恩義に報いて
特に目立つことなく過ごしてきた15年。
勉強が人よりできるということはない。スポーツが得意なわけでも苦手なわけでもない。
容姿はとくにパッとせず無難……のはず。
何か際立った知識を持っているわけでもない。
普通の人。
でもまぁ、真面目に生きてれば、そこそこの人生を送れそうだし、俺自身何かしらの野心を抱いているわけでもないから、特に不満はない。
性格は目立つのを嫌う事なかれ主義。
なのに、どういうわけか他人の評価では、皮肉屋のひねくれ者の変わり者らしい。
たしかに、口が悪いため、余計なトラブルを招くことがあったけど。
そこは反省し、生かさなければならない。
と、思ってはいるんだけどねぇ……。
ともかく、俺は平凡でありふれた生活を望む。
しかしながら、凡人がどこにでもある平凡な幸せを手に入れるためには、すっごい努力しなきゃならないのが現実。
努力が必要なのは地球ではない、この異世界『コネグッド」でも。
異世界『コネグッド』
いわゆる剣と魔法の世界。
しかし、英雄やら勇者の類はいない。
正確に言えば、多少のいざこざはあるものの、そういった者がお出ましするような世界情勢ではないということ。
まぁ、平和。
文明レベルは明治くらいはあるかも。鉄のでっかい船が海に浮かんでたし……俺の知識レベルでは、よく判断がつかないけど。
ネットも使えない環境だと、今持っている知識でやりくりしなきゃならないので、わからないことだらけ。
しかも、俺の持っている知識量はたかが知れている。
そこには期待できないから、思いつきや発想で……できたらいいなぁ。
でも、できたらできたで、余計なトラブルの原因になりそう気もする。
さてさて、そんな凡人である俺、佐藤良人は、現在、暖かな南方国家オブリエン王国に属する海に面した町、『港町グランツェ』という場所で、とある屋敷に仕えている。
何故、地球からこちらへやって来て、そんなことになっているかというと……話は二か月ほど前にさかのぼる。
前触れもなく異世界へ放り出される。
当てもなく彷徨う。行き倒れる。拾われる。
と、いった感じで現在に至る。
俺を拾ってくれた人は、港町グランツェの領主であるアルフィーネ家の主、シフォルト=サン=アルフィーネ伯爵。
サンは古い言葉で神の守護人という意味があって、なんやら誇り高いらしい。
道で行き倒れているところを、運よくこの人に助けてもらった。そして、そのまま奉公人として雇ってもらうことに。
幸いにして、何故か言葉は通じる。
通じるというか、はじめから知っているといった感じ。どういう理屈か分かんないけど。
俺が物語の主人公の様な立ち位置なら、そこら辺のこともわかるんだろうけど、たぶん一生不明のままだろうね。
そういった謎は気にはなるけど、わからないままでも構わないと思っている。
命の危険のある冒険よりも、平凡な人生の方が俺には似合ってるし。
でも、できれば、平凡な人生は地球で送りたかった……望郷の念は残っている。
だけど、何の力も持たない俺には、危険な冒険などできない。
そんなわけで、凡人には無関係の世界の謎も、帰還のための命懸けの冒険も放っといて、今日も日課のである、旦那様へのお茶運びに精を出しますか。
「旦那様、お茶のお時間っすよ~」
俺は茶器と茶菓子類を乗っけた台車を引きながら、シフォルト伯爵の書斎に入った。
旦那様はこちらに目をやることなく、唸りながら書類とにらめっこしている。
真剣な表情で仕事に取り組む旦那様の姿は、同性の俺でも惚れ惚れとするほど恰好が良い。
身体はがっしりとしていながら、むさ苦しさは全く感じさせないスマートな立ち振る舞い。
仕事が忙しい中でも、おしゃれに気を使う余裕を見せるダンディズム溢れる旦那様の姿は、将来の俺の理想像でもある。
あくまでも理想ね。
旦那様は本人は、別に遊び人というわけでもないが、生まれ持った魅力は貴族のご婦人方々はもちろん、町娘までも虜にしてやまない。
正直、くそ羨ましい。
台車を引いて旦那様の傍までくるが、仕事に集中するあまり、こちらには全く気付いていない様子。
(大変だね~、毎日)
俺の知る限り、旦那様は常に、何かしらの仕事に従事している。心休まる時はないと言った感じだ。
