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「ケイ! もう持たないよ……」
湯幻郷に戻りヤーマッカが居る部屋へ入ると千香華が苦しそうな顔をしてそう言った。理術での回復はあくまでも治癒力の底上げである。肉体に治癒するだけの力が残っていなければ、幾ら回復させようとしても生命力は戻らない。
千香華が今行っているのは、理力を直接流し込むことで理力を譲渡する術だ。“生命力が尽きても理力が有り諦めない限りは死ぬ事が無い”この世界独自の延命方法なのだが、ヤーマッカの体は既に生命力が尽きて千香華の理力のみで生きている状態だ。膨大な理力を持つ千香華でも、常に理力を消耗し続けるのは流石にきついらしく疲労困憊である。
「待たせたな……もう大丈夫だ」
この方法で上手く行くのか解らないが、敢えて『大丈夫だ』と言う事にした。諦めない事が重要なこの世界では、ネガティブな事は言うべきではない。
「ヤーマッカ! 聴こえているか? 今からお前の魂をこの宝玉に移す。いいな? 絶対に諦めるな! これから先も俺達に仕えてくれるんだろう? 主からの命令だ! 何があっても諦めるな!」
俺は意識の無いヤーマッカに声を掛ける。意識の無いヤーマッカが小さく頷いたような気がした。
千香華に理術の行使を止める様に目配せする。その直後千香華は理術の行使を止めてその場に突っ伏してしまう。俺は千香華を労うようにその頭を軽く撫でた。
セトから受け取った黒い宝玉【心臓】をヤーマッカに向けて掲げるとヤーマッカの体は光の粒になって【心臓】に吸い込まれ行いった。程なくして黒かった【心臓】は白く輝きヤーマッカの魂がそこに入った事を示した。
これで取り敢えずは一安心……では無いな。この【心臓】に何時まで留めて置けるのか解らない。であれば早めに行動しなければならないだろう。
兎に角、ヤーマッカの魂を留めて置くことには成功した。次は新しいヤーマッカの肉体を探さねばならない。ヤーマッカの魂を受け入れる事が出来る“意思無き器”が必要だ。
それについては一つだけ心当たりがあった。この世界で唯一の単細胞生物でほぼ無限に自らを増殖出来る者が居る。この世界に来て最初に千香華が造った生物……“ハイスピードスライム”だ。
あれから……七十年以上経っているが、度々噂は聞いていた。曰く目にも留まらぬ速度で動く怪奇生物。曰く森を一つ飲み込んだ粘着性の物質。曰く“最弱で最強の魔物”。
奴等は……正確に言うと一匹なので“奴は”だな……最弱の個体だがその全てが死滅しない限り生き続ける最強の群体と認識されているようだ。基本無害なのでギルドでも放置推奨の魔物に指定されている。
そのハイスピードスライムなのだが、実はこの近くに住処がありすぐに捕まえて来れそうなのだ。場所も既に把握している。
急ぎ出かけようと思ったのだが、あまりにも非常識な光景に言葉を失っていたアドルフが声を掛けてきた。
「それで……その中にヤーマッカが居るのかのぅ? 助かったという認識で……良いのか?」
この世界で光になって消えるのは、亡くなったという事に他ならないのだが、俺が持ってきた宝玉に光が吸い込まれてしまい。俺が一息ついた所を見て助かったと喜んでいいのか、亡くなってしまったと悲しんで良いのか解らなくなってしまったのだろう。
「どうなの? ヤーマッカ爺ちゃんは助かったの?」
サライも漸く思考停止から復活して、ヤーマッカの安否を尋ねてくる。
「助かったと言えば助かったのだが……仮死状態みたいな物だと言えばいいのか? 兎に角、体は失ったが、ヤーマッカはこの中に居る」
まさに神の御業と周りも感心しているが、如何せん体が無いのでいまいち喜びきれないようだ。
「今からヤーマッカの体になる物を入手しに行って来る」
俺がそう言うと千香華は理力の枯渇から少し回復したのか頭を上げて言った。
「俺も行くよ……俺もヤーマッカをどうにかしてやりたい……それにケイが考えている方法は大体予想がつくよ。俺にも関係のある事だから……この世界で初めて創った生命だからね」
本当は疲れている千香華は置いて行くつもりだったが、こう言われては仕方が無い。「無理はするなよ」と千香華に言って同行する事を認めた。
それを見たアドルフは、小さくため息を吐き言った。
「なんじゃ……ワシが同行しようと思っておったのに。理由があるようじゃからのぅ。チカゲに譲る事にするわい」
アドルフはそう言いながら、サライに視線を向けると「のぅ?」と同意を求める。サライは何か言いたそうだったが、渋々ながらも俺達を送り出してくれた。
