第四章 『反撃』
ドームのように外と分け隔てられた庭園で迷焦はとっさに石碑へと足を運ぶ。
その水滴が迷焦には涙のように思えたからだ。
石碑には一人の女性をを求める嘆きの言葉が連なっていた。
『会いたくても会えない。
気づいた時にはもう手遅れだった』
これが迷焦の心境とひどく酷似していたために少年はしばしその場で石碑の最後までを読み進める。
そよ風によって音を奏でる大樹からは木漏れ日が差し込み、迷焦の頬に流れる物をさらけ出す。
メイヤの声ではっとした迷焦はそれを拭き取り、近くへと駆け寄る。
「とりあえず奥まで行くぞ。作成は歩きながらだ。こいつを連れてけ」
そう言って巨竜であるアクウィールを剣にし、メイヤはそれを放り投げ迷焦が掴み取る。
爆音寺には出来る限りの時間を稼いで欲しいとメイヤが告げたために彼は迷焦たちと距離を空けて護衛となる。
久しぶりとなる土の上を歩く迷焦だが、その一歩一歩は普段よりもわずかに遅い。
疲れが貯まってあるのであろう。
逆に一番ダメージを受けていたメイヤだが、それを見せない足取りで魔術を発動させていく。
「僕の魔術ってのは地獄からありとあらゆるものを出す門なんだ。正確には死した者の恨みや恐怖なんかを具現化したものなんだけどな。これが意外に便利で」
手のひらサイズの門にメイヤは腕を突っ込み、小さなナイフを取り出す。
「例えばこのナイフで斬った者の血を飲めばその能力の一部が一時的に手に入ると言われている。拒絶反応はあるがな」
「それでアンゴルモアの力でも得ようっての? でも一部って事は味の薄いカレーみたいなもんだよね。それでプロに勝てるとは思えないんだけど」
「腹が空いたのはわかったが誰もあんなのの血を飲もうとは言わねえよ。問題は奴の弱点である氷だ」
「弱点?! そういえばさっきの氷の剣が効いたけど。でもまぐれじゃ」
「いや、ボルス教会のエンブレムを思い出せ。光と闇の竜。んで、光と闇ってのはこの世界じゃ炎の派生なんだ。多少無理があるかもしんねえけど対比の氷が効いたんだから信憑性はあると僕は考えてる」
「でも、僕の氷だとクオリティーがとてもじゃ無いけど敵わない。アクウィールや感情の補正で多少上がったとしてもあのピエロは神なんだ。光も闇もきっと神獣級だと思う。だからそれじゃ相殺以前に押し負ける。だから」
「敵わないと? 最初に説明したはずだぜ迷焦。僕の能力は獄炎を出すだけじゃない。獄氷もだせんだよ。んでこのナイフで血を飲ませりゃ」
「僕の扱う氷が根底から変わる」
メイヤの意見は状況を打破する一手となり得る。
氷の扱いが上手い迷焦によりクオリティーの高い氷を使わせれば更に期待出来る。
「溶けない氷って言われてる代物だ。それをお前の心に移植すると考えてりゃいい。あん時見せた世界を白に変える力を更に強化出来りゃ勝機もあんだろ。それに僕もやるから互いにフォローしあえばなんとかなる。いや、絶対殺せる」
赤い瞳に炎を宿らせるメイヤを見て迷焦はどこか戸惑う気持ちがあるのを感じる。
それを話すのと話さないとでは戦いに影響する。
そんな考えが過ぎる迷焦はメイヤに尋ねるのだ。
例え終わってから殺し合うとしても。
いや、だからだ。
「メイヤ。ヒサミ先輩はどんな人に見えた?」
「っ............今言う事か。わーてるよ僕が仇って事くらい」
「違う。単純に嫌みなく」
迷焦の問いにしばし沈黙するメイヤだが、ふと、口を開く。
「お前が思ってる以上にお前らを大切にしてたよ。多分お前が見えてるのと同じに見えてるよ。安心しろ、終わったら果たし合いを受けてやるから」
「恨んでないと言えば嘘になる。状況や立場からそれが僕だったかもしれないけどそんなの関係ない。でも、君がいなかったらここまで来れなかったと思う。それは感謝してる、と思う」
「わかったからキャラの弱いツンデレ辞めろよな。心は氷、だろ。ほれ、血だ」
「何でそれを? というかツンデレって女子限定のような......まあ黙祷始めるけどさ」
剣に付着した血を飲み込んだ迷焦は周囲の空気を無視して、心の温度を下げていく。
(心は氷。涙の粒でさえ冷たい氷の支配者である。僕は歩む。ただ一つの願いのために。無情な氷は永久凍土。ならばこの身体も氷。僕は氷だ。世界を覆う絶対零度の氷である)
迷焦はこれまでも変わり続ける。
中二病ワード満載のセリフも気にしなくなるほどに。
それはもう彼の中に恥ずかしいという感情すらあるかわからない事も示していた。
そして、ここで迷焦の知らない事を教えよう。
彼はこの力を使うたびに記憶を凍結させていく。
アクウィールの最大値が減るとはつまりこれの事でもある。
人間、これまで生きた経験が性格を構成している。
性格とはこの世界で魂と同義。
