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神名シリーズ

英雄のルール

作者: 左松直老

 他サイトにも重複投稿しています。


 清廉の森に、篝火の団欒を――   少年が出会う、魔法のお話。

 雪に埋まる森を、駆ける。

 ぼてぼてと両足を雪に埋めて前に進む。

 失敗した、カンジキを履いてくるのだった。

 ボクの目の前には、小馬鹿にした様に白いウサギがぽてぽてと跳ね回る。

 足を上げる度にまとわりつく新雪に苛立ち、余裕の表情で逃げ回るあのウサギに苛立ち、捕まえられない不甲斐なさに苛立ち、無為に広い森の広さに苛立って、今ここがどれほどの深淵なのか、考えもしていなかった。

 柔らかい雪を載せたトゲのような木々の葉に引っかかり、頬を切って初めて気が付いた。

「まずい……」

 同じ様な木々が立ち並び、方向感覚があやふやになった。

 人が立ち入ることを許された森は、とうに終わっていた。

 足跡さえ辿れば帰れるだろうという考えは甘い。

 そもそもここは立ち入ってはならぬ森。

 人が狩る側から、狩られる側になってしまう。深淵の森。

 人が立ち入る事を許されているのは森と村の、森と平原との曖昧な線だけだ。

 ここにボクが立ち入ると言うことは、ボクは狩られるモノとしての責任を負ったと言うこと。


 この深淵の森には三つの勢力があるらしい。


 狼王、熊帝、鹿妃。


 ロウオウ、白銀に輝く毛皮をもった、西の王。

 ユウテイ、臙脂の艶やかな毛皮をもった、北の帝。

 カヒ、金色に愛された毛皮をもった、東の妃。


 ボクは一度として見たことはないけれど、侵入者を許すことはないそうだ。

 ここは、誰の土地だろう。

 ボクの足跡を辿って、逃げるように森を歩く。

 今ここでダレかに見つかれば、きっと二度と村に帰ることはできない。

 南へ、空に光のある方角へ歩いていけば良い。

 新雪に埋まる、重たい足を前に、前に、ただ掻き分ける。

「小僧。何故、此所に居る」

「――」

 声は、心を凍らせた。




「テトが、テトが森に入って出てこないの」

 ウサギを追って森に入った少年が、長い間帰ってこないことを心配した少女。

 村の長に、その旨を伝える。

「本当か。今日はヌシの、篝火の日だ」

「かがりびの、ひ?」

 年老いて立つこともままならなくなった長は、村の男達を呼ぶ。


「テトを、森へ行ってテトを迎えてやれ」

「しかし……」

 長の懐かしむ目は、遠い。

「必ず。森から帰ってくる」




 村の男達は困惑した。

 あの深淵の森には、恐ろしい魔獣が住んでいる。

 秋には、森に入って木の実やキノコを採集するとき、五人、居なくなった。

 夏には、村の子供が、二人、入って帰ってこなかった。

 春には、新芽の野草を採ろうとして、三人、消えた。

 これ以上、村人が犠牲になる事は誰も良しとしなかった。

 村人の一人が、一つ思い出す。

「宿に、サイカの宿に旅の傭兵が居なかったか?」

「そうだ、彼らに頼もう。魔獣を討って欲しいと」

 集まった村の者が、おのおの出せる金を集める。

 そうして集まった金を持って、傭兵の一団にテトの救出を依頼した。

 傭兵の一団は、その提案を快諾する。

 近隣で行われていた内戦に参戦したものの、予想以上に早く終結してしまった為、暇を持てあまして寒々しいこの村、唯一の宿にいた。

 八人の傭兵が、深淵の森へ向く。




「小僧、答えろ。何故、此所に居る」

「――」

 恐怖で声など出ない。

 目の前にしたのは、村の大人達よりも遙かに大きい、白銀の狼。

 魔力もが、人の何十倍もある。

 ロウオウ。

「およしなさい、ダクレウト。怖がっているわ」

 大きな狼王の向こう。木々のない、開けた広場に、金色の大鹿が居た。

「何故此所に居ると問うただけだ。感情は小僧のモノだ」

「そのような事を言っているのではありません」

「ふほほ。よいではないか、ルイクホウト。ここはワシにめんじて――」

「黙れ、ブレイウゾ」

 大きな鹿の、更に奥。

 大きな倒木に腰掛けて、巨大な熊が冬なのに蜂の巣を食べている。

 この獣たちがもしかして……

「狼王、熊帝、鹿妃?」

「ワレの問いが先だ、小僧。何故、此所に居る」

 白銀の狼が、ボクにそう問いかける。

「え、あの…… ウサギを追って、道に迷って……」

「それだけか」

「は、はい……」

「本当にそれだけか?」

「え…… ほ、ほんとうに、それだけです」

 何故かこの白銀の狼は、ボクに何度も問いかける。

「およしなさい。ダクレウト、アナタは今日という日を無用にするのですか」

「ルイクホウト。ヤツが訪れなくなり、どれ程になる」

「……」

 大きな鹿は目を伏せて言葉を失う。

「ダクレウト。そうはいっても、じじょうがあるのやもしれん」

 巨大な熊がもぐもぐと蜂の巣を食べながら、白銀の狼をたしなめる。

「食べながらとは、良いご身分だな。ブレイウゾ」

「おお。すまぬ、すまぬ。これは、これは」

 巨大な熊は手にべっとり付いたはちみつを美味そうに舐めながら、残った蜂の巣をそっと巨木の上に置いた。

「しょうねん、そこにいてはさむかろう。ワシのそばへくるといい」

 そう言って巨大な熊が、おいでおいでと手招きをする。