◇
湯幻郷から山裾沿いに内側へ向かい、暫く進むと鬱蒼と茂る森が見えてきた。その森は不思議な事に魔物の気配が殆ど感じられない。
それもその筈だ……俺は匂いで解っていたが、既にハイスピードスライムのテリトリーに入っている。その辺りの木々に半透明で粘着質の物がコーティングされている。木漏れ日に照らされ薄青く光る森の木々は何処か幻想的な雰囲気を醸し出していた。
その光景に暫し心を奪われていた俺と千香華に何処かたどたどしい口調で声が掛けられた。
「ナンノ ヨウ? ハジメマシテ ジャナイ ヨネ?」
その声に俺は身構える。このスライムの森に言葉を発するような魔物は存在しない筈だった。ましてや人が住める場所ではない……一体何者だと問いかけようとしたが、続けて声が聴こえてきた。
「ウン ケイカイ シナイデ? ボクハ ワルイ スライム ジャナイヨ」
何処かで聞いたことの有る台詞だ……。
「コノ カンカク ボクヲ ウミダシテ クレタヒト?」
何だと……という事は、こいつがハイスピードスライムか? 思惑が外れた……“意思を持たない器”じゃ無いとヤーマッカの体にする事は出来ない。
そう考えていると森の奥から薄青い半透明の塊が高速で移動してきた。その塊は俺達の目の前でピタリと止まりプルプル震えている。
「君があの時のスライム?」
千香華が聞くと塊はプルンと大きく振るえしゃべり出した。
「ソウ ヒサシブリ アノトキハ ニゲテ ゴメンネ? マダ タンドク ダッタカラ コワカッタ」
「そっかー。久しぶりー! 元気にしてた? って聞くのもおかしいね」
スライムは一際大きく振るえ嬉しそうに見える。
「ゲンキ シテタ イマハ グンタイニ ナッタカラ セイタイヲ ツクッテ ハナセル」
なるほど……声帯を模して言葉を話しているのか。中々器用な事をするもんだ。
「ソレデ ナンノ ヨウ? ボクハ コノバショデ ユックリ スゴシタイ」
困ったな……思惑が外れてしまって、別に用は無いと言って良いのだろうか? いや、駄目元で一部をくれと言ってみるべきか? この様子だと群体になった事で、考えたり話したり出来る様になったみたいだしな。
「実はな……俺達の仲間が死に瀕していて、それを助ける為に代わりの体が欲しいんだ。お前の一部がそれに適しているかもしれないから欲しかったんだが……駄目だよな?」
「ウン イイヨ」
だよなぁ……普通に身体の一部を遣せっていわれて……え? いいの?
「……いいのか? お前の一部をくれって言ってるんだぞ?」
「ウン イクラデモ フヤセル ヤクニタツナラ アゲル」
あっさりとあげると言うスライムに俺も千香華も吃驚していた。
「いい子だねー。お母さんは嬉しいよ!」
確かに創ったのは千香華だから間違いではないが……なんかおかしいだろ?
「オカアサン? キミハ オトコ オカアサン ジャナクテ オトウサン?」
スライムも混乱気味になっていたが、千香華は「いーのいーの! 気にするなー」と上機嫌だ。
スライムはあっさりと身体の一部を切り離しその一部を貰った。スライムが言うには、この切り離された一部は本体の意思とも切り離され、自分ではあるのだが別の者といった認識になるようだ。暫くすると自由意志で動き出すが、再び合流すると意思が統一されて完全に自分になるらしい。
因みに今何処までが自分なのかと聞いたら、この森を全て覆っているのが自分だと返答が返って来た。今俺達はスライムの体内に居るようなものらしい……。
貰ったスライムの一部に宝玉【心臓】(ヤーマッカの魂入り)を入れてみた。暫くはスライムの中央で浮いていた宝玉【心臓】だったが、突然輝き出し周囲のスライムが泡立ったようになっていった。失敗か? と思ったが突然スライムが言いだした。
「ブンレツ シテイル ダケド スイブン タリナイ キレイナミズ アル?」
分裂しているのか? 確かにスライムの大半は水分だ。増える為に必要になるだろう。俺は慌てて水を理術で創りだすが、器になる物が無い事に気付いた。しかしスライムが気を利かせ自らの体で大きな水槽を作ってくれた。
「コノ コタイ モウボク ジャナイ スゴイネ デモイシガ ツタワル ヤーマッカ? 君はヤーマッカって言うんだね? ボクの兄弟」
ヤーマッカの知識を読んだのか、スライムは途中から流暢に話し出す。それに驚いている間にもどんどん分裂は進んでいく。水槽の中は泡で見えないがスライムが言うには順調だという事だった。