いずれ迷焦は消えるのかもしれない。
でも、それを知ったとしても彼は躊躇う事無く力を使うだろう。
迷焦は優先順位は身内に、栞に大きく傾いているのだから。
次第に庭園の植物に水滴が見え始め、メイヤの吐息が白くなる。
今回はそれだけじゃない。
迷焦の足元から氷の膜が張られていく。
いるだけで世界を侵食していく。
まるで迷焦が氷の世界の住人になったかのように。
そのものであろう。
迷焦はメイヤから受け継いだ力で地獄の門を開き、手に握られた紺碧色の剣をその中に挿入していく。
引き抜かれた剣には空気を凝結させていく冷気が漂い、暖かだった庭園にとどめを刺した。
陽光を放つ空がひび割れ、メッキの世界が剥がれていく。
姿を表す月光が迷焦の瞳に共鳴するようだった。
と、すぐ後に爆発音が遠くから唸りを上げる。
爆音寺の辺りからだ。
煙を上げキンキンと耳を痛める声が迷焦たちに届く。
「一人撃破。あれあれこれは......えらく寒いですぞ。ここは出来れば壊さないで欲しいのですが。まあ後数分の間に召喚されるからいいのですがね、あれ?」
と、アンゴルモアが庭園に侵入し、この庭園の異常さを垣間見る。
天井がはんばから崩れ、黒い空が顔を覗かせる。
大地を踏んだ足が吸い付かれるようにアンゴルモアの歩行を阻害した。
「まさかまだ諦めていないと? 私は神なのですぞ。今なら間に合うのですぞ。栞も戻り、力も手に入る。最高でしょうや」
アンゴルモアの最後の誘い。
しかし、迷焦たちはそれぞれが剣を持ち、大樹の陰で忍ぶ。
「行くぞ弟」
「弟じゃない。ただ邪魔なら廃除する。それだけ。疑似創造書庫は作戦通り貸すから失敗はしないよう求む」
「なかなかな変わりっぷりだなおい。いいぜ、存分に殺し合おうや。本来の僕もそっち側だからな。つーわけで死ねやペテン師」
一人は氷のように無情なる者。
一人は青い炎のように冷静に燃え、時に黒炎のように激高する者。
二人の神殺しが大樹の左右から這い出て、それぞれアンゴルモアに攻め立てる。
迎撃するために前に出るガブリエルたちを迷焦が一撃で切り裂いていく。
弾ける氷の実のように、それまで身を潜めていた氷の空気が瞬く間に巨大な幹へと豹変し、他のガブリエルを、庭園ごと飲み込んでいった。
だが、相手は神の力を持つ者。
腕を振るだけで近づく全てを凪払う。
アンゴルモアは指を鳴らし、漆黒とおぼしき巨腕を空中から招来し、迷焦たちを押し潰すよう大地にぶつかっていく。
それをかわしながら迷焦とメイヤは接近する。
メイヤがアンゴルモアの杖を弾き、迷焦が隙を狙う。
二つの違う飲み物が混ざり合い、新たな味を作り出すよう共鳴した二人の動きが見事な連携としてアンゴルモアに攻め立てる。
そして、後ろから走るメイヤがアンゴルモアに炎々と燃え盛る赤き巨剣を突き刺す。
それがアンゴルモアの体を内側から燃やす。
(これは枝の破滅......まさか)
アンゴルモアの目が見開いた先、続く氷の剣を携えた迷焦が突きのモーションに入る。
温度差による物質の崩壊。
スルトの炎に焼かれたアンゴルモアがそうはさせまいと杖を構える。
だが、
(動かない?!)
アンゴルモアの腕が氷の鎖によって止められる。
メイヤの操作が作用したらしい。
その一瞬の隙に迷焦の光の矢が炎の剣を押し出すようにアンゴルモアの体を再度貫いた。
燃え盛る体を一瞬の間に凍結させ、アンゴルモアの体の崩壊を進行させる。
呆気に取られるアンゴルモアをよそに疑似創造書庫をキャッチしたメイヤが凍りつく敵を弾く。
「畳みかけんぞ!」
「了解」
大地に転がるアンゴルモアに迷焦が剣を振り抜く。
「いやぁぁぁぁ」
アンゴルモアは間抜けな叫びでそれを回避。
落ちる氷柱の数々もかわしていく。
立ち上がったアンゴルモアは鬼ごっこを全力でやる子供のように氷の幹を間を潜り抜け、押し寄せる二人から逃げる。
「こんな事してただですむと思うなよですぞ。神が許さないぃぃ」
「死ねやッ!」
メイヤは氷に染められた創造書庫と黒色の二つの剣がアンゴルモアの息を止めるために振り下ろされる。
が、
「だから許さないといったのに」
アンゴルモアの声がぞわりとメイヤの肌を撫でる。
と、光の爆発、闇の牙や拳、光線など様々な攻撃が一秒の間にメイヤを食らった。
焼き尽くされたメイヤは翼を取られた小鳥のように放り投げられていく。
だがメイヤの口元は笑っていた。
横から迷焦が走ってくる。メイヤの手から離れた疑似創造書庫を掴み、両手の武器を槍に変え、たんたんとした表情でアンゴルモアとの距離を消し飛ばす。
アンゴルモアは再び杖を回そうとするがそれを槍で弾き、もう片方の槍で心臓を捉える。
「ゲイ・ボルガ」
勝つことを約束された槍がアンゴルモアを穿つ。




