邂逅遭遇
アーサーの名が波のように広がると、波は揺り戻し店内をどよめきが飲みこんだ。
右にいる者も左にいる者も、口々にアーサー=グレゴリオの名を連呼している。
波とは無関係な俺は、ものすご~く、置いてきぼりを喰らっている気がする。
誰かに事情を尋ねたいが、隣に立つギジョンはわなわなと震えながら、ブツブツと何かを呟き、思考はどこか違う世界を旅している様子。
近くにいるまともそうな人は、ゲラガさんしかいない。
「あの~、ゲラガさん? 手紙はグレンさんからなんですけど、アーサーって、誰?」
質問を終えた途端、先程まで喧騒がうそのように引いていく。
「え、何? ど、どうしたん、みんな?」
精悍な男どもの体から力は抜け落ち、口を半開きで俺を見ている。ギジョンは少し背を後ろに引きながら、仰け反ったような態度を取る。
なんだかわかんないけど、やらかしたみたい。
その場にいる全ての者が、何かの衝撃で黙り込む中で、ゲラガさんだけが豪快に笑い声を上げた。
「ガハハハハッ、こいつぁ、おそれいった。まさか、オブリエンに居ながらアーサーのことを知らないなんて。しかもそんな奴が、あいつから目を掛けられるとはなぁ」
「すみません。みんなから『なんや、こいつ』と思われて、ゲラガさんから笑われる理由がわからないんですけど。できれば、説明していただけませんか?」
「お、こいつぁ、すまねぇな。俺の名はゲラガ=シュレーヘン。このザドムを仕切っている。小僧は?」
「佐藤良人です。ヨシトって呼ばれてます」
「サトウヨシト、どこかで……?」
「どうかしました?」
「いや、なんでもねぇ」
「はあ? えっと、隣にいるのがギジョンです」
「ギジョン? お前が鎹のギジョンか? 噂には聞いてるぜ。美人のかみさんに逃げられたってな」
ギジョンの名を出すと、ゲラガさんだけではなく、周囲にいた連中も彼の名を口にし始めた。
ギジョンは眉間に皺を寄せながら、力なく言葉を漏らす。
「あまり、触れないで下せい」
「だな、悪かった。話が飛んじまったな。アーサーの話だっけ?」
「ええ。グレンさんがアーサー=グレゴリオって人と、同じ人なんですか?」
「グレン、か。15年くらい前に、名を変えてテラ家に仕えているなんてことを聞いたが、マジだったんだな」
「今はクエイク家ですけどね。それで、アーサーって?」
「アーサー=グレゴリオ。オブリエン最強の傭兵。双剣の使い手で戦場を舞うように闘う姿から付けられてた通り名は、闘舞の風刃。女ったらしのアーサーらしい、洒落た通り名だったな」
「ちょっと待ったぁっ!」
「うん、どうした?」
「グレンさんがむっちゃ強くて有名ってのはわかりました。女たらして……」
「ああ、年を食って落ち着いちまったが、若いころは毎日のように酒と女相手に遊び惚けてたぜ。俺も遊んでいたが、あいつの放蕩ぶりには敵わなかったなぁ」
「ええ~……」
俺の知るグレンさんは、無表情で仕事に厳しく、清廉な人。
しかし、昔のグレンさん……アーサー=グレゴリオは、グレンさんの人物像から全くかけ離れた存在。
二人のイメージが結びつかなくて、同一人物とは思えない。
だけど、ちょ~っとだけ結びつく部分がある。
(昔、遊び惚けてたから、俺がザドムに行くことを反対しなかったのかな?)
「超ビックリ。ギジョンも知らなかったんだよね?」
「へい。剣の腕前は知っておりやしたが……まさか、血染めのアーサーとは」
また、知らないあだ名が……しかも、物騒な感じ。
俺はグレンさんのことを思い浮かべながら、ギジョンとゲラガさんへ目を向ける。
(有名人なんだよな、三人とも。ゲラガさんはともかく、二人と知り合いであるってのはちょっといい感じだな)
俺自身は全く持って何者でもないのだが、有名人と知り合いというだけで、何となく誇らしく感じてしまう。
視線を周囲に向けると、店に訪れた時には威圧していた男たちが、今は俺に対して一目置くような態度を示している。
(悪くない、悪くないぞ~。この只者ではなさそうだと思われる感は)
しかし、次のゲラガさんの一言で、本当に只者ではないという目で見られるようになってしまった。
「思い出した、サトウヨシト! 小僧、おめえがあの死神ヨシトかっ!!」
「へ!?」
ゲラガさんが、俺の不名誉な通り名を出した途端に、店の中が雑然とする。
そして、口々に恐れを乗せて、あることないこと好き勝手言い始めた。
「あれが死神?」「知ってるぜ、敵を味方ごと埋め殺したって?」「マジかよ、まだガキじゃねぇか?」「いや、待て待て。俺の聞いた話だと、埋めたんじゃなくて生きたまま焼き殺したって話だぜ」「見た目はひょろけたガキのなのに……」「ああ、まさに死神だ」
北方戦線が終えてまだ間もないってのに、なんでこいつら、こんなことを知っているんだろうか? 口コミか?
