小さな欲
休憩室で、ギジョンと二人っきり……。
テーブルを挟み、向かい合わせで椅子に座り、無言でぼーっと過ごす……なんか、気まずい。
俺は椅子から少し腰を浮かせる。
「あの、お茶でも入れてこようか?」
「いえ、旦那にそんなことされちゃあ、困ります」
「そう……」
椅子へ腰を戻す。
気まずい……。たいそう気まずいっ。というか、なんでギジョンが休憩室に残っているんだろう?
(あ、そうだ。荷馬車用の馬の手配をこいつに任せれば……でも、今言うと、追い出そうとしてるみたいで、感じ悪いなぁ。仕方ない、何か適当な話題でも……あ、そういえば使いの人が変なこと言ってたなぁ)
「あのさぁ、ギジョン。俺って、使いの人に『様』呼ばわりされてたけど、なんで?」
「そりゃ、コーツ様直々にエルフの交渉人として抜擢されて上に、商隊の隊長でもあるんでやすよ。様の一つや二つ付くでやしょうよ」
「はぁ~、そういうもんか……」
「そういうもんでやすよ……」
「そうかぁ……」
会話終了。再び沈黙。
(え~っと、話題話題って、なんで俺がこんなに気を回さなきゃいけないんだ。でも、だんまりのままだと気まずいし。他に何かあったかなぁ……そうだっ)
「あの、ギジョン。聞きたいことがあるんだけど?」
「何でやすか?」
「森の盗賊の話なんだけど、あいつらってどうするつもりだろ? 交易品を略奪できなくなったら、干上がっちゃうだろ?」
「干上がる前に、どっか仕事のしやすい場所に移動するでやしょうよ。しかし、なんで盗賊の心配なんぞを?」
「いや、盗賊はどうでもいいんだけど、そいつらがエルフの森を襲ったりしないかなと思って」
「できるわけないでやしょっ。エルフは皆、魔法使えるんでやすよ。盗賊風情がどうこうできる相手じゃありやせん」
「でもさ、盗賊に魔導師がいたら、対抗できるじゃん?」
「盗賊団にそんな大層な方がいるわけないでやしょっ。魔導師と言えば貴重な存在でやすよ。国家の管理下に居られる方々でやすから」
「え、魔導師って少ないの?」
「はいっ?」
ギジョンのギョロッとした目を、一段と大きく見開き、丸い目玉がむき出しにする。
「え、何、なんでそんな顔するの?」
「旦那、本気で言ってんでやすか?」
「うん」
「……旦那は切れ者なんでやすか、馬鹿者なんでやすか?」
「ひっどい言われよう。まぁ、馬鹿でいいからさ、教えてよ。魔導師って貴重なの?」
「貴重も貴重でやすよ。この大国であるオブリエン王国であっても、300人ほどしか存在しやせん」
「少なっ!? それじゃ、魔導部隊なんか組めないね」
「部隊って……そんなことができるとしたら、魔導国家と名高い『神聖ロリオーヌ帝国』ぐらいでやしょうね。ロリオーヌには魔導師が2000人もいると聞きやすし」
「え、たった2000? 魔導国家なのに?」
「たったって……魔導師一人いれば、街一つ消し飛ばせるといいやすのに。そんな連中がポンポンいてたまりやすかっ」
「そんなにすごいの? じゃあ、戦争に魔導師が現れたらおしまいじゃん」
「心配には及びやせん。戦争に魔導師を投入することは、条約違反でやすから。彼らは、使えない最強の切り札でやすよ」
「へ~」
今の話を地球感覚に置き換えると、魔導師の存在は核兵器みたいなものなんだろうか?
使うわけにはいかないけど、牽制のために存在する最終兵器、的な?
