第三章 『妖精の生き写し』
ディオロスの大振りから繰り出される一撃は山をも砕く巨人の拳のように重く、大地を爆発させて迫り来る。
体に戦慄が走り、どうしようも無くそんな自分が情けなく思う。
でも止まらない。迫るディオロスの巨剣に対して僕は怒涛の雄叫びのまま突っ込む。
「遅いですよッ!」
もちろんはったりだ。でも半分は本当。
研ぎ澄まされた五感が120%の力で情報を与えてくれる。
スローモーションともまた違う。
自分のギアが一段階上がったような。
とにかく自分の速度が上がっている。
シナプスが有り得ないほどに繋がっている感覚。
だからこそこの速度を生かして畳みかける。
跳躍した僕はディオロスの巨剣の腹をなんと踏んで攻撃をかわしてみせた。
達成感が体を伝う。
もやもやが晴れた現在の心は晴天そのものであり、今なら何でも出来ると思えてしまう。
テニスの世界ではこの事をゾーンと呼ぶそうなのだが感情が力と直結するこの世界ではそれ以上の効果だ。
ディオロスの攻撃をかわす、かわす。
体が軽い。心が軽い。
いつものような冷静さはある。ただ少しテンションが高い。それだけだ。
あれほど恐ろしいガブリエルの攻撃が嘘のように当たらない。
落ちていく葉っぱを指で貫くのが困難はように。ひらひらとかわし、時に一太刀を加える。
有頂天となった僕の心は更に力を増し続ける。
そんな僕にディオロスは嬉しそうに、でも苛ついたような表情をする。
「それでこそだ!」
両手で握られた巨剣が突きの構えをとる。それが見える。
動かされる巨剣は僕の左肩に焦点を合わせている。
だから僕は突きが放たれた時には右に逸れていた。
そして調子に乗っていた僕はディオロスの左腕が巨剣から外れている事にその時に気づいたのだ。
僕を誘導するために。左拳を叩き込むために。
回避は間に合わない。
そう判断した僕は剣を迫り来る拳に衝突させる。
だが、ディオロスの拳は鋼のように固かった。
剣はディオロスの拳を切り裂くどころか逆に押し返される。ディオロスの馬鹿力は強烈な自信となって己の肉体にも影響を及ぼしているらしい。
一向に刃が通らない。拳が重い。
だから剣をずらして拳に滑らせ、僕は攻撃の軌道から逸れる。
でも不安が消えない。
体を回転させる事で勢いを殺さず、蹴りを入れてその反動で距離を開かせる。
途端、僕の予想が正しかったと再認。
さっきまで僕のいた場所をディオロスの巨剣が通過したからだ。
切り返しが早い。
ディオロスの巨剣が再度全力で振られる。
衝撃波が地面を喰らい、それでも足りないのかこちらに迫り来る。
あの衝撃波は厄介だ。
でも、所詮は空気の波。
「空気なら凍らせられるよね」
僕は衝撃波そのものを凍らせる。勢いそのものもだ。
普通なら無理でもここは夢世界。
可能と思えば出来るのだ。
ドヤ顔の僕にアクウィールが呆れた声を上げる。
『そんなに使って大丈夫? 忠告したよねボク。テンションが高くなっているのはいいけど疲れは出るよ』
頭の中に直接送り込まれるため息。
僕も心の中からアクウィールに弁解の言葉を提示する。
『大丈夫、大丈夫。消費よりも生産が上回ればいいだけでしょ。なら簡単だよ。人間は感情なんていくらでも生産出来るもんなんだよ』
『ならいいけど。とにかく攻撃は受けないでよ。受けたら即降参してよ』
この世界での肉体は感情粒子、心の器。
器に穴が空くという事は感情粒子が漏れる。
一定の感情粒子が体から抜けると死ぬのだ。
ちょうど生命を育む血のように。
だから傷を負ってはいけない。
逆に傷を負わなければいいのだ。
『受けないから大丈夫だよ』
僕は少し笑い、その後はディオロスとの死闘だった。
力は敵わないが速度、運動神経なら勝る僕はかわして、いなして一気に距離を詰めてちびちびと攻撃。
ディオロスはそんな僕に圧倒的破壊力で攻める。
