覚醒する力
そんなある日、いつもの様に訓練を受けているとペンダントの“霊結晶”が魔力を放出したと同時に砕け散り、同時に意識を失った。
気が付くと部屋のベッドに横たわっていて上体を起こすとシュタイナーが部屋の机で何やら作業しているのが目に入って来た。
「起きたか…どうやらお前の脈は変化を起こし始めている様じゃ。上手く説明できないのじゃが“皇帝草”で完全に解放するより少し違った方法で調整が必用かもしれん」
「どういう事だ?皇帝草を使えばこっちの者と同等に力を扱える様になるんじゃなかったのか? 」
「そこは同じなんじゃが、脈が我々の持つそれに近づいて来たのか、それとも環境に順応したのかは不明じゃが、流れる魔力の量が異常な状態になっている。通常“霊結晶”で放出出来る魔力の量というのはワシやゲルダの様なレベルの者でも扱いには気を使う程の量でな。お前の脈はそれだけの量の魔力を貯め込む様になってきておる。一度違った形で魔力を全て抜く必要がありそうじゃ」
「どういう事だ? 」
「インキュバス系の血をひくお前に何処まで効くかわからん荒療治じゃが、サキュバスの能力で無理矢理吸い出すんじゃよ」
そう言うとシュタイナーは携帯端末で誰かを呼びだした。
暫くすると呼び鈴が鳴り、彼がある者を部屋に招き入れた。
この城でメイドをしている“メアリー・サッチャー”だった。
数カ月も滞在していると使用人の名前と顔を自然に覚えてしまっていたが、彼女には比較的多く身の回りの世話をしてもらっていたので入って来た時の声ですぐにわかった。
普段はメイド服を着ているが今は違う。
それこそ絵画で描かれる“女性悪魔”の様な妖艶な服装であった。
「ご主人様。仰せの通りに、ハンス様に術式を施してしまって宜しいのですね? 」
「細かい事は任せる。インキュバスの血をひいてるから苦労をかけるじゃろうが頼めるかのう」
「お任せ下さい。最大限やってみます」
「では、後は頼む」
そう言うとシュタイナーは部屋を出ていった。
普段見慣れたメイド服姿ではないメアリーを前にするとなんだか変な気分になる。
特に、今のその服装は非常に露出が多く、胸元は特にざっくりと開いていて引き締まった肉体とその軟肌が曝されていた。
普段のメイド服ではある程度は隠されていたが、彼女は引き締まった肉体でも、今にもはちきれんばかりのかなりの巨乳の持ち主で、その様なものをこの服装で堂々と見せ付けられると正直な話、目のやり場に困る。
本来、インキュバスやサキュバスという悪魔は総じて“夢魔”と呼ばれるもので、男性型がインキュバス、女性型がサキュバスで、どちらも性愛を司り快楽的な夢を見させては人間を徹底的に堕落させる。
そして、どちらも人間を誘惑して魅了し、堕落させ、精力を奪うという特徴も併せ持っていた。
だが、メアリーがサキュバスの家系の者だと聞かされてもどうもしっくりこない。
確かに彼女は初めて会った時からどことなく妖艶ではあったが、だからといって伝承にある様なサキュバスの血をひく者だとは思えなかった。
むしろ、エルフ耳であること以外はどう見ても人間の女性で、人間界でいう世界三大美女もかなわない程の美人だ。
それでいて物腰は柔らかくかなり上品で、他のメイドからもその仕事ぶりには定評があった。
それこそいわゆる“完璧秘書”と形容して差し障り無い。
夢魔が持つ“魅了する力”が感じられなかったのはハンス自身がインキュバス系の血をひいているからだろうか?
「ところでメアリー、その恰好は? 」
「言うなれば“戦闘服”の様な物でしょうか?普段のメイド服では急に大きな動きをすると生地が破れたり、フリルが邪魔になったりしてしまいますし、この服装なら私の魔術を最大限の力で扱えます」
「…要するに動き易さ重視にした結果ってことか―」
「何か問題でもございましたでしょうか? 」
「いや…問題は無いんだが、普段と違うと何だか不思議な気分になったってだけだよ…」
「そうでしたか。では、ハンス様。そのまま仰向けに寝てください」
妙な空気感が漂ってはいたがハンスも彼女を信頼していたので言う通りにする。
ベッドに仰向けになると魔術の鎖で身体を拘束された。
「この鎖は一体? 」
「ご安心ください。人間界で精密検査を行う際に身体を固定する為に使う物と同じです」
「放射線照射でもやるのか?単なる固定器具だって言うなら信じるが…」
固定器具とは言っているが、怪しい光を放つその鎖はどう見ても拘束具にしか見えない。
「では、始めます…」
メアリーはそう言うとハンスを囲む形で前後、上下、左右の六方向に魔法陣を展開した。
彼女が呪文を唱えると魔法陣の輝きが増し、身体から何かが抜けていく感覚に襲われた。
注射器で採血する時の様な嫌な感じではなく、疲れを吸いだされる様な感覚で何処となく心地いい。
魔法陣に目を向けると身体から湯気の様な物が抜けて吸い込まれていくのが見て取れた。
段々と意識が不鮮明になっていく中で、彼女が呪文を唱える声だけがこの部屋の静寂を打ち破っていた。
眠りに入りかけた時の様な感覚になっていた時、彼女の息遣いが段々と荒くなっている事に気付いた。
