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異世界にて

 ―――満月の夜は良い。

 普段は街灯も無く、夜闇に包まれる裏路地のアスファルトも月明かりに照らされてまるで水を得たような様相を呈している。

 経験則だが、こんな夜はだいたい何かしら起こる。―――

 

 ダウンタウンの路地裏の古びた事務所で男はテイクアウトしてきた大きなハンバーガーとポテトにコーラのLセット2つに舌鼓をうちながら男はそう物思いにふけっていた。

「やっぱり無料で増やせるだけピクルスや野菜は増やさないと損だよな。」

 大口でハンバーガーにかぶり付きながら損得勘定で独り言が漏れてしまう。

 二つ目のハンバーガーに手をつけようとした時、電話が鳴った。

 電話の主は錯乱状態で助けを求める様な口振りで仕事依頼をしてくるのだが“紹介者”の名前も無ければ“合言葉”も無い。

 そうなるとそれは男が請ける“仕事”ではない。

「それは俺の管轄外だから警察にでも相談してくれ」

 そう言って男は電話を切り、二つ目のハンバーガーに手を付けた。

「また今日も空振りか…」

 ハンバーガーを咀嚼しながらぼやいてしまう。

 男の名は“ハンス・ガーデルマン”表向きは世間一般でいう〈便利屋〉という形で事務所を構えており、昼間は遺品整理から、建屋の解体、家屋のクリーニングまで様々な仕事をしているのだが、彼が請け負う仕事は週に1日程度にしていた。

 昼間の仕事は堅気の仕事であるし、日数を増やす事は安定した収入を得るためには構わないのだが、裏の仕事の方が稼げる事もあってか[あくまでも表向きの肩書]に過ぎない為、その様な仕事の仕方をしている。

 ハンスが行っている裏稼業は基本的に一見さんお断りで、誰かの紹介か“合言葉”を知る者からの頼しか受け付けない。

 彼の裏稼業というのは、いわゆる悪魔狩人とかそういう類いのもので、その背景に、彼が完全な人間ではないという部分がある。

 彼がこの“裏稼業”を始めたきっかけはかなり前に遡る。


―――“完全な人間ではない”―――


 その部分だけ見るといわゆる半妖や改造人間の様にも思えるかもしれないが、ハンスの場合は魔界の一族の血を4分の1だけひいているだけに過ぎず、普通の人間との違いはその程度だけだ。

 ただし『腐っても鯛』という諺が示す様に、魔界の血を4分の1だけひいているからか、普通の人間ならば大怪我する様な状況でもかすり傷で済む事がほとんどだし、交通事故に巻き込まれた時も軽度の負傷だった為に駆けつけた救急隊を驚かせた事もあった。

 それどころか産まれてから一度も骨折は無く、4mはあろうかという高さから落下しても打撲だけだった為、翌日には元通りになっていた。

 肉体的にはかなり頑丈に見えるが、やはり魔族の血は4分の1まで薄まっているが故に、運動能力は並みの人間と大差無く、特段足が速いとかそういう訳でもないし、そういう部分では普通の人間と変わらない。

 逆に4分の1まで薄まっているが故に魔界の人間では触る事すら不可能な銀製品にも問題なく触れる事ができるし、教会や寺社仏閣という場所にも問題なく入る事すら可能だった。

 それ故に、表向きは普通の人間として振る舞う事に苦はなく、むしろ“悪魔狩人”を始める以前は人間社会に完全に溶け込んでいた。

 ただ、やはりハンスも魔界の血をひいているが故に多少の問題は抱えていた。

 近代の人間界でも様々な人種間や血統の混血が産まれているのと同様に魔界でも混血は一般的な話になっている。

 彼の場合も例外ではなく、母方の家系はインキュバス系のものにアスモデウス系などの人間を堕落させるタイプの混血で、父方と言えばべリアルやベルフェゴール系等と言った知略的なタイプの混血の家系で両家の曾祖父母がそれぞれ人間と悪魔だったが故に両親は“悪魔と人間のハーフ”同士だった。

 そのために彼は4分の1悪魔の血をひいている。

 ハンスの場合はべリアルやベルフェゴール系の血が強く遺伝したのか知識欲はかなり多く、一般人が普通に生活していく上では必要ない知識もあるためか、構造さえ理解すれば大半の物は100円ショップの工具で修理出来たりするなど、生活に役立つ部分があったのだが、夢魔と呼ばれる“インキュバス”などの人間の女性を堕落させるタイプの血をひいている故に、彼と深く関わった女性は社会的に堕落してしまう。

 彼はそれを学生時代に実感してからというもの、魔界の血を恨んだが、女性との間には一線を引いて関わる様にして、彼が持つインキュバス系の血の影響を与えない様に気を使う事で問題はクリアしていた。

 ベルフェゴール系の血のおかげで遊び呆けながらも浪人せずにそこそこの大学の法学部に進学し、留年せずに卒業は出来たものの、やはり100%人間ではないという部分が就職後に悪影響を及ぼした。

 ベリアルがイエスに対して訴訟を起こしたとされる記録がある様だが、彼もまたいわゆるブラック企業を訴えては和解金をせしめるといった行為を多々行っていた。

 もっともハンスの場合は就職する企業が尽く労働法規を無視した形態の悪徳企業だったが故にさほど労力は割かずに済んでいた様だが。

 そういう事が積み重なり、嫌気がさした事から彼は便利屋を始める事になった。

 個人経営で小さな事務所である為に繁盛こそしなかったが、時間の融通が効いたので、それはそれで生活にはさほど困らなかった。

 しかし、魔界の血をひいているからか、それとも彼の性格なのかハッキリしないが、一般人の様な仕事は性に合わなかった様で、仕事自体に飽きてしまっていた。


 そんな折、ある人物が彼の事務所を訪ねて来た。

 見た目は普通の老人だったので、住居の庭仕事か、保有している賃貸物件のクリーニング位だろうと軽い気持ちで話を聞く事にした。

 その老人は“ヴァルター・ラル”と名乗り天界から来た者で、中世の人間界で言うところの貴族や大名より少し上の階級らしかった。

 ラルの話によると、現在、魔界からかなりの数の低級魔族が人間界に侵入しているらしく、それによって人間界では犯罪が増加しているだけでなく、魔界は魔界でそういう輩が人間界に侵入していく事で、魔界と人間界の境界が乱されてしまっているという。

 人間界で言うところの国境警備隊にあたる組織を天界と魔界が協力して魔族の人間界への不法な流出を食い止める策を講じてはいても、やはり限界があるようで、それなりの数の魔族が人間界に流入しては悪さをしていた様だった。

 特にここ100年の間に幾度と無く起こった世界規模の金融危機は魔族によるもので、さらに言えば世界中の扮装地帯で武器の販売を行う“死の商人”もその大半が魔族だと言う。

 天界の者が魔族の末裔を訪ねてその様な話をするとはかなり不思議な話だ。

 だが、ラルの話を聞くと魔族と人間の混血だからこそこの話をしに来たという事が徐々に理解出来てきた。

 そして、ラルからの依頼は事務所のある街で暗躍する非合法組織の頭目に取り憑いている名も知らぬ様な低級魔族を討伐する事でその為の装備品と訓練の場所は用意してくれるというものだった。

 この依頼はほとんど人間として生活している彼にとっては難易度が高く思えたのだが、ラルの話によるとハンスはまだ魔族の血を完全に覚醒させていないが故に基本的には常人と変わらないのだそうだ。

 ラル曰く、覚醒させるのはかなり簡単な様で一度覚醒させれば死ぬまで魔族の力を使う事が可能になるらしい。

 だが、自分が魔族の力を覚醒させた時に今までの様な理性が働くのかという疑問が出てしまう。

 ラルの話では魔界の植物を煮出して精製した薬を使う事で彼に秘められた魔族の力を完全に引き出す事ができるのだそうだ。

 ただ話の筋は通っていてもよくわからない薬に手を出すとなるとやはり気が引ける。

 本当に魔界の植物から精製されたものだとしても、ほとんど人間であるハンスの肉体には毒として作用する可能性もあるし、人間界に自生する植物にも麻薬として扱われるものがある以上、そう簡単に信用できたものではない。

 ハンスの知る限り、最初は薬として発明されたモルヒネもその中毒性から重傷患者に対する鎮痛剤やガン治療以外での使用はほとんど無くなり、麻薬としての利用が多く見受けられている。

 人間界でその様な事態が起きている事からしても、魔界の植物由来とあっては尚更信用に欠ける。

「爺さん。もし、アンタの言う話が本当なら副作用とかで俺がほとんど魔族になっちまうって事はないのか? 」

 当然の問いかけだが、ラルは予想通りといった反応で

「安心せいガーデルマン。お前さんはほとんど人間だからこそ、その心配は無い。恐らくお前さんの両親はお前さんが人間として今まで生きていく為に魔界のモノは与えなかっただろうから、ほとんど人間と変わらない身体能力しか発揮出来なかったんだろう? 」

確かに産まれてから魔界に行った事も無いし、今考えれば魔界のモノに触れる機会は意図的に奪われていたと言ってもいいかもしれない。

 だからといってラルの言う通りの話を鵜呑みには出来なかった。

「なら、一度魔界に案内してくれないか?天界の者と魔界の者が協力関係にあるなら簡単な話だろう? 」

「そうだな。ワシの話を信用してもらうにはその方が早いかもしれない。元々この依頼はワシは仲介役でしかないし、どちらにしろ魔界に足を運んでもらう予定だったからな。すぐに出かける準備は出来るか? 」

「暫くは仕事の依頼も入ってないし、一応は大丈夫だが…」

「なら準備が整い次第出発といこう。天界も魔界も常にどこかと繋がっているからこの場からでも移動は可能だ」

 ラルの言葉を聞くとすぐに出る準備にかかり、事務所の鍵を掛け、セキュリティー装置のスイッチを入れ出入り口横の小窓の内側の立て看板を“OPEN”から“CLOSED”に切り替えた。

 向かう場所が魔界という話故に、念のため成人祝いで父親から受け取った刀を持って行く事にした。

 この刀は常人が触れる分には模造刀として振る舞うのだが、魔族の血をひいている者が持てば歴史に残る銘刀を上回る切れ味を誇るものだそうだが、ハンスの場合は全力で一般的な日本刀としての切れ味がかろうじて出せる程度だった。

 それでも無いよりは良いので竹刀袋に入れて持って行く事にした。

「随分用心深いな。まぁ魔界に行けば考えも変わるだろうに」

 準備が終わったのを見てかラルは魔方陣の様なものを目の前に展開し彼に手招きをした。

 

 魔方陣の前に立つと視界が光に包まれ、真っ白になる。

 

 そして、次の瞬間には見たこともない風景の中にいた。

 辺りを見回すとそこは中世のヨーロッパの様な街並みで、人間界とたいして違いはない様な風景だった。

 ラルに促されるまま少し歩くと市場の様な場所に着いた。

 そこの風景も人間界のそれと大差はなくいどころか、かなり活気づいていた。

 ただ、そこにいる者たちや露天に並んでいるものは異形のものでしかないのだが。

 逆に言えば異形のモノを人間界のモノに置き換えると、それこそ全く同じである。

 地獄絵図とか魔界の情景を描いた絵画に見る魔界とは全く違う。

 天界の者であるラルも本来の姿なのか気付くと背中に翼を出していた。

 人間界ならこの場にいる者たちの方が異形な存在だが、今は逆に人間の姿をしているハンスの方が場違いな存在になっている。

 人間界においては、天界と魔界は真逆の場所で在るが故に、天界人と魔界人は常々争っているイメージがあったが、いざ来てみるとそうではない事がわかる。

 市場にはいかにも悪魔然りとした姿の者もいれば、中世の絵画に描かれる天使の様な風貌の者など多様な者たちがいる事が一目でわかる。

「人間界に伝わる魔界とは大分違うな」

 ハンスも思わず驚きを口にしてしまう。

「なぁに。こんなものは序の口じゃよ」

 ラルは笑いながらそう言うと、露店で何やらカップに入った飲み物を二つ注文し、一方をハンスに渡して来た。

「騙されたと思って飲んでみてくれ」

 ハンスは恐る恐るその飲み物に口を付けてみる。

 異形の者達の飲食物である事からかなり警戒していたのだが、その味は明らかにコーヒーそのもの、しかもハンスが好んで飲んでいるベトナムコーヒーという練乳入りのそれであった。

 さらに言うと一般的なコーヒーチェーンの店で供されるそれよりもかなり香りが引き立っており、かなり甘いのだが、甘さがコーヒーの味を損ねるどころかさらに深めていた。

 ここまでのものとなると、相当良い豆をかなりの技術で焙煎し、選りすぐりの練乳で仕上げたものだと素人目でも一口で感じてしまう。

 この様なものが露店の屋台で売られている事に非常に驚かされた。

「どうじゃ?」

 驚きのあまり声を失っているハンスにラルが問いかける。

「こいつは驚いた。人間界のものとは比べられない程に美味い。というか爺さん、俺の好みを知ってたのか? 」

「まぁな。一応、下調べはさせてもらったわい。人間界のものより上だと言ったが、人間界のものは元々、天界や魔界のものなのだよ」

「どういう事だ? 」

「ふむ。お前さんはトマトが昔、食用ではなかった事は知っておるか?」

「あぁ。確か中世ヨーロッパでは観賞用で教会から禁忌の実だと思われていたが、飢えに耐えかねた貧困層が食用にしたって話は世界史の教師から余談として聞かされた記憶がある―」

「そうか。実はな、人間界で口にされている物はこちら側の者が広めたと言って過言ではない。鑑賞用だったものに手を付けたのは実際のところ貧困層の者ではなく我々の様な人間界以外の者が人間に擬態していた者が食べて見せたのが事の本末じゃよ」

「って事は、魔界の住民も天界の住民も飲み食いする物は人間と同じってわけか」

「そうじゃな。むしろ、こっち側からあらゆる知識が人間界に輸出されてると言う事さ」

「なるほど」

「ついでに言うと天界も魔界も人間界と同じく幾つかの区域に別れていてな。天国や地獄のイメージが地域によって違うのはそれ故じゃよ」

「って事はこの辺りは人間界で言うヨーロッパみたいなものか? 」

「そうだな。そう考えてくれて差し支えない」

「だが、この市場の雑踏の中で俺の耳に入って来る言語はスペイン語とかフランス語じゃなく俺たちと同じみたいだが? 」

「それは簡単な話さ。人間界だと言語が複数あるが、天界と魔界は全て共通言語だし、お前さんの耳にはそれが母国語に変換されて聞こえてるのさ」

「バベルの塔の話じゃあ確か古代の人類も共通言語で統一されてたって聞くが、それと同じか? 」

「バベルの塔か…。人間界で伝わる話は実際と異なる部分が多々あるが、そこは割愛して話すと、昔の人間界も天界や魔界と同じ言語で統一されていたのは事実じゃ」

「なるほどね。俺の耳にはこっちの共通言語が母国語に変換されて聞こえるって事は理解したけど、逆に俺があの屋台の店番に俺の母国語で話しかけたら? 」

「向こうの耳にはこっちの共通言語に変換されて聞こえるだけさ。それから文字も同じさ」

「なら、こっちに住んだ方が不便はないな」

「それはちょいと無理があるな。いくら魔界の血が入っているとは言っても人間の血が強いお前さんじゃあ数年の滞在で身体が持たなくなるだろうて」

「どういう事だ? 」

「魔力とか霊力って言葉は聞いた事があると思うが、そいつが問題でな。こっちの世界にいるだけで自然に供給されるし、それがいわゆる魔術のエネルギー源だし、そのお陰で早く回復したり出来るんだが、こっちの世界の血が少ないとそれを持て余しちまうんだ。で、空気を入れ過ぎたゴム風船が破裂するように肉体に悪影響を及ぼす」

「要するに〈過ぎたるは毒〉って事か」

「まぁお前さんの場合、この魔界で今のところ何ら感じないのは魔族の血が入っているからだって話さ。並みの人間なら来た時点で影響は出ていただろう」

「その前に生身の人間がこっちに来れるのか? 」

「こっち側との連絡口を誤って開けて来る者が度々いるな。そっちでいうところの霊媒師とかそういう輩が降霊術とか悪魔召喚の儀式を行っている最中だったり、こちらと繋がっている洞穴などからだったりといった具合にな」

「じゃあよくメディアに出てくるそういう連中は強ち嘘ではないという事か」

「まぁ。魔界に来たほとんどの者は廃人扱いされる様になって帰って行くがな」

「〈魔界に来た者〉って事は天界だと違うのか? 」

「天界だと魔界とは真逆と言った方が良いかも知れない」

「どういう事だ? 」

「人間界で言うところの“桃源郷”とかそういう場所は天界にあるし、一方で魔界には“血の池”の様な場所もある」

「なるほどね。じゃあ吸血鬼も実在するってことか? 」

「いや、それはちょっと違ってな。“チュパカブラ”って生物は聞いた事があるか?」

「あぁ。ツチノコとかそういう未確認生物の一種で吸血生物だって話は聞いた事がある」

「そいつは魔界の生物で、人間界でいうところの大型の野獣の類のものだな。人間がイメージしてる吸血鬼の正体はそのチュパカブラって魔界生物に人間界のチスイコウモリが合わさって出来た偶像だよ。もっとも、吸血鬼が人の姿をしてるイメージはヴラド・ツェペシュという人間界の人物が元なんだがな」

「“串刺し公”か。確か、西暦15世紀の人間で、捕虜を串刺しにして敵対するオスマン帝国軍の士気を削いだんだっけ? 」

「よく知ってるな。まぁベルフェゴール系の血を引くお前さんなら不思議でもないか。チュパカブラが人間界に紛れこんだ時に吸血行動に出るのはある種の錯乱状態での事で、本来は雑食で人間界の爬虫類の姿だが、熊と似たり寄ったりと言ったところかな?」