互いの五感は最大限にまで研ぎ澄まされ、ぶつかる金属音一つが音符のように聞こえてくる。
そう。これが僕とディオロスの戦いだ。
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選手専用観戦室で栞は泣いていた。
思いを告げるどころか逃げ出してしまったのだ。自ら負けを認めてしまった栞はそんな自分を恥じている。
ボロボロと大粒の涙をこぼし、顔をくしゃくしゃにしているのだ。
そんな栞を爆音寺は慰めようか大人しくしようか迷っている。
乙女はよくわからないと常々爆音寺は思う。
そんな二人をよそに観戦室へとある子供がやってきた。
「子供な僕が失礼します」
白髪に王子様風の服を身にまとう十歳前後の子供。
リオンと呼ばれる人形めいた顔立ちの子供である。
爆音寺はリオンから放たれる殺気にいち早く気づき、迎撃のために動くが白髪の子供はいちいち気にしていない。
爆音寺は音を操る能力者にして触れるだけでリオンの体が弾けるようになっている。
そんな破壊の腕がリオンに迫る。
それなのに。
「邪魔ですよ。“モイライ”やっちまえ」
それだけで爆音寺から血反吐が出る。
「がはっ......何が」
爆音寺の体に小さな無数の穴が空いている。
見えない糸が爆音寺を拘束したように更に地面に押し止める。
もがく爆音寺にリオンは淡々と告げる。
「この糸を無理やり切れば君が死ぬので抵抗は止したほうがいいですよ」
リオンは軽快な歩きで魔法を放とうとする栞の前に来る。
それでもリオンは止まらない。笑みを浮かべて栞の気を逸らすよう明確な言葉を提示する。
「迷焦の事で悩んでいるんだよね」
「えっ」
「うんわかるよ。好きなのに思いを遂げられず、自分を呪って悲しんで何もしてない」
「何を......」
「力無き自分を呪え。欲しいものは力で奪うんだよ。他の女から奪え。心も体も」
「そんな事駄目だよ。メイメイはラルさんを」
「だから奪うんだって。それに脈ありだと思うけど。その迷焦君も」
「でもそんな」
「偽善はよしなよ。本音を言おうよ」
リオンは既に魔術を発動している。人の心の闇をさらけ出させる呪いを。
徐々に抵抗の意志を弱める栞の顔を一瞥し、リオンは微笑む。
爆音寺の喉にはリオンの糸が向けられており、喋れば殺すと脅されている。
リオンの思う壺だ。
ダストレーヴの作戦は順調に進んでいる。
そして彼らの作戦はガブリエルが召喚させるボルスの力を横から奪う事。
ならばボルスを召喚させるために必要な事を揃える。
そして、ガブリエルはボルスのために何が必要と言っていただろうか。
妖精の少女と似た少女と言っていたではないか。
それが栞なのだ。
ただ、リオンはなぜ栞なのかは知らない。
でも、必要な事だけはわかる。
だから。
「僕が君に力を上げるよ。破綻者という力をさ」
洗脳に似たそれは栞の心を蝕む。
「ワタシは......こんなの。ただメイメイといれれば良かったのに。なんで、なんで」
はずだった。力を求め、他者を蹴落とす意思を持つだろうと思われたリオンの予想を裏切り、栞は自己矛盾に捕らわれていた。
恋とは押さえられないものだ。それを必死で抑えようとする栞。
迷焦を手に入れたい。迷焦に迷惑はかけたくない。
二つの矛盾した感情は互いを滅ぼしあい崩壊する。
「ごめん、メイメイ。ワタシは......駄目だね」
栞の体にヒビが入り、羽化が始まる。
肉体は存在理由。それは理性という感情の抑制装置とも言える。
それが砕け、中から溢れんばかりの感情が這い出る。
蝉の脱皮のように栞の背中から純白の翼が押しでる。
魂の真の存在。破綻者の誕生だ。
「まあ結果的に破綻者になったからオウケイかな」
呟くリオンをよそに破綻者となった栞は観戦室を吹き飛ばした。