薄れゆく意識の中で目だけで彼女を見ようとしたがそれもままならぬうちに意識が遠のいていった。
どれくらい時間が経っただろうか。
メアリーに揺り起こされて意識を取り戻した。
「ハンス様、お気を確かに…」
激しい運動でもした直後の様な荒い息遣いで彼女は言う。
「俺は多分大丈夫だけど、メアリーは?かなり消耗してるみたいだけど? 」
「いえ、私は大丈夫です。サキュバスの精気吸収の応用でハンス様の体内の魔力を完全に体外に放出したのですが、想像以上に魔力の量が多く、少しばかり苦労しただけですから」
まだ身体は固定されたままだったので目だけで彼女の姿を見ると口で言うのとは真逆で息は荒く汗だくになっていた。
「大丈夫って言うなら信じるけど、まるで激しい運動をした直後みたいなその様子だと相当な力を使ったんじゃないか? 」
「私もまだまだ修行が足りませんわ。弱まっているとはいえハンス様の場合はインキュバスの血が流れている事もあってか、脈を開くまで少々難儀致しました」
「同じ毒を持つ毒蛇同士が咬み付き合っても毒が効かないのと似た様なものか? 」
「例えるならその様なものです。単純な精気吸収でしたらそれをそのまま自身のエネルギーに転換出来るのですが、一度にこれほどの魔力となると転換しきれず、この部屋が現在、ご主人様によって自然魔力が遮断されている状態でも、私の魔術結界に封じ込めるのが限界でした」
「サキュバスの力を持ってしても簡単には抜ききれない程の魔力が貯め込まれてたという事か…」
体内の魔力が全て抜きとられたとしても、それだけの量が体内にあったというこの状況は何とも言えない不安に駆りたてられた。
シュタイナーが言う様に脈が変化したという事なのだろうが、万が一でもラルから聞かされていた様に内部からやられた時に何が起きるのか全く想像がつかない。
そんな事を考えていると
「申し訳ありませんがハンス様、私の魔術で魔力を強制的に体外へ抜きだすという方法を今回取った事で何らかの反動が懸念されますので、明日の朝まで私の魔術鎖でこの部屋に拘束させて頂きます。これもご主人様からの命ですので悪しからず」
「部屋に監禁されるのは構わないけど、このままベッドに縛り付けられるのか? 」
「いえ。その魔術鎖は先ほどの処置を施す際に身体を固定するのに用いりましたが、現在はこの部屋の中であれば伸びる様にしてあります。ただし、ドアや窓枠など、外部に繋がる場所に近付くと強制的にこのベッドまで引き戻されますので悪しからず」
「つまり念のため監禁されるが、室内の移動は自由だからトイレなどの心配は無いってことだな」
「ざっくりと言うとそうなります。魔術鎖自体に質量は無いので身体的な負荷は皆無かと存じます」
「随分便利な魔法だな。相当魔力を消費するんじゃないか? 」
「いえ、これは基礎的な魔術ですし、完成させればそれ以降の魔力の消費はございません」
「で、監禁中俺はどうしてればいい?」
「部屋から出なければ特に何もしなくて大丈夫です。それからこれを」
そう言いながらメアリーは何やら不思議な材質の指輪を手渡してきた。
「これは? 」
「私の魔術鎖で部屋に拘束させていただくと言う事ですので、この指輪を着けて頂いても宜しいですか?何らかの異常があればこれと紐付けされた物に即座に伝達されます。私以外では上席のハユハとご主人様夫妻が所持しておりますので」
「なるほどね。魔術を施したメアリーが持ってる事はまぁ当然として、ひいじいさん達と使用人のトップしか持たないって事は、こいつが何らかの異常を感知するのはそれなりの事態だって事かな? 」
「そう考えていただいても構いませんが、病院のナースコール程度だとお思い下されば幸いです」
「俺にこういう権限があるかはわからんけど、メアリー。今日はかなり消耗してるだろうから休んだ方が良いんじゃないか? 」
「お気遣い感謝いたします。しかし―」
「休むのも仕事のうちだよ。その服装で来たって事はさっきの魔術は普段のメイド服では出来ない事だったんだろう?作業に合った服装ってのは常識的な話だしね。俺からひいじいさんに休めるように頼んどくよ」
「なんとお優しいお言葉…この城に仕えさせて頂けた事は本当に幸せです…この城に仕える様になってからというもの、私の人生は大きく変わりました…」
目を向けるとメアリーは涙を浮かべ、俯いていた。
「一体どうしたんだ?俺でよければ話は聞くけど…」
彼女の身の上話を聞くとハユハにスカウトされてこの城でメイドを始めるまでの間、彼女は人間界で言う医者として働いており腕はかなり評判だったが、サキュバスというその出自で冷遇される事も多かったそうだ。
夢魔というのは精力を奪ったり快楽に溺れさせて堕落させたりする程度の下級悪魔だというのが人間界のイメージにあるが、それは夢魔というものが、人間界の南アフリカで1948年から1994年まで行われていたアパルトヘイト政策の様に、この世界でサキュバスが差別対象にされた時代が過去にあり、それが撤廃されてから数千年を経た現代のこの世界にあって、それ故に苦労をしていたという。