仕事熱心なことは良いけど、もう少し体を労わってほしい。
旦那様は貴族の中でも珍しく、真人間と呼べる人。
少なくとも、俺が『コネグッド』で出会った貴族は、ほとんどが高慢ちきな奴らばっかだった。
だから、大きな権力を持ちながら、気さくで優しい人には、ぜひとも長生きして欲しいもんだ。
仕事に集中している旦那様に話しかけるのはちょいと気が引けるが、このまま黙って見ていても仕方ない。
「旦那様、お茶ですよ~。冷めちゃいますよ~」
「ん、ああ。そこに置いていてくれ」
「旦那様、大変なお仕事でしょうけど、根を詰め過ぎるのは良くありませんよ。お茶一杯分の休憩くらい、お取りになりましょうよ」
「う~ん……わかった、そうしよう」
渋々といった態度だが、旦那様は休憩を取る気になったようだ。
「あまり、ご無理をなさらないように。はい、お茶です」
書類で埋め尽くされている机の隙間を見つけて、淹れたてのお茶を置く。
部屋全体はよく整頓されていて、美術品のような家具や調度品が並んでいるが、この机の上だけは別世界のようにいつも荒れ放題だった。
これは、仕事量が旦那様のこなせる量を超えてる証し。ブラック企業レベルだということを差している。
なのに、旦那様は……。
「ああ、ありがとう。私はそんなに無理をしているつもりはないがね」
「社畜……」
「ん?」
「いえ、なんでもないです。あの~、今年で旦那様は四十五と聞きましたけど。僅かな無理が身体に出てくる年齢だし、下手したらぽっくりいきますよ」
地球と違い、平均年齢が50前後のコネグッドでは、四十も過ぎれば棺桶に片足ツッコんだ状態とも言える。
もっとも、貴族である旦那様は、いい食い物を食べてるだろうし、気軽に医者にも見てもらえる立場だから、もっと長生きできるだろう。
だからこそ、もったいないので寿命を削るような真似はやめてほしい。
「はは、相変わらずヨシトは言葉がきついな。だけど、他の人の前では気を付けなさい」
「承知しております。旦那様以外でこんな口聞けませんよ。奥様方にだって……俺だって命は惜しいですし」
わざとらしく顏を顰めながら言葉を返す。
旦那様をふざけた表情を見て、くすりと笑った。
旦那様には年の近い嫁さんと、三人の子どもがいる。こいつらは旦那様の性格とは真反対で、傲慢で身分差別が激しい連中だ。
地球でもそういった連中はいるだろうけど、コネグッドではそんな態度を隠しもしない。
ある意味新鮮な感じもする。
そんな珍しい体験のお礼に、何度、階段の上から突き飛ばしてやろうかと思ったことか。
「さて、休憩もこれくらいにして仕事に戻るか」
旦那様は、ほのかな暖かさが宿るお茶をクイッと飲み干して、すぐさま仕事へ戻ろうとした。
俺ほどとは言わないが、もうちょい肩の力を抜いて仕事をできないものか。
「もうですか? もう少しくらい」
「そうは言ってられないのだよ。テラ家とアスル家、クエイク家の間で不穏な空気が漂っていてね。そこで仲立ちを……私が買って出たのだよ」
「押し付けられたんですね……」
俺の一言に、旦那様は乾いた笑いを漏らす。
人のいい旦那様のこと、面倒事を周りの連中から押し付けられたのは想像に容易い。
「それじゃあ、この書類の山は、三家の案件で?」
「ああ、三家の仲が芳しくないため、各方面で……色々準備が始まっている。その雑務だ」
「まさか、戦争ですか?」
「場合によっては、そうなるかもしれんな」
「穏やかじゃないな~。でも、その三家って、仲は悪い方じゃなかったような?」
「ああ、しかしだね、少々頭の痛いことが起きてしまってね」
「というと?」
「ふむ……」
旦那様は腕組みをして、これ以上話して良いものかと悩んだ様子を見せる。
まぁ、そいつは当然と言えば当然だろう。俺は一介の奉公人だし。
加えて、話すのを憚られる内容なら、聞かない方が安全ってもんだ。
「わかりました。お聞きしません。お仕事頑張ってください」
俺は手早く茶器を片付けると、台車を押して足早に立ち去ろうとした。
しかし。
「待ちなさい、どのみち遅かれ早かれ国中の噂になる。君に良いアイデアがないか聞くのも悪くないかもしれんな」
「はぁ」
国中の噂になる? ということは、思ったほど重要度の高い話ではないのか?