「要するに余程の事が無ければ本来は無害って事か」

「まぁ。人間界でいう未確認生物とか伝説上の生物はだいたいが天界や魔界から紛れこんだものだと思えばいい。とりあえず先に進むぞ」


―――コーヒーを片手に歩きながらラルの話しを聞いていくと、魔界や天上界、人間界の事情が色々判明してくる。―――


 創作や伝承で“悪魔”と呼ばれるものに銀が有効とされるのは、銀アレルギーがあるものが魔族の中にいて、そのアレルギーは人間が何の対策もせずに高レベル放射性物質に触れる様なものに近いのだと言う事。

 ケルベロスやヤマタノオロチといった多頭生物は魔界や天上界には多数存在しており、中にはペットとなっているものもいる事、魔族も天上人も殆ど違いはなく、人種の様なレベルの差しかない事。

 魔界と天上界という区別は区域としてでしかなく、人間から見ておぞましい場所がある方が魔界で、美しい場所があるのが天上界なのだと言う事。

 魔界や天上界ではいわゆる“魔法”が使える為に、廃棄物は各自が原子単位まで分解出来、処理施設や集積場は殆ど無い事。

 魔法で大半の事は出来るが、全て魔法で賄う事はなく、魔力や霊力を動力源に動く機械が溢れており、水道等のライフラインは人間界と同じ機械仕掛けで動いている事、魔力や霊力によって作物は人間界の同じ物と比較した場合、数段階高いグレードの物が育つという事。

 街並みは中世の様ではあるが、建物の内部はSF映画で出てくる様な近未来の姿であり、魔法を使わずに使える様に改良されたものが人間界で使われていると言う事。

 他にも多くの事で驚かされたが、歩きながら周りを見る限り、その話を信じる以外に選択肢は無かった。

 ラルに案内されるがまま市場を歩いていると突然、立ち止まった。

「すまんがちょっと待ってもらえるかな? 」

「構わないけど、どうしたんだ? 」

 こちらの疑問に答えることはせず、ラルは魔法で二つの空カップを消し去ると、一軒の店に吸い込まれていったので、仕方なく店の前で待つ。

 ポケットから愛飲している銘柄の煙草を取り出し、ライターで火を着けるのだが、何故かいつもと同じ味に思えない。

 それが、ここが魔界であるから大気の組成が人間界のものと微妙に違うのか、それとも単純に魔力とか霊力の影響が出ているだけなのかは不明だった。

 吸殻を携帯灰皿に入れていると、何やら袋を手にラルが店から出てきた。

「一体何を買ったんだ? 」

「これか?これから向かう場所にいる者に渡す手土産みたいな物じゃ」

「ん?“これから向かう場所”ってのは一体どこなんだ?」

「なぁに。心配は要らんよ。お前さんの事をよく知る人物の邸宅じゃ」

「一体誰の事だ? 」

「それは着いてからのお楽しみにしておけ」

 一体どういう事か不明だが、この魔界で“ハンス・ガーデルマン”という者をよく知る者など全く見当がつかない。

 両親共に魔族と人間のハーフである故に魔族の血族と言う事だけは聞いてはいたが、詳しい系図は聞かされていなかったし、遠縁の者が魔界にいる事は当然ではあるが、人間として皆振る舞っていた為、誰がどれだけ魔族に近いのかすらハンスには知る由もなかった。

 だが、ここまでこの“ヴァルター・ラル”と名乗る老人に付いてきて何か問題に巻き込まれた事は無いし、親族からは聞かされなかった魔界についてこの目でハッキリと見せられた事からして付いていく以外に選択肢は無さそうだし、人間界に帰るにはラルの協力は不可欠だろう。

 つまるところハンスに選択肢は無いのが現状だ。

 ラルに導かれるままに市場を抜けるとかなり広い通りに出た。

 そこは人間界の幹線道路と変わりない場所で車輪が無い自動車の様な物がかなりの速度で走っていた。

「まるで高速道路だな」

「いや、これが通常速度じゃよ。人間界の自動車は急停止は出来ないが、人間が魔法と呼ぶものを使えば、物理法則は意味をなさない」

 そう言いながらラルが手を挙げると一台の自動車の様なものが彼らの前で停止し、観音開きのドアが開いた。

 中には誰もおらず、全自動運転なのか運転席の様な場所も見当たらず座席が向かい合わせになっていた。

 ラルに続いて中に入るが、外見に反してだいぶ広く感じる。

「こいつは人間界のタクシーと自動運転のモノレールの中間的なものでな。ここに目的地を入力すれば後は勝手にそこに向かう。ちなみに公共機関で料金は無料じゃ」

 そう言うとラルはタッチパネルの様なものに何やら入力する。

 入力を終えると数秒の間ガタガタと振動し、そのまま勢いよく発進する。

 窓から見える情景でかなりの急加速をした様だが、その感覚は伝わってこない。

 やはりここは人間界の常識が通用しないのだと改めて感じた。

 魔界に来てどのくらいの時間が経ったのだろう。

 ふと、腕時計の文字盤に目を向けるが、最後に見た時と同じ時刻を指していた。

「ここで人間界の時計は使えんよ」

 こちらの様子に気付いたラルが半笑いで言う。

「壊れちまったって事か? 」

「いや。壊れたわけではない。中のクォーツが魔力の影響で止まっているだけだから、戻れば元通りに動くから安心せい」

「どういう事だ? 」

「クォーツ、即ち水晶が“魔除け”とか“占い”で人間界ではよく使われるだろう?水晶というのは魔力や霊力と呼ばれる物の影響を受けやすくてな。それ故に魔除けとか占いに使われるのじゃよ。」

「それで時計が止まってるって事か」

「ちなみにこちらに来てからの時間は人間界の時間で3時間といったところじゃ。」

「そんなに時間が経ってる訳じゃないんだな」

「とりあえず目的地まではあと15分もかからんだろう」

 目的地を告げない辺りは不信感が残るが、目的地までの時間が判明した事はハンスにとってかなり安心感をもたらした。

 車窓の景色は新幹線から眺める風景の様にめまぐるしく変化し、この自動車の様なものが相当な速度を出している事が見て取れた。

 だが、内部ではそう言った感覚は無く、まるで停止している様に感じる。

 まるで窓の外の情景はそこに投影された映像に過ぎないかとすら思える。

 そうこうしているうちに目的地に着いたのか急停止する。

 急停止したのにハンス達の座席には何ら変化は無かった。

 ドアが開き外に出るとそこは中世の城の様な場所でいかにも“魔王”の住処といった風貌を呈していた。

 まだ外が明るい事で不気味さは言うほどのものでは無かったのだが、暗くなってから来ていたら尻ごみしていただろう。

 城門脇にあったタブレット端末程の大きさの窪みにラルが手を翳すとそこに映像が投影されそこに向けてラルが何やら話をする。

 話が終わると同時に城門を塞ぐ巨大な格子が上がり内部への道が開かれた。

 城門の先には綺麗に手入れされた庭園が広がり、城までの道の両脇を華やかに飾っていた。

 ラルの後を追う様にその道を進む。

 高い城壁に囲まれている事もあってか外から見ると完全に“魔王の住処”なのだが、壁の内部は全く真逆と言って良いだろう。

 一本道を進み、城の入り口に着くとこの城の主の配下の者達なのか数名の魔族の者が出迎えに出ていた。

 こうして見るに、ラルがそれなりの階級なのだとここで初めて理解した。

「“ヴァルター・ラル”様、そして“ハンス・ガーデルマン”様、お待ちしておりました。私はここの家令の“スロ・ハユハ”と申します。“ティルピッツ城”へようこそ」

 この“スロ・ハユハ”と名乗った屈強な身体つきの男はその肉体とは似つかわしくない美形の顔立ちで家令に相応しい服装をし、額には悪魔然りといった一対の角を生やしていた。

 中世を舞台にした小説やマンガで得た知識だが“家令”というのは使用人の中では最高位の階級で主の代理を務める事もあったという。

 そういう立場の者がわざわざ出迎えに来るとなるとハンス達は相当歓迎されている様だ。

 この城の名前が“ティルピッツ”というドイツ語圏に見られる姓である事からして、この城の主の名が“ティルピッツ”なのかと推測したが、ハユハの次の言葉でそれが邪推だったとすぐに示された。

「お二方共に到着早々で申し訳ないのですが、我が主の“ヴォルフガング・シュタイナー”様よりお急ぎでお連れするように承っております故、失礼を承知でこのまま主のもとにお連れ致します」

 城の主の名前が城と一致しない。

 ハンスの思考では意外ではあったが、よくよく考えると特段意外な事でもない。

 人間界においても城主の名前を冠した城がある一方で地名や何かの名を冠した名前の城はいくらでもあった。

 家令のスロ・ハユハに引き連れられるまま扉を潜ると、その先には広々としたエントランスが広がっており、外から見たイメージとは違い、天井部分は色とりどりのステンドグラスで飾られており、そこから差し込む自然光で内部はかなり明るかった。

 そして、エントランスの中心には右手に剣、左手に天秤を持ち、目隠しをした女性の像が飾られていた。

 その姿はどうみても裁判所などに飾られている〈正義の女神像〉と全く同じで、このエントランスに飾られている物がそれと同一の物ならば、人間界からイメージした魔界とのギャップがここにも存在している事になる。

 ただ、ラルが導くままに魔界に訪れたハンスにとってはこの場所まで常々驚きの連続であったが故に、驚き疲れてしまっている部分は否めないのだが…。

 エントランスの先は扇形の階段になっており、像の脇を通って階段を進む。

階段の先は丁字路に廊下が別れていて突き当たり部分の壁には巨大な絵画が飾られていた。

 大体こういった場所に飾られている絵画はその城の主の肖像画であるのだが、この絵画は肖像画ではなく、人間がイメージする天使や悪魔が入り乱れたものであるのだが、天使と悪魔の戦いの様なものではない。

 どういう見方をしても平和的なものを象徴していた。

 もし、この絵画と同じ様なものが人間界で描かれるとしたら漫画や創作の中だけだろうし、中世であれば教会から批難を浴びたであろう。

 その絵画に向かって左側の廊下を進んで行くが、廊下も色鮮やかなステンドグラスで窓が付けられている為にかなり明るく、魔界の城というイメージには全くそぐわない。

 むしろ教会等の方が近いと言って過言ではないかも知れなかった。

 そのまま先に進むと廊下の先は行き止まりになっていて、重厚な扉が待ち構えていた。

 家令が扉に付いているインターホンの様な装置を操作する。

「旦那様、ラル様とハンス様をお連れしました」

「わかった。入ってくれ」

 部屋の中の者からの返答と同じくらいのタイミングでその扉は機械音を立てながらゆっくりと開いた。

 家令に促されるままに中に入るとそこは入り口の大きさとは不釣り合いな程に広く、壁は本棚になっていて移動式の梯子が懸けられ、様々な本が埋めつくし、さしずめ小さな図書館とでもいった具合だった。

 部屋の奥には大きな机と椅子があり机の上には電話機の様な物や様々な書類が山積みになっていて、ここがこの城の主の執務室を兼ねた書斎である事がわかる。

「急な頼みを聞いてくれて助かったよラル。見ての通り仕事が山積みでな」

いかにも魔王然りとした風貌の者が椅子から立ち上がりまっすぐにこちらに向かってきた。

 この者がこの城の主でハンス達を呼び寄せた張本人だろう。

 普通の人間ならその姿に怯むだろうが、今のハンスはラルに色々見せられたからかもはや動じない。

「構わんよシュタイナー。久しぶりに人間界から来るには良い口実になったからな。ほれ、2つ目の頼みの“皇帝草”はこの中じゃ。領収書も入れてある」

 あっけらかんとしながらラルは先ほどの店で調達した包みを“シュタイナー”と呼んだ者に手渡した。

「悪いな」

 そう言うとシュタイナーは包みを開けて中身を確認した。

 包みから出てきた“皇帝草”なる物は透明な瓶に詰められていてテープと蝋印で厳重に封がされていた。

 瓶詰めの中身は遠目で見た限りは漢方薬局で売られている瓶詰めの生薬にも似ていた。

 シュタイナーはそれを手に持ちながら領収書に目を通しつつ机に向かい、瓶と領収書を机に置くと懐から金貨を取りだしラルに手渡す。

「手間賃合わせてこれで構わないか?必要ならもう少し出すが」

「気にせんで良い。むしろ多いくらいじゃわ」

 やり取りを見るにこの二人はそれなりに深い仲の様ではあるが、天使と魔王がやり取りをしている様な様子にしか見えないだろう。

 やり取りを眺めてると

「コーヒーをお持ちしました」

 突然後ろから声がそんな声がしたので振り返ると家令と共に出迎えに来ていたメイド服姿の者がワゴンにカップとコーヒーの入ったポットを乗せて現れていた。

 運んできたメイドの姿を除けば、その見た目は人間界の電車で目にする車内販売のそれと大差無いのはやはりラルの話の通りなのだろうと考えさせられる。

「ところでハンス。ワシの事はわかるかな? 」

 メイドに注意を向けていた矢先に唐突な問いかけをシュタイナーはハンスに向けてきた。

「いいや…」

 最初に家令のハユハからシュタイナーと言う名前を聞かされた時から、その名前自体には心当たりがあった。

 しかし、ラルに出会うまで身内を除けば“人間”以外と関わりが無かったハンスの答えは当然の事だ。

 ハンス自身も魔界の血族であるし、彼の両親や祖父母は魔界の血が濃かったが、人間界においてはごく普通の一般人として完全な人間より人間らしく振る舞う為に、魔界の者の様な姿はハンスにすら一切見せずにいた。

 その為、こういう姿の者は魔界に来るまで見た事はなかった。

「ならこの姿はどうだ? 」

 そういうとシュタイナーは姿を変えた。

「…」


―――その姿にハンスは言葉を失った。―――


 何故ならそこにいたのはハンスの曾祖父“ヴォルフガング・シュタイナー”その人に他ならなかったからである。

 もっともハンスは曾祖父と会った事はなく写真でしか見た事がなかったのだが。

「突然目の前に会った事も無い曾祖父が現れたら驚くのも無理はないか。まぁ曾孫の顔をこうして実際に見るのはワシとて初めてだがな」

 シュタイナーは笑いながら元の姿に戻るが、ハンスは動揺を隠せない。

「まぁハンス。とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着け」

 シュタイナーに渡されたカップに口をつけるが、動揺し過ぎて味も温度もわからないまま一気に飲み干してしまった。

「なんでまた“ひいじいさん”がいきなり俺を? 」

 コーヒーを飲み干して出た言葉は当然の問いでしかない。

「なぁに、簡単な事よ。ラルから聞いているとは思うが、今の人間界には“人ではない者”がこちらから流出していっていてな。ワシも仕事柄それを食い止める策は講じているが、なかなか食い止める事には限界があってな。人間界と魔界にそれぞれブローカーが介在しているのか、その辺りの事にはこちら側の者には頼めない。人間界から見た魔界とか天界というこちら側の世界の者にその辺の事情を探らせると利益懐柔されるのかいたちごっこになってな」

「どっちの世界にも腐ったヤツがいるって話か? 」

「端的に言えばそうなる。そこでだハンス。お前はほとんど人間だが、魔界の血をひいている。言わば中立的な立ち位置でしかもワシの曾孫なら“血の呪縛”で懐柔される事はあり得ないからワシの仕事を少し手伝って欲しい」

「つまり俺に捜査員になれって話か? 」

「話が早くて助かる。つまりはそういう事だな。これもラルから聞いているかもしれないが、こちら側の薬草を使えばお前に秘められた魔界の力を引き出すのは特に容易いからな」

「そうは言っても簡単に信用してその仕事を引き受けるには無理がある。ラルのじいさんもそうだったが、こっち側の連中が人間界にいるときは姿を変えているし、姿を変える事ができるとなれば本当にひいじいさんかどうかもにわかには信じられないだろう?一応、今はそういう事で話を進めさせてもらうけど…」

「まぁ当然の答えか。状況はあまり良くはないが、仕事が仕事だからな。しばらく滞在してゆっくり考えてくれて構わんよ」

「しばらく滞在してっていうけど、ラルのじいさんの話じゃあ長居すると魔力が飽和して内側からやられるんじゃないか? 」

「その辺なら気にせんでよい。お前さんが持ってるその刀に吸わせる事さえできればな」

 確かに刀は持っているが、袋に包まれているので外から見て刀が入っているかはわからない。

 棒状の何かだと言うこと位は見た目で解るが、刀を持ってきた事はこの場所にいる者ではラルしか知らないはずだ。

「その刀を作ったのはワシなんじゃよ。お前さんは成人祝いで渡された様だがな」

 シュタイナーが笑いながら刀の話をすると家令やメイドはどよめくが、主の余裕からか一気に鎮まる。

「作ったのがひいじいさんだとしてもこの中に刀が入っていると何故わかったんだ?」

「簡単な話さ。その刀にだけはワシの血筋の者が持つとその血筋の者にしか感知出来ない波動が出る仕組みになっているからな」

「じゃあ、こいつを抜いた時に感じる波動はそれだったのか? 」

「そういう事だな。人間の言葉で言うなら魔剣と言うのがふさわしいだろうが、持ち手が魔力を注入すればいくらでも吸う様に作ってある。つまり肉体が魔力で飽和状態になる前に吸わせれば、魔力で飽和してやられる事はなくなる仕組みになってる。人間界の物で何かに例えるならその刀は放電アースの様な物と考えてしまえば分かりやすいかな?」

「持ってきたのは正解だったってわけか」

「もっとも、持ってこなかった時の為に似たようなものは用意していたが、言わなくとも持ってくる辺りは、やはりワシの曾孫だな」

「似たような物ってのは? 」

「それか?手を出してみ」

 言われるがままに手を出すと翼をモチーフにしたペンダントが手のひらに置かれた。

 そのペンダントは大小二種類の翼がそれぞれ独立して付けられていてチェーンを通す為に根本に付けられた涙滴形のリングの付け根には不思議な光を放つ小さなクリスタル状の何かがそれぞれに埋め込まれていた。