こっちの世界の文明が人間界のそれより1,000年は進んでいるとシュタイナーから聞かされてはいたが、それでもそういう下衆な部分が払拭し切れていないという話を聞かされると人間界で“差別撤廃条約”などがいくら作られても人種差別やら何やらが無くならないのは、人間界で出自による差別が存在する様にこの世界でも、まだそういうものが所々に存在しているという話を聞かされた事で呆れかえってしまい、逆に人間界ではそういう差別が無くなる事はかなり先の話になるだろうと思えた。
彼女の身の上話を聞いているハンスにも夢魔の系統の血が僅かとはいえ流れているからかそんな下劣な思想がある事に嫌悪感を覚えていた。
この“ティルピッツ城”の使用人はハユハの様に元からシュタイナーを慕って来た者達以外は種族や出自に関わらず、能力のある者をハユハがその責任の下で集めてきたのだという。
ハンスを魔術鎖で拘束しているが、涙ながらに話す彼女の姿を見るに、この拘束は止むを得ずに施された物だと改めて認識した。
話を終え、メアリーが部屋から出ていくのを確認するとキャビネットから連絡先の記載されたファイルを取り出しシュタイナーの番号に繋いだ。
ここに来て数カ月、特にこちらから用事は無かったし、何かあれば誰かしらが直接部屋に来る為、こちらから連絡する様な事は無かったので、このファイルに目を通すのは二度目になる。
「どうしたハンス。お前から連絡があるとは初めてじゃな。急に何か必用な物でも―」
「いや。そういう事じゃない。メアリーが魔術で俺の体内から魔力を全て抜き取る事には成功した様だけど、彼女、だいぶ消耗してるみたいだから今日はもう休ませてあげてくれないか」
「ふっ…お前ならそう言うと思ってたよ。もうハユハにもそう伝えてあるから大丈夫じゃろう」
「またお見通しってか…」
「なぁに。お前は母親によく似てやさしいからな。父親譲りかも知れぬが、観察眼の強さはゲルダも驚いていたよ」
「そっか」
「そうそう。聞いてるとは思うがその部屋はワシの魔術で自然魔力が遮断されているから魔力を動力にした機械の類は内部に蓄えた魔力で動いているから魔力切れで動かなくならない様に気を付けるのじゃぞ」
「要するに電気が通じなくなって家電をバッテリーで動かしてる様なものか? 」
「人間の常識で言えばそういうことじゃな。まぁ一晩だけじゃから大丈夫じゃろうが、必用そうな物は適当に用意して夕食と共に転送魔術で送る」
「わかった」
通話を終えて端末の画面を見るとバッテリー残量を表示するアイコンが少し減っている事に気付く。
今までは携帯端末をはめ込んでいたこの機械が自然魔力で電力を供給していた為、充電が切れる心配は無かったが、自然魔力が遮断されたこの部屋ではそういうわけにいかない様だ。
もっとも、一日位なら余程使い込まない限り、バッテリーの充電が切れる心配は無さそうだった。
しばらく待つと夕食と共に小包が転送されてきた。
冷めないうちに手早く夕食を済ませ、食器を動いていない洗浄機の様な箱に入れると、小包を開けた。
その中には、1ガロン容器の飲料水に加えて小分けにされたインスタントのコーヒーにスティックシュガーとクリーミングパウダー、オートバイ用のバッテリーを改造して作られた携帯端末の充電器やその他人間界ではキャンプや非常時に使う様な物と煙草が一箱入っていた。
充電器として使う目的で改造されてはいたが、オートバイ用のバッテリーにしても他の物にしても人間界で広く流通している物でそれぞれメーカーのロゴがプリントされていたので、人間界のホームセンターで揃えた様に思えて仕方ない。
もっとも、シュタイナーの職業を考えたら、使用人を人間界に送ってそれらの品を入手する事など造作も無いのだろうが、数カ月ぶりに人間界の物を手にすると、いかにこの世界が便利だったかという事を実感させられる。
一先ず、包みに入っていた1ガロン容器の水を小さなケトルで沸騰させてインスタントコーヒーを使い捨ての紙カップに淹れ、それを片手に煙草を一服した。
部屋のテレビ等が使えず暇を持て余していたが、携帯端末のバッテリーが切れる心配から解放されたので暇つぶしに携帯端末にインストールしておいたゲームアプリを起動させしばらく遊び、適当にシャワーを浴びて充電器に端末を繋いでベッドに入った。
体内の魔力が空になり部屋が自然魔力から遮断されていた事もあってか、灰皿の吸殻や使用済みの紙カップをゴミ箱に入れても消えなかったし、何処となく人間界で生活していた時の感覚が思い出された。
安堵感からすぐに眠りに就いていて気付いた時には朝になっており、携帯端末の着信音で目を覚ました。
出て見ると電話を掛けてきたのはメアリーであった。
「おはようございます。ハンス様。呼び鈴が使えないのでこちらに掛けさせていただきましたが、お部屋に入っても宜しいですか? 」
着替えすらしていなかったが、魔術鎖でドアに近付けなかった事もあって鍵は開けたままにしていたのでそのまま入る様に伝えた。
「おはようメアリー。昨日は大変だったと思うけど、よく休めたかい? 」
「えぇ。お陰さまでこの通りですわ」
活き活きとした様子でメアリーは答えた。
昨日とは違っていつものメイド服に身を包んでいたが、何やら袋を携えていた。
