分とは差がありすぎて嫉妬すら起きない。
握手を終えると、話は仕事へと移る。
「では、早速だが本題に入りたい。ヨシト、君にこの案件を任せたいんだ」
コーツ様は机の上から1枚の書類を手に取り、こちらに差し出す。
俺は書類を受け取ると、まず軽く目を通してみた。