狂気と享楽の港町ザドム
盗賊たちと別れて、という言い方はおかしいが、とにかくザドムの町を目指す。
「ねぇ、ギジョン」
「な、なんでやしょう?」
こちらに目を合わせず、詰まるような言葉づかい。まだ、誤解されているみたい。
「あのさ、ギジョン。あれ、ただの脅しだからね。本気にしないでよ」
「脅しでも、ひどすぎやすよ。よくもまぁ、あんな恐ろしいこと考えつきやすね」
「実際にやったら怖いけど、言葉にする分はたいしたことないだろ」
「言葉でも恐ろしいでやすよ。というよりも、気分が悪いでやす」
「あ、そう……ごめん」
「素直に謝られると、それはそれで立場的に困りやすが……」
まさか、ただの脅しでここまで誤解を生むなんて思わなかった。
どうしてもいまだに、コネグッドの価値観を考えず、地球感覚でこれくらいなら構わないだろうと思ってしまうところがある。
(同じ失敗を何度繰り返せば学ぶんだか……空気も微妙だし。何か、雰囲気を変えるような話題ってないっけ? あ、そういや、さっき)
「あのギジョン?」
「何でやすか」
「鎹のギジョンって、なに?」
「ぐっ!」
ギジョンはびくりとして固まる。
手綱を引く手にも震えは伝わり、馬も固まる。
「どったの?」
「旦那は、知らないんでやすよね……?」
「知らないから聞いているんだけど?」
「た、ただの通り名でやすよ。気にしちゃダメです」
「でも、通り名で鎹って変な感じが……鎹って木材を繋ぎ合わせる釘みたいなやつだよね」
「もう、いいじゃないでやすか。忘れやしょうよ」
「繋ぎ合わせる……何かと何かを? ん、あっ」
繋ぎ合わせるというキーワードで、ムアイさんとの話を思い出した。
『いえ、なんでもありません。そうだ、異種族の愛のことについて興味がおありなら、ギジョン殿に尋ねてみては? 彼はこういった話では有名人ですし』
ということは、つまり。
「鎹って、異種族間との恋愛のことだったり?」
「ギクッ! な、なんのことでやしょうか?」
「いやいやいや、いま思いっきりギクって」
「……はあ~あ、旦那がそのことを口にするってことは、どこかで?」
「うん、小耳にはさんだ程度だけど」
「そうでありやすか……実はあっしの女房だったもんが、人とは違いやして」
「え、女房?」
とんでもない新事実、過去にギジョンには妻がいた!
しかもお相手は人ではないという。
どんな相手だろうか? オークかゴブリンか?
俺は馬をギジョンに極限まで近づけてお尋ねする。
「ギジョンさん、お嫁さんはどのような種族で」
「人魚でやす」
「フンッ!!」
「あだっ! 何するんでやすか、いきなり!?」
思わず、ギジョンにビンタをしてしまった。
でも、悪いとはこれっぽちも思わない。
「人魚って、ふざけんな! 美人なのか? どうなんだ? 美人なのか?」
「ま、まぁ、南海一の美女と呼ばれていやしたけど」
「へ、へぇ……それはスゲェや」
「だ、旦那。お願いでやすから、腰の物を抜こうとしないでくだせい」
「はぁ~、世の中、わからん」
「たしかに、フィーネは美人でありやしたが、性格の方はちょっと」
「奥さん、フィーネっていうのね。どんな人なの?」
「あんまり、思い出したくないでやすけど。自分のこと以外に興味のない女でやした」
「へぇ~、自分のこと以外ねぇ。我儘そう。うん、自分のこと以外?」
どこかで聞いたフレーズだなと思い、過去の記憶探ってみると、すぐに見つかった。
「以前さぁ、休憩室で俺が、自分のこと以外興味がないって言ったら、いや~な顔してたけど、もしかして元嫁のこと思い出してた?」
「察しの通りでやす」
「だからか」
コネグッドに対する無知を誤魔化すために、咄嗟に思い付いた言い訳。
しかし、ギジョンは訝しむことなく受け入れた。
不思議だと思っていたが、こんな理由があったとは。
「ごめんね、あの時は。嫌なこと思い出させて」
「旦那に悪気があった訳じゃあありやせんので、別に」
「で、結局は別れたんだ。大変だったね」
「ええ、あっしと娘を置いて、あいつは出ていきやがりました」
「む、す、め!? ええ~、娘いるの?」
「ええ、まぁ」
頭の中でハムスターが回す車輪の如く、ぐるぐると疑問が回る。
(娘がいる? ギジョンに? いや、その前に相手は人魚だぞ。どうやって?)