中身が気になる所だがそれについての説明は彼女からされるまで触れないでおこう。
「直接来たって事は鎖を外すのかな? 」
「はい。この程度の魔術でしたら基礎的な魔術を習得している者であれば、簡単に解除出来ますが、私が施した以上、責任をもって外させていただきます」
彼女が生真面目な性格なのは何となく把握していたが、この口ぶりからして責任感も強い様だ。
昨日、メアリーが部屋を出た後の魔術鎖はドアや窓などの外部と繋がる場所に近付かない限りは形を潜めていて目には見えなくなっていたが、彼女が触れると姿を現し、特に呪文を唱えたりするわけでもなく、簡単に外れた。
「すぐに身支度整えるから、そこの椅子に座って待ってて」
「お気遣いありがとうございます」
彼女にとっては待たされる事も仕事の範疇だろうが、あまり待たせるのはハンス個人の気持ち的に良くなかったので、着替えを持ってバスルームに行き手早く身支度を整えた。
「お待たせ」
「いえ、大丈夫ですわ。それからこれを服の上から着てください」
メアリーが袋から取り出したそれは害虫駆除業者の者が着る防護服さながらの物で、そういう事以外でこれを着て出歩いては不審者以外の何者でもないだろう。
恐らくは自然魔力を遮断する為の物なのだろう。
「これは? 」
「自然魔力を遮断する為の防護服です。口の部分は防護マスクの様に簡単に外せる様になっていますが、この部屋から出ましたら必用時以外は外さないでください」
「わかった」
「では食堂に参りましょう。ご主人様達がお待ちです」
メアリーと共に食堂に向かうが、防護服のせいで少々動き辛い。
鉄の甲冑や軍や警察で使われるボディーアーマーに比べたら軽量だし、可動範囲も広いだけマシではあるが、完全に頭を覆われている事で視界は狭まっていた。
食堂の椅子に座ると尻のあたりはごわごわしていて座り心地も悪かった。
「おはようハンス。よく眠れたかな?防護服の具合はどうじゃ? 」
「正直、あまり良いとは言えない」
「まぁ、仕方ないじゃろう」
「これじゃあ食事もままならないんじゃないか?別に構わないけど」
「それなら心配ない。お前の席を中心に周囲1mの範囲で結界をはってある。その中でならヘルメットは外して大丈夫じゃよ」
言われるがままに首のファスナーを開けてヘルメットを外した。
先ほどまで視界が制限されていたからか部屋が明るく感じる。
「とりあえず一晩何事も無かったので荒療治は成功した様じゃな。じゃが、そのままではまた同じ事の繰り返しになっても不思議はない。まだ皇帝草を使うには抵抗があるじゃろうからとりあえず対症療法的にワシが作ったこの丸薬を飲んではくれまいか? 」
「一体何の薬だ?皇帝草以外でこっちの者の血を解放する薬か何かって事くらいは想像出来るが―」
「皇帝草が血の持つ力を永久に解放する物だとしたら、一時的にその状態を再現する丸薬だと考えてくれるとわかりやすかろう。効果はおおよそ30時間じゃから一錠飲めばその間は自然魔力や霊力の影響で身体に異変が出る事は無い」
「ソイツは皇帝草程の効力は無いがアタシからも勧めさせて貰うよ」
「効果時間内なら防護服を着なくて済むなら二人に騙されたと思って飲んでみるよ」
そう言うとハンスは小瓶の中の丸薬を取り出し、水で流しこんだ。
丸薬を呑みこむとすぐに効果が出たのか、身体に何とも言えない不思議な感覚が駆け巡る。
まるで体内で何かが解放されたかの様な不思議な感覚だ。
驚きから言葉を失ったが、その感覚はさほど時間をかけずに収束した。
「どうやら効いた様じゃな。その入れ物は常に携帯しておけ。さて、一先ず食事にしようか」
シュタイナーが言う様に効いているなら防護服などが不要になりそうだ。
とにかくどうなるかは不明だが食事に手を付けた。
ゲルダが作る食事はいつも美味いのだが、防護服が邪魔であまり味に集中できずに食事を済ませる。
「とりあえず防護服を脱いだらいつもの場所においで。今日はアタシの仕事に付き合ってもらうからネ」
仕事の内容が何であるか疑問は多いが、今までのゲルダの行動からして付いて行っても問題は無いだろう。
部屋に戻り防護服を脱いで身支度を済ませ、いつもの場所に向かった。
到着すると既にゲルダが待っていたのだが、その服装はいつもと違った。
いつも訓練の時は運動着の様な服装なのだが、今、目の前にいる彼女が着ているのは戦闘服の様で本物の剣を携えていた。
「やっと来たか。お前もコイツらを装備しな」
そう言うと完全体になった“破魔刀”と共に銃剣と自動小銃に二丁の自動拳銃を渡してきた。
「出発前に“魔弾”の撃ち方を教えておかないといけないネ。今のお前は力が解放されてる筈だから造作も無い事だろうけど」
そう言うと彼女はハンスの後ろに回り込み、使い方の手ほどき始めた。
「銃剣は“破魔刀”と同じ素材で出来てるが自動的に魔力を吸う様な細工はしていないが使い方は人間界のそれと同じサ。銃に関しても基本的な使い方は人間界の物と同じだけど“魔弾”を使う。“魔弾”というのは魔力をこの銃の弾倉に魔力を流し込んで精製する物で、人間の使う銃弾と違って、こちらの者には凶器だ。魔力で精製する以上お前の流し込む魔力が無くならない限りは弾切れの心配は無い。魔力の注入のイメージだが弾倉に弾が装填されているというイメージをまず持て。それで人間界の銃と同じ使い方で撃てば魔弾が撃てる筈サ。試しにその自動小銃をセミオートであの空の植木鉢を撃ってみな」
