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「…………イ……起き……ってば……」
だんだん覚醒する意識……寝起きは悪い方ではないが、たまに起きられないこともある。そんな時、千香華は執拗に体を揺さぶり俺を起す。
ゆっくり覚醒する感覚の中、俺は安堵に包まれていた。
ああ……良かった。夢だったのか……と。目尻に溜まる暖かい液体が、なんだか怖い夢を見て泣く子供のようで気恥ずかしく思い、それを隠すように揺さぶる千香華の手を掴み引き寄せた。
ん? なんだか違和感が? 硬い……十年以上一緒に居る相手の抱き心地くらい解る。それ以前に女性特有の柔らかさが皆無だ。
「あっ! おいケイ! やめろってば! 寝ぼけるなって!」
声も違う……多少高くはあるが男の声だ。俺は恐る恐る目を開いた。
「おお? やっと起きたー。おはようケイ」
其処には、見たことは無いが何処か見覚えがある、チェシャ猫がするような三日月の形の口で、満面の笑顔を向ける銀髪の青年の顔がある。
………………。
こういう場面で時間が止まるという表現があるが……実際に止まるな……某能力の恐ろしさを垣間見た気になった。其処に痺れるあこがれるぅだな……。
一瞬停止した思考を戻し、俺は銀髪の青年を突き飛ばして距離をとった。野郎と抱き合って見詰め合う趣味なんて無いんだよ!
青年はゴロゴローベシャ! って擬音が付きそうな勢いで転がり仰向けに倒れる……がすぐさま起き上がり抗議の声を上げてきた。
「痛い! 何するの! 酷いわ!」
は? なにするの? 酷いわ? ……青年は横座りで両手を挙げている。どこぞの二丁目のお店で働いている、おに……お姉さんのような怒り方に、俺は自分の身に起こったかも知れない事を想像して、身震いをする。
温泉でホ○の人に追い掛け回された嫌な過去を思い出して、既に逃げ腰になっているがどうやら向こうは此方を知っているようだ。
一方的に知られているのは気持ちが悪い、取り敢えず青年が何者なのかくらい知っておくべきだろう。
「だっ……だ……誰なんだ?」
くそっ! 毅然な態度を見せるつもりが、噛んでしまった……
俺の問いに青年は一瞬ニヤリと笑い、飛び跳ねるように立ち上がると変なポーズをしながら声をあげた。
「誰だ誰だと聞かれたら~答えてやるのが世のな……」
「それを言うなら、なんだかんだと聞かれたらじゃないか?」
「……最後まで言わせろよー!」
「うっさい! 黙れ! ふざけんな、誰なんだよお前!」
「エー。本当にわかんない?」
あっ……なんか凄くイラッとくるな。でもなんか覚えがあるような気がするやり取りだ。
ん? こいつ一瞬すげぇ悪い顔したぞ? 何かを企んでるって顔だ。
これ以上相手のペースに巻き込まれたら堪らないので、またふざけたことを言い出す前に脅しでもかけよう!
口を開きかけたが既に遅く、青年はペタンと横座りしてシナを作りヨヨヨとでも言いそうな格好でこう言い出した。
「酷いわ……『どんな姿になっても、幾つになっても、何があっても君のことは見間違ったりしないよ』って言っていたのは嘘だったのね……」
唐突にこの銀髪の青年が“誰”なのか解ってしまった。先程のやり取りも覚えがあって当たり前。俺達の日常で交わされるなんてこと無いひとコマ、呼吸も言い方も何故かしっくり来る。
極め付けがあの歯が浮く台詞……確かに俺が言いった台詞だ。その台詞を知っている人物は一人しか居ない。しかもそいつが他の人にその事を話すはずも無い。
解りはしたが理解は追いつかない。しかし何時までも黙ったままだと臍を曲げかねないしな……取り敢えず俺はその人物の正体を当てることにした。
「あー、うん……千香華? もしかしなくても? でもなんでそんな姿……」
「ピンポーン! 大当たりぃ~!! ねねね……すごくない? これ凄くない?? TSっていうんだっけ?」
俺の質問に被せ気味で正解だと述べはしゃぎまわる青年をみて何故だかあっさりと、それが相棒であり恋人である千香華だと納得してしまった。姿、性別、声質に至るまでまったく違うが、微かに感じる面影、行動やしぐさは千香華のそれだったからだ。
「あー、凄い。最近流行ってるよな? TS……」
「凄いでしょ~みてみて! 筋肉! ……あんまりガチッとは付いてないけど……ほら声だって……あんまり低くないけど男でしょ~! ……すっごくない?」
煩いほどはしゃぎ飛び跳ね、自分の姿を見せようとしてくる千香華に俺は率直な感想を述べることにした。
「いいから落ち着け! いい歳なんだから……」
「あ゛? なんか言ったか?」
「……いや、何でも無い」
「あの~? そろそろよろしいでしょうかぁ?」
そんなやり取りをしている俺達に、申し訳なさそうな声が掛けられた。
肩を跳ね上げ声のした方に振り向けば、そこにはくたびれたスーツを着て眼鏡をかけた、いかにも中間管理職! といった姿の男性が佇んでいた。
他に人が居たのかよ! さっきまでのやり取り全部見られてたって事か? うわぁなんか凄く恥ずかしい、そして気まずいぞ……。
ふと我に返り、そういえばここは何処なのだろうと辺りを見回すが、まったく覚えが無い場所だった。しかしここがなんの用途で使われる部屋か、大体の予想は付いた。広さはやたら広いが……綺麗に並べられた机と椅子、スクリーンの用途も兼ねているだろう真っ白な壁、ホワイトボードらしきもの。多分何処かの会社の会議室だろう……リーマンっぽいおっさんもいることだしな。でも確か家に居て……。
きょろきょろと辺りを見渡して、思考に耽る俺に再び声が掛けられるのも当然だった。
「取り敢えず、二人ともこちらにお掛けいただけますか?」
「そんなことよりここは何処なんで……」
「はーい」
「千香華! さっきから被せすぎ」
「ふふーり」
うわっ。こいつやってやったぜ! 的なドヤ顔浮かべやがった……警戒も無しにさっさと椅子に座った千香華になんだか毒気を抜かれたような感じになった俺は、取り敢えず落ち着いて話を聞こうと同じく椅子に座った。
ほー結構良い椅子だな……こういうのに金かけてるってことは、結構大きい会社なんだろうな。などと正直どうでもいい事を考えられるのは、落ち着いてきている証拠だろうか?