「コイツは万が一の時の保険に着けておくといい。刀とは違って魔力が飽和状態に近付いた時にだけ自動的に体内から出してここに埋め込まれた“霊結晶”が吸収してくれる」

「つまり、刀かコイツを身につけている限りは安全だって事でいいのか? 」

「ご名答。まぁお前に流れている魔界の血の力を引き出した場合、不要になる可能性は否めないがな」

「どういうことだ? 」

「何千、何万年と続くこちら側の世界では“普通の人間”ではない人間が、何らかの手法で体質をこちら側に合わせて永住したとは過去にいくらでも例がある。人間界の言葉を使えば“半人半魔”といったレベルの者になると、魔力や霊力の干渉を自力で何とかできた前例も幾分かみうけられているしな。人間が血液型や遺伝子の体質で環境に適応できなかったとしても、食習慣や薬物療法による体質の改善で適応するのと似たようなものと言えば分かりやすいかな? 」

「ずいぶんと簡単に言ってくれるけど、俺はほとんど人間だぞ? 」

「だからこそ“アレ”の出番さ」

 そう言ってシュタイナーは机の上に置かれた“皇帝草”の瓶詰めを指差した。

「あの瓶詰めの中身が俺の力を引き出す鍵だと? 」

「簡単に言ってしまえばそういう話だな。だが、そんな物を簡単には口に出来ないだろう?」

 シュタイナーの話はまるでこちらの心情を読み取っているかの様な口ぶりで正直な話、気味が悪かった。

「ワシの話を信じるか否かはハンスに任せるが、まだこちらの世界に慣れていないだろうし、いきなり色々あって疲れているだろう。部屋を用意してあるからそこで休むといい。積もる話もあるし、本来ならワシがやった方がいいだろうが、やることが山積みで手を離せない。ハユハ、ハンスを案内してやってくれ。それから“アイツ”にもハンスが来たことを伝えてやってくれ」

「御意。ではハンス様は私と共に来てください」

 ハユハに連れられて部屋を出る。

 ここまで俺を連れてきたラルはまだ、シュタイナーと話がある様でそのまま残っていた為に色々と不安はあるが、仕方無い。

 部屋を後にして廊下をしばらく進んだ所でハユハに問いかけた。

「ところでハユハさん、俺を連れてきたラルのじいさんと、ひいじいさんはどういう関係なんだ? 」

「…それですか?ご主人様とラル様は人間から見れば魔界人と天界人で真逆の関係に見えるかも知れませんが、旧知の仲でして、仕事上でも付き合いがあるといったところです」

 俺がいきなり口火を切ったので少し驚かせてしまった様だが、質問内容は想定内らしく、淡々と答えた。

「ちなみにひいじいさんの仕事ってのは? 」

「人間界で例えるなら外交員幹部と国境警備隊の幹部を併せた様なものといったところだと言えばわかりやすいかと存じますが、こちらの世界と人間界の者の往来や人間界で問題を起こした者の取締り等様々な内容になっています。人間界でいうパスポートとかビザはこちらの世界と人間界の往来に不要ですが、人間が“魔術”等と呼ぶ術式を使うか、それぞれの世界を繋ぐ場所を通る以外は往来出来ません」

「なるほどね。それじゃあ忙しいのも納得だ」

「ところでハンス様。部屋にお連れする前に寄る場所がありますが構いませんでしょうか?」

「そっちにはそっちの都合があるだろうし別にいいけど? 」

「ありがとうございます。では少々お待ちを」

 そう言ってハユハは懐から何かを取り出した。

 蒲鉾に付いている板と同じくらいの寸法のそれをハユハが操作すると、その上に立体映像が映し出された。

「ハユハです。今よろしいでしょうか? 」

 立体映像の者にハユハが問い掛けると威勢が良い女性の声が返って来る。

「なんだいハユハ。ヴォルフガングからまた言付けかい? 」

「はい。これよりハンス様をお連れしますが、今どちらにいらっしゃいますでしょうか?」

「野暮な質問だね。いつも通り厨房だよ」

「わかりました。ではこれから参ります」

 そういうと立体映像は消えた。

 どうやらその板は人間界でいう携帯端末の様な物なのだろう。

 ハユハに導かれるまま厨房に向かうと、そこでは先ほど立体映像で顔だけが映し出された女性がお玉を片手に厨房を取り仕切っていた。

「奥様。ハンス様をお連れしました」

 ハユハがそう告げると彼女はすぐに振り返りこちらに走ってきた。

 ハユハが“奥様”と呼んだのでシュタイナーの妻、即ちハンスの曾祖母であろうとは思ったが、写真で見ていた曾祖母とはやはり姿が違う。

「ハンス、ようやく会えたな。やっぱり実物は違うな!」

「…」

「やっぱりこの姿じゃあわからないか? 」

 そういうと彼女もまたシュタイナーと同じく人間の姿に変化した。

 その姿は写真で見た曾祖母のゲルダに他ならずまた驚かされた。

「今日はお前が来るって聞いてたから色々と用意してあるから食事の時間を楽しみにしておけ!とりあえずこいつを先に」

 高笑いしながらそう言ってどこからともなく小皿に乗せたシフォンケーキを出して手渡してきた。

 フォークが突き刺してあるそれは手作り感がかなり色濃いのだが、ハンスの母親がよく作っていたそれと似ていた。

 とりあえず一口だけ口にしてみる事にしたが、見た目だけでなく味もハンスの母親がよく作っていた物に非常に似ていて、やさしい甘さが口の中に広がり、練り込まれた紅茶葉がその風味をさりげなく主張してくる。

「懐かしいだろ?昔はお前の母親と人間界でよく作ってたもんだ」

「そうなのか?味はそっくりだけど、母さんの作る奴より材料が良いのかパサパサしてない」

「人間界の安い薄力粉じゃあな。当然そうなるのは仕方無いさ」

ハンスは一人立ちしてからなかなか実家に帰る機会がなかったからか、非常に懐かしい味に気付くと完食していた。

「綺麗に食ってくれると作った甲斐があるってもんだ」

そう言って彼女は空の皿を受け取るとフリスビーの様に投げて水がはられた洗い場のシンクに放り込んだ。

かなりワイルドだが、着水時に水柱が立たない辺り、テクニックがある様に思える。

「そんな事より、メイドがいるならひいばあさんがわざわざ厨房に立たなくても良いんじゃないか? 」

 驚きながらもハンスは疑問をぶつけてみる。

 ハンスの疑問は当然と言えば当然で、メイドを家令や雇う程の者なら、家事全般を任せているのが人間界では一般的である。

「なんだい?そんな事か?別に任せても良いんだが、みんなヴォルフガングを慕ってウチに来てくれているからアタシにとっては家族みたいなもんだからな。みんなに旨い飯を食わせてやりたいからアタシが台所を仕切ってるってだけさ」

城主の夫人だというのに言ってる事は大衆食堂のおばちゃんと大差ない。

話をしながらも彼女は厨房で働く他の者に色々と指示を出しながら、自身も鍋をかき混ぜたりしている。

「募る話もあるが、それは後のお楽しみにとっておき。夕食には良いものを食わせてやるから期待してな」

 そう言って彼女はまた別の作業に移る。

 邪魔をする訳にはいかないので、ハユハと共に厨房を後にして再び城内を歩き出す。

 最初のエントランスや廊下はステンドグラスや装飾の施された窓から光が差し込み明るかった事で特に違和感はなかったが、構造上、窓が無い場所もかなり明るいのはどういった仕組みか不明だ。

 どこを見ても、照明器具と思しき物は見当たらない。

 まるで床や壁が発光しているとでもいった様相といえる。

 それはやはりここが人間界ではないからか?

 壁や床を発光させる事は有機ELの技術を用いれば人間界でも不可能ではない話だが、壁紙や床板に有機ELシートを使うという事は実用的ではない。

 他にも気になることは多々あるが、ラルから“人間界の技術は元は天界や魔界で発明された物を電気等の別のエネルギー源で使えるようにした物”という話を聞かされていたので、人間界には無い先進的な物があるのだろうと割り切って考える事にした。

 気になることが多すぎた為に、厨房からの道順はまったく覚えていないが、気付くと部屋の前でハユハが立ち止まる。

「こちらがハンス様のゲストルームになります。鍵はこちらを」

そう言いながらハユハが渡して来た“鍵”は円筒状の軸の先端に小さく平坦な矩形上の歯がついている古典的で全く飾り気のない非常に簡素な物でホテルのルームキーに付いている様な直方体のキーホルダーが付いていて、部屋の番号が刻印されていた。

「色々と先進的な物を見せられてからこんな古典的な鍵を見せられるとなると尚更混乱するな…」

「それですか?あくまで内部の者しか使わないので緊急時に解錠がしやすいようにこの城ではあえて旧式の物を使っています」

「相変わらず合理的だな」

 受け取った鍵でドアを開くとそこにはゲストルームというより、五つ星ホテルの最高級部屋の様な豪華な部屋が広がっていた。

「では部屋の案内をさせていただきます」

 ハユハに案内されるまま部屋に入ると室内にはバスルームとトイレ、簡易キッチンも備え付けられていた。

 さらにベッドに至っては天涯が付いていて、それが高級感をより一層に引き出していた。

 そんな豪勢な部屋をあてがわれるあたり、ハンスは“特別な客人”なのだろう。

 相手の機嫌を損ねない為にもハンスは、シュタイナー夫妻を自身の曽祖父母として見る事にはしていたのだが、この待遇はかなり破格だと言って良いかもしれない。

 そんな豪勢な部屋に驚いていると、ハユハが淡々と説明に入る。

「基本的に部屋に備え付けられている設備自体は人間界のそれと同じ物ですが、ここは人間界のそれと用途は同じであれ、使い方は異なります」

「どういう事だ? 」

「例えば、この冷蔵庫ですが、人間界の物は中身を補充しなければ何も無いのが普通でしょうが、これは御自身の求める物が自動的に納入されます。もし、コーラが飲みたいという状況でしたら、中にコーラが入っている状態になります。そして、こちらのダストボックスと灰皿ですが、中に廃棄物を投入すれば一定時間毎に魔術を用いずとも原子レベルで分解する仕組みとなっています」

「随分と便利だな…」

「もちろん、これはここが魔界だからこの様な事が可能となっているからです」

「なるほどね。ところで、この部屋には風呂やトイレ、キッチンまである様だけど?」

「水道関係は人間界の物と同じでコックの操作で水が出ますが、コンロに関しては手を翳せば操作パネルが空中に投影されます。ケトル等の必用な物もそのパネル操作でここに出てきますし、使用後はシンク横のボックスに入れていただければそのまま自動的に回収される他、シャワールームのタオルや洗面具等も同じく使用後はランドリーシューターの様な扉の中に投入して頂ければ大丈夫です」

「つまり、いちいちメイドを呼んだりするような事は不要って事か…」

「人間界のホテルでは必用な物は毎回フロントで要件を請け付ける様ですが、こういう組みですので…」

「ところで、さっきから気になってたんだけど、テーブルの上のあの板状の物は? 」

「あれは人間界でいうテレビのリモコンに相当するものです。手をかざすと操作ボタンが投影され、その端末上部を含めて好きな場所に映像の投影が可能となっています。それから、ベッド脇に備え付けられている電話機も同じ様な方法で操作が可能です」

「電話機が付いてても連絡先がわからなきゃ意味は無いんじゃないか? 」

「それでしたら、ベッド横のキャビネットの引き出しの中に城内各所の内線番号が書かれたノートが入っていますので、そちらを見て頂ければ幸いかと。それからこちらでもハンス様の携帯端末の電波は一応入るのですが、あまり安定はしていません。受話器自体がワイヤレスなのでそのまま携帯端末と同じ役割を果たすので、城内では常時お持ち頂ければ幸いです。それから、受話器にその端末をはめ込む事でその端末も安定して利用出来ます」

「なるほどね。」

「他にご質問は? 」

「今のところは大丈夫だ」

「かしこまりました。また何かございましたらお呼び下さい。メイドの詰め所にご連絡下されば手すきの者がお伺いします」

「すごい厚遇だな…」

「いえ、これがここではいつもの事です。では、食事の時間にまたお迎えに参ります」

そういうとハユハは部屋を出ていった。

 一人になったところで何かやる事があるわけでもないのでとりあえず持ってきた刀を壁に立て掛け、シュタイナーから渡されたペンダントを身に着けて、煙草を一服する。

 灰皿に火の消えた吸殻を落とすと、消えて無くなる。

 ハユハの言う様に原子レベルで分解されているのだろう。

 人間界ではあり得ない光景ではあるが、その光景のお陰かやはりここが人間界ではないという事を思い出させる。

 一服し終えるとハンスは持ってきた刀を袋から取り出し、鞘から抜いて確認した。

 もとから手入れは定期的に行ってはいたのだが、朴の木で造られた白鞘のそれは、人間界において普通の人間が持つ分には模造刀と同じで刃は付いていないし、ハンスが全力で使っても一般的な包丁レベルの切れ味しか無かった。

 ただ、(うち)(がたな)と呼ばれる一般的な日本刀の全長が概ね90cm前後で刀身の厚さが5~7mm、刀身の幅も3cm前後である。

 だが、この刀の全長は切先から白鞘の柄頭まで合わせると120cmにも及び、身幅は一番太い部分では5cm近くある他、刀身の厚さも一番厚い部分は1cm程もあり、どちらかと言うと騎兵戦を主眼に造られた太刀と呼ばれるものに近いだろう。

 それ故に、居合刀等を持ち運ぶ際に使われる規格の刀袋では納まりきらず、寸法が竹刀に近い事もあったので、竹刀が2本入る規格の竹刀袋をそのまま使っていた。

 鞘から抜いて見ると普段なら白鞘の摸造刀の様に振る舞い、刃紋も無く、刃先は木製のペーパーナイフにも劣るその刀身はここでは普段と違い禍々しくも美しい刃紋が現れており、刃先は触れた物を全て斬る程の鋭さを見せていた。

 そして今まで感じた事が無い波動を放つその刀はまるで生きているような印象をハンスに与えた。

 シュタイナーの説明では、この刀は魔力を吸収し、ハンスの身体に流れ込む魔力が肉体の限界を超えてしまわないように体外に出す為の放電アースの働きをする物であるというが、その性質から魔界に無尽蔵に漂う魔力の影響を少なからず受けているのだろう。

 白鞘というのは本来、戦闘用ではなく刀の保存の為の物であり、実際の使用には向かない。

 映画等では白鞘の日本刀を激しく振り回すシーンがよく見られるのだが、もしも実際にそういう使い方をすれば、刀を(つか)に固定している目釘という部品が壊れてしまい、場合によっては柄から刀身が抜けてしまうだろう。

 刀として使う為には刀身に合わせて“(こしらえ)”という鞘から柄、(つば)等の金具を合わせた一連の専用の外装が必要になってくるし、そもそも日本刀においては刀身と拵は一体のもので、その刀身に合う拵が作られる。

 日本語の諺に“反りが合わない”というものがあるが、これは刀の“反り”と異なる“反り”を持つ鞘には、刀が入らないどころか、鞘を破損する事すらあった事が語源なのだとか。

 保管の為の白鞘が出来た背景には、保管する際に拵のままであると、漆塗りの鞘や木材に鮫革を巻き、その上から紐を巻いた柄では通気性が悪く、刀身が錆びてしまう可能性がある為、錆びて抜けなくなる事を防ぐ目的から刀身は白鞘に納めて保管し、拵は“つなぎ”と呼ばれる木製の刀形を刀身の代わりに入れて、本来刀身が入っていることによって連結されている柄と鞘を連結して保管すると聞いたことがある。

 その通りであれば、シュタイナーがこの刀を打った時に“拵”も一式全てを製作したのではないだろうか?

 だが、ハンスが父親からこの刀を授かった時からこの刀は白鞘に納められていた。

 もっとも、拵という物は完成した刀身の寸法を測らなければ作れないので、拵を製作する前に、完成した刀身に保管用の簡素な白鞘を付けておいた可能性は捨てきれないが。

 ただ、シュタイナーがハンスに潜入捜査員の様な仕事を依頼するとなれば、ハンスの体内に流れ込む余計な魔力を吸い出す以外にも、護身用の武器としてこの刀の必要性は出てくる。

 そうなれば白鞘のままでは使い物にならないのではないか?

 そんな考えがいつしかハンスの頭を支配する。

 禍々しく光る刀身をよく見ると、普段手入れをしていた時には見当たらなかった文字が彫られていた事に気付く。

 一般的に日本刀の打刀と呼ばれる類いのものには峰の側から見て、刀身の左側に“銘”が彫られているが、この刀は人間界においては模造刀として振る舞う為にそういう物は見当たらなかった。

 これも人間界ではない場所に来て、この刀が本来の姿を取り戻しつつある事なのだろうか?