言われるままに自動小銃を構え植木鉢を狙い引き金を引く。
甲高い発射音と撃発の反動と共に曳光弾の様に光る弾丸が銃口から放たれた。
魔弾は見事に植木鉢を貫き粉々に粉砕した。
「なかなかじゃないか。これなら心配は無さそうだネ」
「銃なんて一体どこで使うんだ?破魔刀でもそれなりに離れた相手を斬れる筈だけど? 」
「まぁ、アタシらみたいに直接魔力の飛び道具が使えりゃそんなもんいらないんだけどネ。一時的に力を解放したとは言ってもお前はまだ魔力のコントロールが出来ないからこういうものが必用なのは仕方ないサ。それじゃあ行くとしようか」
そう言うとゲルダは魔法陣を展開し、周囲を光が包みこんだ。
光に目を閉じ、再び開いた次の瞬間、見た事も無い異空間の様な場所にいた。
そこは通常の空間とは異なる世界で禍々しく黒く光る多角柱が鍾乳石の様に何処かしこにそびえていた。
「ここは? 」
「人間界との境界サ」
「境目ってこんな禍々しい場所なのか…」
「それよりアレを見てみな」
ハンスの言葉など意に介さずにゲルダが何やら遠方を指し示す。
「何か動く物は辛うじて見えるけど一体? 」
「そうか、一時的に力を解放したとは言っても魔術は教えていなかったネ。コイツで見てみな」
そう言うと彼女は狙撃手のサポートを行うスポッターと呼ばれる観測手が使う様な無骨な単眼鏡を手渡してきた。
それで彼女が指差した先を見ると、そこには異形の者達が動いていた。
「アイツらは? 」
「脱獄した死刑囚サ。お前を呼んだ日の事は覚えてるかい? 」
「まぁ。なんとなく」
「実はあの数日前に集団脱獄があってネ。ヴォルフガング配下の兵士が総動員されててその関係で執務室が書類の山になってたんだよ。まぁその甲斐あって99.99%の脱獄者は再び収監出来たが、取り逃がした0.01%がなかなか見つからなかったのサ。」
「その0.01%がアイツらだって言うわけか」
「ご名答。本来ならヴォルフガング配下の兵がやる仕事なんだが、アレっぱっかだからアタシ独りで充分だし、お前がこの先人間界でそういう連中とやり合う予行練習に丁度いい。死刑囚だから生死は問わないしネ」
「まぁ。人間の姿じゃないから躊躇せずに撃てそうだけど、どうするつもりだ? 」
「ここからの距離は300m。そいでこの自動小銃の有効射程は通常の弾薬で600m。相手は5人サ。」
「つまり狙撃で片づけろって事か…」
単眼鏡を覗きながら話しているうちにゲルダは自動小銃の銃口にサウンドサプレッサーを嵌め、上部に狙撃用のスコープとレーザーポインターをセットしていた。
「大雑把な調整だが無いより良いだろう」
そう言うと自動小銃をハンスに手渡す。
「これでやれってか」
意を決して自動小銃を構え、スコープを覗き込む。
スコープ上に示される十字線の中心とレーザーの点が重なるタイミングを見計らうと先ほど植木鉢を撃ち抜いた感覚を思い出しながら魔弾を放つ為に引き金を引いた。
サウンドサプレッサーのお陰で音こそしなかったが、少々魔力を多く注入したのか反動が凄まじく、一撃で魔弾がターゲットの肉体を貫いた。
撃たれた者はその場で灰とも砂ともわからぬ様な状態となり、消えて無くなっていた。
その光景に周りの者達が慌ただしく警戒し始めた。
「あと4人だネ。“生死は問わない”とは言ったけど、ちょいと威力がえげつないネ」
「まだ上手くコントロール出来ないんだから仕留め損ねるよりいいだろ…」
「まぁ、そうだネ。警戒してる今のうちに仕留めないとアイツらが人間界に行っちまうよ」
仕留め損ねてゲルダの言う様に人間界に行って悪さをされては寝覚めが悪いのですぐに構えなおし、狙いを定める。
ぶっつけ本番という事もあって一撃の威力が安定せず、5人中4人は文字通りの一撃必殺という結果で、最後の1人はわざとずらして撃ち、生かしたまま倒す事ができた。
ゲルダと共にその“最後の1人”に素早く近付いた。
念のために銃口を向けながら至近距離まで近付くと思いがけない反撃を受けた。
ゲルダから近接格闘術などを叩き込まれていた為に辛うじて回避出来たが、自動小銃が真っ二つに斬られてしまった。
とっさの判断で“破魔刀”を抜き応戦するが、手負いでありながら相手はかなり手強く、何度か打ち合う事になった。
一時的に力を解放しているし、現役の教官から鍛えられているとは言っても所詮はクォーターであるハンスにしてみれば異界の者の力は凄まじく受け止めた際によろめき、窮地に立たされた。
(殺られる…)
そう思った瞬間、閃光が走り、目の前の敵を薙ぎ払った。
「まったく…手負いの相手にこれじゃあまだまだだネ」
どうやらゲルダが見かねて手を出した様だ。
先ほどまでハンスに襲いかかっていた者はゲルダによって完全に捕縛されていたが、その捕縛に使われていたのはメアリーの“魔術鎖”とは全く違う。
