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集落に入って何か違和感を覚えた。人の気配は思ったよりも多いし、生活音も其れなりにする。規模も遠目で見た時の評価よりも大きい。集落というか立派な村だなこれは。だが何だろうな、だからこそ感じる違和感が半端無い。
村の奥から子供に手を引っ張られて女が歩いてくる。先程の申人の子供か? という事は、女は子供の母親といったところだろう。もしかしてお礼を言いに戻ってきたのか? 礼儀知らずなんて思って悪かったな。
近付いてきた申人の女は、思ったよりも若く如何にも村娘って格好をしている。申人なのでほぼ日本人だ。尻尾は生えてるけどな。
因みに町(村?)並みも服装も中世ヨーロッパな感じである。この辺もちゃんと日本風にしておいた方が整合性が取れただろうに、俺の中でもやっぱりファンタジーといえば中世ヨーロッパ風、といったものがあったのか? 本当に矛盾だらけ穴だらけの世界観だ。考察及び自己嫌悪に浸っている間に子供と女はすぐ傍まで来ていた。
俺達の目の前まで来た女は、少し驚いたような顔をしたがすぐに笑顔になって頭を下げてきた。
「ウキッ」
え? あれ? 今なんていった?
「えっと? あの?」
「ウキキキッ、ウキャウキィ」
「「は?」」
二人同時に声を揃えて疑問の声をあげてしまう。えっと……なんだ? ふざけているのか? しかし、次に子供が声を発した時それはふざけている訳ではないと理解してしまった。
先程、村に入った時の違和感は、人の会話がまったく聞こえないという事だったんだな。
「ウッキィー、ウキャキャキャキャ」
「ウキャウキャ、キィウキャ」
満面の笑顔の子供とそれに答える女、なんだこれカオスだ。だが更にカオスは加速する。通りがかった戌人の男が声を掛けてきたのだ。
「ワフッ、ワンワンワン? ワフゥン」
「ケイ同族じゃないの? 何言ってるかわかる?」
いや、解る訳がねぇよ。俺は狼だからな……イヌの言葉はというか狼の言葉でもわからねぇよ……というか日本人顔のおっさんに犬耳とか誰得なんだ? 俺は今物凄く微妙な表情をしているに違いない。
だが、その間も何かをわんわん言ってるイヌ耳のおっさん。どうしたらいいんだろうか?
「ワォーーーーーン!」
突然遠吠えを上げるイヌ耳のおっさん、それは次なるカオスの呼び声だった。
バサッバサッと羽音が聞こえ降り立ったのは、おそらく酉獣人の女と思われる人物だ。眼光鋭く此方を睨んでいる……多分敵意があるんじゃなくて、ああいう眼つきなんだろうとは思う。中々精悍でかっこいいその酉獣人の女はスゥーと息を貯めてから此方に声を掛けてきた。
「コケーッ、コココケコ、コケコッコー」
俺はずっこけた。それは盛大にずっこけることになった。そしてつい突っ込んでしまった。
「なんでニワトリだよ! 空飛んでただろ? その無駄に鋭い眼光はなんなんだよ!」
そしてやはりといって良いだろう。此方の言葉が通じていない。俺と千香華以外全員が首を傾げる。
その酷い状況に頭を抱える俺に、止めの一撃が繰り出された。
いったいなにがあったんだ? とばかりに近くの民家から顔を出した猫獣人の……多分男?
見た目はまさに長靴を履いた猫。二足歩行で歩く猫そのものだった。
「ニャオン? ウニャー?」
「うわぁー。ケイ、あれ撫でて来ていい? いいよね? 行ってくる」
手をワキワキさせて暴走しかけている千香華の首根っこを掴んで無理やり止めた俺は、村の住人達に身振り手振りで、少し待って欲しいと伝えると「HA☆NA☆SE」とか「ハスハスさせろー!」とか叫ぶ千香華を引きずって村の入り口まで戻ってきた。
「何するんだよー! もふもふさせてよー」
「うるせぇよ! いいから落ち着け!」
「落ち着いてなんて居られるかー! あれは私に対する挑戦だー」
「何の挑戦だよ……そういうのいいから話を聞けよ」
不満げではあるが話を聞く気にはなったらしい。だが千香華の行動は半分ネタのはずだ。
「それで? なんで私をあの子から引き離したの?」
ネタだよな?