だけど、さきほどの旦那様の様子から見るに、話しにくそうな感じが伝わってきたが。
旦那様は口を動かしづらそうに、いかにも困った様子を見せながら悩みを打ち明けた。
「でだ。なんというか、テラ家のご子息が……アスル家のご息女と駆け落ちをしてしまってね」
「なんとまぁ」
まさか、旦那様が悩んでいたことが、貴族のスキャンダルとは。
なるほど、プライベートな話だし話しにくいわけだ。
同時に、このような面白そうな貴族の醜聞を、庶民たちが放っておくはずがない。
どこからか漏れて、噂になるのは時間の問題だろう。
(駆け落ち騒動か。地球だとマスコミの餌食だな。しかも三つの貴族を笑い話に、あれ三つ?)
「あの、この話って、テラ家とアスル家の話ですよね? なんで、クエイク家も交じって三家の不仲に?」
「それが、アスル家のご息女はクエイク家のご子息と婚約の仲でね」
「ああ~、そういうことで」
「アスル家はクエイク家と懇意になりたくて、ご息女を嫁がせようと。しかし、テラ家のご子息が、アスル家のご息女と駆け落ちをした。テラ家は、両家に泥を塗った格好となったわけだ」
「じゃあ、テラ家がさっさと息子さん捕まえて、適当な謝罪をすれば終わる話では? まさか、頭下げるのは嫌だとわがまま言っているんですか?」
「はは、我儘とは、随分な言いようだな。しかし、そういうわけじゃ……いや、ある意味そうなのかもしれんが……」
「どういうことです?」
「テラ家の四男コーツ君は、父であるフラインツ殿に溺愛されていてね。息子の愛のために一歩も引かぬと……」
「馬鹿親ですね」
「今の言葉に対して、私の口からは何も言えんよ」
「だけど、四男を溺愛とは。この件がうまくまとまっても、家督争いで一悶着ありそう」
「それも悩みの種だ。特にフラインツ殿の奥方である、フィネルリア夫人が大いに気に病んでおられる。しかし、今は目の前の件を処理しないとな。アスル家もクエイク家も名誉のために一歩引かぬと言っているし」
「彼らの下らない意地の張り合いで、戦争ですか?」
「まぁ、最悪そうなる」
「あほらし、庶民はたまったもんじゃない」
「そうだな……そこでだ、民に迷惑が掛からぬように、何か良いアイデアはないかね?」
旦那様は半分以上投げやりに、俺に質問をしてきた。
そこから感じるのは、元より期待はしてないということ雰囲気。いや、藁にも縋りたいくらい疲れている、というのが正解か。
俺としては、期待されていなくても、旦那様を助けてやりたいと思ってる。
恩や借りといったものが、煩わしくないと言えば嘘になる。
しかし今、ここにこうして、生きていられるのは旦那様のおかげ。
何も返さずに居続けるのは尻がむず痒い。
「では、旦那様。もっと詳しい情報が欲しいので、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、答えられる範囲でなら」
「じゃあ、えっと……三家は仲たがいしたいわけじゃないですよね?」
「もちろんだ。三家共に長い間、良き交流を重ねてきたからな。むしろ、この争いを、どうにか収めたいというのが本音だ」
「はぁ、なるほど)
(だったら、戦争なんかしようすんなよ)
と、心の中で呟く。
その思いはひとまず置いといて、情報一つ目。
三家は本音では争う気はない。
「次の質問です。元の結婚話はどういった意味合いで?」
「今の質問は、どういう意味かね?」
旦那様は少し口調を固くする。
それもそのはず。俺はどんな意味の政略結婚なのかと、相当失礼な問いをしたのだから。
「気を悪くしないで下さい。性質がわからないと、何とも言えないので……」