光のリングの様な物で全身を固め、四方に光の線が延びてその先は光の杭で固定されていた。
「さて。コイツを収監してとっとと城に帰るかネ。その銃の残骸をここに拾っておいで」
捕縛した者は転送魔法でどこかに飛ばされていったので、言われるがまま真っ二つになった自動小銃を持って行くと、その場でゲルダが分子レベルまで分解した。
移動魔法で城に帰るとシュタイナー達が出迎えに来ていた。
「ゲルダ、ハンスの実戦はどうじゃったかな? 」
「どうもこうも及第点は付けられないネ。まぁぶっつけ本番で威力過多な魔弾を撃ったのにはアタシも驚いたが、力のコントロールがまだまだ出来てない」
「そうか…。で、ハンス。お前はどう思った? 」
「どうもこうもないよ。いきなり訳も解らずにやらされて何が何だかわからないってのが正直なところだ」
「そうじゃろうな。一時的に解放したのは良いが扱いきれておらんじゃろう」
「一時的に丸薬で引き出した力があれだけのモノなら皇帝草を使えば完全に扱えるようになるのか? 」
「もちろんじゃ。そこはワシに任せるがよい」
一時的に引き出した物とは言えかなりの力が発揮出来た事はハンス自身かなり驚いていたし、実際に生きるか死ぬかの戦いを異界の者と経験した事でハンスの考えは変わっていた。
相手が人間だったら銃の引き金は引けなかっただろうし仮に引けたとしても“人を殺した”という感覚が彼の心理を支配していただろう。
初めて撃った相手が異形の者であり、かつ“死刑囚”だったのはシュタイナー夫妻の計略かもしれない。
人間界でも死刑執行官が“殺人者”とならない根拠に『死刑囚は人ではなく、法に因って殺されたものとする』というものがあるのでそう言う部分で心理的負担は避ける事を狙ったのだろう。
その日は他に変わった事も無く一日が過ぎていった。
丸薬の効果で自然魔力の異常吸収の心配は無くなっていたし、指輪があれば何かあってもすぐに対処出来るので、部屋に施されていた魔術は解除された。
皇帝草から薬を作るのに暫く時間が必要だった様でその間は毎朝丸薬を呑み、ゲルダによる身体訓練に加えて魔術指南も行われる様になっていた。
丸薬の効果は一時的な物だとは言っても継続して投与される事で効果が切れる事は無く、お陰でこちらの世界の環境に適応していた。
だが、それはあくまでも丸薬の効果での事であって完全とは言い難く、必要となれば再びメアリーの力を借りる事になりそうだった。
だが、丸薬の効果で脈が再び変化したのか皇帝草の使用に至るまでの間、何事も無く時間が過ぎていた。
皇帝草の薬が完成し、使用する際にはかなりの慎重を要したのか、投与する前に再びメアリーによる魔力の強制排出が行われた。
前回と違って彼女も腕を上げていたし、魔力を大量に蓄えていたわけでは無かった上、一度脈を開く事に成功していた事もあってかその表情には余裕さえあった。
そして、投与した事で万が一にも暴走した時に備えて自然魔力は遮断された上でゲルダによってかなりきつくベッドに拘束される事になった。
錠剤を水で飲み込み仰向けになると二重にも三重にも光のリングが身体に巻かれて暫く経つと効果が出てきたのか、身体が熱くなり鼓動が激しくなる。
これが完全な力を引き出すという事なのか、身体の中で何かが暴れ出す様な感覚に襲われる。
身体が熱くなり激しい鼓動と体内で暴れる何かの影響で意識を保つ事が精いっぱいの状況に陥っていて、いつしか声にならない声を発していた。
複数の魔術で拘束されていなければ、激しい痙攣を通り越して飛び跳ねていたかも知れない。
辛うじて留めた意識の中、ゲルダの方に目を向けると人間の姿ではなく本来の姿を曝け出して魔術の拘束が外れない様に必死の形相をしていた。
実際問題、ハンスの力が完全な物になるまで持つかかなり際どかったそうだ。
その様な状況ではどれくらい時間がかかったかというのは誰も気にする余裕など存在せず、薬を精製したシュタイナー本人も自然魔力を遮断する術が破られない様にするので手いっぱいだったと語っていた。
その様な状況が暫く続いたかと思うとハンスに起こった反応は突然納まった。
そして同時にハンスは気を失ったが、その肉体に大幅な変化が起こっていた。
筋肉量は増加し、骨の強度は鋼を上回り、皮膚も生物の物とは思えない程になっていた。
「…どうやら成功した様じゃな…」
シュタイナーがそう呟くと同時にその場にいた誰もが安堵し、ゲルダの拘束魔術の光のリングが弾けて消えた。
リングが消えたのと同時にシュタイナーも術を解く。
すると、自然魔力が一気にハンスの肉体に吸収されていく様子がはっきりと観測された。
だが、吸収だけでなく呼吸するかの様に大量の自然魔力の吸収と排出が繰り返され、ハンスの周囲には魔力の霧がいつの間にか発生していた。
これだけの魔力を呼吸するように肉体が勝手に扱っているのはシュタイナーの想像を超えていたらしい。
ハンスが目覚めるまでは、まだまだ余裕があったメアリーが様子を観察するという事で各自が自室に戻っていった。
窓から入る月明かりにハンスが目覚めるとベッドのそばでメアリーが色々と記録を取っていた
元々が人間界の医者の様な仕事をしていたからかなのだろうか?
