4-41
腕輪の力でセトの神殿までは一瞬で来る事が出来る。何時もはすぐに目の前に現れる筈のセトが出てこない。
「セト! 何処だ?」
しかし何も反応が無い。どうやらこの場には居ないようだ時間が無い為、匂いで探す事にした。
神になってから知ったのだが、神の体は新陳代謝が無い。傷は負っても治るから細胞分裂していないとは思えないが、基本的に発汗もしなければ排泄もしない。発汗に関しては擬似的に汗を掻く事が出来るが、あくまでも擬似的にだ。
何を言いたいのかというと、神の体は匂いの元になる物が無いという事だ。ではそれでは探せないじゃないか、と思うだろうがそんな事は無い。
これは俺しか知らないかもしれないが、実は神は匂いがする。どんな匂いかというと、その神が書かれた叙事詩の地域独特の匂いと言えば良いのだろうか? 例えばセトなら香油、ジャスミンの香り、砂が太陽に焼かれる匂いという様なエジプトっぽい匂いがする。
もしかすると擬似的に俺がそう感じ取っているだけかもしれないが、その匂いを探せばセトの居場所はすぐに解る……これは! セトの匂いを感じ取ったが、その側に潮の香りと森林の香り、そして血と鉄それを隠すような香水の匂い……ロキの匂い! 当たりだ。ここにはロキも来ているようだ。
俺はその場所へ急ぎ向った。
セトとロキの匂いがした場所は、セトの神殿の出入り口の様な所だった。出入り口の先は“無”が広がっている。そこでなにやら言い争うような声が聞こえてくる。
「ロキ! お前なんて事をしてくれたんだ!」
セトの声だが何時もと口調が違う。普段は丁寧で穏やかな口調だが、今は怒っているのか声に棘がある。
「ちゃんと言った通りにしたじゃない? 何の問題があるって言うんだい? あの馬鹿をおびき寄せてエターナルワールドから引き離して、こうして魂も封印したじゃん? イデアノテにおびき寄せるのはセトさんだって許可したじゃない」
それに不満そうに答えるのはロキの声だ。今回の件にセトも絡んでいたか……ある程度予想はしていたが、言い様も無い怒りがこみ上げてくる。
「それは……だがやり方に問題があるだろうが! 話を通してからだと……」
「セト! お前もグルだったのか? なめた真似しやがって!」
セトが何かを言い掛けていたが、俺は怒りを抑えきれず二柱の神の前に飛び出した。こいつ等は俺達の世界を内藤の処刑場として利用したのだ。
イデアノテの特性から言って、他の神を殺すのに適した世界だと前にロキに言われた事があった。しかしその時にロキに釘を刺しそんな事に世界は使わせないと約束させた。
だがこいつは俺達を裏切った……神話の話からロキは、嘘は付くがこのような類の裏切りはしない神だと思っていたのだが、買い被り過ぎたようだな。
セトも会話の内容からして今回の件に加担していたようだ。セトには何度も世話になっているが、それとこれは話が違う。
ロキもセトも俺が突然乱入してきた事に驚き、言葉を失っている。
「ロキ! てめぇ裏切ったな? イデアノテを神々の戦場にはさせないと言ったよな?」
俺は怒りを抑える事無くロキにぶつける。ロキは小さな声で「やばい……」と呟いて姿を消して逃げようとしたが、そうは問屋が卸さない。完全に姿が消える前にロキの所まで一瞬で移動し、空間ごとロキの居た場所を殴りつけた。
ロキが壁まで吹き飛び、叩きつけられた衝撃音は、セトの神殿を揺るがす程の轟音となった。俺は追撃の手を緩めず壁にはめ込まれたように埋まるロキのもとへ移動し、胸倉を掴みロキの体を持ち上げた。
「古エッダの『ロキの口論』だったか? お前のする事だ、きっと何か意味があったのだろうな? しかし義兄弟であるオーディンはお前を庇わず、親友だったトールに捕縛され、息子の腸で縛られ幽閉されたんだっけか? お前にとってはある意味二人の裏切りだよな? 裏切られる事の辛さを知るお前が……裏切りの苦さを知っている筈のお前だから信じたのにな! 俺が馬鹿だったよ!」
自らの過去を引き合いに出され、ほんの少しだけ動揺を見せるロキ。俺の言いたい事を理解したのか、完全に抵抗する事をやめた。
「待ってくれ! 圭吾! 今回の件は私の落ち度でもある! 怒りを収めてくれないか? 事前に君達に話を通さなかった事が問題ならば、私からも詫びようと思う……すまなかった!」
セトが慌てて声を掛けるが、俺の怒りは簡単に収まらない。今回の件でイデアノテの住人であるヤーマッカが死に掛けている。止むを得なかったとは言え、アドルフもサライも危険に曝した。俺達の世界の住人を巻き込む形で起きてしまった神々の戦いは、この二柱の神が企てた事というのなら、俺はこいつ等を許す訳にはいかない。
「俺達の創った世界はお前等の物じゃねぇんだよ! 好き勝手にやって良い道理なんてあるわけが無い! ましてや俺の物でも無い……その世界に住む人々の物だろうが! 二度とてめぇ等の都合でイデアノテを利用しようと思うな!」
ロキもセトも俺の怒りに気圧されて何も言わない。
イデアノテの特性を利用し、正式にイデアノテの住人となった森人族と岩人族を囮として利用し、エターナルワールドの戦力を倒す為に、俺や千香華だけならまだしも、そこに住む者を巻き込んで利用する……俺はそれが許せない。
胸倉を掴む手に力が入る。ロキは苦しそうに呻いた。このまま殴り殺したいがそれはできなかった。ヤーマッカの為にあの宝玉の事を聞かねばならないからだ。
「ロキ! 内藤の魂を吸い込んでいた宝玉はなんだ? あれは死に逝く魂を留める物じゃないのか?」
「うん……あれはセトさんがアヌビスから借りてきた【心臓】という名の宝玉だよ。エジプトの神話で最後の審判を行う時に死者の心臓と女神マァトの羽根の重さを比べるのは知っているでしょ? 心臓の代用品って聞いてるよ。死んで身体の無い者の魂を入れて秤にかけるそうだよ……」
なるほど……魂の天秤か。心臓の代わりというのなら好都合かもしれない。
「それを寄越せ! お前等のせいで死ななくても良い者が死にそうなんだ!」
俺がそう言うとロキは困った顔をする。
「ぼくはもう持って無いよぅ。ナイトハルトの魂を入れた【心臓】はさっきそこから捨てちゃった……」
なんだと……そこって? もしかして“無”に投げ込んだのか? なんて恐ろしい事をするんだ……魂を“無”に捨てられるって事は、完全に消滅するって事じゃないのか?
その酷い仕打ちに内藤に少しだけ同情しつつもセトに視線を向ける。
視線に気付いたセトは、懐から黒い宝玉を取り出して言った。
「此処にもう一つだけ予備として預かった【心臓】がある。今回のお詫びという訳じゃ無いが、持って行ってくれ。落ち着いたら改めて謝罪したいと思う。すまなかった……」
そう言って頭を下げるセト。ロキを離しセトから【心臓】を奪い取るように受け取った。
「あのっ……ケイゴちゃん。ごめんね……ぼくも改めてお詫び……」
ロキがそう言うが、怒りの収まらない俺はつい言ってしまった。
「二度と顔を見せるな!」
悲しそうな顔をするロキと神妙な面持ちのセトをおいて俺はイデアノテに戻った。