テレビもネットもない世界のはずなのに、この伝達速度には舌を巻きすぎて絡まってしまいそう。
口コミ、恐るべし……。
(しかも、尾ひれまでつきまくってるし。つーか、俺は現場にいなかったての……はぁ~)
カウンターにほっぺたをくっつけて、息とともに魂を吐き出す。
傍に立つギジョンが、ポンポンと背中を叩いて慰めてくれた。
効果はゼロだけど……。
鎹のギジョンとアーサー=グレゴリオ。そして、今なにかと話題の死神ヨシト……おのれ、ドゴエルめ、コーツめ、口コミめ。
このままカウンター前で話をしていたら、騒ぎが大きくなりそうだったので、ゲラガさんが気を利かして、店奥にある従業員用の休憩室に案内してくれた。
休憩室には椅子はなく、段差のある床があるだけ。
靴を脱いで床に上がり、ゲラガさんとギジョンは胡坐をかいた。
俺はなんとなく正座。
早速、ゲラガさんが手紙の内容に触れる。
「小僧、初めてだってな」
「あ、そういえば、そのためにここに来たんだっけ?」
「旦那、なんで目的を忘れてんでやすか?」
「いや、道中色々あったし、宿に来ても色々あったし」
「がっはっは、面白れぇ小僧だなっ。まぁ、俺に任せとけ。良い店紹介してやるからよっ」
「うう、改めてそんな風に言われると、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど」
顔をゆでだこのように真っ赤にして、床を凝視する。
(うう、大人たちに混じって何の話をしているんだろうね、俺は)
そう思ったら、気恥ずかしくて仕方ない。
ゲラガさんは俺たちに少し待ってろと言って、休憩室から出ていった。
ギジョンもお昼ご飯を頼んでくると言って、彼のあとについていく。
ポツンと一人残された俺は、恥ずかしさの頸木からの開放感で、床に寝っころがった。
(友達とエロ話に花咲かせてた時は、恥ずかしさなんか全然なかったけど、年上相手だとちょっとないわ~)
教室の隅で、男三人で話していたエロエロ話。
そんな話の中で、風俗的な話で盛り上がったことがある。
どんな感じだろうとか、さすがにそれには頼りたくないとか。頼ってるけど……。
そんなお下品な話を、通りすがりの女子に聞かれてしまい、ゴミを見るよう目で見られたこともあった。
『ありがとうございます』なんて余裕もなく、泣いた。
地球でのしょうもない思い出を思い出しつつ、床をゴロゴロしていると、ギジョンが食事を片手に戻ってきた。
間もなくして、ゲラガさんも戻ってくる。
「ほら、紹介状。この店なら確かだから安心してくれ。町ん中で揉め事に巻き込まれたら、俺の名を出せ。丸く収まるはずだ」
「あ、すみません。何から何まで」
「なーに、大したぁこたぁねぇよ。ま、俺の名なんぞ出さなくても、小僧の死神の名を出せば、チンピラ程度なら小便垂らして逃げ出しちまうだろうけどな、ガッハッハ」
俺の背中をバンバン叩きながら、豪快に笑い声を上げる。
本人は軽めに叩いているつもりだろうが、咳が飛び出るほどの衝撃が背から胸に伝わる。
「ごほんごほん、ゲラガさん。やめて、痛いから」
「おう、こいつぁ、わるかった。しっかし、小僧。おめぇはもうちょっと飯食った方がいいぞ。そんななよっちい身体じゃ、女一人守れないぜ。昼飯のおかわりいるか?」
「いえ、十分です……えっと、お店って夜からですか?」
「ああ、まぁな。昼からやってるところもあるが、そっちの方がいいか?」
「いえ、お気づかいなく。夜までは町を散策して暇をつぶしますので」
「そうか。じゃあ、俺は仕事に戻るな。おっと、忘れてた」
「なんです?」
「あまり港の北側には近づくな。あそこはショピンが仕切ってやがるから」
ゲラガさんは渋い顔を見せながら、ショピンという者の名を口にする。
ショピン――記憶が確かなら、ザドムのもう一人の支配者のはず。
「あの、ショピンってもう一人の顔役ですよね。どんな人なんです?」
「どんな人って、一言でいえば糞ババアだな」
「あ、女の人だったんだ。そんなに性格悪いんですか?」
「ああ、働き手たちを奴隷のように扱き使いやがる。その上、銭勘定には汚い守銭奴。女どもをどっかの村々から無理やり攫ってきて、娼婦にしているって噂もある」