「あ~……っと楽にしていただいて結構ですよ」
って言われてもねぇ……何かの資料と俺と千香華の顔を交互に見比べふむふむと頷くスーツの男。何の面接なんだか……その前にあんた誰だよ?
「なるほどねぇ……あっ! 名乗るのが遅くなって申し訳ありません。私、叙事詩世界神管理官を勤めさせて頂いている“せと”と申します」
え? ジョジシセカイシンカンリカン? なんじゃそれ? 聞いたことねぇな……せと……瀬戸さんかな?
丁寧に頭を下げるスーツの男=瀬戸さんに、社会人として一応名乗っておくべきだろうな……と判断して口を開きかけるが、それを遮るようにして瀬戸さんは言葉を続けた。
「あー。あーあー大丈夫ですよ。存じております。村瀬圭吾さんに服部千香華さんですよね? ええ、存じておりますとも」
なんで名前まで知ってるんだよ……しかもこの言い方、俺達を良く知っていますよ~ってどうやって調べたんだ? やべぇなぁ、怪しすぎるぞ……でもここは何処なのかとか千香華の姿の事とか、色々聞きたい事もあるんだよなぁ……。
「うんうん。疑問に思うことは沢山あるでしょうが、まずは私の話を聞いて頂いて……それから質問といきましょう。ね? まずは……確認からですかね。先程見せていただいた資料から、確かに二人分の思念を読み取れました。筆跡も違いますしね……しかし圭吾さん字が汚いですなぁ。私も人の事はいえませんがね」
うっさい、ほっとけ! 読める程度の字は書けるわ!
「ええ、ええ、いいんですよ。こういうのは本人が読めれば問題ないですからね」
あっ! やべ……表情に出てたかな? ……ん? こういうの?
瀬戸さんの手元には意識を失う前に手にしていたネタ帳があった。物書きにとって自分の書いた設定資料やアイデア、そこに至るまでの走り書きなどは、出来れば他人に見られたくない物の上位に入る。それを目の前で勝手に見られていた……そんな状況で落ち着いて居られるほど人間が出来ているわけでもない。たぶん今の俺は羞恥や焦り、怒り困惑など、色んな感情が表情に出ているに違いない。というかそれを返せ! 瀬戸さん……もう敬称とかこいつにいらねぇ……瀬戸からノートを奪い取り俺は叫んだ。
「あ……あんた何故これを! というか何故ここにあるんだ!? ……うっ!」
声を荒げる俺の手の中で、奪い返したノートが突如眩い光に包まれる。何故か解らないけど、俺とノートと千香華に何か繋がり? のようなものを強く感じた。なんなんだいったい……。
それを見た瀬戸が納得のいったという表情でこう言った。
「ははぁー。やはりそれが神器ですか。なるほどなるほど……」
何がなるほどなるほどだ! さっきからこのおっさん本当に意味がわかんねえな。
瀬戸は先程からずっと張り付いていた苦笑いを真剣な表情に戻して、千香華に向き直り頭を下げた。
「千香華さん、貴方のおっしゃる通りでした。疑って申し訳ない」
「いえいえー、解って頂けたのならいいんです。というわけであれは二人の責任ってことでいいですよね?」
「はい、おっしゃる通りお二人にやっていただきましょう」
「は?」
「うんうん、なら問題ないよ」
「え?」
「では、そういうことでお二人ともよろしくお願い致します」
「ちょっと待て! 俺にも説明しろって。一体何を……」
話について行けずうろたえている俺に、千香華は嬉しそうに微笑みながら言った。
「何をって……ふふふ」
「お二人には神になって頂きます」
俺は瀬戸が言った台詞に、口をパクパクさせる事しかできなかった。