 その銘は“破魔刀”と彫られていたが、文字もまた禍々しくも美しい書体で非常に驚かされる事になった。

 銘が現れたならば“(なかご)”と呼ばれる柄の内部に収まる部分にも何かしらの変化がある可能性はあり得たので、刀を入れてきた竹刀袋に入れていた簡易的な手入れ用具を取り出し、竹刀袋を峰側に当てて挟み込む様に持ち、目釘を抜く。

 予想通りだが、茎にも普段の手入れでは見当たらなかった文字が浮かび上がっており“この刀を使う者に正義の御心があらぬ事を祈る”という文章が刻まれていた。

こうして見ると見た目に反して“御守刀(おまもりがたな)”の様にも思えてくるし、ここまで様変わりすると好奇心から、試しに巻藁の一本でも斬ってみたくなる。

 これだけの城なら魔法仕掛けの空調があっても形骸的に暖炉を使う事は不自然ではないし、暖炉で使う薪の備蓄はかなり多そうだ。

 斧や鉈で割る前のものなら試し切りに打ってつけだろう。

 色々と考えを巡らせながら、元通りに白鞘に収め、再び竹刀袋の紐を縛った。

 ハユハの説明ではこの部屋にはテレビもあるという事だったので、テーブルの上に置かれた板状の物に手をかざしてみると、そこには人間界のテレビのリモコンと同じ配列のボタンがタッチパネルの様に映し出されたので、とりあえず目の前の壁に向けて電源ボタンを押す。

 すると、その壁にはプロジェクターか何かで投影したかの様に映像が映し出された。

 映像の中にはニュースキャスターと思しき女性と思われる異形の者が、この世界の時事ニュースを伝えていた。

 特に興味は無いのだが、少しでもこの世界の情報は手にしておきたいので、そのまま情報を聞く事にした。

 だが、映像越しにもたらされる情報の多くは、この世界でのスポーツや武術大会等のものばかりで、あまり必用とは言えない様な内容ではあった。

 それでも、異形の者達が行っている事を除くと半分程度は人間界で行われるスポーツと大差ない。

 むしろ、レスリングなどは人間界の物とほぼ同じ流れで試合が行われていた。

 魔法の様な物は一切使っておらず、人間界との違いといえば選手の姿が人間から見れば異形の者で、古典絵画に多く見られる天使や悪魔の様な姿の者達が入り乱れて普通に試合を行っている様にも見えた。

 そういう姿を見ると“人間界の文化は魔界や天界からもたらされた”というラルの発言に対して、より一層の信憑性が出てくる。

 中でも特に印象的だったのが、こちら側でも魚の養殖や家畜の毛をバリカンの様な道具で刈り取り繊維として活用するなど、人間界でも見慣れた話題が伝えられていた事だろうか?

 いかに異形と言っても、やっている事は人間と変わらないのだ。

 さらに付け加えるならば、人間がイメージする天使や悪魔という姿であるにも関わらず、そういう振る舞いは映像からは一切伝わってこない。

 人間界でのイメージでは“天使”という存在が正義で、常に清く正しい行いをする存在であり“悪魔”はその対極で常に悪事を働く者であったが、こちらではそういう区別は無い様だ。

 はっきり言ってしまうと、どう見ても悪魔の様な見た目の者が家畜から刈り取った毛から丁寧に衣類を造り出す様は些か滑稽にも思えてしまう。

 だがそれはハンスがいた人間界では宗教的な御伽噺などで悪役となる者の姿が魔界の者で、正義の主人公の姿にその対極にある天界の者の姿をイメージするように知らず知らずに刷り込まれていたからに他ならないだろう。

 実際の魔界や天界は人間がイメージする天使と悪魔の様な姿の者達が入り乱れて生活している。

もし、シュタイナーが言う様に何かの拍子に何も知らない人間がこの世界に紛れこんだ場合、この世界を見ればかなり混乱して錯乱状態になるのは想像に容易い。

 そういう事情から辻褄を合せる目的で天界から魔界に堕ちた“堕天使”という存在が空想の中で生まれたのかもしれない。

 どれ程時間が経っただろうか?

 映像を見ながら煙草を吸っていると部屋の呼び鈴が鳴った。

壁の映像の隅に小さなモニターが表示され、ハユハの姿が映し出されたので、椅子から立ち上がりドアの手前に向かう。

 ドアを開けるとハユハが立っており申し訳なさそうにしていた。

「何の用だい? 」

「ハンス様、お食事のご用意が出来ました。食堂までご案内すべくお迎えに上がりました。」

「もうそんな時間か? 」

 テレビなどで映像を見ていると、時間の感覚が無くなるのは何処の世界にいても同じの様だ。

 もっとも、こちらに来てから時計は止まっているし、時間など最初から気にしていないのだが。

「ハンス様に主様よりお言付けが御座いまして、例の刀を持ってくるように言われております」

「そっか。ちょっと待ってくれ」

 すぐに“破魔刀”の入った袋を取る為に一度奥に向かい、ついでにテレビの電源も切った。

 部屋の鍵を閉めてハユハに促されるまま食堂に向かう。

 部屋の窓など一切気にしていなかったが廊下の窓から見える景色は夕闇に染まっており、それなりの時間を経過していた事が覗えた。

 窓の外は月明かりがうっすらと照らしている位であるのだが、城内の廊下は照明器具の類が見当たらないにも関わらず、非常に明るく昼間の様であった。

 相変わらず入り組んだ廊下で道順などは一度で覚えられるかと聞かれたらノ―としか答えられないのだが、この城を主夫妻に次いで熟知している家令が案内してくれているのは非常にありがたかった。

 取りとめのない雑談をしているうちに食堂の扉の前に着いた。

 ハユハが呼び鈴を鳴らし、ハンスを案内してきた事を告げると中からメイド服の者が扉を開けた。

 巨大なテーブルの隅には既にシュタイナーとゲルダが座っており、手招きをしている。

 ハンスに気を使ったのか、それとも安心させる為かは不明であるが、二人とも人間界で過ごしていた時の姿をしている。

 ここだけ見れば曾孫との食事を待ちくたびれた老夫婦が曾孫を呼び寄せている様にしか見えないだろう。

 案内人のメイドに破魔刀の袋を預けて指定された席に座ると、シュタイナーが食前酒を何にするか訪ねてきた。

「食前酒って言われても人間界じゃあそんな豪勢な食事は結婚式に参列した時しか無かったから―」

「ハハハッ!こりゃあまた聞く事が増えたな!」

 ハンスが言い終わる前にシュタイナーが割って入る。

「これはバッカスの血筋の者に頼んで色々用意してもらった甲斐があるな!」

“バッカス”と聞くと神話で語られる酒の神の名前だという事は知っているのだが“バッカスの血筋の者”というのはどういうことだろう?

ハンス自身も人間とこちらの世界の者との混血ではあるが、血筋云々という話はあまり馴染みが無い。

 人間界でワイナリーや酒蔵が何代にも渡って受け継がれている様にこちらの方ではバッカスの子孫がそういう立ち位置なのだろうか?

 シュタイナーは笑いながら聞く事が増えたと言ったが、それはハンスにとっても同じであった。

「“バッカス”ってのは、人間界だと酒の神の事になってるけど、その“バッカス”と同一なのか? 」

「なるほど、そうきたか。人間界で“酒の神”として扱われている“バッカス”はこっちの世界では“伝説的な酒のプロ”って言った方が解りやすい。人間界の酒は彼がもたらしたものが大元で、製法を人間界に広めた事に加えてギリシャ神話の話から酒の神になったのじゃよ」

「なるほどね。要するに醸造家とか杜氏みたいなものって事か?」

「人間界の言葉ではそう現わして良いだろう。“酒の神”とはいってももう何代も前の者で故人なんじゃがな。今はその末裔が家業をついでおる。」

「なら、任せるよ」

「そうか?まぁ浴びる程飲めるだけ色々用意はあるから色々試すといい。では」

 シュタイナーがそう言うと、ハンスの席のテーブルの上にショットグラスに入った琥珀色の液体が現れた。

 一応色々と話を聞いて頭では魔術の類だとある程度理解しているつもりだが、何も無かった場所にいきなり何かが現れるというのは人間界での感覚からしたらやはり不思議だ。

ショットグラスに入ったそれはテキーラなのかバーボンウィスキーなのか見た目では全く解らない。

「乾杯!」

 シュタイナーの音頭に合わせてグラスを持ち上げると、特有の香りでそれがテキーラである事を認識した。

 口に含むと高濃度のアルコールによる刺激が口内に染み渡るのだが、人間界のそれとは異なり、刺激の中にもほんのりと爽やかさがあり、テキーラが持つ独特の味の中にある甘さも際立っていた。

「どうじゃ? 」

 驚いているハンスにシュタイナーが問いかける。

「これはいい。下手な高級品よりも口に合う」

「そうじゃろうて。ワシが今飲んでいるこのブランデーも人間界でならボトル一本10万ユーロはくだらない最高級の物と大差ないしな。もっとも、こちらの貨幣でユーロ勘算したらせいぜい1,000ユーロ程度じゃがな」

 グラスを傾けながらシュタイナーは言う。

「それは、人間界の貨幣価値がこっちでは100分の1にしかならないって事か?」

「いいや、そうではない。人間界の物価とこの世界の物価はおおよそ同じだし、ユーロ以外にも円やドルといった主要通貨はそのまま使える。単純に人間界では超高級品となる様なものでも、この世界では相対的に安い値段になっているというだけの話じゃ」

 確かに、ボトル一本1000ユーロのワインやブランデーというのは人間界でもホテルのラウンジや少し高級なバーなどではグラス一杯50ユーロ程度で常時取り扱いがある故、その程度のものは一般人でも記念に購入する事はそれなりにある。

 だが、だとしても人間界で最高級品と同じグレードのものが百分の一の値段だという事は非常に驚いた。

 各々が空のグラスをテーブルに置くとスッと消えて無くなった。

 そして次の瞬間、テーブルの上には皿に盛られた複数の料理と共にフォークやナイフが現れていた。

「どうだいハンス?お前さんの好物を色々と作って見た」

 まだ口を付けていないのに聞いてくる辺りゲルダは気が早い。

 とりあえず一口食べるが、非常に美味い。

 ハンスの父親は三ツ星レストランで雇われの料理長というオーナーシェフに次ぐ役職だったので、その影響からハンスもだいぶ舌が肥えていたのだが、それでも驚く程である。

「これは一体?今まで口にした事が無い程に美味い」

「まぁ人間界ではなかなかこれだけの材料は無いからな。この世界ではこれが普通サ」

 確かに、ラルに手渡されてこの世界で初めて口にしたベトナムコーヒーも非常に美味だったし、魔力や霊力の影響で人間界のものより良い物になるとは聞いていたが、これほどとは驚きだ。

 驚きながらもゲルダの手料理に舌鼓を打ちながらシュタイナーが突然切り出した。

「ところでハンス。刀の方はどうじゃ? 」

「…いや、さっき部屋で見て見たらだいぶ様子が違ったが、それは魔力のせいか?」

「その通り。この世界なら今の白鞘のままでもそれなりには使い物になる。もっとも、解っているだろうが今の白鞘のままでは戦闘には向かぬがな」

「…拵があるってことか?」

「ご名答。刀身に歪みや損傷が無ければぴったり合う専用の物をその破魔刀を鍛えた時に一式作ってある」

 やはりハンスの想像は的中していた。

「だが、作ったのはかなり昔じゃからな。鍔みたいにある程度サイズが合えば他の刀でも使えるものはともかく、鞘や柄は調整が必用じゃろうし、目釘も新調せねばなるまい」

 一体どれだけ昔に造られたのだろうか?

 人間界でもピカピカに光っていた刀身からは見当もつかない。

 博物館などに展示されいてる物は古い物でも職人の手によって手入れされた後に学芸員などの専門家が定期的にメンテナンスを行う為、中世に造られたものでも状態は良いが、やはり経年劣化によるものは素人でもそれなりに見てわかる。

 だが“破魔刀”に関してはそういう経年劣化の部分がまったくもって見られない為、ハンスはさほど古くない物だと認識していた。

「一体何十年前に作ったんだ?」

「そうじゃな…だいたいだが、500年前だったかのう」

「500年って…!曾爺さんはいったい何歳なんだよ…」

「今年で1004歳になる。直近で人間界にいたのは第一次世界大戦後の混乱に乗じて916歳の頃から70年程だな。人間界では計算しやすい様に歳を900歳誤魔化して人間のふりをしていたから第二次世界大戦に出征した時は19歳の人間扱いだったか?」

「900歳過ぎて人間の戦争に紛れこんでたって聞くと余計に混乱するな…」

「なぁに。こっちの者は寿命が人間のそれとは比較にならないし、900歳の老いぼれでも純粋な人間の若者と同等以上の身体能力はあるからな。年齢など些細な事じゃよ」

 言われてみれば昔、祖母から軍のパイロットだった曾祖父の遺品として“勲章”を幾つか見せられた事があった。

 祖母に言わせれば“箪笥の肥やしにもならない”物だということで、形見としてはかなり雑な扱いをしていたが個人が戦果を挙げて受けた勲章の金銭的価値はたかが知れていても、歴史的な資料としての価値はそれとは異なる。

 そういう部分からハンスはもう少し扱いを変える様に祖母に苦言を呈していた。

 確か、覚えている範囲では曾祖父のヴォルフガング・シュタイナーはいわゆるエースパイロットと呼ばれる程の戦果を挙げていた様で歴史的にも希な程の戦果を挙げていたらしい。

 パイロットとして新人だった頃、現代の様なレーダーが無かった事からあまり行われなかった夜間飛行を得意としていた事で初めの配属は偵察部隊だった様だが、何の因果か乗機が戦闘爆撃機 を現地改造した偵察機であったために、夜間偵察任務の最中に発見した敵の拠点をそのまま攻撃し、迎撃に来た敵機を固定武装の機関銃で返り討ちにするという離れ業とも言える戦い方で戦果を挙げていたのだとか。

 その為、夜闇に紛れ込む目的から彼の機体は国籍マークを除いて黒一色に塗装され現代のステルス機の様だったらしい。

 戦果を挙げた事で階級が上がり、その適性から配置転換で急降下爆撃部隊に転属し、急降下爆撃部隊に転属した事で乗機も変わったのだが、階級が上がった事で専用機に好きな塗装が施せる様になっていたので、偵察部隊の頃と同じく慣れ親しんだ黒一色で機体を仕上げ、夜間の空爆任務では目視による発見を困難にしていた。

 ただ、黒色の機体は昼間では逆に目立っていた様で、その正確な爆撃と急降下爆撃機という対空戦闘には不向きな機体をもってして、対空戦闘に特化した敵軍の戦闘機と渡り合い、多くの戦闘機を撃墜していた為に、敵軍兵士からは“Multirole(マルチロール) Raven(レイヴン)(多機能烏)”という渾名で畏れられ、敵の上層部からは彼との一対一でのドッグファイトは避けるようにという通達まで敵軍に出ていた程らしい。

 似たような話で、戦争初期に米軍が日本の<零式艦上戦闘機とのドッグファイトを行うな>という通達を出したのは有名な話であるが、それは開戦当時の米軍戦闘機の性能では同じ姿勢変化を追随して行なうとエンジン不調が発生する確率が高まるからでもあったからであり、パイロット個人の操縦技術ではなく、単純な性能の差の話であり比較にならない。

 史実によれば同時期のドイツに500輌以上の戦車に800台以上の装甲車・トラック、9機の航空機等を一人で撃破するという怪物的な戦果を挙げたルーデルという人物がいたようだが、彼ですら急降下爆撃による航空機の撃墜は1機であり、他の8機は戦闘機での戦果だ。

 人間と比較しても比較になるとは思えないが、シュタイナーが魔界の者だったからこそ人間には不可能でしかない事をやってのけたのだろうし、そう考えなくては矛盾が生じてしまう。

 そういう話を聞かされていたからこそ、目の前のシュタイナーの話も一先ずは信じてみる気持ちになっていた。

 それだけでも一般的な人間と比較したら根本から能力は違う。

 ならば、人間が“魔法”と呼ぶ様な事を簡単にやってのけたりするには一般的な人間とは身体能力に差があって当然だろう。

 むしろ、人間界以外の者が持つ身体能力を目にした人間が物語等の創作物にその姿を反映させていたとしても一切不思議ではない。

それどころか、ここでハンスが目にしたモノはその殆どが映画等で最新鋭のコンピューターグラフィックスを用いて表現されてきたそれに他ならず、並みの人間ならば、いっそ夢だと思った方が良いかもしれない。

 ただ、ハンスの場合は両親共に人間と魔界の者のクォーター同士であったが故に、自身に4分の1とはいえ魔族の血が流れている事からこの世界の者達の話やこの世界で目にした物が空想の産物ではないと本能的に認識していたし、それを現実だと受け入れざるを得なかった。

 そもそも、普通の人間ならこちらの世界の物を口にするとなると躊躇するのが普通なのだが、ハンスの場合はその出自からという事もあるのではあるが、通常の人間には毒となる様な物であってもそこまで“毒”としては作用しなかった。

 以前、ベニテングタケという鮮やかな赤に白い斑点模様のカサを持つ見ためからしてどう見ても毒キノコであるものを見た目が似ているタマゴタケという食用キノコと間違えて誤食した際も、通常の人間であれば死亡せずとも嘔吐や発汗の症状でもがき苦しみ、重症となれば幻覚や昏睡等の症状が二日以上続く場合もあるのだが、彼の場合は食当たり程度の症状に留まり、自然治癒力だけで回復していた。

 

 ―――それ故に、ある程度の毒ならばハンス自身が気にしていなかった為、手渡された物を口にすることにあまり抵抗感が無かった。―――

 

 4分の1だけ人間ではないハンスですら並みの人間とは違った事から完全に人間ではないシュタイナーが900歳を過ぎて尚、人間の若者として振る舞えた事に違和感は無かった。

 1000歳過ぎて尚、現役でこっちの世界の仕事をこなしているシュタイナーの姿を見ると、こちらの世界の者の寿命というのは非常に長いのだろう。

 創作の世界において、こういう異界の者の年齢は万単位で表わされる事が多いのだが、その位の年齢の者もそれなりに存在しているのだろう。

「人間界にいた頃の話を聞く限り、俺が昔聞かされていた話と同じで特に矛盾は無いからそこは疑いようが無いんだけど、刀についてはまだわからない事が多い」

「と、いうと? 」

「500年前に造ったという話が本当だと仮定した場合、保管用の白鞘は定期的に造りなおしていたとして、刀身に経年劣化が見られない上に、人間界とここでは全くの別物状態になってる事でその材質が何なのかという疑問が当然出てくるし、最初に執務室で聞いた話の通りの仕事を俺が引き受けた場合、果たしてこっちの連中とまともにやりあえるのかって疑問もある」

