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そんなこんなであっという間に一週間が過ぎ去った。初日は散々な結果に終わったジャンケンとあっち向いてほいも、サナトの成長が著しく一戦に時間が掛かるようになり、今日は半分のクッキーしか奪えなかった。まあ奪ったとしても後でコッソリ返しておくんだけどな。
ジャンケンの最中に風理術で音を立てたり、水理術で首元に水滴を落としたりと、俺の集中力を妨げるような事をしてくるようになったのは、千香華の入れ知恵があったのだと思うのだが……俺には【並列思考】だけではなく【集中思考】という技能があり、そんな事では集中が乱れる事など無い。正直俺には無駄な行為だったりする。
【並列思考】は思考の分散を行い、同時に複数の脳内作業が出来る技能。【集中思考】は簡単に言うと集中力の増大なのだが、何かに集中すると外的要因に全く反応しないぐらいまでに集中できる。
それが音だろうが痛みだろうが何もかもシャットアウトしてしまう。それこそ致命傷を負っても気付く事が出来ないくらい集中するので、本来は使い勝手が悪いのだが、俺には【並列思考】があるので問題無く運用できるのだ。下手すると俺の持っている技能の中で、最もチート性能なのかもしれない。
この二つの技能は俺の頭の中だけで成立している技能なので、千香華でもその効果の詳細は理解する事はできないのだろう。悪くないアドバイスだが、残念な事に俺には効果が無い……普通の場合は効果的な方法なんだけどな。
色々試そうとする事は悪くは無いので、その事を教える必要は無いが、あまり負け続けもモチベーションに関わるかな? と思ってワザと負けた事があったのだが、サナトにそれを気付かれて、大泣きされてしまった。本気で相手をしなかったのは、自分が情け無いから……だとか言って泣かれてしまったのだった。本当に負けず嫌いだ……誰に似たのやら。
故にまだ正式には一回も負けていないのだが、そろそろジャンケンの時点でアイコが続きすぎるので、他の訓練も取り入れる事にした。
「それじゃ頼んだぞ」
「畏まりました……まずは八分の一にて」
俺がヤーマッカに声を掛けると、ヤーマッカは恭しく頭を下げてそう言った後、自らの体を切り離した。切り離された体は二十センチ強程の大きさのヤーマッカになる。
元は普通の未人だったヤーマッカだが、今の体はハイスラと同じスライムで出来ている。自らを分離する事も可能で、短時間なら本体である【心臓】から離れても意思を持って活動する事が出来るそうだ。
分裂体は、大きさによって……正確には分離したスライム細胞の数によって能力が決定する。つまり今回はヤーマッカの八分の一の能力の分裂体という事だ。もっと細かくなれるが、これ以上スライム細胞の数を減らすと思考力の低下が著しいとの事だった。
「一時間が限度です。ですので一時間以内に私を捕まえてください」
小さなヤーマッカが本体と同じく、完璧な所作の礼をみせて言った。本体のヤーマッカは「では私は仕事に戻ります」と言って城の中に戻っていく。羊人の平均よりも身長の高かったヤーマッカが普通の未人の背丈よりも小さくなっている姿は少し笑えたが、目の前にはミニヤーマッカも居るし、頼んだ手前笑うわけにもいかないだろう。
「では早速始めようか? 用意……スタート!」
俺の掛け声でミニヤーマッカの姿が目の前から消える。八分の一でもやっぱりヤーマッカは速いな……しかしサナトもここ一週間のジャンケン訓練で動体視力が上がっており、目はその姿を追っていた。
俺の合図で始まったのは、鬼ごっこだ。とは言っても逃げるのはヤーマッカで追うのはサナトというルールだけどな。
他のルールとしては……。
範囲は訓練場となってしまった城前の広場のみ。
相手を殺傷しうる攻撃は無し。
指先一つでも触れればサナトの勝ちで、制限時間内に捕まえられなかったらヤーマッカの勝ち。
それ以外は特にルールを設けていない。分裂体ヤーマッカは攻撃を受けても死ぬ事は無いが、一応保険としてルールに入れてある。
サナトは反応出来ても体がついていかないようだ。まあ、それも仕方が無い……あの速度に反応出来るだけでも十分異常である。
因みにヤーマッカの分裂体を使うのは、俺や千香華、そしてヤーマッカの本体だと実力に差がありすぎて鬼ごっこにならないからだ。手加減される事を極端に嫌うサナトを相手にする以上、全力で挑まなければならない。
千香華の全力だと速い上に【嘘と欺瞞の衣】という能力があり、姿さえ見る事が出来ないだろうし、俺や本体のヤーマッカでもサナトが目で追う事すら出来ず、棒立ちになり訓練にならない。そこで分裂体のヤーマッカを相手に選んだ。
分裂体は本体に比べて能力は格段に下がる為、全力で相手も出来るのだ。今の八分の一分裂体をサナトが捕られるようになれば、次は七分の一、六分の一……と割合を増やす事によって、ハードルを少しずつ上げて行くことが可能という点も考慮しての起用だ。
さて……サナトは何時捕まえられるかな? 視線は完璧に分裂体を捕らえてはいるのだが、普通に追い駆けても捕まえられない。しかしサナトは懸命に追い駆ける……急な切り替えしでも反応は出来ているようだ。
分裂体は動きに一切の手加減も無く逃げ続けている。時間は刻一刻と迫ってくるが、もうサナトはへとへとで動きが鈍り始めているようだ……今日は此処までかな?
