難癖
俺とグレンさんは、使用人が使う通路を通り一階の大広間へ向かった。
するとそこで、ちょうどお客さんが帰るところに出くわした。
玄関前では、多くの女中たちが、年のいった巨漢の男性を見送っている。
(ふ~ん、客って、結構おっさんだったんだな。しかし、凄い髪形……)
おっさんの背格好は、ドングリを逆さにしたような恰幅のいい親父。
何故、ドングリを逆さなんて妙な表現をしたかというと、髪形が天高く尖っていたからだ。
丸みを帯びた体型。
髪は頭頂部の中心に束ねられ、針のように尖らせてある。茶色っぽい服と相まって、ドングリそのもの。
ケツから爪楊枝をブッ刺したら、良い独楽になりそうだ。
表情は柔和で、両端をくるりと巻いた素敵なお髭を持つ。
胸をドンと張った堂々たる姿は、ドングリの王様と言っても申し分ないはず。
「あの、グレンさん。あのお方は?」
「あちらは、エイコーン=ドゥン=グリーネ侯爵様です」
「……ドゥン、グリーネ侯爵……どんぐりこうしゃく、どんぐりこ……グレンさん、俺のことからかってます?」
「何故、私があなたをからかう必要があるのですか?」
「うん、ないですよね」
たまたまだろうから、気にしては駄目だ。しかし、俺の中でエイコーン侯爵のあだ名が決まった。
ドングリ侯爵。これほど適当なあだ名はない。
「えっと、あの~ドングリ……エイコーン侯爵様は何用で? お家の危機とやらに関係あったりします」
「ええ。エイコーン様は旦那様に現在の厳しい状況を伝えるため、わざわざ足を運ばれてきたのです。詳しい内容は旦那様から」
「はぁ」
侯爵自らコーツ様に? 親しい間柄なんだろうか? しかし、親しいとはいえ、侯爵自ら直接伝えに来たとなると、内容はかなり厳しいもののような……。
そんなものに関して、知恵を貸せとなると……。
(はぁ~あ)
心の中で何度も溜め息を繰り返す。ロクでもないことが起きていることが確定に至ったから……。
俺たちはドングリ侯爵の帰りを見届けると、コーツ様が待つ執務室へと向かった。
執務室に入ると、鼻を突くような煙草の煙が出迎えてくれた。コーツ様は吸わないのでドングリのものだろう。
匂いと煙で息苦しさを感じる部屋。しかし、コーツ様は窓も開けず、カーテンを閉め切ったままだ。
軽い挨拶の後に、コーツ様は咳を挟みながら、声暗く、お家の危機の内容を話し始めた。
話を聞き終えた俺は、感情を押し留まらすことなく大声を上げた。
「そんなもんただの難癖じゃん!!」
「ああ、その通り。難癖だ」
「こんな馬鹿な話ありますか? 戦場の兵士に送った酒のせいで戦に負けたって、現場の指揮官の責任でしょっ!」
コーツ様から聞いた話は、理不尽に塗れていた。
コーツ様は、身も心も凍える北方の戦場で奮闘する兵士たちのために、酒と食料と毛布を送った。
しかし、彼らは送られてきた酒でどんちゃん騒ぎをしてしまい、そこを敵に急襲され、敗北してしまったそうだ。
その敗北の責が、何故かコーツ様にあるとなってしまったらしい。
「一体何がどうなれば、そんな話になるんですかっ?」
「奇襲により、かなりの被害を被った。となると、当然責任を取る者が必要となる。しかし、現場にいる者達は、皆、戦友たち。正確に言えば、仲の良い貴族や騎士ばかり。だから、彼らとは関わりのない、私の責任ということにしたいらしい」
「こんなことで責任取らされてたら、誰も戦場に仕送りなんかしなくなりますよっ」
「まったくだよ。だから、私も当初は何かの冗談かと思っていた。しかし、エイコーン侯爵が前線の様子をお伝えに来られ……彼らは本気で、私へ責任を追及するつもりだ。まさか、ここまでして私を追い落としたとは……」
(コーツ様を追い落としたい? もしかして……)
エルフの森の伝令の一件が頭を過ぎる。
「まさか、これは、コーツ様の名を穢すために?」
「ああ、おそらくは。しかし、ここまで強引な手を使うとは思わなかったよ。嫌われたもんだね」
