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だけど、どうしようかねぇ? 全員微動だにしないな……セトに言って他の移民先でも探して貰わなきゃいけないのか?
そう考えていたのだが、咆哮による竦みから逸早く回復して、立ち上がり此方に歩いて来る者が居た。それは岩人族の少年だった。
ある説ではドワーフは十歳ぐらいから髭が生え始め、生え揃ったら一人前の大人という風習があると聞いた事がある。つまり見た目で年齢は良く解らないが、まだ髭も生えていないので、少なくとも十歳にはなっていない子供の岩人という事になる。
少年は……たぶん六歳ぐらいか? 勿論土色の肌で少しガッチリ型で如何にも岩人の子供といった風貌をしている。
思ったよりもしっかりした足取りで歩いてきて、俺達の目の前まで来た少年は、頭を深く下げて言った。
「かみさま。ごめんなさい。助けてくれてありがとうございます」
俺と千香華はそんな少年を見て目を丸くした。特に怯える様子も無く、頭を上げてもしっかりと此方を見てくる。
その様子を見て周りの森人族と岩人族の大人達も驚いている。誰かに指示された訳では無く、この子供が自分の意思で行動したという事だろう。
「解って貰えたら良いんだよー。どう致しましてー」
反応に困った俺を見て千香華が返事をしてくれた。しかしその子供は、まだ何か言いたそうに俺を見ている。
「ん? どうしたんだ?」
俺はなるべく怖くならないように、その子供に話すように言った。
「あのね。さっき自由をくれるってかみさま言ってた……ぼく戦士にならなくてもいいの? ぶきやぼうぐを一日中つくらなくてもいいの? 岩をとってくるために、足にくさりをつけてどうくつに入らなくてもいいの?」
その子供は不安そうな顔でそんな事を言った。
「ああ、好きにすると良い。お前はやりたい事があるのか?」
岩人の子供は、嬉しそうな顔をして元気良く答える。
「うん! ぼくね、細工師になりたいんだ! 剣とか鎧とかもすごいけど、ぼくはキラキラしたものがつくりたい! きれいで、細かくて、いしょーを凝らした……そんな物をつくりたいんだ!」
熱に浮かされるようにその子供は言う。
「そうかー。細工師になりたいのかー。なれると思うよ? キミが一杯頑張るって言うんならね? こうみえて俺は『技巧神』なんだよ。キミが諦めない限り、今の気持ちを忘れない限り、必ずなれる! 俺が保証する」
千香華は笑顔になって、岩人族の子供に言った。
硬直から回復したのか、周りの者達がざわめき始める。周りの大人達の中から声が上がった。
「お……俺だって! 雑貨屋になりたかったんだ! 今からでもなれるかな?」
誰が最初に言ったのかは解らないが、次々に声が上がる。
「私だって! 服屋さんになりたかったのよ!」
「俺は本屋だ!」
「教師とかなってみたかった!」
「やっぱ鍛冶屋だろ!」
「防具を極めたい!」
「世界を見て廻りたい!」
「花屋さん!」
「髭結い師!」
「彫金!」
「やりたい事一杯ある! どうしよう!」
「飯屋!」
誰かが飯屋と言った途端に、一斉に腹の虫が大合唱をした。
一瞬の沈黙の後、誰かがクスクスと笑い始める。一人が笑い始めるともう止まらない。殆どの者が笑顔になり笑っている。こいつ等に会って初めて笑顔を見た気がした。
「千香華。飯にしよう! 炊き出しだ!」
「いぇーい! 炊き出しかー。なんにしよっかー? うーん……炊き出しと言えばやっぱカレー! カレーにしよー」
な……ん……だと!? 俺が居ない五十年の間にカレーが作れる材料が揃ったのか?
「こ……香辛料はあるのか?」
俺は震える声でそう聞いた。肉は問題ない。野菜も似た様な物がある。しかし数種類のスパイスを混ぜなければ、あの独特の香りは出ない。胡椒や唐辛子のような物は俺が居た時代に見つけた。しかしガラムマサラやクミンやターメリックが最低でもなければ、カレーとは言い難いだろう。
「あるよー。五十年の間に色々見てけてあるんだ。ケイが言ってた通り、調味料は直接味わって覚えていた事が幸いしたよ。勿論効能とかも調べてあるし、安全性も問題ない!」
なんとも恐ろしい事をするものだ……確かに俺は、調味料を直接舐めたり、水に溶かして味わったり、火を通した物を舐めたりして、味を知ってから料理に使うようにしていた。産地が違ったり、出している会社が違ったりした場合もだ。実は調味料は同じ品名でも物によって全然違う。
その味を知って、複数混ぜたり、メインになる物によって量を調節したりする程に拘っていた。いつしか千香華も同じような事をするようになっていたのだが「覚えられん! さっぱり解らん!」と言いながらもしっかり覚えていたんだな……。
でもそれはあくまでも地球の話、商品として売られていて、特別危険性の無いものだから直接味わうのだ。それを未知の物、味は似ていても見た目は全然違うもの、生では良いが火を通すと危険だったり、またはその逆だったり……兎に角、良く解らないものを口にするのは勇気がいる事だ。
「それは……大変だっただろう?」
「んー大変だったけど、戻ってきたケイと美味しいもの食べたいじゃん? ……あと塩味だけのあの一週間が、忘れられないんだ……今でもたまに夢に見るよ」
一緒に美味しいものを食べたいなんて、嬉しい事いうじゃないか……でも後半の台詞もたぶん本気だ。思い出して何処か遠くを見るような目になっている。
「まあ兎に角! キーマカレーにしようと思うんだけど……米がいまだに無いんだよね。だからケイにはナンを作って貰いたいんだけど……」
「ふむ? ちょっと厳しいな。天然酵母が存在しないから膨らまないと思うぞ?」
「えー、そこをなんとかして? 重曹とかベーキングパウダーとか……」
ねぇよ。ん? 待てよ? 重曹か……要するに炭酸水素ナトリウムの事だよな? トロナ鉱石があれば精製する事は出来そうだが、生憎この辺りに塩湖は無い。
他の方法としては、水酸化ナトリウム溶液に二酸化炭素を反応させる事によって製造出来たと思う。水酸化ナトリウムは、苛性ソーダの事なのだが消石灰と炭酸ナトリウムを混ぜて加熱する事で出来る。しかし消石灰はどうにか出来ても炭酸ナトリウムが無い。得る為には炭酸水素ナトリウムが要るという本末転倒だ。
しかしもう一つ方法がある。水酸化ナトリウムは、塩化ナトリウムを電気分解すると得る事が出来ると記憶している。乱暴な言い方をすると、塩水に電気流せば水酸化ナトリウムが出来ると言う訳だ。この方法だと同時に塩素も発生してしまうのが難点ではあるがな。
この世界の分子構成は地球の物とは違うが、似通った物になっている。つまり方法を知っていれば同じような物は作れると言う事だ。それに理術があるので、大規模な装置等は必要ない。幸い塩はあるので駄目で元々やるだけやってみるか。
「うん。なんとかなるかも知れない」
「え? 本当に? じゃあお願いー。いやー言ってみるもんだねー」
言ってみただけかよ……まあ期待に応えてみせますかね。