「ギジョン、ゴメン。色々尋ねる。不快なことも聞くかも」
「娘の年は16歳。現在、母親を殴り飛ばすべく旅をしてやす。人魚は魚と違って人間のように女の部分がありやす。だから子どもを宿せやす。他に何か?」
弾丸のような速さで質問の答えを先回りされた。そして、睨んでる。
「いえ、とくには……」
母を殴るために旅をしているという部分は気になったが、これ以上質問できる雰囲気でもないので諦めた。
衝撃のギジョンの嫁話のおかげで、俺の残忍性を匂わせる空気は吹き飛んだ。
代わりに、別れた嫁の話で、別の空気が生まれてしまったが……。
話題が途絶え、しばらく無言で馬を歩かせていると、ギジョンが前を指差した。
「あ、町が見えてきやしたぜ」
「おお~、あれがザドムか」
――狂気と享楽の港町ザドム
外界との境界を分けるように、石を組んでできた城壁がぐるり町を取り囲む。
町の入り口には木製の巨大な門があり、柄の悪そうな連中が、門前と城壁の上にたむろしている。
門をくぐり、町の中に入ると、多くの人々が怒声を上げながら行き交っていた。
美女を引き連れて歩いてる、太っちょの禿げたおっさん。
酒瓶片手に、土壌で寝転がっている熟れた柿の匂いを漂わすじいさん。
腕に入れ墨を入れて、周りを威嚇するように練り歩く若者。
通りは小さな出店が立ち並び、あちらこちらから客寄せの声が響いている。
町全体が活力に漲り、それに引けを取らないくらいの危険な香りが立ち昇る。
まさに欲望と暴力のるつぼといった感じだ。
馬上から周囲を見下ろしていると、どういうわけか幾人もの人々が、唾を吐き捨てるかのような態度を見せていく。
俺は隣で同じく馬に乗っているギジョンに小声で話しかけた。
「何か、めっちゃ見られている上に、雰囲気悪いんですけど?」
「お若い旦那が、馬に乗って移動してるから生意気だと思われているんでやしょう」
「え、そんなことで。馬から降りた方がいい?」
「逆でやす。ここで降りたら、舐められやすよ。この町ではハッタリでもいいでやすから、堂々とすることでやす」
「堂々ねぇ……」
壁際に佇む、スキンヘッドの男を見る。男は顔中に入れ墨を入れて、耳や舌に唇といったところにピアスをしている。
「無理。怖いです」
「何言ってんでやすか。あいつらは所詮は見せかけでやすよ。盗賊に言い放った旦那の言葉を浴びせれば、泣いて詫びまさぁ」
「ええ~、そうかなぁ?」
困った、この世界の人たちの怖い基準がわからない……。
「旦那、とにかく胸を張っててくだせいな。時津亭までくれば、多少は柄が良くなりやすから、そこまで我慢でやすよ」
「うん、わかった。頑張る」
俺がグッと胸を張る。
途端にあちらこちらから舌打ちが聞こえてきた。心が折れそうだ。
それでも彼らの嫉み僻みに耐えに耐え、時津亭に着くまで虚勢を張り続けた。
恐怖と嫉妬の歓迎を受けながらも、何とかザドムの顔役、ゲラガという人がいる時津亭までやってきた。
時津亭の外観は、街角にある子洒落たカフェといった感じだ。
ギャングの巣窟のような荒れ果てた宿を想像していたので、かなり予想外。
ギジョンが言った通り、宿の周りは他の場所よりもこざっぱりしていて、雰囲気は悪くない。
一階は定食屋になっているらしく、中から美味しそうな匂いが漂ってくる。
「クンクン、うまそうな匂い」
「そろそろ昼でやすし、休憩ついでに昼飯でも取りやしょうか?」
「だね。あ、でもその前に、ゲラガって人に会わないと」
俺たちは宿の傍に馬を置いて、中へ入っていった。