「あー、うん。会話出来ないのは、流石にこの先困るだろ? 原因はこれしかないかなと思ってな?」
そう言いながら俺は神器を取り出した。
「会話出来なくても、猫獣人の言いたい事なら解るはず! ……もう、そんな怖い顔しなくていいじゃん、冗談だよー」
若干イライラしてきたので、少しきつめに睨んだらやっと真面目に反応した。
「十中八九それしかないでしょ? 言語はどういう感じで書いてたの?」
「それがな……言いにくいんだが、覚えが無いんだ」
「ん? どゆこと?」
「言葉通りだ。言語の事を書いた覚えが無い」
通常の転生物とかなら『言葉が日本語でも英語でも無い、ここはひょっとして……』みたいな描写があったり、召喚物なら『言語が違うみたいだが、翻訳魔法で言葉がわかる』とかあったりするんだがね。書いた覚えがないんだよな。というか絶対書いてない、残念なことに。
「はぁ……それは設定上でもってことかな?」
「多分そうだと思う」
「じゃあ、なんでそんなに落ち着いているのさ? この世界中があんな感じだったら、流石に私でも不安しかないよ!」
「逆だよ、だから落ち着いているんだ。一応確認はするが、設定されてないんなら今から設定すればいい」
「おお! なるほどー、日本語にしてしまえば、言葉の壁も読み書きも困る事無いね」
「そういうことだ」
俺は得意気に眼鏡をクィっと上げながらニヤリと笑った。
もう一度設定ノートを確認したが、言語に関する設定は一切書かれていなかった。もちろん文字に関することも何も書かれていない。それが原因で住民達は、それぞれの元になった生物の鳴き声しか発声することが出来なかったに違いない。
昔の俺はなにやってんだかと思う反面、そのおかげで今から異世界謎言語を覚えたりする必要が無くなったのには少し感謝だ。
「それじゃあ、早くノートに書いちゃおう! それであの猫ちゃんを思う存分、もふもふしたりハスハスしたりするんだー」
千香華の言動に若干引きつつも、神器に文章を書き込んでいった。
『この世界の共通言語は現代日本語である。もちろん使われている文字も現代日本文字で、漢字、かな、カタナカから成り立ち、その意味も用法も現代日本と同じ使い方をする』
文字が輝き受理されたことが解る。ん? 光り方が激しくねぇか?
前回までとはまるで違う激しい輝きと共に、自分達も強い光に覆われている事に気付いた。しかも自分達の光は、文字に吸われていっている。
「うぐぅ……」「うぅ……」
襲い来る虚脱感に、気付けば膝を着いていた。しかし、まだ光は収まらない。
ふと自分の腕に目を向けると、艶のある真っ黒い筈の毛が、くすんだ色艶のないものに変わり果てていた。え? なにが起こったんだ? 何故こんなことになっている?
千香華は大丈夫か? と目を向けると、千香華は“嘘と欺瞞の衣”が解けて猫の姿に戻り、苦しそうに蹲っている。その美しい青みがかった灰色の毛並みは衰え、眼窩も窪み、既に死を待つだけの老猫のような姿だった。
「ち……か……」
声を掛けようとしたが上手く声が出ない。それどころか口の周りの皮膚がパリパリと音を立てて割れているのが解る。千香華は一瞬視線を此方に向けたが、それだけだった。
俺の意識も薄れる。いったい何を間違ったんだ? これじゃ本当に呪いのノートじゃねぇか。こんなので意味も解らず死んでたまるかよ!
どのくらい時間がたったのか解らない。実際は殆ど時間は立っていないのかも知れないが、時間感覚が麻痺しているのだろうか? 永遠とも思える時間だった。
光は唐突に収まった。しかし、目がかすれて殆ど見えない。もう指一本動かす事も出来ない。
村の方から誰かが走ってくる気配を感じる。
「おじちゃん! 戌獣人のおじちゃーん!」
意識が途切れる直前に子供の声が遠くで聞こえたような気がした。