「ええ~、人さらい。駄目でしょっ」
「さすがに人攫いは噂に過ぎないだろうが、えげつない借金の取り立てで、無理やり風呂に沈めてるのは間違いないだろうな。とにかく、色んな連中に恨まれているのは確かだ」
「何とかできないんです?」
「何とかしてやりてぇが、俺の息が及ばねぇショピンの縄張りだ。下手に口を出しちまったら、坊さんが間に合わねぇよ」
「坊さん? ああ、葬式か。それはヤバいっすね」
「まぁな。それに悪事らしい証拠もないしな。かといって、こっちも無茶はできねぇ。糞ババアめ、尻尾をうまく隠しやがる、チッ」
舌打ちを交えるゲラガさんの様子から、彼はショピンの悪事の裏を取っているようだ。
だが、ショピンの方が上手らしく、苛立った様子を見せる。
(どんな場所にもこんな争いはあるんだね。これ以上聞いて、余計なことに巻き込まれる前に、話を切り上げよっと)
皿に残る昼ごはんを一気に胃に放り込んで立ち上がる
「じゃあ俺は、夜まで時間を潰してきます。お話面白かったです」
「おう、そうか。ショピンの縄張りには近づくなよ」
「はいっす。ギジョンはこれからどうする?」
「あっしはなじみの店がありやすんで、そっちに顔を出そうかと」
「そっ。んじゃ、またあとで」
「へいっ。あ、そうだ、旦那」
「なに?」
「この町では虚勢でもいいから、堂々とすることがミソでやすよ」
「おっけ、わかった。んじゃね」
ギジョンとゲラガさんに挨拶を簡単に済ませて、町の見学へと向かう。
町の中は柄の悪そうなというか、明らかに柄の悪い連中がうろついている。
危険な町を一人で歩く心細さのあまり、胸にしまったゲラガさんの紹介状を押さえた。
(何かあったら、ゲラガさんの名前を出そっと。さて、どこ行こうかなぁ?)
胸元からチラリと見える紹介状を目にして、念のために店の位置の確認をしようと思い、紹介された店へ向かうことにした。
が、迷った……。
行き交う人、人、人。立ち並ぶ屋台。細い路地。どこまでも同じ風景が連なる通り。
どっちが北で南なのかさっぱり分からない。
途方に暮れて、壁に背を預けていると、ふわりと柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐった。
匂いに誘われ顏を向けると、胸元がぱっくりはだけた色っぽい恰好をしたお姉さまが歩いていた。
スリットの入った長く細めのスカートからは、太ももが見え隠れしている。
(おお、なんて破廉恥な。けしからんっ。けしからんが、いいっ!)
フワフワと夢見心地に、鼻の下を伸ばしながらぽ~っとお姉さまを見ていると、不意に現実感という恐怖が襲い掛かってきた。
(あれ、俺って何してるんだ? あのお姉さんみたいな人とエッチなことしちゃったりすんの? おれが? え、え? うそ? え、え、マジで)
今夜のことを考えると、急に体がガクガクと震えてきた。
そこからはもう、脳内は言葉の洪水。
(ちょ、こわいっ。むりむりむり。何してんの、俺? ああ、だけど、ここでやめるのはっ。でもでも、風俗だよ。駄目だよ。間違っているよ。ああああ~、だけどここで機会を逃せば。でも怖いし怖いし、でもエッチなことには興味あるし。うおっぉぉぉぉ。もう、帰るっ、怖い帰る。だけど、やっぱり、きょうみあるしぃぃぃぃ~)
欲と理性と恐怖と好奇心が、互いに手を取り合っては殴り合い、殴り合ったかと思うと抱きしめ合う。
ハチャメチャな感情に乗っ取られて、頭を抱えながら派手に身体をブンブンと振っていると、誰かにぶつかってしまった。
「きゃっ」
「あたっ。あ、すみません」
慌てて、ぶつかった相手に頭を下げる。
相手はまだ、年若い女の子みたいだ。
ぶつかった衝撃で、女の子が手に持っていた化粧道具が道に散乱している。
すぐに、化粧道具を拾い集めて、女の子に渡した。
「すみません、俺のせいで」
「いえ、大丈夫です。お怪我はありませんでしたか?」
「いえいえ、それはこっちのセリフですよ。ほんと、すんません」
軽く頭を下げてから、女の子の目を見た。
そこで、俺は石のように固まった。
「え?」
「あ、あの、どうかしましたか?」
「まさか、あなたは桧垣さんっ!?」