「お心当たりは?」
「北方戦線には長兄サカシュと懇意にしている方々いるから、その線だろうね。ふむ」
「腹の立つ話ですねっ。そんな連中、こうですよ、こう、こう!」
俺は、クソみたいな貴族らを見立てて、そいつの喉元を何度も手刀で突く。
俺のお馬鹿な動きを見て、コーツ様は心持ち顔を緩ませたが、すぐに沈鬱な表情に戻す。
彼は、机に広がる戦場を模した盤に目を落として、兵士たちを表す駒を力なく見つめている。
相当、まいっているように見える。
後継者争いの目を完全に潰したいとはいえ、実の兄にこんなことまでされるなんて……貴族とは、なんて生き物だろうか。
しかもこの件で、兄貴に付け入る隙を作らせたのが、俺だ。
そのことが、大変気が重い。
「すみません、俺が酒を送れなんて言ったばかりに」
頭を下げるだけでは許されないはしないだろうが、そんなことしかできず、俺は深く深く頭を下げた。
隣に立っていたグレンさんが、ポンッと俺の肩に手を乗せてくる。
「頭を上げなさい。この件に関して、あなたに責任はありません」
「え?」
「グレンの言うとおりだ。北方の寒空に酒を送るなんて、あの時君が口に出さなくても、いずれは思いついただろうし。何より、決めたのは私だ。ヨシトが気に病む事じゃないよ」
「あ、えっと……すみません」
「とにかく、対応を考えないと。ヨシト、グレン、下がってくれてもいいよ」
「え、いいんですか?」
「君を呼び出したときと、事情が変わったからね。酒の件でグダグダ騒いでいる者を、穏便に黙らせる案が欲しかったのだけど、北方のドゴエル司令官以下、皆が本気で私の責任と言っている以上、最早何もできないよ」
「だったら、どうするつもりで?」
「ヨシト!」
グレンさんに肩口を強く掴まれる。コーツ様も俺を鋭く睨んでいる。
俺は何かまずいこと言ったのかと、怯えた表情を見せる。
そんな俺を見て、グレンさんは肩を握る力を弱めた。
「申し訳ありません、驚かせてしまい。しかし、この先は政治の話。貴族の方々の話となります。我々は下がりましょう」
「あ……はい」
そういうことだったのか。
これからコーツ様は、貴族たちを相手取り、駆け引きを行わなければならない。不利である現状を少しでも良くするために……。
貴族たちの、目には見えない戦いが始まる。
これより先は、一介の使用人風情の立入る場所ではない。
それに何より、俺はそこに立ち入れられるほど、信頼を勝ち得ていない……。
俺は部屋を立ち去る間際に、再度深くお辞儀をして、グレンさんとも執務室から出ていった。
俺は静かにグレンさんの後ろをついていく。
すると、グレンさんが途中で立ち止まり、こちらを振り向くことなく話しかけてきた。
「あなたが責任を感じる必要はありません。だから、大人しくしていてください」
「……はい」
今の態度から、グレンさんが給湯室で「気負う必要がない」といった言葉の意味を理解した。
(グレンさんは、これ以上、俺に余計なことをするなと言っているんだ)
「すみません。俺が余計なこと言ったばかりに。コーツ様に迷惑をかけて、グレンさんを怒らせて……」
謝罪の言葉を聞いたグレンさんは俺の方を振り向き反応した。
気のせいだろうか? 僅かに慌てた感じがする。
「怒る? 私が何故、怒るのですか?」
「だって、俺のせいで大切なコーツ様が窮地に立たされて……だから、給湯室でも気負う必要がないって。それって、もう余計なことは言うなってことでしょ?」
「何をどうすればそう捉えるのかわかりませんが、そういった意味で話したわけではありませんよ」
「じゃあ、どういう意味で?」
「それは……」
いつも無表情のグレンさんには珍しく、少し困ったような顔を見せる。しかし、すぐに表情を正して、何度も聞いた同じ言葉を漏らした。
「とにかく、この件に関してあなたには責任はありません。決して気に病まないように」
「わかりました……」