(待てよ、ということは)
「エルフって、みんな魔法が使えるんだよね? ってことは、ユミたちが住むクレイ森のエルフたちって、全員が街を消し飛ばす力を持っているってこと? あそこには100、200のエルフがいたんだけど」
「そこは微妙でやすね。エルフは確かに皆が魔法を使えやすけど、人が使う魔法より劣ると聞きやす」
「え、人よりも? 俺の中のイメージじゃ、エルフの方が魔法が得意な感じがするんだけど」
「少し語弊がありやした。こと戦闘や戦争に関する魔法は、人間の方が優っている、という話でやす。なにせ、人は日夜、戦いのための魔導を研究してやすから」
「ああ、そういうこと。じゃあ、人間の魔導師とエルフが戦ったら人間が勝つんだ?」
「さぁ? なるべく異種族同士の争いは避けてやすから、そいつぁ蓋を開けてみないとわかりやせん」
「へぇ~、異種族同士の争いは駄目なんだ?」
「駄目というより、人間側が不利だと考えられやすから、避けてるんでやすよ。人の身体能力は、亜人の中では弱小と言われるホビットにすら劣りやすから」
「そうなんだ、人間雑魚いな……」
(この世界にはホビットまでいるのか。こりゃ、ドワーフやドラゴンの類もいそうだなぁ)
エルフもそうだが、地球のお伽噺に出てくる種族の名前が、どうしてコネグッドで聞けるのか、正直不思議でならない……ならないが、以前も考えたように、調べるのはメンドーなのでパス。
ただえさえ、面倒事に巻き込まれてるのに、これ以上ややこしいこと増やしてたまるかって話だ。
そういったことには一切触れずに、自然な会話を繋げる……自然だと思ってはいたんだけどね、この時点までは……。
「しっかし、魔導師が貴重とはね~? シフォルト伯爵のところにいた頃は、何人もの魔導師が普通に出入りしてたから、そうは思わなかったなぁ」
「ああ~、だからでやすかっ。旦那にとって魔導師の存在は普通でやしたんですね。なるほど。で、こんな当たり前の質問を」
「え、ああ、そうそう、そうなんだよ」
俺は馬鹿か。何が自然だ。
自分がコネグッドと異なる世界の住人だってことを忘れて、なんて尋ね方をしてたんだ。
何が常識的な情報で、何が非常識的な情報か分からないんだから、知りたいことはもっと慎重に尋ねないと……。
地球人であることを隠す必要はないけれど、証明する手段がない状態では、変な奴と思われないように努めといた方がいい。
何かあるたびに、馬鹿者扱いされるのは辛いし。
(え~っと、言葉を選んで、話を締めなきゃ)
「いや~、シフォルト伯爵のところじゃ普通だったからなぁ…………って、あれ? でも、なんでシフォルト伯爵のところには、魔導師が当たり前のように出入りしてるんだ?」
「シフォルト伯爵は高名な大貴族でやすよ。肩書こそ伯爵であらせられやすが、その名は四海に轟き、大公爵、王族でやりやしょうと、おいそれとあのお方には口が出せやせん」
「あ、そうなんだ。そっかぁ、只者ではないと思っていたけど、ダンディなおっさんってだけじゃなかったんだなぁ」
「旦那にとって元主でやしょ。なんで知らないんでやすか? しかも、事もあろうにおっさん扱い。旦那は一体、何様なんでやすか?」
ギジョンがじ~っと、訝しんだ眼を向けてくる。
言葉を選ぼうと思った矢先にこれだ。
あまりの脇の甘さに、情けなくて泣けてくる。
「いや、俺は何者でもないですよ。ただの世間知らずですっ」
「主のことも、魔導師のことも知らないとはぁ、世間知らずにしちゃぁ」
いけない。
このまま、ぐいぐいツッコまれたら、返答に窮してしまう。なんでもいいから、話を終わらせないと。
「もういいじゃん、その話は。仕方ないだろ、俺は自分のこと以外興味ないんだから」
「自分のこと以外……なるほど。旦那は、そういった性格で…………覚えておきやす」
「え? うん、覚えておいて……」
ギジョンは苦虫を噛み潰したような顔を見せたかと思うと、何かを諦めたような素振りを見せて納得した。
自分でもひどい言い訳だと思うのだけど、なんでこんなので納得できるんだろうか? 加えて、この奇妙な態度は?
しかし、気になるからといって尋ねると、墓穴を掘ること間違いなしなので、ここで口にチャックを入れた。
だけど、ギジョンはチャックを閉じる気がないらしく、別の話題を振ってくる。彼が口に出した話題は俺にとって、少しばかり苦手なもの。
「そういや、旦那。エルフの話の際に、どうしてユミ様の名を? そこは普通、ムアイ様の名前が出るところじゃないでやすか?」
「ん? 何が言いたいんだ、てめぇっ」
「おお、声が本気じゃないでやすか? で、どうなんでやすか?」
「この野郎、人が牽制しているのに……単純に、エルフの中で一番仲が良いからだよ」
「良いとは?」
「お前の考えているような『良い』じゃないからな。そりゃ、ユミはすっごい可愛いし、『良い』関係になれたらいいなぁって思うところはあるよ。でも、大変そうだからパス」
「はいぃ?」
いの音を、上へ曲げ延ばす感じで聞き返してくる。どこかにそんな警部がいた気がするが……?