中に入ってすぐに、ギジョンに向かって小さく呟く。
「嘘つき……」
ギジョンは、柄が良くなるとほざいていた。
たしかに、宿の外観や周辺に荒々しさは感じない、
しかし、中にいる連中は別物。
中で食事を楽しんでいたのは、屈強な戦士。または、港町であるためガタイの良い海の男たちなど。
見た目は門の近くでたむろっていた連中の方が圧倒的に怖い。
でも、宿の中にいる連中は、そんなガラの悪い連中を遥かに凌駕する恐ろしげな気配を纏っている。
一言でいうなら、殺気。
そんな方々が、扉を開けると当時に、俺たちをギンッと睨み付けてきたのだ。
足は恐怖のあまりプルプルと震え、とてもじゃないがまともに立っていられない。
「か、帰ろう、ギジョン。アルトミナへ帰ろう」
「ここまで来て何を言ってんでやすか。安心して下せいや。宿にいる連中は、外で虚勢を張っている輩よりも道理の分かる連中でやすよ」
「ホントにぃ~?」
「本当でやすよ。おい、そこの!」
ギジョンは食事を運んでいたウエイターらしき男を呼び止めた。
「外に馬を繋いであるから、裏に回しとけ」
汚い言葉使いであったが、ウエイターは腹を立てることなく、別の店員に声をかけて、馬の様子を見に行かせた。
俺はギジョンの態度を見て、首をかしげる。
「ギジョンって、普通に喋れるんだ?」
「そりゃあ、まぁ」
「だったら、俺にも普通に話せばいいじゃん」
「それはそれ。これはこれでやすよ」
へっへっへと笑い声を織り交ぜた言葉を返す様子から、立場が上の者を相手にする場合は、へりくだった喋り方の方が楽なようだ。
自分というのを使い分けている、といったところか。
「ささ、旦那。入り口でぼさっとしていても始まりやせん。奥へ行きやしょうや」
「うん……」
俺はギジョンの背に隠れるように、後をついていく。
数人掛けの丸いテーブルで食事を取っている、合板のような胸板を持つ男たち。
彼らが発する鋭い眼光に怯えながら、なんとかカウンター席まで到着した。
ギジョンがカウンターの内側でコップを拭いていた若い店員に声を掛ける。
「おい、ゲラガさんは?」
「ゲラガさん? 奥にいるから呼んでくるよ」
店員は一度、厨房の方へ消えたかと思うと、すぐに大男を引き連れて戻ってきた。
「なんだ、てめえらは?」
男はドスの利いた声とともに、打ちつけるような視線を俺たちにぶつけてきた。
のそりとした熊のような巨躯。
ライオンのような雄々しい白の髪と髭を持ち、右眉から頬に掛けて、深い傷痕を刻んでいる。
彼から放たれる猛獣のような威圧感の前では、ザドムで出会った輩など子鼠に過ぎない。
呼吸をすることすら許されない風格を前にして、俺は言葉を転ばせながらギジョンに助けを求める。
「ど、どど、どうしよう」
「旦那、手紙手紙」
「あ、そっか。あ、あの、これを……」
「あん、なんだ?」
ゲラガさんは手紙をひったくると、大雑把に便箋の端を破く。
中身も一緒に破けてしまうんじゃないかとハラハラしたけど、無事だったみたいでゲラガさんは手紙を広げ、目を通した。
「ほぉ~、懐かしいな。アーサー=グレゴリオからとは」
「アーサー=グレゴリオ?」
手紙を読んだゲラガさんは聞き慣れぬ名前を声に出す。
手紙をしたためたのはグレンさんのはず。アーサー=グレゴリオって、誰?
俺が糸目になって首を捻っていると、ギジョンが空気を割く勢いで謎の人物の名を叫んだ。
「ア、ア、アーサー=グレゴリオ!? まさか、あの双剣のアーサー=グレゴリオ!?」




