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3-1

 今日は朝から教室に向かう廊下で石神先生に出会ってしまった。ついてないなぁ。先生に聞こえるくらいの音量でそう呟いちゃったけど、何故かホッとしている。今日は体が重くって、きっとそれは精神的なものから来るやつで、丁度吐き出したいとか思っていたからだ。


「おう!松岡じゃないか!その後、どうだ?昨日ちょっとは大学とか仕事とか、調べたか?」

「いいえ、全くです」

「お前なぁ…。あ、そうだ。今週土曜日、模試だろ?サボるなよ」

 …ん?模試?…聞いてない。いや、聞かなかっただけかな、先週のホームルーム出てないし。


「その模試、2年生でも判定出るらしいからな、どこの大学行きたいか、書いとけ」

「はーい」


 私は曖昧に返事をした。それだけ言うと、石神先生は満足げに生徒指導室へ歩いて行った。私には、木刀を担いでいるみたいに見えた。…担いでないけど。


 ――大学、か。頭に浮かんだ『穂村医大』の四文字。…いやいや、それはごんべーの行きたい大学で――あれ?私、なんでごんべーのことなんか考えてるんだろ?…ごんべー、勉強してるかな。あーあ、朝から授業に出る気がなくなっちゃったな。保健室に行こっかな。私は教室に向かう足を止めて保健室へと、方向転換していた。


 渡り廊下を歩いていると、生ぬるい風が全身を包み込んでしまう。夏はなんでこうも私に熱を帯びさせるんだ。さぁ…と木々が揺れて、勢いのある風が吹いた。やはり生ぬるい。もう何か月も切っていない髪が、汗ばんだ首筋にまとわりついた。髪、切りに行きたいな。どうせならバッサリといこう。心機一転、この毎日が変わるように。私が変われるように。



「いらっしゃい、つぐみちゃん。今日は朝早いのね」

「はい。早く起きたんです。でも先生、私ここで寝るから私が起きるまで起こさないでくださいね」

「はいはい」


 綾野先生は困ったように笑った。やっぱり、田舎のおばあちゃん、って感じがする。私の知っている親戚にはこんな優しそうな笑い方をするおばあちゃんはいないから、日本の典型的なイメージの話だけど。


「おはようございます、先輩。朝からサボりですかぁ?」

 中から聞こえてきたのは、少年の声だった。ふうん、今日はごんべー居ないんだ。


「朝から元気だね、少年」

「もしかして、朝からサボりってことは、あの、有名な、つぐみ先輩ですかぁ?」


 何なんだこいつは。どうして私の名前を知っているんだ。私がキッと睨むと、少年は背筋をピシっと伸ばした。


「少年ってやめてくださいよ。僕は一年の坂松です。さて、今日も恋愛マスター坂松篤志が、迷える子羊ちゃんのお悩みをお聞きしましょうかぁ?」


 少年…いや、『自称』恋愛マスター坂松篤志は慣れた動作で立ち上がり、手を差し出した。今からダンスでも踊りだすみたいだ。


「篤志君、その子はあなたの好きな『悩める子羊ちゃん』じゃないのよ。さ、もう足も動くなら、早く教室戻りなさい。遅刻扱いになっちゃうわよ」


 『自称』恋愛マスター坂松篤志は保健室の壁にひっかけてある時計に目をやると、急に焦りだしてそれから急いで荷物を担いだ。

「知ってますよ、そのくらい。噂はかねがね、あのつぐみ先輩ですもの。またここで会ったときは、いっぱいお話聞かせてください。何たって、体育館裏の告白現場に偶然第三者として居合わせちゃったんですからね、そんな僕を興奮させるような話、今すぐにでも聞きたくってそわそわしちゃいます。それでは!」