「ハンス。お前さんの疑問ももっともな話じゃろうから、それぞれの回答に納得がいくかは別にして話をする。先ず、刀の事じゃが、その材質自体はこちらの世界でしか精製出来ない特殊合金の様な物と言った方がわかりやすい。何せこちら側にしか存在しない物質で出来ているからな。“エクスカリバー”や“グラム”など人間界で伝説の刀剣とされている物はその“破魔刀”と同じくこちら側で造られている。もっとも、現在はその殆どがこちら側に回収されており、日本に実存している“天羽々(あまのはばきり)”や“布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)”は人間界の物質で造ったレプリカにすり替えられているのじゃがな。人間界から見て“魔界”とか“天界”と呼ばれるこちらの世界で造られてからそれぞれの目的の為に送り込まれた後、目的を果たしたら回収されるという流れで使われておる。そういう話なら理解できるかのう? 」

「なるほど…。そういう事なら色々と辻褄は合うな。だけど、俺が魔界の血族だからこの刀の力をある程度は引き出せるのだとしても、伝説に出てくる刀剣と同じ素材なら、俺の身体に流れ込む魔力が飽和状態にならない様にする為の細工や血筋の者が使った場合に特殊な波動を出す以外にも何らかの細工をしていないと、模造刀の様にはならないだろう? 」

「なかなか鋭いな…。おおよそはその通りで、ざっくりと言うなれば力の抑制が働く様にしてある。人間界では“武器”となり得る物に関しては国や時代によって色々と厳しい制約があるからな。人間界では力を抑制して刃が無い物に擬態する様になっている」

 確かに言われてみればその通りで、人間界では国や時代によって異なるが、銃砲や刀剣類に対して制約は付き物だ。

 特に、時の権力者が悪政を行っている様な時代では民間人による反乱が予想される事から、それを防ぐ目的で兵士以外が武器を保有出来ない様にする事は過去の歴史上、何処の国でも幾度となくあった。

 それ故に農民の反乱等では大方の場合、武器となりかねないが保有を禁止出来ない農具を改造した物が使われる事が多かった。

 特に、死神の象徴とされる大鎌はその長柄と直角に取り付けられていた刃を長柄を延長する方向に変えた物が1863年の1月蜂起でポーランドの農民兵によって広く用いられた事はかなり有名だ。

 そういう過去の事例からも、武器ではなく武器の模造品としてなら単純所持は規制対象外になるのが至極当然と言って過言ではない。

 そこまで考えているあたりシュタイナーはこの“破魔刀”を人間界に持ち込む事を前提にしていたのかもしれない。

「要するに人間界に持ってく事を前提に造ったって事か」

「そういう事だという事も出来るし、そうでないとも言える。こちらの者と人間の混血はもはや珍しくはないし、ワシかワシの近親者が人間界にまた赴く事はあり得るからな。先の説明ではその“破魔刀”はお前の魔力を吸うとは言ったが、それだけでなく、斬られた者は大幅に魔力を失う他、刀に蓄えられた魔力を解放する事で、ただの刀では不可能な能力を発動出来る」

「どういう事だ? 」

「例えばじゃが、魔力を放出しながら振れば大砲の様に使う事も可能だし、魔力の放出方向を操る事が出来れば、その刀の間合いに魔力防壁を展開する事も可能となる。もっとも、そういった芸当は、魔界や天界の者でもそれなりに修練が必用なのじゃがな」

「完全な魔界の者でもそれなりの修練を必用とするとなると俺にはかなりの修行が必用なんじゃないか? 」

「それならさほど気にする事は無い。武芸の嗜みはそれなりにあるじゃろ? 」

 確かにハンスは昔、父親によって実戦的な世界各国の武術を叩き込まれていた。

 だが、言ってしまえばそれは身体の訓練でしかなく、実際に喧嘩騒ぎに巻き込まれた時に使う事も殆どなかった。

 それは、ハンス自身が完全な人間では無かった事も影響していたからなのか定かではないのだが、同世代の素人相手の喧嘩であれば一対多数という圧倒的に不利な状況でも、丸腰での張り手や前蹴りといった武術とは関係が無い攻撃だけで相手を倒す事が可能であった他、反射神経の良さから角材や鉄パイプ程度の攻撃であれば簡単に回避出来た為に、わざわざ武術を使う様な事は無く、叩き込まれた武術がどの程度のレベルに達しているかハンス自身知らなかった。

「確かに親父から叩き込まれてはいるが、どれ程のなのか俺にはわからない」

「なるほどな。それは明日にでも試してみるとしよう。ゲルダ、ちょっと相手してやってくれるか? 」

「アタシなら構わないけど、自分で見なくていいのかい? 」

「ワシはまだ仕事が山積みでな。“破魔刀”の事もあるし部屋から映像で見る事にするよ」

「だ、そうだが、ハンスはそれで良いかい? 」

 こちらの都合など気にせずこの夫婦は勝手に話を進めているが、曾祖母のゲルダ相手に人間界で叩き込まれたものを試すというのは少々気が引ける。

 俺の相手に指名されているあたり、彼女はそれなりに武芸に秀でているのか、それとも完全な魔界の者だから故の余裕なのか。

「どうしてもって言うなら構わないけど、大丈夫なのか? 」

「ハハハッ!老婆を相手にする事には抵抗があるってか?聞いてなかった様だけど、こう見えてアタシは元軍属だし、非常勤だが現役の訓練教官サ」

「こっちにも軍隊はあるのか? 」

「軍隊とは言ってもこっちの世界じゃ戦争なんか何万年も起きちゃいないからな。主な任務はこっちの世界での防犯や治安維持、人間界との境界の警備や人間界でいうところの魔獣退治が中心で、人間界での警察や国境警備隊に近いかもしれないかな? 」

「そういうところの現役教官ならよっぽど強いのか? 」

「今のところ、ここ数百年はこちらの武芸大会でアタシに勝ったのはアタシが連勝記録を出す前に一度だけ出たヴォルフガングだけサ」

「武芸大会?一体それは? 」

「わかり易く人間界のもので例えて言うと、総合格闘技に武器の使用を可能にしたものってところかね?もっとも、使用する武器は合成繊維の代用品で安全なんだけどサ」

「古代ローマのグラディエーターにも似てるな」

「あんな野蛮なものじゃないサ。こっちの世界の技術は見てるからわかるだろうが、代用品故に実際にダメージが無くとも本物だったらどれだけのダメージが出るかって判定で試合が行われてネ。治療魔術も使えるが、実際に治療するわけじゃないし、相手が何ともなっていなくても致命傷相当と判定されれば勝ちっていう簡単なルールなのサ。かなり実戦的だけど怪我は殆どない。まぁ、出場者の最低レベルは凶悪な大型有害魔獣を素手で駆除出来る様なつわものばかりだけどネ」

 一体どれだけのつわものが集まるのか想像も出来ない。

 人間界なら大型の有害鳥獣駆除ともなると非武装では太刀打ちできないし、場合によっては完全武装した軍隊が投入される事すらあるのに、大型の有害魔獣を素手で駆除出来るレベルが最底辺とは。

 しかもその様なつわもの達の中で数百年の間1位を維持しているとなるとそうとうな強者なのだろう。

 そんな怪物的な強さを誇るゲルダを負かしたとあればシュタイナー以上に強い者はいないのかもしれない様に思える。

 そう考えれば祖母から聞かされていた人間界の空軍でのシュタイナーの活躍にも納得がいく。

「って事はこっちの世界最強はひいじいさんって事になるのか? 」

「いや、あくまで武芸大会の出場者の中での話に過ぎない。表に出ないアウトローな連中の頭とかそういう類の者の実力は本人以外、誰も把握していないからな」

 言われてみれば確かにそうだ。

 人間界でも“200戦無敗”という記録を持ったスポーツ選手もその競技の中では最強でも、別の競技でも強いかと問われればそうではない。

 人間界においても実際、相撲や柔道、キックボクシングなどの競技で頂点を極めてから総合格闘技に鞍替えした結果、そこではタイトルを一切取れなくなった選手はいくらでもいた。

 だが、人間界の総合格闘技に武器の使用を可能としたと形容される武芸大会となると話が違う様な気もしなくない。

「要するに現役の教官のひいばあさんが俺の今の実力を試すって事か? 」

「そういう事サ」

 なんだか話が勝手に進んでいるが、尊属とは言え人間以外と戦うのは少しばかり気分が高揚する。

「だとしたら、運動着みたいなものは持ってきてないんだけど、大丈夫か? 」

「それなら大丈夫じゃよ。ここには一通りのものはあるから何の心配も無い」

「なるほどね…」

 とにかく今日はこの城に泊まる事になるのはどうやら決定事項の様だ。

 本当なら用事が済んだらすぐに帰る予定だった為に、着替え等は一切持ってきていなかった。

 家令のハユハが言う様に欲した物が提供される冷蔵庫の様な機械から煙草等も出てくるなら問題は一切無いが、流れで宿泊となると不安な要素はいくらでも考えたら出てくる。

 まして、ここが人間界ではないとなれば尚更だ。

 かといって、今の俺に拒否権は無さそうだ。

 ゲルダの手料理を平らげると食器の類はやはり全て消えて無くなっていた。

 そして、かわりに灰皿と葉巻に装飾が施された高そうなライターとコーヒーが置かれていた。

「この葉巻は? 」

 シュタイナーに問いかけると彼は既に葉巻に火を着け食後の一服とでも言わんばかりの様子だった。

「人間界の物よりもかなりの上物じゃ。その懐の煙草よりお前さんの口にも合うと思う」

 ジャケットの内ポケットの煙草の存在を見透かしている辺り、シュタイナーには透視能力でもあるのではないかと勘ぐってしまう。

「なるほどね…」

 既に吸い口はパンチカットと呼ばれる切り方で付けられていたので、ライターで火を着けた。

 ゆっくりと吸い込み口の中で煙を転がすと独特の香りが広がる。

 昔見た映画で、海兵隊の戦闘機パイロットが任務の際に御守として葉巻を持って出撃し、無事に帰還出来た時に吸うという描写を見てからハンスも何か重要な出来事の前には一本ずつ金属製のケースに入れられたバラ売りの物を購入して御守にしていた為、葉巻の作法は熟知していた。

 ハンスは葉巻の中では愛好家も多く特にブランド力も強い事で有名なキューバ産の物をそういう時に吸っているのだが、それと比較しても全く別物と言って良い程の物だ。

「どうじゃ? 」

 葉巻の味に驚いているとシュタイナーが唐突に問いかけてきたため、むせびかえってしまう。

「ゲホッ…ゴホッ…コイツは下手なキューバ産の物より味が良い。人間界だとどれくらいのクラスなんだ? 」

「人間界は国によって税率も違うし、一慨にどうとは言えないが、一本50ユーロ程度の物と同じなんじゃないか?まぁ、こっちでは10ユーロでお釣りが来るんじゃがな」

「こっちでは人間界の高級品が安いのは良く解ったが、それで商人は利益が出るのか? 」

「それか?簡単な事で人間界でいうところの“ベーシックインカム”が制度として確立していてな。毎月一人頭での金銭が分配されておるから、食うに困るという事は無いし、一定以下の儲けはそのまま懐に入るから逆に利益が多くなると税金として取られる額が増える故に、薄利なんじゃよ」

「だとしても財源はどうなってるんだ?累進課税で高い収益の者から回収して、富の再配分をするとなれば…」

「富の再配分という面で高所得者には高い税率が適用されているが、それは一部に過ぎない。人間界でいう国営の企業やカジノの様なもので出た収益が財源の大半でな。ラルと市場を見てきたからわかるだろうが、人間界と違って個人商ばかりなのは、大きな利益を出す大規模な商業施設に民営のものが無く、大規模なものが全て国営化された結果だ。人間界ではあり得ないだろうが、未だに国の専売品になっている物も多くてな。娯楽施設や大規模商業施設、専売品の利益がそのまま財源となっているんじゃよ」

「要するに格差が出にくい環境になっているわけか…」

「人間界でも近しい国はあったろう? 」

「確かチャベス政権下のベネズエラでは貧困層への対策としてスーパーを国営化するとか金持ちから搾取する政策を取っていたみたいだが、結果的に富裕層が暴動を頻発させていたと聞く…でもそれはオイルマネーが背景にあったからじゃないのか? 」

「人間というのは欲深い生き物で足る事を知らん。こっちの世界が人間界から見て“天国”だったり“地獄”だったりするのは捉え方の問題だけでなく、人間界よりも1000年は進んだ観念があるからじゃろう」

「なるほどね。俺は政治家じゃないし、経済学なんかよく知らないが、上手く出来ているって事か」

「そう考えて差し支えないじゃろう」

 やはり人間界とは様々な面で大きく異なっている。

 シュタイナーの話から推測する限り、経済観念は人間界を二分した資本主義や共産主義とは全く異なるし、そうなると人間界の常識は通じない。

「なるほどね。ところで、二人が本当に俺の直系尊属なのかって疑問はまだ残っているんだが、何か俺の血族しか知りえない情報はあるか?」

「まぁ、姿を変えたり出来る以上はその疑問が拭えないのも納得じゃな…ワシがお前と同じ立場なら同じ事を聞くじゃろう…。そうじゃな、ならば明日、ゲルダを相手に身体で感じて見ればわかるという答えはどうじゃ? 」

「一体どういう意味だ? 」

「その言葉通りじゃよ。何せここでの事はお前さんにはいくら頭で理解出来ようとも納得いかない事ばかりじゃろう?かといって何か話すとなれば長くなりそうだしな。その肉体で感じてしまうのが最も手早い」

「言ってることがよくわからないが、とにかくやってみればわかるって事か…」

 本当に謎しかここには無い。

 だが、帰る手段がわからない現状ではこの二人の機嫌を損なうのは得策では無さそうである。

「そうじゃった。“破魔刀”をここに」

 葉巻を吸い終えたシュタイナーが思い出したかの様にそういうと、先ほど“破魔刀”を預けた後、姿を消していたメイドが何処からともなく現れて彼にそれを手渡す。

 彼はそれを手早く袋から取り出すと、鞘から抜いてその姿をまじまじと見ていた。

 椅子に座った状態で切先から柄頭までの全長が120cmにも及ぶこの長い刀を鞘から抜いた事もそうだが、易々と扱う姿はやはりただ者ではないと言えるだろう。

「なるほど…そう言う事か…」

 刀を見つめながら何か思う事があったのか、ぶつぶつと独り言を漏らしながら様々な方向に向け多角的に異常が無いか確認している。

「拵をハンスに渡してくれ」

 そうシュタイナーが言うとメイド服姿の者がワゴンに乗せた拵を持ってきた。

 刀掛けに水平に掛けられたそれは日本刀の拵とはまるで異なる姿をしていた。

 鞘は後端部に厳つい金具が付けられている以外、特に変わった点は無かったが、鍔からはサーベルに見られる護拳の様な物が柄頭に向けて伸びてはいたものの、サーベルの護拳の様に柄頭とは接続されていないし、柄は日本刀のそれと西洋の刀剣の物を良い所取りして合わせた様な形をしていて柄頭には西洋の刀剣によく見受けられる打撃用の突起物と同じ様な物が取り付けられていた。

 シュタイナーに促されるまま、手に取って間近で見ると鍔から柄頭の部分に日本刀としては違和感を覚える。

 椅子から立ち上がって、試しに鞘から抜いて見ると、中身は案の定“つなぎ”と呼ばれる木製の刀型に入れ変えられていた。

 護拳の様な物は長さが20cm程で、真横から見た幅は2cm程度、厚さはおおよそ5mmに満たないだろう。

 柄頭の突起に関しては全長5cm程で高さが異なる八角錐を2対3程度の比率で上下に合わせた様な形をし、根元は楕円型の柄の短径に等しく、そこから広がって長径と同等に達した後に鋭くとがったデザインで出来ていた。

「鍔元にある楕円形の突起を押してみ」

 柄を見渡していると突然シュタイナーが話しかけてきた。

「これの事か? 」

 言われるがまま指で押しこむと、金具が弾ける様な音と空気を切り裂く音が入り混じりながら護拳の様な部分が素早く飛び出し180度展開した。

 その動きはまるでジャックナイフと呼ばれる類の自動開刃式の折り畳みナイフのそれと遜色ない。

 今は仮に木製の刀型が入れられているが、その部分が展開した状態は十手の鈎の様にも見えた。

「これは? 」

「見ての通りじゃよ。護拳としても使えるし、展開すれば十手の鈎と同じ様にもなる」

「つまり、相手の刀剣を受けた時に絡め捕る事も出来るって事か?でも、強度はどうなんだ? 」

「その辺なら問題ない。護拳状態でも鈎としても充分な強度が出る様に、ロック機構にもかなり強度を上げてあるからな。現代の人間界でも折り畳み式の銃剣は採用されているだろう?それと同じじゃ」

「なるほどね。だけど、この状態じゃあ鞘に干渉しなくても納めるのは難しくならないか? 」

「その通り。じゃが、さっきの突起をもう一度強く押してみ」

 言われるがまま鍔元の突起を再度強く押しこむと今度は元の方向に自動で戻った。

 どうやら完全に計算済みだった様だ。

「ちなみにその突起を押す力を弱めれば、バネが解除されて180度向きが変わるまで固定されない」

 どうやらこの鈎と護拳を兼ねた部分はバネの力で可動と固定が行われているらしい。

 仕組みとしては単純だが、故に強度を高める事は容易く、信頼性は高いだろう。

 バネなどの機械的な機構がここまで円滑に動くのを見るととても500年前の物には思えなかった。

「それの使い方さえ理解すれば後は、普通の刀剣と同じで、柄頭のスパイクは接近戦での打突用じゃ」

「なるほどね。見た目通りに色々な刀剣の良いとこ取りなわけだ」

「刀身と拵の調整をするのにこのままワシが預かって構わないか?やはり500年もすると刀身を見た限りは少し手を加えねばならなそうじゃからな」

「俺は身の安全さえ保障してくれれば構わないが」

「安心せい。この城はアタシが守っている以上は余程の軍勢でも陥落する事は無い」

「いや、そうじゃなくて…」

「まぁ、いきなり人間界から呼び出されたなら、不安なのもワケないか…。ならコイツを持っておくといい」

 そういうとシュタイナーは懐から大型の回転式拳銃を取り出して渡してきた。

 その拳銃はかなり大きく、重量は2kg程度で全長は40cm程あるだろうか?