「ふむ……アスル家は少々資金繰りがね。それをクエイク家が援助する準備があるという話だけだ」
「援助するクエイク家の旨味は?」
「アスル家の方が家柄は上だ。クエイク家と比べる遥かにね」
「はぁ、なるほど」
二つ目の情報。アスル家は金が欲しい。
したがって、金を持っているクエイク家に娘を嫁がせたい。
クエイク家はアスル家と繋がりを持ち、家の格式を上げたい。
「では、次の質問です。三家のご子息、ご息女はどんな人なんですか?」
「テラ家のご子息は四男。名はコーツ。聡明な青年だよ。アスル家のご息女は三女。名はアリサ。民を労わる優しい子だ。婚約者であるクエイク家の三男ディル君は、素直で大人しい子だが、少々覇気が足らぬかな」
「なるほど、三人ともに跡取りではないんですね」
「ああ、一応はそうなるな」
ということは、元々政略結婚なんかに使われる予定の子どもたちか。
この世界では、長男以外無価値だからな。
「えっと、クエイク家のディル様でしたっけ。この方は、今回の婚約話に乗る気なのですか?」
「さぁ、どうだろうな。父であるモール殿から強く勧められたため、といった意味合いが強いと思うが」
「ほほ~ん」
情報三つ目、三人とも性格は悪くなく、跡取りではない。
ディルは、今回の婚約に乗る気かどうかわからない。
覇気が足らない彼は、どうも親父に無理矢理話を進められた感がある、と。
「う~ん」
俺は顎に手を当てて、今までに出た情報を整理する。
(争う気はない。金と格式。跡取りではない…………ふむ~、頭痛くなってきた)
せっかく、相談してもらったのだ。何か、役立つようなことを思いつきたい。
だが、考えども考えども、頭が痛くなるばかりで何も思いつかない。
俺は久しぶりに回転させた頭脳へ糖分でも補給しようと、一つの角砂糖を手に取った。
そして、そいつを口に放り込もうとしたが、指を滑らせてカップの中に落としてしまった。
一連の動作を旦那様に見咎められる。
「はしたないぞ。せめて、ティーカップにお茶を注いで、そこに入れなさい」
「さーせん……ん、お茶?」
そこで、ふっと、解決策の糸口が浮かぶ。
(カップの中、お茶、角砂糖、入れると混ざり溶け合う。カップは器、お茶は中身。砂糖はお茶とは違うが、混ざれば見栄えの変わらぬ、お茶。う~ん、つまり……)
俺は茶の入ったポットを手に取った状態で制止し、ふむふむと考え込む。
そんな頭を悩ます姿が気になったようで、旦那様が尋ねてきた。
「何かいいアイデアでも浮かんだのかい?」
「そうですね~、う~ん」
「他に質問があれば、答えるが」
「いえ、十分です」
「だろうな。ややこしい問題だからな」
旦那様は諦めたような口調で、椅子の背もたれに深く背を預けた。
しかし、俺の次の一言で預けた背をすぐに返すことになる。
「あのですね、たぶんなんとかなるかも……」
「え……ほ、本当かね!?」
「ええ、まぁ、自信ないけど」
「構わない、言ってみたまえっ」
「えっとですね」
俺はカップを一つ取り出して、お茶を注ぐ。
そして、そこに角砂糖を一つ放り込んだ。
「お茶はクエイク家、角砂糖はコーツ様です」
「……ああ、なるほど。おもしろいっ」
「ま、うまくいくかどうか、旦那様のお力に頼るしかないんですけどね……」
それから、ひと月後。
「ご結婚、おめでとう」
純白の衣装を着た新郎と新婦が、多くの人々から祝福の言葉を浴びている。
新郎の名はコーツ。新婦の名はアリサ。
駆け落ちをしてまで愛を貫こうとした二人は、俺のとあるアイデアで、三家から祝福されながら結婚を認められることになった。
さて、そのアイデアとは……。