「…メアリー?…」
「お目覚めですかハンス様、お加減はいかがでしょうか? 」
「なんだか身体が重い…まるで石でも乗せられてる様だ…」
「恐らく急激な変化にまだ慣れていないのでしょう」
「単純にそれだけだと良いが…」
「身動きは取れそうですか? 」
「今はまだ…」
「そうですか。一先ず栄養剤の点滴を行います」
「あぁ。お願いするよ…」
「はい」
目だけ動かして様子を見ると、すぐに準備にかかるその姿は人間界の医者そのもので実に手際が良い。
だが、ハンスの腕の血管を探り、針を刺そうとした時にハンスの肉体の変化がはっきり現れた。
点滴用の針が刺さらないどころか、皮膚に弾かれて折れてしまった。
人間用の針なら未だしも、この世界の者が使う医療器具は人間界の物とは異なる素材で作られており、そう簡単に折れる様な代物ではない。
それでも、彼女の反応は冷静で、すぐに代わりの針を用意すると、今度は針を刺す前に魔術を施した。
呪文自体聞き取れなかったし、何処に魔術を施したのか見えなかったが、針を強化したのか、それとも皮膚に魔術を施したのかは不明であるが、痛みも無くすんなりと今度は刺さった。
点滴のお陰か少し落ち着いてきた。
栄養剤だという事だが、鎮静剤でも混ざっているかの様な効き目である。
点滴の効果なのかかなり身体が落ち着きを取り戻していた。
そもそも動けるだけの気力はなかったが彼女の鎖に繋がれた身体では何かしでかす事もないだろう。
メアリーに対しては漠然としてではあるが、不思議な信頼感が何故かあった。
それは、彼女の身の上話を聞かされるより前からのもので、彼女の行動がそう思わせたのか、それとも彼女がサキュバスで俺にはインキュバスの血が流れているからなのか。
人間界でも純粋なその人種と一部その血をひく別の者は打ち解けやすい場合とそうでない場合があるが、後者は差別主義者の場合にのみ多分にみられるものでしかない。
差別主義者を除いての話にはなるが、例えばアジア人とヨーロッパ人の間に生まれた者は両者の中間であるからか純粋なアジア人とも、純粋なヨーロッパ人とも良い関係になる事は多分にあった。
俺が純粋なインキュバスではないにしても同じ“夢魔”である彼女に親しみを感じたのはそういう理由があっての事なのかも知れない。
落ち着きを取り戻したからかまた意識が遠くなっていた。
どれ程意識を失っていたかは定かではないものの、しばらくして目が覚めると点滴と鎖は外されていて、窓を見ると外は既に明るくなっていた。
鎖が外されているのはもう何かしらの心配が無くなったという事なのだろうか?
ただ、部屋を見渡してもメアリーの姿は見当たらなかった。
重たい身体を無理矢理起こして通信端末を探す。
今の状況が一切わからない以上、誰かに説明を求める他ないのは言うまでもない話だし、指輪は何か異常を察知しなければ反応しないために、この場合は役にたなかった。
端末を起動させると空中投影された画面に伝言文が表示された。
―――
ハンス。
このメッセージを見ているという事は気がついたという事じゃな。
お前が長い眠りに入ってから3日後、各地に潜んでいた人間の言葉で言う“マフィア”の様な者達が一気に集結して大規模な反乱が発生し、鎮圧の為にワシらも総動員での出動を余儀なくされた。
帰るまで何も無い事を祈るが、数名残して城を空ける事になるから城が襲われた時はお前が守ってくれ。
魔術は使えなくとも、今のお前の力であれば凌げる筈じゃ。
それから、必用に応じて武器庫の中の物は全て自由に使って構わない。
これを読んだら一先ず次の番号に繋いでくれ。
“XXX-XXXX-XXXX”
以上。
ヴォルフガング・シュタイナー
―――
この文章を読む限り少なくとも俺は3日以上眠っていた事になる。
それも含めて今は状況がどういう事になってるのか一切不明なので、とにかく記されていた連絡先に繋ぐ事にした。
繋がるとその相手は聞き覚えの無い声だったが、ろくに動けない状態である事を伝え、部屋に来てもらえるように頼んだ。
暫くすると呼び鈴が鳴ったのでそのまま部屋に入って来るように伝えた。
姿を見て通話相手が城の清掃を主にしている“キャサリン・ガロア”であった事に気付く。
その業務故に彼女とはあまり関わる事が無かったし、今は緊急時の為に特殊な回線で通話した為、音声に乱れが生じていたという。
とにかく今はどういう状況なのか一切が不明なので彼女にシュタイナーからの伝言を見せながら説明を求めた。
「わざわざ呼び出してすまないね、キャサリン。この伝言は一体どういう事かわかる? 」
「ここにも記述がありますが、6日前に突然、武装集団によって大規模な反乱が引き起こされました。人間界から見て“魔界”とか“天界”と呼ばれるどちらにからもその反乱に参加しており、規模は数千万とも言われています。天界と魔界の軍を合わせた統合軍が総動員されても尚、鎮圧には至らず、現在も交戦状態にあります。要請を請けたご主人様も配下の兵も全て動員され、現地に向かう事になりました。元々この城で働いている者の多くは同僚のメアリー・サッチャーを含めて予備役の者です」
「メアリーが?ハユハにスカウトされてメイドやってるって聞いてたけど…」
「いえ。家令のハユハがスカウトしたという事は間違いではありませんが、予備役の者からこの城の使用人を多く選抜したと言った方がより正確かと存じます。もっとも、私はただの掃除婦過ぎませんし、現在城に残っているのは私の様な専門職の者だけです」
「なるほどね。庭師みたいな男手はやたらゴツい体格してたのもそう言う理屈ならなっとくだよ。それより“ただの掃除婦”とは言っても、キャサリンはこれだけの城の清掃業務をやってるんだから“掃除のプロ”なんじゃないか? 」
「そこは主観ですので私の口からは何も…」
「そっか。で、悪いんだけど今残ってる者で“医療魔術?”使える者はいる? 」