 まるで、嵐が去ったかのように、保健室は静かになった。私はかき乱されたまま、いろんな疑問が浮かんでは混乱し、数秒悩んだ末にたどり着いた答えが

 ――何なんだアイツは。


「ごめんね、つぐみちゃん。今の子は野球部の篤志君」

「…はい、わかってます。恋愛マスター坂松篤志って自称してましたから」


 やっぱり、綾野先生は孫を語るようににこやかにしている。


「…アラタくんがね、昨日篤志君に話しちゃったの。篤志君、無類の恋バナ好きだから。先生も聞いちゃった。…で、どうなの?第三者として」


 先生も好きなのかぁ。そういう話。あの時はそこまで強く感じていなかったけど、そんなに面白い出来事だったのかな。ただ、逃げなきゃ、とか考えていたり、女子生徒Aの容姿とかよく見ていたりしたから、女子生徒Aの気持ちとか、ごんべーの気持ちとか、何も考えてなかったな。今思えば勝手にアテレコして楽しんどくんだった。


「どうなの?って聞かれても、私はその場に居合わせただけで何も考えてなかったんで、周りが思うほど面白い話にはなりませんよ」

「そっか。アラタ君の反応とかも?」


 綾野先生に言われて、あの時のごんべーの様子を思い出した。…詳しく思い返せば思い返すほど、ムカつく奴。モテるフリして、挙動不審なフリして、ものすごく適当に嘘ついていた奴。もし私があの女子生徒Aの友達だったらどうすんだよ。今頃集団リンチ確定だぞ。…もしあの女子生徒Aと友達であった場合、他にも友達がいると仮定して…実際今友達いないけど…。


「ムカつく奴、それだけですね。…そうだ、今日はごんべーはちゃんと授業に出てるんですか?」


 そうだった。今日はごんべーと話に来たんだ。来た時の目的はこれじゃないけど、何故か今日はごんべーに会いたい気分。というか、人に会いたい。石神先生にも会いたかったし、綾野先生にも会いたかった。その二つは叶えられたから次はごんべーの番。私が会いたいって思ってるんだから、保健室にくらい来ていなさいよ。ごんべーのくせに。


「アラタ君ね、さっき担任の先生から連絡があって、今日は熱でお休みだって。昨日つぐみちゃんとも篤志君とも、楽しそうにしていたから熱が上がっちゃったのね」


「保健室の先生って、全校生徒の欠席は把握しているもんなんですか?」

「アラタ君は特別よ。保健室の常連さんだからね。あ、もちろんあなたもよ、つぐみちゃん。あなたが授業をサボれば、先生のところに連絡がくるのよ。『松岡は保健室にいますかー!』って」

「それは石神先生ですね」

「あったりぃ!」


 ごんべー、熱か。綾野先生が優しい口調で言うからなのかもしれないけど、『楽しそうにしていたから熱が上がった』って、幼稚園児じゃないんだから。――ワイワイキャッキャはしゃいで、私の文句にも付き合って、それで熱出すとか子どもじゃん。どんだけ弱い体してるの。ものすっごく線が細くて、髪の色も瞳の色も色素が薄くて、儚いイメージがしてたけど、まさか…ね。熱出したって聞いただけで不安になる自分が抑えられない。保健室で考えていたって、何も始まらないのに。


「心配?」

 急に黙り込んだ私に気付いてか、さっきまで目を細めて笑っていた綾野先生の目が開いた。真面目モードに切り替わったんだな、ってわかる。


「…まぁ、そりゃあ、病人には優しいですよ、私も一応」

 綾野先生のモードの切り替えに私は追いついていけなくて、たどたどしい言葉になってしまった。保健室はクーラーが効いているけど、外はものすごく暑そうだ。夏風邪、かな。


「お見舞い、行く?」

「結構です、家、知らないし」

「家、学校の近くの屋根が黄色のおうちだよ。下校したら寄ってあげて。アラタ君も喜ぶわ」


 綾野先生、それ、個人情報ですけど…! ―― 行ってあげようかな、お見舞い。…決して私が会いたいんじゃないんだから。…いい?私は今から、髪を切りに行くの。学校も早退しちゃうの。そのついでに、寄ってあげるだけなんだから。髪を切った私をはじめに見られるなんて、感謝してもらわなきゃ。ごんべーの分際で、贅沢だって!


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