グレンさんがどのような思いを抱いているのかわからないけど、とりあえずわかったような返事をした。
俺はグレンさんを真っ直ぐ見ることができなくて、視線を床の絨毯に向ける。
俺の態度を見かねたのだろうか? グレンさんが気遣う様子を見せて、休憩室で少し休むように声をかけてくれた。
休憩室に入ると、そこで待っているように言われた。
しばらくすると、グレンさんは給湯室から無地の茶器を持ってきて、俺の目の前でお茶を淹れはじめた。
注ぐカップは二つ。
うち一つのカップを、俺の前のテーブルの上に置く。もう一つはグレンさんが手にして、向かい側に座った。
「少し、お話をしましょうか」
「はぁ……」
「あなたが何を誤解しているかは分かりませんが、私はあなたに怒ってなどいません」
「で、でも」
「この件に関して、たしかにコーツ様は窮地に立たされておられます。しかし、それはコーツ様を貶めようとする輩の奸計であり、ヨシトには一切の責任はありません。これは、あなたにも理解できていることでしょう」
「まぁ、そうですけど……」
「ならば、この話はもう終わりです。気持ちを入れ替えて、業務に励んでください。余計なことに気を取られていては、疎かになってしまいますから」
「……はい」
返事はしたものの、心の中ではわだかまりが残っている。
たしかに、グレンさんの言うとおり、悪いのはコーツ様をハメようとしている連中。
酒の件だって、コーツ様が言った通り、誰もが思いつく当たり前のこと。
……でも、当たり前のことだったとしても、考えを先に口走ったために、責任という思いから逃れられない。
(余計なこと言うんじゃなかった……)
こんなこと気にせず、笑い飛ばせればどんないいか。
だけど、俺はそんな性格じゃない。自分が僅かといえど関われば、気になって気になって仕方なくなってしまう。
しかも、今回は恨みも何もないコーツ様の進退が関わっている。
「あの、グレンさん」
「なんでしょう?」
「もし、最悪の場合、コーツ様はどうなるんですか?」
「あなたが気にするようなことではありませんよ」
「グレンさんっ」
言葉に力を込めて、グレンさんに詰め寄る。
グレンさんは少しだけ眉間に皺を寄せると、諦めた様子で小さく息を漏らし、話をしてくれた。
「軽く済んでも、所領取り上げ。悪ければ……」
「そんなっ!? 重すぎでしょうっ!」
「北方戦線での敗北で、多くの兵の命を失っています。また、彼らが守っていた陣の後ろには備蓄基地がありました。幸いにそこは守りきれましたが。それらの責を押し付けられたとなると……」
「備蓄基地? 兵量とか武器とかある場所ですか?」
「ええ、北方に展開する物資は、全てそこにあると聞いています。欺瞞の可能性もありますが、おそらくは事実でしょう」
「そんな重要な場所の近くで、よくもまぁ、どんちゃん騒ぎを」
「シエロン国に攻め入り、難所である砦を突破して以降は、連戦連勝。緩んでいたのかもしれませんね」
「攻め入り? オブリエン側から攻め入ったんですか?」
「ええ。良いことではありませんが」
「なぜです?」
「ドゴエル様が北方の司令官に赴任されたからです。あの方は強硬な開戦派で有名でしたから」
「どんな人なんです?」
「オブリエン国随一の猛将。彼の勇名は、戦場を知る者であれば誰もが耳にしたことがあります」
「強くて立派な方なんですか?」
「槍を使えば無双ですが、気性の方は……諫言には耳を一切御貸しにならず、機嫌を損ねれば、途端に処断されることも……」
「そんな人だと、一度コーツ様が悪いと思い込んだら……?」
「お考えを変えるのは難しいでしょうね」
「仮に、そんな状態でコーツ様を擁護したら……」
俺は手刀で首をトンっと叩く。
グレンさんは微小な動きで首を縦に動かした。
「ひでぇな。呂布でも陳宮の言葉には耳を貸すのに……少なくても物語では」
「りょふ? ちんきゅ?」
「いえ、なんでもないです。あのドゴエル、司令官? その人って戦術やら兵法やらは大丈夫なんですか?」