「御時間でございます」
ヤーマッカが戻ってきて、無常にも時間切れを告げた。
「ううぅ……悔しいです……」
息も絶え絶えで悔しがるサナトに俺は少し厳しい口調で言う。
「サナト! 今日訓練を手伝ってくれたヤーマッカに何も言うことは無いのか?」
サナトは、すぐに気付き震える足で立ち上がって、分裂体を自らの体に吸収しているヤーマッカに向って頭を下げる。
「ヤーマッカさん、ありがとうございました! また御教授お願い致します!」
「いえいえ、サナト坊ちゃまの役に立てるなら、何時でもお相手いたしますぞ」
よし! こういう所からちゃんとしないとな。俺はサナトを抱え上げ頭を撫で回しながら言った。
「偉いぞ! 例え身近で心を許した相手でも礼を欠いてはいけない。世話になったら“ありがとう”迷惑をかけてしまったら“ごめんなさい”だ」
そう言った俺に対してサナトはじっと俺を見つめてくる。……あっ!
「ヤーマッカ、仕事を中断させて悪かったな……ありがとう。此れからも宜しく頼むぞ」
「はっ! 勿体無きお言葉! このヤーマッカ身に余る光栄でございます!」
ヤーマッカは姿勢を正し恭しく頭を下げながら言う。
「父上も何時もありがとうございます」
そう言って頭を小さく下げた後、サナトは俺の首にしがみ付いてくる。
その光景を見てヤーマッカは微笑ましく思ったのか、ほっほっほっと笑い声を上げる。俺もそれにつられ笑ってしまい、サナトも嬉しそうに笑っていた。
「……男三人で朝から楽しそうだね? 私も混ぜてくれないかなー?」
千香華が扉の影から羨ましそうに此方を見ていた……朝でテンションが少し低い声だから少しだけ怖かった。
◇
その日の夕食の時にヤーマッカから一大事が告げられた。とても由々しき事態で、すぐにどうにかしなければならない。
「ケイゴ様……主であるあなた様にこんな事を頼むのは、執事として遺憾ではございますが……」
え? なになに? ヤーマッカに遺憾砲を発射されたかと思ったよ……自分に遺憾と言ってるのな。
「なんだ? 何か問題でも発生したか?」
俺が聞き返すとヤーマッカは申し訳ないといった表情で答えた。
「味噌と醤油が底を尽きそうでございます」
「な……んだと!?」
「なんだってー!」
驚愕するのは俺と千香華だ。サナトは意味が解らず小首を傾げている。湯幻郷の森人だけが使える土の精霊理術のお陰で作れるようになった味噌や醤油の“発酵食品”は、元日本人である俺達にとって無くてはならない調味料になっていた。
その両方が尽きようとしている……早くなんとかしなければ!
「……大変言い難いのですが、ケイゴ様に買って来て頂けないかと……」
そりゃあそうだ……現状この島から移動する為には俺に乗るしか方法が無い。仕方の無い事とはいえ、執事のヤーマッカが俺に言うのは心苦しかった事だろう。
「気付かなくてすまなかった……辛かっただろう? 酷な事を言わせてしまったな……」
「ケイゴ様……」
ヤーマッカは涙を流しながら首を横に振る。解っていただければ良いのですといった感じだろう。ヤーマッカも味噌汁にはまっているので辛かったのだろう。もしかしたら節約していたのかもしれない。
俺はヤーマッカの肩に手を置き労う。ヤーマッカはハンカチで涙を拭いている。そこに千香華が呆れた声で突っ込みを入れた。
「ほらほらー。サナトが何事かと吃驚してるじゃない! 寸劇はそこまでにしてねー?」
混ざるタイミングを逃してしまった千香華は、苦笑いしながらそう言った。
ヤーマッカは何事も無かったの様に姿勢を正して言った。
「では、宜しく頼みます」
俺も苦笑しながら答える。
「明日にでも湯幻郷にいってくるわ」
もうヤーマッカとも長い付き合いになるからな……このくらいの冗談はたまにするようになっている。いつも真面目なヤーマッカと俺が、こんなやり取りをしているのを初めて見たサナトは、少し驚いたようだった。
「うーん……だったら皆で行こうよー。サナトも毎日訓練じゃ息が詰まるでしょ?」
千香華の提案により買出し兼家族旅行に出かける事になった。