 携帯するには少々重く、それ大きすぎる様に思える。

 スポーツハンティングでライフルやショットガン以外に予備で使われるサイドアームと呼ばれる類で使われる物なのだろうか?

 口径も一般的な物よりかなり大きく、シリンダーを開くと装弾数は5発である事がわかる。

 銃とは別に渡された弾はその寸法は単三の乾電池程の大きさで、俗に言うマグナム実包なのだろう。

「そいつは人間界の大型拳銃をそのまま持ってきた物じゃから使い方はわかるじゃろ?弾も純正の物じゃから動作不良を起こす事は無いじゃろうて。確か純粋な破壊力だけならば人間界最強の拳銃らしい」

「なぜ、そんな物を? 」

「試しにそいつでワシを撃ってみ。そいつはシングルアクションでもダブルアクションでも撃てる」

 その様な事を言われても曽祖父と同じ姿をした者に銃口を向けるのは躊躇する。

 だが、ここの世界では色々と人間界の常識を破った事象に遭遇して来たし、何か対抗策を持っていなければシュタイナーもそんな事は言わないだろう。

「安心しな。外しても大丈夫だし、撃ってみればヴォルフガングの言う事がどういう事かわかるサ」

 ゲルダまでその様に言ってくるので意を決し、一発だけ弾を込めて銃口をシュタイナーに向けて引き金に指を掛けた。

 撃鉄を手動で起こすと同時にシリンダーを回転させて引き金を引くと撃鉄が可動して発砲するシングルアクション方式でも、引き金を引くだけで一連の動作を行うダブルアクションでも発砲できると言うので、あえて手動で撃鉄は起こさず、安全装置を解除して重い引き金を引く。

 すると、発砲と同時に凄まじい爆音が響いた。

 人間界では最強の破壊力を持つ拳銃だけあって、爆音だけでなく反動も凄まじかったが、弾丸は真っ直ぐにシュタイナーを目掛けて突き進み胸のあたりに命中した。

「…意外と効くものじゃな」

 一時的にシュタイナーは蹲ったものの、人間界では最強の破壊力を持つ拳銃の弾丸をその身に受けても何食わぬ顔で変形した弾丸を手にしていた。

「これでわかったろう?アタシらに対しては熊相手にも有効な銃でも暴徒鎮圧用のゴム弾みたいな物サ」

「…要するに人間に対する武器もこっちの世界では非殺傷武器になるってことか…」

「そうさネ。アタシらにとっては鉛弾なんざ当たれば痛いが怪我をする程じゃない。相手を怯ませて逃げるのが護身の基本だろう?これだけの爆音なら撃てばすぐわかるからネ。防犯ブザー代わりとしての威嚇効果もあるサ」

 ニヤつくゲルダを横目にシュタイナーは平然と話を再開する。

「ゲルダの言う通りワシらには傷を負わせなくとも、お前さんには致命傷になるから自分を撃たない様に暴発には注意しておけ」

 確かに人間の武器が異形の存在には効果が無く、何か特別な装備でなければ倒せないという話は昔からある。

 それにしても熊でも倒せる程の威力の弾丸を受けても平然としている様子を見ると、生きて人間界に戻れるか余計に不安が増した。

 こちらの者に対して殺傷能力を持たないとはいえ、武器を一応持たせるという事はハンスの身の安全は保障するという事の表れだろう。

 そういった事から刀を取り上げられて異界の地で丸腰になった事から来る不安感は幾分か解消された。

 しかし、ハンス自身には致命傷を与えるという事はそれだけハンスが限りなく人間に近いのだという事でもあると言える。

 ハンドガンとは言ってもかなり大きな銃である為、狩猟用の拳銃としてならまだしも、他の用途で使うとなれば取り回しに少々難がありそうだ。

 もっとも、使わないで済めばそれにこした事は無いし、長い銃身は自決用に使うには非常に厄介である為、ハンスが変な気を起こしても最悪の事態を避ける狙いがあっての事だろう。

 再びシリンダーを開けて空薬莢を取り出し、弾を入れ替えてシリンダーを閉じて安全装置を掛けてテーブルに置き、再度椅子に座る。

 空薬莢はまだ熱を帯びていたが、火傷する程のものではなかったので銃や残りの実包と同じ様にテーブルの上に置いていたが、気付いた時には消えていた。

 空の食器が消えた事もそうだが、どういう仕組みで回収されているのか見当も付かない。

 やはり、人間の言葉でいう“魔法”の存在が無ければこれらの事象の説明は不可能だろう。

「どうやらソイツの扱いは大丈夫そうだな」

「まぁ、人間界では外国の射撃場で色々と試し撃ちをしていたからな。一通りの銃は撃てる」

「じゃろうな。言わずもがなじゃが、リボルバーは構造が単純で万一不発を起こしてもそのまますぐに次弾を発射出来る利点は護身用途には最適じゃろうからな。それに弾切れを起こしてもその長い銃身を握れば万が一の時はハンマーとしても使える」

 やはりシュタイナーは全てを理解した上でハンスにこの銃を持たせたのだろう。

 ここまで来ると若干不気味といえる。

「とりあえず“破魔刀”の調整をしなければならぬし、今宵は一先ずお開きにするかのう。ワシは部屋に戻るが二人はどうする? 」

「アタシは明日の昼食までの仕込みも終わらせてあるけど、明日のハンスとの事の準備がまだだからネ。アタシも部屋に戻らせてもらうよ」

「そうか。ならハンスも部屋でゆっくりしておくといい」

「部屋までの道順、覚えてないんだけど…」

「仕方ない、ゲルダ、構わないか? 」

「部屋まで連れてけって事かい?大周りだけどアタシは別に構わないサ」

「そういう事じゃからハンス、ゲルダに付いていけ」

「わかった…」

「それじゃあ行くとしようか」

 銃を腰のベルトに差し、残りの弾薬をポケットに入れると、ゲルダに引き連れられるまま食堂を後にする。

 相変わらず照明器具が見当たらない廊下は明るいし、時計が役に立たないのでどれだけの時間が経ったかなんてわからないが、廊下の窓からは月が見えていた。

 ただ、ここが人間界ではないからか不明だがその月は人間界で見る月の様な黄白色ではなく、不気味な茜色に見えた。

「月の色が違う…」

 思わず心の声が漏れてしまう。

「あぁ。それかい?チョットこっちに来てみな」

 ゲルダに促されるまま窓際に向かうと、彼女は手を触れずに窓を開けた。

「どうだい? 」

 窓を開けたことで夜風が流れ込んで来る。

 窓枠のそばから外を見るとそこには満面の星空が広がっていて息を呑んだ。

「これは一体…」

 ガラス越しでは見られなかった星空はもとより月の色も変わっていた。

「なぁに。簡単な事サ。人間界の窓ガラスも偏光ガラスとかアクリルガラスとか色々あるだろう?それと同じサ。ここの窓は少し細工をしてあってネ。壁に掛かってる絵画と窓ガラス越しに見える空を合わせて一つの作品になる様になってるのサ」

「つまり、窓から見える空は意図的に見え方が変わるって事か? 」

「正解。もう少し踏み込んだ事を言うと、角度でも見え方は変わるのサ」

 どうやらここが人間界ではないという事は関係なく、単純に窓ガラスの材質のせいだという事には肩すかしを食らった感が否めない。

 窓から離れると自動で閉まり再びゲルダと廊下を進んだ。

 ハユハと来た時は細かい所まで気にする余裕は無かったが、初めて通るわけではないので細かい所まで目が行く。

 先ほど、ゲルダが飾られている絵画と窓の外の景色を合わせて一つの作品になる様にしてあると述べていたが、美術館並みに絵画が飾ってある。

 これらの絵画だけでどれ程の価値があるだろうか?

 無名の画家が描いた物だとしてもこれだけの数になると数万ユーロはかかっていそうだ。

 そんな事を考えているうちに割り当てられた部屋の前に着いていた。

「到着っと。鍵はハユハから渡されてるだろう?」

「うん。ありがとう」

「とりあえず、明日に備えてゆっくりお休み。適当な時間に誰かが起こしに来るサ」

「わかった。」

 ゲルダが去って行くのを見ながら鍵を開けて中に入る。

 食事の時間までこの部屋にいたが、部屋の豪華さにはやはり圧倒される。

 銃と弾薬を机に置くと机の上の灰皿の横に魔法陣の様な物が現れて、装飾を施した銀色の箱が現れた。

 装飾の派手さを除けばそれは、人間界で市販されているシガレットケースにしか見えない。

 一通り見回すとやはり人間界で市販されているそれと同じ蝶番の二つ折りでツマミを指で押すと簡単に開いた。

 開いてみるとやはり見た目通りで中にはフィルター付きの紙巻き煙草が片側10本ずつの計20本が綺麗に並んでいた。

「差し入れか? 」

 様子見で一本吸ってみる。

 見た目に違わず紙巻き煙草のそれでしかない。

 ただ、味は人間界で売られている物の中では高値の物と変わらない程に良い。

 普段は平均的な値段のコンビニなどで容易く手に入る銘柄をハンスは吸っているのだが、たまに行く公営カジノでちょっとした収入があった時はそういう物を吸う事が度々あったので、味は何となくだがわかる様になっていた。

 銜え煙草で先ほどの銃をもう一度よく見る。

 安全装置が掛かっている事を確認して刻印に目を向けると“S&W M500”という文字が彫られていた。

 シュタイナーは“人間界の物をそのまま持ってきた”と言っていたので携帯端末でインターネットに接続し、検索窓に“S&W M500”とそのまま入力するとフリー百科事典のページに辿りついたので項目を開く。

 この銃は“スミス&ウェッソン”という銃器メーカーが販売している“M500”というモデルの回転式拳銃で、一般に流通する物の中では世界最強の拳銃らしい。

 その弾薬は“.500S&Wマグナム”という拳銃弾では最高威力の物を使っているらしく、粗方シュタイナーの説明通りであった。

 だが、シュタイナーは触れていなかったが、この銃は威力のみを追求したが故にその反動も凄まじく、連続して撃てば手が痺れて感覚が麻痺してしまう程らしい。

 その様な物の直撃を受けても平然としているシュタイナーは本当に怪物の様にしか思えないし、そんな物を目の当たりにしたとなれば、ここが人間界ではない事を再認識させられる。

 携帯端末のネットワークが人間界と繋がるのは不思議であるが、そのお陰でこういう調べ物が可能であるのは助かる。

 あまり深く追求して妨害電波でも出されてはたまらないので今は深く追求せずにいるが、本当に不思議である。

 とにかく明日はゲルダから直々に訓練を受けるという事なのでそれに備えよう。

 着替えなど持って来ていなかったが、とりあえずランドリーシューターの様な箱に放り込みシャワーを浴びた。

 バスローブを着て髪をタオルで拭いていると呼び鈴が鳴った。

(こんな時間に誰か来たのだろうか?)

 一抹の不安はあったので、シュタイナーから渡された拳銃を後ろ手に持って背中に隠しながら扉を開けると、そこにはハンスの再従兄弟にあたる“ゲオルグ・ブルクドルフ”が立っていた。

「久しぶりだな!ハンス!ひいじいちゃんからこっちに来たって聞いたから飛んで来たよ!」

「何だ?その言い草からして、お前はこっちにいたのか? 」

「あれ?その様子だと、誰からもそういう話は聞いてないか?人間界では度々お前の家に遊びに行ってたけど、俺は完全にこっちの世界の者だからな。」

「そうだったのか?―」

「なぁに。人間の血が入ってるかどうかなんてそんな事は些細な問題さ!人間界でも異民族間に生まれた子なんざいくらでもいただろうに? 」

 ゲオルグがこちらの疑問を先読みして話すのは昔からだったし、彼が人間界にいた頃は公には同い年ということだったので、長期休暇の際には互いの家でよく遊んでいたのははっきりと記憶していた。

「その恰好を見るとどうやら風呂上りってところか?とりあえず後ろに隠してる物は必用無いだろう? 」

「確かにそうだが、お前、透視能力でもあるのか? 」

「んなもん無くたって今のお前の姿勢を見れば後ろ手に何か隠し持ってる事くらいは誰でも解るよ」

「それもそうか。言われてみれば確かに、片手をずっと背中に隠しているとなれば何か隠し持ってる事は想像に容易かったな」

「ちょっと見せてもらっていいか? 」

 隠し持っていた拳銃を見せると、ゲオルグはそう言いながら俺からそれを取り上げる。

「別にお前だから良いが、返事してからにしろよ」

「そう堅い事言うなって」

「まったく。昔と何にも変わらないな。とりあえず中に入れよ」

 ゲオルグを部屋に招き入れるが、部屋に入りながら彼はその拳銃をじっくりと見ていた。

「これはお前が持って来たのか? 」

「いや、晩飯の後にひいじいさんに渡された」

「なるほどな。これじゃあ人間が護身用のトウガラシスプレー持つのとこっちじゃ変わらないぞ? 」

「まぁ。そこはデモンストレーションで見せられたよ」

「なら良いけど」

 そう言うなり彼はその銃を机に置き

「とりあえず飲み物もらうぞ」

と言いながら冷蔵庫の様な箱の扉を開ける。

 再従兄弟とは言っても兄弟の様な間柄だからか、まるで自分の家にいるかのような振る舞いだ。

 確かに昔からゲオルグはこういう自由奔放な所はあったが、いい大人になってこの調子だと彼の普段の身の振り方がどうなのか気にはなるが。

 冷蔵庫の様な箱から飲み物を取り出すと、彼はおもむろに煙草に火を着けながら椅子に座った。

「ふーっ。それにしてもこっちの事は全然聞かされてないのはちょっと気にはなるな。お前がほとんど人間だから“人間として生活”出来る様に教えてなかったとしても不思議は無いが、俺や他の親戚筋の話を考えたら多少は知らないと不便じゃないか? 」

「あぁ。お陰でこっちに来てから驚き過ぎてだいぶ疲れたよ」

「だろうな。そこで俺の出番って訳さ」

「どういう事だ? 」

「明日、お前がひいばあちゃんに力試しさせられるって話は俺もこの部屋に来る前に聞かされてる。正直、いきなり何かしろってなれば俺だって困惑するさ。お前が会った事も無いひいじいちゃん達の話より俺の口から聞いた方が色々と信用しやすいんじゃないか? 」

「確かにそうだな。一応聞いとくが、この銃はお前にも通用しないんだよな? 」

「そりゃあな。これだけの物ならクォーターのお前には致命傷を与えかねないが、完全なこっちの者には殆ど効かないからな。だから“トウガラシスプレー”と同じってわけだよ。そんな事よりお前の不安とかそういう問題についてだよ」

「そうだな…。何から聞けばいいのか俺にもわからん」

「そっか。じゃあ、変身能力の事は? 」

「全く聞いちゃいないさ。お前は今の姿で人間界の家に来てたけど、それは仮の姿なのか? 」

「いや、俺の場合はこの姿が本来の姿だ。人間界では尻尾は隠していたけどな」

「いわゆる魔族にも色々いるんだな」

「まぁ、人間と見た目が似ていたお陰で幼少期から人間と共存出来た。俺が人間界の大学の博士号取って人間界で学者として働いてたのは知ってるだろ? 」

「そう言えばそうだったな。でも、わざわざ人間界で働く必用なんてあるのか? 」

「“学者”ってのはこっちの世界の技術を人間界に輸出する為に人間界で必用な肩書だっただけさ。実際は貿易商と言った方がいい。人間界でも技術貿易ってやってるだろう?それと同じだよ。今はこっちでやってるがな」

「なるほどね。確かに学者が発明したって事にすれば、何処かの雇われ技術者が発明したって言うよりも効率は良いな」

「そういうこと。やっぱり魔力とか霊力を動力源にしてる物を人間界のエネルギーで使えるように改造してそのまま輸出しても、誰が発明したかで後々揉めるし、元の構造をわかってる者じゃないと説明が出来ないからな。昔は仕組みだけ人間に教えて人間に独自開発させてたらしいが、時代に適合しない物も多々あったみたいで、エジソンなんかいい例だ」

「どういう事だ? 」

「例えばだが、蓄音器の発明は利用法が後から考えられたってのは有名な話だろう?当時彼に技術を授けたこっちの者は使い方まで教えていなかったみたいでな。“新しい使い方を考案した”って話で使い方を広めたのはこっちの者達だ。まぁ人間界で発明家と称される者の多くは人間界から見た魔界とか天界の者から技術指南を受けているか、俺の様に人間界で過ごしているこっちの者かのどちらかさ」

「そうか…。なら誰が発明したかで揉めたり、原理的には単純な発明でも急な技術革新が起こるのも納得出来るな」

「そう言う事。だから“貿易商”みたいなものだって表現したんだよ」

「まったく。半分はこっちの者だって言うのに親父達は何も教えてくれなかったからな」

「そうだったか。まぁ周りの人間に“完全な人間ではない”って話が解ると面倒事に巻き込まれかねないしな。仕方ないんじゃないか? 」

「だとしてもあまりに情報が少なすぎたよ」

「“魔女狩り”とかそういう話は知ってるか? 」

「学校の歴史の教科書レベルなら」

「実はこっちの者でわざと“魔女狩り”に掛かっては火炙りになる遊びをしていた者達がいてな。その拳銃の件でわかっただろうけど、そういう連中は火炙りになろうが猛毒を飲まされようが、死なないからな。そういう遊びの巻き添えで人間が“魔女狩り”の犠牲になった事から人間相手にそういう過激な遊びを行う事が一切禁止されたし“悪魔払い師”とかそういうペテンを減らす目的もあって人間界での制約は多い」

「まぁそう言う話だって事なら無理矢理でも納得は出来るな」

「そう言えば、まだ“皇帝草”は使ってないんだよな? 」

「あぁ。それがどうかしたのか? 」

「あれはこっちの者も使う薬草だが、人間が使うとこっちの者と変わらない状態に肉体を変化させる。人間界で“不老不死”の薬を権力者が求めたとか、不老不死になった揚句、不思議な力を操る様になったって話が各地に存在するだろう?その不老不死の薬の正体は“皇帝草”さ。今は完全に禁輸措置がなされているし、人間界に流出したものは全て処分していて使った人間はこっちに移住させたと聞いてるが」

「そう言う事か」

「もっとも、4分の1はこっちの者であるお前の場合は単純に魔力とか霊力を操れるようになるのと人間の部分とこっちの者の部分が逆転するだけだがな」

「魔力とか霊力の話は聞いてるが、逆転するってのはどういう事だ? 」

「簡単に言うと、一番の身体的変化は俺らと同じ様に対人武器は効かなくなるって事さ」

「つまり死ななくなるのか? 」

「それはさすがに俺らでも無い話だよ。完全なこっちの者でもいずれは寿命が来て死ぬ。ただ、その寿命が人間のそれより大幅に長いし、人間界の武器で俺らにダメージを与えられる物となると最低でも20mmの火砲は必用ってだけさ。まぁ20mmの航空機関砲の直撃でも、人間で言えば鉄パイプで殴打される程度ってとこかな? 」

「要するにそれだけの打撃でようやく骨折レベルな程、こっちの者は頑丈に出来てるって事か? 」

「そういって差し障りないだろう。それに回復魔術が使えればそんな物すぐに治せるさ。まぁこっちで造られた武器なら当然話は違うんだが」

 ゲオルグの話で色々と理解出来た部分はあったが、やはり話だけでは腑に落ちない部分も多いし、かえって謎が深まった部分も否めない。

 だが、彼のお陰で多少の不安は払拭されたのもまた事実ではある。

 一通り話を終えると

「向かいの部屋に泊まってくから何かあったら呼んでくれ」

と言い残し部屋を出ていった。

 とにかく明日に備えてベッドに横たわった。

 余程緊張していたのか相当疲れていた様ですぐに眠りについた。

 どれくらい眠っていただろうか?