それはさておくとして、隠すような話じゃないから会話を続けた。
「ほら、エルフと人間じゃ生きる時間が違うから、後先のことを考えると、『良い』関係にならない方がいいと思うんだよね」
「そんな先のことまで考えているんでやすか? 男と女の関係になってからでいいでやしょ」
「悪いけど、俺はギジョンほど物事を軽く考えられないんで……」
「はぁ~、旦那ぁ。女を、知らないでやしょ?」
「なっ?」
心臓にダイレクトに突き刺さる問い。
しかし、俺の年で、女を知っている方がおかしいはず。
気を静めて、問い返す。
「………………それが、なにか?」
「旦那は一度、女慣れしておいた方がいいでやしょうね。付き合う付き合わないの前に、そんな先のことを考えているんじゃ、一生縁がありやせんぜ」
「こ、怖いこと言うなよ」
「まぁ、縁のあるなしはともかく、少しは女のことを知っておいた方が、旦那の将来のためになりやしょうし」
「は、将来? なんでギジョンが俺の将来を心配をすんの?」
「そりゃあ、旦那にはこれからどんどん出世していただきやせんと」
「ん? それって……ギジョン、俺からお零れ与ろうとしてる?」
「へっへっへ、さすが旦那。察しが良いでやすな」
きったない顔に、晴れやかな顔を乗せて答えてきやがる。こんなにも腹が立つ朗らかな笑顔は生まれて初めて見る。
「ったく、察しも何も隠す気ないじゃん」
「このような話を隠さずとも、許容してくれるお方でやすからね。だから、あっしは旦那のこと気に入ってんでやすんよ」
「おっさんから言われてもなぁ。気持ち悪いだけだよ……でも、ギジョンには悪いけど、俺は出世する気なんかないから」
「なんですと?」
彼はテーブルから身を乗り出して、眼前にまで顔を近づけてくる。どんだけ、人からお零れを貰う気満々なんだ?
だが、この態度は、俺のことをかなり評価してくれてる表れでもある。
色々と経験豊富そうな彼から期待されているかと思うと、悪い気はしない。
(っと、ダメダメ。もう、俺には人生のプランができているのに)
「ギジョン。とりあえず、席に戻って。こわいから」
「おっと。こいつぁ、失礼」
「あのね、言っとくけど俺はすでに、一応の人生設計を立ててるから、ギジョンが俺に何かを期待しても無理だからね」
「どのようなっ?」
「え~っと、コーツ様って、賃金の支払い良いじゃん。仮に、このままコーツ様の下に勤めていたらぁ、20年後には、贅沢さえしなければ一生暮らせる分は稼げるわけだよ。35にして楽しい隠居生活。最高だね」
「……本気で言ってんでやすか?」
「うん、本気だよ」
「旦那……」
ギジョンはいきなり声のトーンを落として、凄みを帯びた声を漏らす。元々、普通にしていても気味が悪いのに、暗く落ちた声が不気味さに輪をかけてくる。
俺は少しでも不気味さから逃れるために、椅子を後ろにずった。
「な、なに?」
「旦那は15という年で、商隊の隊長を務めておられるお方でやすよ」
「でも、肩書だけじゃん」
「肩書きであっても、自分が15歳のころと比べれば天と地の差。なにより、旦那は肩書き以上の働きをされたではありやせんか。旦那はもっと上に行かれるお方でやすよ」
「いや、無理。責任とか重いの嫌だし」
「旦那っ!」
「は、はい、なにっ」
「世の中には、機会を得たくても得られない連中がごまんといやす。その中で、旦那はシフォルト伯爵とコーツ様のお目を掛けられた。さらには、コーツ様に認められるだけの実力を振るいやした。おかげで普通の者とは違う、良い立場に居られる…………旦那は、全てを捨て去ると?」
「それは……」
たしかにギジョンの言うとおり、俺はかなり恵まれている。
シフォルト伯爵に出会わなければ、のたれ死んでいたかもしれない。
でも、そうならなかった。
彼の屋敷では、新参者でありながら、伯爵の御付きの奉公人として目を掛けられた。
コーツ様の下では、何とか難題を片付けて、仕事ぶりが評価された。
うまくいけば、執事補佐という名の事務職から解放されて、引き続き商隊の隊長兼交渉人として、ちょっと高めの給金で働いていけそうだ。
それに何より、今の俺には15歳という身でありながら、ギジョン以下数人の部下がいる……。
心に生まれる、小さな欲。
小さな存在でありながら声は大きく『もっと、もっと』っと騒いでいる。
(……いや、だめだっ、高望みしては。だいたい俺は、駆け落ち騒動に巻き込まれた身。安全とは言い難い立場なんだ。恵まれているどころか、貴族の気まぐれで命を奪われるかもしれない。これ以上は余計なことをせずに、大人しくしてないとっ……だけど……)
俺は口を閉じたまま、じっとテーブルを見ていた。その間、ギジョンは何も語りかけたりしない。
無音の時間が休憩室に満ちる。
このまま、音のない時間が延々と続くのではないかと思ったところに、ノックの音が割り込んだ。
音ある世界に戻してくれたノックに、救われた思いがする。
俺は平凡な生活を求めているはずなのに、ありえない欲を抱いてしまったから。
ノックに返事をすると、扉が開きグレンさんが入ってきた。
「そろそろ、御客様がお帰りになられます。ヨシト、準備を。ギジョン、裏手に馬の用意をしてありますので、隊の方々へ届けてください」
「へい」
ギジョンは席を立ち、グレンさんの横を通り抜ける。彼はぺこりとグレンさんに頭を下げて、休憩室から出ていった。
グレンさんは俺を見て、小さく首を縦に振る。
返事に応じるように俺も席を立ち、グレンさんの後ろに着いてコーツ様が待つ執務室へと向かった。