「私の口からは何とも……ヨシトは、軍事に興味でもあるのですか?」
「いえ、全然」
「そうですか、興味を持たれたようでしたので」
「ゲーみゅ、っと、軍が活躍する物語なんか本で読んだりするので、ちょっと聞いてみただけです」
「本、ですか?」
「はい。だから、戦争やら軍事やら全然ですよ」
そう、俺にはそんな知識はない。
せいぜいあるとすれば、歴史シミュレーションゲームや歴史ものの本で得た知識程度。
細かい兵站とか戦術、戦略なんぞわかるはずもない。
陣形の名前くらいなら知っているけど。魚燐とか鶴翼とか。使い方はゲーム内の話だけで、実際の運用方法なんかは知らない。
因みにゲームでよくやる戦法は、わざと襲われやすい状況を作り、そこへ攻め込ませておいて、伏兵を使い周りから襲いかかる。
CPU相手だと結構いける。対人戦では通じないことが多い。
もっとも、最近のCPUは対人戦並みに警戒心が高いから、罠に掛けようとしたら、かなりの損害覚悟で引きずり込まないといけないけど……。
(っと、ゲームのことを思い出している場合じゃないか)
コーツ様は、よくて領地を失い、悪くて処断される状況に追い込まれている。
グレンさんやコーツ様は、俺に責任はないと言ってくれるが、やはり気にしないでおけるものではない。
俺は、まだ一口も口をつけていないお茶の入ったカップを揺らす。
小さなカップの内側では、荒れ狂う波のようにお茶が暴れている…………俺は波をしばし見つめ、ゆっくり頷くと、意を決して一気に飲み干した。
「すみません、グレンさん。ちょっと、席を外しますっ」
乱暴にカップをテーブルに置いて席を立ちあがり、休憩室から出ていこうとした。
だが、すぐさま、グレンさんに呼び止められる。それも有無を言わせない口調で……。
「すぐに仕事に戻りなさいっ」
「で、でも」
「口答えは許しません。わかりましたね」
グレンさんの表情は決して怖いものではなかった。しかし、言葉に籠る迫力が、俺を委縮させる。
グレンさんは口調を、柔らかなものに変えて、言葉を続けた。
「あなたが責任を感じるようなことではありません。あなた一人が、コーツ様の重責を慮る必要はないのですよ」
「コーツ様の……?」
今の言葉を受けて、心の中に奇妙な違和感が生じる。
俺はどうして、気に病んでいる?
コーツ様、いや、コーツのことなんかどうでいいはず?
じゃあ、どうして、気にするの……?
そんなのは決まっている。
僅かでも、俺のせいで誰かが困るってのが、気分が悪いからだ!
つまり、今から取ろうとしている行動は、俺の精神的な安定のためのお節介。身勝手な我儘。
俺は一度、大きく息を吸って吐き出すと、グレンさんを真っ直ぐ見た。
「グレンさん。俺が何とかしたいと思っているのは、コーツ様のことを思っているからじゃない」
「ならば、何のためにあなたは?」
「それは……今日のご飯を美味しく食べられて、今日も明日もぐっすりと眠るためです」
言葉を言い終えると、すぐに休憩室から飛び出した。
これ以上、グレンさんと会話を重ねるたら、屈してしまう。
屈すれば、後悔を抱えたまま、これから先を過ごすことになる……。
休憩室から広間へ向かい、執務室へと続く階段を駆け上がる。
そして、なだれ込むような勢いのままに、執務室の扉を強めにノックした。しかし、返事がない。
仕方ないので、返事を貰わずに勝手に扉を開ける。
扉を開けるとすぐに、煙草の匂いが鼻を突いた。部屋は窓もカーテンも閉めっぱなしで、ドングリ侯爵が帰った後も、換気をしていないようだった。
コーツ様は、椅子に腰を掛けたままの状態で、目を閉じて腕を組んでいた。
おそらく、現状を打破しようと頭を回転させているのだろう。
「コーツ様?」
「ん? なんだ、ヨシトか。私は下がれと言ったはずだけど?」
「戻ってきました」
「なに?」
「今回のこと、詳しく話してください。何か良い考えが浮かぶかもしれません」