 時計など役に立たないので時間など気にしない様にしていたが呼び鈴で起こされる。

 まだ眠気も残っていたがリモコンの様な物を使ってドアの外の映像を出して応答すると、そこには家令のハユハが立っていた。

「ハンス様。おはようございます。朝食の準備が整いましたのでお迎えに上がりました」

「わざわざありがとう。すぐ準備する」

 迎えを待たせるわけにもいかないので手早く身支度を整える。

 昨日、ランドリーシューターの様な物に放り込んだ服は綺麗に洗濯され、きちんと畳まれた状態で部屋のボックスに転送されていたので、それに着替えて身支度を整え、ハユハと共に食堂に向かう。

 食堂に着くと既にシュタイナー夫妻は座っていたが、再従兄弟のゲオルグの姿はなかった。

「おはようハンス。昨夜はよく眠れたかい? 」

「何とかって言った方が無難かな? 」

「そうか。まぁそんなもんだろうネ」

 ゲルダは相変わらずの様子だったがシュタイナーは何やら気にしている様な素振りでいた

「ひいじいさん、何か気になる事でもあるのか? 」

「なぁに。ゲオルグの事じゃよ。今に始まった事じゃないが、あいつは寝起きが非常に悪いからな」

 確かにゲオルグは昔から寝起きが非常に悪かった。

 単に朝が弱いだけなのだろうが、熟睡すると地震が起きても平然と眠っている程に簡単には起きなかった程である。

「まったく、あいつは仕方のないやつじゃ―」

「寝起きが悪くて悪かったね。おはようさん」

 噂をすれば何とやらとはよく言ったもので、話している所にゲオルグは唐突と現れた。

「本当にお前は世話が焼ける。お前の父親もそうじゃったが、そこは似なくていいぞ」

「そこは遺伝じゃない? 」

「まったく変な所ばかり遺伝したな」

 シュタイナーの呆れ顔を見るに、これは特別な事ではない、いつもの事であると容易に想像出来た。

 ゲオルグが席に着くと朝食がテーブルに現れる。

 昨夜もこの唐突に何かが現れるのは見ていたが、人間界ではあり得ない情景だ。

「そういえばハンス。運動着とか色々用意してあるから、食べ終わって一息ついたら着替えて準備しな。細かい事はゲオルグに聞くといいサ」

 目の前に供された食事に手を着けながらゲルダから指示が出た。

「どういう事だ? 」

「言った通りサ。昨日、アタシが相手して力試しするって話したろう? 」

「確かにそうだけど―」

「なぁに。心配する様な事はないサ。あくまでも今のお前さんの力を試すだけだからネ」

「まぁそう言うなら…」

 時間までは昨日聞かされていなかったし、完全に気が抜けていたところでその話をされると食後のコーヒーも味気なかった。

 帰る手段も無い以上はこの流れに身を任せるしかないし、それ以前に拒否権も無いと言って過言では無さそうなのだが。

 食事を終えるとゲオルグに案内され、トレーニングジムのロッカールームの様な場所に連れて行かれた。

 そこで食堂を出る際にメイド服の者から渡された運動着に着替えていると、ドアをノックする音が聞こえたので振り返る。

 出入り口の外はゲオルグの背中で塞がれ、彼はその向こうの相手と何やら会話していたために、はっきりとは見えなかったのだが、僅かな隙間からメイド服が一瞬だけ見えた。

(一体何を話してるんだ? )

 こちらの疑問を知ってか知らずか、そこそこ長話になっている。

 用件が済んだのか彼が扉を閉めて振り返るとその手に何やら色々と持っていた。

「コイツがお前さんの武器らしいぜ、ハンス」

 彼から渡されたそれは“破魔刀”を模して作られた模造品の様で、鞘から抜くと柄の仕掛けを除いたら全て木で出来た一般的な“木刀”そのものであった。

「このベルトの金具で鞘を固定するけど使い方はわかるか?大工が腰に道具をぶら下げるのに使うベルトと同じ様なもんだ」

「要するに工具差しベルトを流用したって事か? 」

「どうやらそうらしい。俺もこれにはさすがに驚いたね。急造品らしいんだろうけど」

「なるほど。コイツでアレの使い方も試せって事か」

「何の事だか知らんが、今のお前にはキツイ事をさせるかも知れないな。まぁ俺を含めてここの者はそれなりに治療魔術を使えるから、骨折程度までなら瞬時に治してやるから安心しな」

「“骨折程度”とは軽々しく言ってくれるぜ」

「人間には大事でも俺らにとっては簡単に治せるからな。人間でも格闘技で熟練者レベルとなれば関節外れても自力で治せるだろう?そんなもんだ」

「確かにな…中には病気も薬を使わずに治したって語り草になってるレスラーもいる位だし、感覚的には理解できるが、骨折となると人間は重傷だよ」

「まぁとりあえずやるだけやってみれば人間とこっちの者の違いはわかるだろうよ」

 ゲオルグに連れられるまま廊下を歩き、外に出た。

 そこはこじんまりとした庭の様な場所で広さはテニスコート2面分程だろうか?

 全く飾り気も無く、周囲は石積みの低い壁で簡単に囲われていた。

「ここは?」

「裏庭とでもいった感じかな?見ての通りで普段は特に何かする場所でもないな」

「なるほどね。まぁこの広さなら力試しには丁度いいか」

 しばらく他愛のない会話をしていると、ゲルダが現れた。

 戦闘用の服装に着替えた様で腰には剣の様な物をぶら下げていた。

「待たせたネ。とりあえず準備は出来てる様だから早速始めようか。ゲオルグ、魔術結界の展開は任せていいか? 」

「別に構わないけど、フィールドはどうする? 」

「全部任せるよ」

「じゃあ任された」

 その刹那、ゲオルグは魔法陣の様な物を展開させ景色が入れ替わった。

 そこは荒れ地の様な場所になっていて、先ほどまでそこにいたゲオルグの姿は無く、ハンスとゲルダだけになっていた。

「ここは? 」

「俺が創りだした魔術結界の中だ。力試しに良い様にネバダ砂漠をイメージした」

 ゲオルグの声は聞こえるのだが、姿は見えない。

「俺の姿が見えないのが不思議か?俺は今この“魔術結界”の外にいるからそっちからは見えないだけだ」

「そうか。魔法って便利だな」

「―さて、聞いた通り今アタシらはゲオルグが作った魔術結界の中だ。ここに存在する物は仮想現実の物だからどれだけ派手に壊そうが大丈夫サ。それじゃあ始めるからその木刀を抜きな。アタシのこの剣もそれと同じで、木製の物だから安心しな」

 そういうと彼女は腰の剣を抜いて見せた。

 彼女の言う通りで、それはどう見ても本物では無く、人間界でも訓練で使う類の物と全く変わらなかった。

 とにかく言われた通りに木刀を抜き、父親から仕込まれていた突撃の構えを取る。

 この構えは刃を上向きにして顔の高さで構え、左手の親指と人差し指で峰を支えるもので、突きの一撃必殺を可能にするものだ。

 元は室内戦等の狭い場所での闘いに向けたものだったが、独自に改良が施されていて、屋外戦でも有効になっていた他、万一外した場合の次の手が用意されていた。

「ほう。その構えか。当たるまでは反撃しないからとっとと当たっておいで」

「なら遠慮なく…」

 一気に突撃し木刀が空を斬る。

 このスピードでの一撃は防具を着けていてもかなり効果があるし、避けるのも容易くない。

 だが、ゲルダはそんな攻撃も意に介さず簡単に避けて見せた。

(伊達に教官をやってる訳じゃないって事か…なら)

 すぐに刀身を翻し、斜めに斬りかかる。

 通常なら避けた瞬間に出来る僅かな隙が突けるので突きは避けられても、この斬撃は避けようがない筈だった。

 しかし、そんな連鎖攻撃も彼女には通じず、余裕さえ見せられていた。

「何だい?その程度かい? 」

「まだまだ!」

 振り下ろした木刀の刃先を再び翻し、今度は八の字を描く軌道での四連撃からの突きに移る。

 人間ではないし、現役の教官とはいっても、さすがにここまでの連撃となると身だけで避けるのは無理があった様で最後の突きは剣で弾かれた。

「なかなかやるじゃないか?でも、まだまだだネェ」

「だったら!」

 弾かれたその勢いを逆に利用して持ち方を変え、引き込む様にして斬り込む。

 こういう変則攻撃は一般的に想定してない相手であればかなり有効ではあるのだが、それすら見切られていた。

「人間相手なら今のはかなり有効だっただろうが、所詮はその程度サ」

「ならばっ!」

 ハンスの渾身の攻撃を受けてなお、余裕を見せているのは癪に障るがまだ手が尽きたわけではないので、すぐに次の攻撃に移る。

 一撃が強い攻撃はその分だけ動きが大きくなりがちなので、ハンスは次の一手を常に用意している故にかなりの連撃が可能となっていた。

だが、それでいて一切当たらないので、何とか間合いを取り、木刀を鞘に納める。

「何だい?もう終わりかい? 」

「そんな事はない」

 鞘に左手を添えそのまま一気に走りだす。

 鞘ごと引き、柄頭で打突する形でのフェイントをかけ、避けようと身をかわしたゲルダに対して一気に引き抜き、鞘走りを利用した斬撃を与える。

 木刀とはいえ、鞘走りを利用した斬撃の勢いはフェイントを避けた直後とあっては避けるのは不可能だった様で、何とか一撃を与える事には成功した。

「ほぅ。なるほどネ。なかなかやるじゃないか。そんじゃあアタシからもやらせてもらおうかネ」

 そういうと先ほどまでは片手に軽く持っていた木製の剣をゲルダは両手に持ち、構えをとった。

 その構えは隙が一切無く、美しさすら印象に残った。

「いくよ」

 予告してから攻撃に移るとなると、やはりそれは余裕の表れなのか?

 ハンスも構えを変えて攻撃に備える。

 どんな攻撃でも対応出来る様に基本の構えをとったのだが、気付いた時には仰向けに倒され、ゲルダの剣先が首元に突き付けられていた。

「えっ…」

「攻撃はなかなかだが、防御は全くだねェ」

 腕を引かれて無理矢理起こされるが状況が飲み込めない。

「一体何が…」

「特になんて事ない。ちょいと本気を出してみただけサ」

 確かに来る気配はあったがこちらが構えた次の瞬間には倒されていた。

 そうなったら何が起きたのか理解出来る筈もない。

「そんなに驚く様な事だったかい? 」

驚いて茫然としているとゲルダはそう問いかけてくる。

「どうやったかって顔だネェ。ただ足を払っただけの事サ」

 簡単に言ってくれるが、倒れるまで俺の間合いには入っていなかった筈だし、動きに入るまでの動作は見えなかった。

「スライディングの要領で滑り込んで足下を掬ったと言えばわかるかな? 」

 足下に滑り込んで来たとは簡単に言ってくれるが、受けた側としてはそういう感覚は一切無かったので全く理解できない。

「そんじゃもういっちょやってみるかい? 」

 ゲルダの言う様に防御が弱いなら今度は防御に重点を置いて試す必要はありそうだ。

 個人的に守りに入る戦闘スタイルは好まないが、今はその方向でやらざるを得ないだろう。

 脇を締めて左腰の位置に柄頭が来る様に構え、右肩から刀身が斜めに身体を覆う構えを取る。

 この構えは、上半身を刀身で覆う事で上からの攻撃に対する守りは強くなっている為、下半身に一層の意識を向けやすい。

 先ほどは全体に意識を向けていたが故に、どうしても地震の間合いの視覚情報によって意識がどこかに集中すると一瞬の死角が出てしまう。

 先ほどはその一瞬を突かれる形になったが、今度はそうはいかない筈だ。

 その構えを見てゲルダはにやりと不敵な笑みを浮かべていた。

「なるほどネ。今度はそうきたか。なら…」

 先ほどは姿が消えた様に見えたが今度は真正面から突撃してくる。

 脚に力を込めて地面に踏ん張り攻撃に備えた。

 何とか受けとめる事には成功したが凄まじい速さで突っ込んで来た為に、その一撃は重く、彼女の華奢な身体つきからは想像出来ない程のパワーだった。

「飛ばされないとはなかなかやるじゃないか。でも…」

 受けとめた木刀から再び力が加わって来るのがミシミシと伝わって来た。

 こういう場合、次は相手を突き飛ばした反動を利用して間合いを開けるか、そのまま相手の武器を弾くかの二択がセオリーだろう。

 どちらにしても防戦一方になるのは変わりないので、木刀を弾かれない様に指先に力を込め、親指を鍔に掛けた。

 だが、予想とは裏腹にゲルダは力押しで一気に押し込んでくる。

 その力は凄まじく、受けとめている木刀が鉛の塊にでもすり替わった様に重く感じた。

 押し返そうにもそれだけの力が加わっていては、受けとめるだけで精一杯だった。

「なかなかやるじゃないか」

 押し合いの中で不敵な笑みを浮かべながらゲルダは呟く。

 こちらが精いっぱいの状況にあって、この余裕を見せられると正直戸惑うのが本音だ。

 だが、ハンスもそれなりに鍛えていた事で何とか踏ん張る事は出来ているが、かなり押されている。

(だったら…)

 再びゲルダが踏み込んで来るタイミングに合わせて力を抜き、木刀から右手を離す。

 そして身体を逃がすと勢い余ってゲルダは一瞬だけ前のめりになった。

 力押しではなく逆に相手の力を利用するというのは様々な武術で使われる方法であり、まして今の様な状況ではより効果的だろう。

 前のめりになった隙を突こうとすぐに右手を戻し、攻勢に出るのだが、それもあっけなく受け止められてしまった。

「押してダメなら引いてみるって判断は正しかったが、まだまだ遅いネ」

 木製の剣とはいえ、中世の騎士が用いていたいわゆる“ロングソード”という大型の剣を模した物をこれだけ早く扱える事も驚いてはいたが、隙を突いた一撃を半身の状態でこうも易々と片手で受け止められたとなると、力の差を実感させられる。

 とにかく力では勝ち目が見込めないので、何とかして間合いを取った。

「もうおしまいかい? 」

 相手が人間ならば恐らく隙を突けた事は間違いが無かったが、やはりこちらの世界の武芸大会で常に頂点に君臨しているだけあってか、余裕の表情を見せていた。

「まだまだ!」

 ハンス自身は特に意識しない様にしていたが、内側から何か熱くなるものを感じていた。

 それが一体何であるのかは不明だが、とにかく人間界では感じた事が無い感覚で、激しい高揚感にも似た物があった。

 その高揚感に身を任せているうちに何故か不思議と自分の身体が軽くなり、動きも大胆になっていった。

 そして高揚感が最大まで上がっていった時、突如としてペンダントの“霊結晶”が眩い光を放つと共に結界が解除された。

「一体どうしたんだ…」

「今日はこの辺にしといた方が良さそうだネ。ちょいと魔力の影響が出ちまったみたいだからサ」

「まさかここまでとは。外から見てた俺も驚いたよ」

「どういう事だ? 」

「そいつはお前さんの中の魔力が飽和状態にならない様にする為の物だってヴォルフガングから聞いてるだろう?今の光は急激に体内に流れ込んだ魔力を解放したってことサ」

「要するに時間切れって事か」

「そうさネ。まだこっちに来て二日目とあっては身体に負担がかかり過ぎる。ゲオルグもそう思うだろう? 」

「俺の魔術結界で魔力はかなり遮断して弱めてたが、それでもここまで一気にってのは予想外だよ」

「つまり、俺が感じてた“高揚感”みたいな物は魔力が原因って事か…」

「かもしれないネ」

 ゲルダによると力試しで激しい運動をした事で血流が良くなりそれに伴う形で魔力の吸収がどうやら増加したらしく、ゲオルグの魔術結界である程度は遮断していても、その吸収量は想定外に大きく、無自覚でも身体には相当な負担が掛かっている可能性が高いのだとか。