「それでしたら一応、私もある程度のモノは習得していますのでご心配なく。メアリーからハンス様が目覚めたら回復魔術を施すようにひきついでおりますので。あと、炊事場には簡単な食事の準備をするように伝えたので、施術が終わり次第こちらに転送される算段です」
「随分と手際が良いな。まぁとりあえず動けないのは困るから施術をお願い出来るかな? 」
「はい。では、始めさせていただきます」
そう言うとキャサリンはハンスの身体に手を翳し、手から淡い光を出した。
どうやら人間界でいう鍼灸治療の様なものだそうで、施術が終わる頃にはかなり楽になっていた。
施術中にキャサリンから事の詳細を改めて聞いた限りでは、武装蜂起と言うより完全に戦争状態に突入した様で、かなり入念な準備がなされていたのか、数で勝る統合軍が戦火の拡大を食い止めるだけで精一杯になっているらしい。
腹が減っては何とやらとはいうので転送されてきた食事に手をつけ、無理矢理でも胃に入れたが、そんな状態にあると聞くと全く味がしなかった。
一先ずは動ける様にはなっていたが、この城が万一にも襲われた場合、まともな戦力はハンスだけであるというのは冗談にも程がある。
シュタイナーの伝言文には武器庫の中の物は好きに使って良いとあったので、とりあえずキャサリンに案内を頼んだ。
城の掃除を担当しているキャサリンは城主と同じくらい城の内部には詳しく、近道の隠し扉の位置すら把握していた。
普段はあまり使われない隠し通路も内部も綺麗に掃除されていて、彼女の仕事ぶりに驚かされる。
武器庫に着き扉を開けると、様々な武器が所狭しとひしめき合っていた。
「今、城に残ってる者で武器を扱える者は? 」
「狩猟程度の使用であれば全員大丈夫かと」
「なら猟銃を全員に。万が一にもここが襲撃された時に1人でも多く生き延びる為だ。狩猟で魔弾が撃てるなら襲撃者から逃げる為の威嚇射撃くらいはできるだろう」
「仰せのままに」
ハンス自身も万が一の事態に備え、完成していた“破魔刀”とは別に、サブマシンガン等を手に取り装備した。
部屋に戻った後、城内の隠し通路等の見取り図をキャサリンに用意してもらいすぐに動けるように準備をした。
緊迫した状況なのはキャサリンの施術を受けて部屋を出た時から城内の空気で何となく察していたが、部屋のテレビからもたらされる情報は今の状況がかなり危険だという事を物語っていた。
―――このまま何も起きなければいい―――
そんな願いなど虚しく、目覚めてから3日目に事件は起きた。
城の裏手が何者かの攻撃を受けその轟音に城内は騒然としていた。
幸い、この城の城壁はかなり頑丈で設計上は核の直撃にも耐えうる程だというが、攻城兵器によるものかどうかは別にして、一刻も早く何とかせねばならなかった。
攻撃を受けた場所が見える塔に登り息を潜めて塔に設けられた穴から被害状況を確認すると壁が焦げ付いただけで傷一つ見当たらなかった。
だが、安心したのもつかの間で、襲撃者が目前に迫って来ているのがすぐに確認出来た。
塔から城内の者たちに一斉に状況を伝え、万が一侵入を許しても被害を最小限にするべく、一か所に集まる様に指示を出し、穴から小銃で襲撃者を狙う。
前にゲルダに教わった魔弾の撃ち方は身体が覚えていたので難なく撃てたのだが、その威力は以前の数十倍になるだろうか?
ハンス自身は魔力を抑えているつもりでも、かなり強烈な一撃になっていた。
襲撃者が乗っていた古代ギリシャの戦車にも似た形の乗り物の運転手の頭を狙って撃てば、それごと魔弾で灰燼に帰していた。
それこそフルオート射撃の要領で引き金を引き続けると、その様相は銃口からレーザービームが放たれて一気に薙ぎ払われたかのようであり、撃ち出しているハンス自身ですら、その威力には恐怖を覚えた程に強力で、数分の間に襲撃者の半数以上を壊滅させていた。
結果的に襲撃者を返り討ちにして城を守れたのだが、その手には自身の解放された“力”の恐ろしさが感触に残るという事態になっていた。
襲撃者が現れたという事はそれだけ事態が緊迫してきたという事に他ならず、それ以降は強力な魔術防壁が施され、外からの攻撃はもとより中からも何も出来ない状態になっていた見張り塔に交代で見張りに就き24時間体制で警戒する事を余儀なくされた。
だが、襲撃者を返り討ちにしてから数日、事態は一気に急転した。
事態を収拾させるべく今回限りの使用で“災い滅ぼす紺碧の炎”という人間界でいう核兵器に当たる究極超兵器が投入されたという事なのだという情報はあったのだが、その破壊力で反乱分子を一掃するという作戦が行われたという事だという。
詳しい話は不明ではあるが、核兵器に相当する兵器でも汚染物質は一切出ない物ではあるがその破壊力から新規製造はされていない物で、その全ては天界と魔界のどちらにも属さない独立機関に保管されている物らしい。
だが、反乱分子に対しての一掃作戦で最終手段が取られたという事はそれだけ危機的な状況だったのだろう。
反乱の事後処理は統合軍に一任された為、最終決着が着くとすぐに、シュタイナー達は城に戻って来た。
決着が着き事後処理は統合軍任せになったとは言っても反乱分子が完全に一掃されるというのは不可能と言える。
一気に殲滅したとしても何処かに逃げ延びた者は少なからずいるだろうし、下手をすれば人間界に紛れこんで行った事は想像に容易い。
事態が収拾してから数日経った頃、ハンスは再びゲルダとの力試しを命じられた。
初めての時とは異なり今は力が完全に解放されていたので、この世界では事実上最強とされるゲルダを相手にしても、それなりの立ち振る舞いで対処出来ていた。
だが、最強の称号は伊達ではなく、本気を出してもまだ力及ばずといった結果に終わった。
そして、力のコントロールが順調に馴染んできた頃合いで、シュタイナーの協力者として人間界に流入し、悪事働く者を狩る“トイフェル・イェーガー(悪魔狩人)”として活動する事になり人間界に帰還した
―――この出来事がハンスの裏稼業を始めるきっかけとなっていた。―――