 そういう事情から今日は切り上げて、一度検査をする事になった。

 着替えて部屋に戻ると、シュタイナーが検査技師の様な白衣姿の者を伴ってやって来た。

 促されるままベッドに横たわり検査を受ける。

 検査とはいっても人間界で行われる様な大規模なものではなく、空港のセキュリティーで使う手持ち型の金属探知機の様な小型の機械を全身にかざした他は血糖値の簡易検査の様に指先から少量の採血を行っただけの簡単な物で、本当にこれで何かが解るのかとさえ思える様な内用であった。

 検査が一通り終わるとすぐに結果が出た様で、検査技師とシュタイナーは何やら話しこんでいた。

「どうやらワシの見込みが少し甘かった様じゃな…」

「どういう事だ? 」

「いや、なんと説明すべきか…うむ…。こちらの言葉で説明するしかないのじゃがな、お前さんの身体に流れる“気脈”はかなり特異な物だったらしい。ワシらの持つ“それ”よりも“魔力”とか“霊力”の吸収率が高い様で、先のゲルダとの力試しで今まで閉じていた“それ”が開いた様じゃ。ゲルダもお前の動きには驚いていた様じゃったが、これなら納得できる。本来、これだけ吸収率が高い脈の持ち主ならばその吸収した力を反映出来るのじゃが、お前の場合、人間の血が濃い事で、それが邪魔をして肉体への反映に留まってしまった様じゃ」

「全く意味が解らないんだが…」

「ゲオルグの魔術結界で遮断した内部は“人間界とこちらの世界の境界”と同程度まで魔力を下げていた様じゃが、それで飽和状態になる程、お前の“気脈”は吸収率が高いという事じゃ。例えるなら河川と海の境目である汽水域は淡水魚と海水魚が混在出来るじゃろう?その状態を魔術結界で意図的に構築したと言えば解るか? 」

「魔術結界の役割は理解出来たが“気脈”ってのがどういう物か一切理解出来ないんだが」

「“第二の血管”だとでも例えようか?今は閉じて元通りになっている様じゃが体内に流れ込む“魔力”や“霊力”が流れる管の様な物で、人間の目には見えないが人間にも備わっている。ただ、人間の“それ”は魔力や霊力に対応出来る力が弱くてな、吸収量に対して放出出来る量が少ない故に貯め込んでしまう。例えば血中の塩分濃度が高くなっても健康体なら発汗などで体外に自然放出されるじゃろう?その様な具合で我々は脈に流れる“魔力”や“霊力”がだいたい一定の量になっておる。もっとも、枯渇しても魔術の類が使えなくなるだけで、人間と同じ日常生活を送る事には支障は来さないし、生死はもとより健康上の問題は一切無い。こちらの世界の者が人間界で何事も無く過ごせるのはそういう理屈じゃ。で、お前さんは脈が開いた事で我々の以上に吸収効率が想定より高い一方で、排出が追い付いていない。」

 大雑把ではあるが理屈は理解できた。

 要するにハンスの場合は異界の者よりも魔力や霊力の吸収効率が高い特異体質でありながら排出量がかなり下回る事で、飽和状態になり易いという事らしい。

 まだ謎は多いが理屈は何となく飲み込めた。

「このペンダントを着けてれば問題は無いんだろう? 」

「あぁ。魔力が飽和状態になる事は防げる。しかし、先の様に脈が開いて一気にとなると身体への負担が無いとは言い切れない状況じゃ」

「策は無いのか? 」

「例の“皇帝草”でお前の肉体改造を行うのが一番安全で手早いが、まだ使う気にはならんじゃろう? 」

「昨日の今日でこっちの世界の事を理解しろって事がまず無理があるし、いくらこちらの状況を体感したからと言っても、こちらの世界にしか存在しない物はまだ信用ならない」

「じゃろうな。一先ずは暫くの間、ゲルダたゲオルグを相手に戦闘訓練をして様子を見るしかなさそうじゃな」

 シュタイナーの発言から察するにまだ数日は人間界に戻れそうにない。

 もっとも、事務所は閉めて来たし、最初にこちらに来る時点で暫くは仕事の依頼は入っていなかった。

 こちら側でも携帯端末が使えるので、事務所に掛かって来た電話はや電子メールは全て転送される仕組みになっていたが、今のところそれも入っていないので、戻らなくとも不都合はないのだが。

 だとしても、こちらの世界に長期間留まるのは元の生活を考えるとあまりよろしくなさそうだ。

「1時間…脈が開いた時に、それがお前がこちらで何事も無く派手に動ける時間の限界と考えた方が良さそうじゃな…結界内の様に魔力が抑制された環境下の半分じゃ…まぁ、普通に生活する分には今回の様に“霊結晶”が一気に大量の魔力を解放する様な事は無いから気に留める必要はない。もっとも、こちらにいる以上はゆっくりではあるが、常に体内に魔力が流れ込む事に変わりは無いから体内の魔力を一定にするために“霊結晶”か“破魔刀”は必要になるがな」

「普通の生活なら“霊結晶”か“破魔刀”で時間なんか気にして無かったが2時間はあの結界の中にいたって事か…」

 霊結晶が体内の魔力を一気に放出した原因がわかった事で少し安心した。

 それが理由かは定かではないが、空腹感に気付く。

「ところで腹減ったんだけど、昼飯は? 」

「あぁ、そうじゃった。そろそろ支度は出来てるだろうから食堂に行こうか」

 シュタイナーと共に食堂へ向かうと既にゲルダとゲオルグが席に着いていた。

「その様子じゃあ“霊結晶”とかで一定に保ってれば日常生活は今まで通りって事かな?だいぶ派手にやったから空腹だろう? 」

 こちらが何か言わなくとも見切った様にゲルダは言う。

「それは派手にさせた張本人のセリフじゃないだろう?俺も結界内であれだけやられたから結構消耗したよ」

 こちらの様子を見てかゲオルグは軽口を叩いて場を和ませる。

「まぁ。とにかく昼食にしようじゃないか」

 席に座るなり、シュタイナーがそう言うと、すぐにテーブルの上に料理が並んだ。

 魔法というのは非常に便利で、普通なら準備に時間がかかる様なテーブルの支度も一瞬で行われる。

 色々な者から聞いた話をまとめると“魔法”とか“魔術”と言うのは様々な事をかなり便利にする一方“魔力”や“霊力”の存在があってこそのものであるし、いくら物事を容易く行えるとは言っても“無”から作りだす事は不可能で、この料理もゲルダが厨房で作らなければこの場には存在しない。

 魔法によって廃棄物を原子レベルに分解出来るのは物質を構成する原子を魔法で分解しているだけに過ぎず、人間界でも“プラズマ”を利用して物質を分解する研究は行われていた。

 もっともこちらの世界においては、人間界の“創作”で描かれる“錬金術”の様に物質の分解に留まらず、大気中の二酸化炭素から炭素を分離させてその炭素からグラファイトを精製して鉛筆の芯などを作り出す事も可能なのだという。

 その為、人間界では“宝石”として扱われる鉱物はこちらの世界では原材料という認識の方が大きいらしい。

 人間界でもルビーやダイヤモンドは人工的に合成されているが、それにはそれ相応の設備が必要となる。

 だが、魔法を使った場合はその様な設備が不要である為、簡単に合成出来る。

 これらの事が御伽噺などで、天使や悪魔から宝石を授けられたという話の元になっているし、魔法で作った宝石を人間界で換金する者もそれなりにいるのだとか。

 ただ、それなりに魔力を消耗するのは当然の事で、熟練者でも一日に合成出来る量は限度があるそうだ。

 人間界で換金可能なレベルの宝石を魔法で合成出来る程度の者でなければ人間界に行く事が出来ないそうで、それが出来るからこそ人間界での通貨を得る事が出来る。

 そういった事情もあって人間界の通貨がこの世界でも使えるのだそうだ。

 昼食を終えて部屋に戻る。

 相変わらず豪勢な部屋で使わない場所も多く正直な話、勿体ないようにも思えてしまうが、ここがいわゆる“城”であるので、使用人の部屋とゲストルームにはそれ相応の格差を出さねばならないのだろう。

 刀はシュタイナーに預けてしまっているし、いくら電源や回線を気にせずに人間界の端末が使えるとは言っても、それでゲームをやる気にはならなかったし、一先ずはテレビを見て時間を潰す事にした。

 そこに映し出される映像は相変わらずで人間界のテレビとは異なり、スポーツや情報番組ばかりでドラマや映画などは殆ど無い。

 スポーツ番組を除くと、娯楽としての要素は皆無に見える。

 人間界でファンタジーやSFといったストーリーの映画はこちらの世界では日常的な話であるので、そう言う部分においては娯楽的な要素は無いのかもしれないが故に衰退していったのか、元から作られなかったかのどちらかなのだろう。

 ぼーっとしながらフットボールの試合を見ていると呼び鈴が鳴った。

 ドアを開けるとそこにはシュタイナーが立っており、例の“破魔刀”を携えていた。

「調整が終わったのでな。これからちょいと付き合ってもらっていいかな? 」

「何もやる事が無いから構わないけど、何をするんだ? 」

「コイツの試し斬りも兼ねたいわゆる“狩り”じゃよ」

「この時間から?何処に行くんだ? 」

「近場の山じゃな。猟場までは移動魔法で瞬間移動できるから移動時間の問題はない」

「刀で狩りが出来るのか?そもそも獲物は? 」

「イノシシだろうとシカだろうとそれなりに探せばいるじゃろう。まぁ人間界で言う“魔界生物”には気をつければ問題は無い」

「ウサギ程度なら刀一本で仕留められなくは無いだろうけどイノシシやシカ相手は無理がないか?猟銃でも使うなら話は別だが…」

「まぁ、言いたい事はわかるが、コイツが普通の刀じゃないから猟銃なんざ不要じゃよ。万が一の際にはワシが何とかするから心配はいらん」

「そこまで言うなら…」

 そう答えるとシュタイナーはラルがやった様に魔法陣を展開した。

 こちらの世界に来た時と同じく、目の前が眩い光に包まれたかと思えば、次の瞬間には森の中にいた。

 周囲を見渡すとそこは樹海の様に木々が立ち並び、程良い木漏れ日が辺りを照らしていた。

「それじゃあコイツを渡そうか」

 シュタイナーから受け取った“破魔刀”は昨日見せられた拵に所々改良が施されており、見た目で強化された事が覗い知れた。

 鞘から抜いてみると、昨日より一層禍々しくも美しい光を放っていた。

「これは…」

「ちょいと手を加えただけじゃ。基本構造は変えていないから安心せい。試しにここからあの木を斬ってみ」

 シュタイナーが指示した木はここから10mは離れてた。

「わかった。でもこの距離じゃあどう見ても届かないんじゃないか? 」

「まぁやってみ」

 言われるがままにシュタイナーが指示した木に向かって狙いを定め、刀身を思い切って振ってみると刀身から光の様な物が発せられ、その木を文字通りに一刀両断した。

「これは一体…」

「お前の太刀筋に魔力が上乗せされて放出されたって事じゃよ」

「要するに間合いが広がったって事か? 」

「人間界のSF作品でビームを使った刀剣が時々出てくるじゃろう?そういう類の物で出力を調整して火砲として使ったりする描写はこういうものを元に創作されたと言った方が早い」

「なるほどね…」

「そういう理由で猟銃など不要なんじゃよ。周りを散策してみようか」

 シュタイナーの後を追いながら樹海を暫く進む。

 鳥の鳴き声や風に靡く木々のざわめきが心地いい。

 そんな事を思っていると突然シュタイナーは立ち止まり静かにするように合図する。

「あれはなかなかの得物じゃな」

 彼の視線の先には身の丈4mはあろうかという熊がいた。

 こちらが風下に当たる為か存在に気付いていない様子で、無防備ではあるがその大きさにはかなり驚かされる。

「あれってヒグマか? 」

「いや、ツキノワグマじゃよ」

「だとしたら人間界のはでかくてもあの半分以下だしヒグマでもでかくてあのくらいだぞ…」

「こっちの世界の動植物は魔力とか霊力の影響で巨大化しやすいんじゃ」

「あれをディナーにするかのう。さっきの要領で仕留めてみ、失敗してもワシが何とかするから安心せい」

「晩飯は熊肉か…」

 意を決して気付かれない様にしながら距離を詰める。

 音を立てずに忍びよるが近づくにつれてその大きさには圧倒される。

 そっと鞘から刀を抜き、狙いを定めて振り下ろす。

 激しい閃光が熊を襲うが寸でのところでかわされてしまった。

 突然の不意打ちに激昂したのか熊はこちらに突進し、襲いかかってきた。

 巨大な前足の一撃を何とか避ける事には成功したが、その前足の一撃で大木が倒れていた。

(やばい…)

 無我夢中で再び刀を振り下ろすとその一撃が熊を捉えた。

 かなりのダメージを与えた筈だが、熊はまだ動こうとしていた。

 死に際の一撃で相打ちになるわけにはいかないので今度は頭を狙い、最大限の力で刀を振るう。

 再び凄まじい閃光が走ると熊は完全に倒れていた。

「やったか…」

 動かなくなった熊に安堵していると後ろから光の槍の様な物が凄まじい速さで飛来し、熊にトドメを刺した。

 どうやらそれはシュタイナーが放った物らしい。

「これで完全に仕留めたな」

「今のは一体? 」

「魔術の槍じゃよ。人間界の猟銃よりも速く飛ぶし、破壊力は今ので対物ライフル程度かのう? 」

「そんな事が出来るのか…」

「まぁ魔術が使えると色々応用が利くのでな。それよりハンス、お前の与えた刀傷は二撃当たってようやく致命傷を与えたようじゃが、熊ごときでこれはちと弱いな。とりあえずこいつを持って帰るか」

「…」

 シュタイナーの移動魔法で城に帰ると庭でハユハとゲオルグが待ち構えていた。

「こいつはなかなか。今夜は熊肉か? 」

「また、なかなかの成果ですねご主人様」

 どうやら狩りに行く事は二人とも知っていた様だ。

「この刀傷はハンスがやったんじゃが、まだまだじゃろ? 」

「だなぁ。俺なら一発で仕留めたと思うぞ」

「しかし、初めてにしては上出来でしょう。私が初めてご主人様とハンティングに向かった際は魔術槍の乱れ打ちでした」

 こっちが死ぬかと思った程の得物を見ながら平然としているのは人間基準では異常に大きな獲物でもこちらの基準ではそこそこの基準になるからなのだろう。

 食材としての熊でこの有様となればこちらの者とマトモに戦ったら勝てる気がしない。

 恐らく午前中のゲルダは相当手加減をしていたのだろう。

「まぁ刀の試し斬りが目的じゃったからこんなもんじゃろう」

 そう言うとシュタイナーは懐から携帯端末を取り出した。

「ゲルダ、なかなかの熊が取れたからそっちに回すが良いか? 」

「アタシは元から準備してるよ。厨房で捌くから早く転送してくれ」

「わかった」

 そう言って通信を切るとシュタイナーは熊だけ厨房に転送する。

 どうやら今夜は熊肉がメインディッシュに並ぶらしい。

 この世界は人間界より1,000年は文明が進んでいる様だが、野生動物が食卓に並ぶ辺りは何処の世界でも同じな様で少し安心する。

 しかしながら推定での全長4m、重量は500kgはゆうに超えようかという巨大な熊をどうやって調理するのかはかなり疑問だ。

 魔法が使えるとは言っても、これだけのものは解体するだけでも相当な労力がかかりそうなものである。

 ただ、これだけの獲物ならば俺たちだけでなく、城の使用人全員の胃袋を満たすには充分なのかもしれない。

「熊肉がディナーに並ぶのが不思議そうだな、ハンス」

 考え事をしているとシュタイナーが話しかけてくる。

「人間界でもそういう獣肉を使う食文化はあるからそこまで不思議な事はないが、これだけの大物を見てこの反応じゃあな…」

 とにかく夕食が出来次第また誰かが呼びに来るという事だったので、刀は再びシュタイナーに預けて部屋に戻った。

 こちらに来て二日目だが、ここまで驚き通しでいると非常に疲れた。

 どれ程の時間が経ったかなど考えていなかったが、暫くするとメイドが迎えに来た。

 異界の者とはいえ、ここのメイドの多くは、人間に近い顔立ちをしていて俗に言う“エルフ耳”程度しか見た目の差は無く、フリルが施され、ゆったりとしたメイド服の上からでもわかる程にスタイルが良い美人揃いだ。

 一体何人が住み込みで働いているのか不明ではあるが、かなり高度な訓練を受けているのか、一切の無駄な動きは無く、美しい所作で隙が無い。

 出来る事ならハンスの秘書として人間界に連れていきたいところではあるが、あまり仕事が安定していない現状では秘書を雇う余裕など無い。

 食堂のテーブルに座ると案の定“熊肉のフルコース”が供された。

 普通、こういう野生動物の肉は臭みを抜く為に熟成に時間がかかるらしいが、ここが人間界ではないからか、それともゲルダの腕が良いのか不明だが非常に美味だった。

 食事を終えるなりシュタイナーが唐突に切り出したのだが、暫くの間はゲルダの訓練を受け、そこで“破魔刀”の扱い方も教えられる事になるそうだ。

 帰る手段さえあればすぐにでも人間界に戻ってしまいたいのが本音であるが、その帰る手段が無い事で拒否権が無い状態になっていた。

 それからしばらくの間“気脈”を安定させる目的も込めて、午前中はゲルダによる訓練に加え、午後はシュタイナーによる“気脈の”状態の検査が続けられた。

 着替えに関しても背恰好が近いゲオルグがある程度の物を仕入れて来てくれた事もあって不自由しなかったし、煙草などの嗜好品も部屋に常時補充されていた他、三食寝床付きという状態故に訓練や検査を除けば特段の不満は無かった為、気付けば数カ月の月日が流れていた。

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