「ブレイウゾ、なりませんよ」

 それに異を唱えるのは金色の大鹿。

「なにも、とってくうわけではないが――」

「なりません、そのどちらも」

「むぅ、おいてかたくなったのか。鹿妃」

「……その呼び名は、好みません」

 ボクにはなにかよく分からないが、獣の長は言葉で争う。

 膨大な魔力が、渦をまいている。

「あ、あの…… ロウオウさま」

 ギッ、と大きな目玉がボクを見る。

「ワレはダクレウト」

「あ、あの…… ダクレウト……さま。ボクの質問には答えてくれないのですか」

「そうね、ダクレウト。あなたは自ら先に答えろと言ったのだから、答えてあげなさい」

「…… 怖じぬか、小僧。よかろう。そうだ、ワレらは小僧の言う通り。だが、ワレらはその呼び名を好まない」

 口を動かして言葉を発すると、白い息が漏れ出る。

 狼王も、ダクレウト様も同じように寒空の下で息を吐く。

「小僧、答えたぞ。此所は小僧の居る場所ではない。さっさと在るべき所に帰ると良い」

「ここで何を――」

 答えてくれた事が嬉しくて、ボクはもう一つ訊ねてしまった。

「小僧。これ以上、此所に留まるならば――」

 ダクレウト様は大きな体躯でボクを威嚇する。

 膨れあがる魔力は凄まじくて、魔法をほとんど使えないボクは圧倒されるだけだった。

 とてもじゃあないけれど、ボクなんかが楯突いて平気でいられるはずがない。

「ここは、篝火をたくばなのだ」

 巨大な熊は、ブレイウゾ様はすっくと立ち上がり、座っていた大木をバリバリと破壊し始める。手頃な大きさになった木片を重ね、積み上げる。

「ブレイウゾ、なりません。これでは――」

「もう、よいではないか。おそらく、メドロウランは、にどとおとずれまい」

「ブレイウゾ、ワレらの契りを違える気か」

「それはない。だが、ワシらにはもう、このにはせおえん」

「……」

 獣が、この森を統べる獣たちが何か言い争うのをボクは黙って聞いていた。

「しょうねんよ。ここへきたりゆうをおしえてほしい」

 ブレイウゾ様はボクに、ここへ来た理由をまた訊ねた。

「で、ですからウサギを追って道に――」

「ウサギをおうた、りゆうを」

「…… その……」




 冬にウサギを追うことの意味は、村ではよく知られている。

 森の入り口、木々の影が薄くて、人が入ることを許された森。

「テト、お前は弱虫だ」

「ちがう」

「やめなさいよ、カラカ。テトはやさしい子だからころさないのよ」

 森の入り口で、カラカと、ルジャと、ミアと、ボクと四人で言い合いをしていた。

「違わない、カラカの言うとおりだ。テトはウサギも捕れないんだ。テトのお父さんはシカ追いだぞ。息子のテトがウサギも捕れないなんて、変じゃあないか」

「変じゃあないわ。テトのおじさまだって、練習すればテトも、シカをとれるって言っていたもの」

「いいよ、ミア」

「よくないわ、テトだってできるものっ」

「……」

「ミアに助けてもらわなきゃあ、何も出来ないテトがだんまりだ」

「あーあ、女の後ろで弱虫テトが泣いてるよ」

「泣いてないっ」

「あっ、テト!」

 ウサギの一羽、ボクにだって獲れるんだ。

 冬のウサギは嘘をつく。

 おいで、おいでと、嘘をつく。




「カワイイむすめっこだな」

「その話じゃあ無いでしょう、ブレイウゾ」

「それで、小僧はウサギを獲ったのか」

 組まれた木を囲んでボクの話を、ダクレウト様、ルイクホウト様、ブレイウゾ様が聴いていた。

「獲っていません」

「狩りの基本は――」

「ダクレウト、その話でもありません」

 ルイクホウト様に怒られて、ちょっとだけ小さくなるダクレウト様。

 そのダクレウト様を無視して、ルイクホウト様は言葉を下さる。

「坊やが狩人になるのは恐ろしいけれど、ワタクシは坊やを応援するわ」

「あ、ありがとうございます」

「ワシもおうえんしとるぞ」

「あ、ありがとうございます」

「でもね、坊やは一時の感情でウサギを殺めようとしたの。それは解るわね」

 落ち着いた、それでいて少しだけ怒ったような言葉。

「はい」

 ボクはカラカに馬鹿にされたと思ったから、ミアが居ないと何も出来ないって言われたから、ボクはここにいる。

「ワタクシ達は森を守らなければならないの。無用な殺生は謹んで頂戴ね」

「はい」

 ボクは、ウサギを獲ってどうするのか考えていなかった。

 もしウサギが獲れたら、お鍋にしてもらうか、干し肉になったのだと思う。

「坊やのお父様が狩人だというのは、ワタクシ達には恐ろしいことだけれど、怒ったりはしないわ」

「どうして、ですか?」

「坊や達が生きる為だからよ」

「でも――」

「ワシらとて、いきるためにかる」

 そう言いながら、むしゃむしゃと蜂の巣を食べ始めるブレイウゾ様。

 確かに。今食べているのは、蜂の巣に違いない。

「ワタクシ達も木の実を探し、草をはみ、木の皮も食べるわ。相手は生き物、それを狩りと呼ぶことも出来るわね」

 ルイクホウト様はそう言ってダクレウト様を見る。

「ワレらは各々守るべきモノがある。子であり、食べ物であり、敵である」

「敵?」

 敵を守るって、どういう事だろう。

「この篝火は、ワシらのねがいであり、しょくざいであり、ちぎりである」

「ワタクシ達は相互に感謝し、理解し、憎しみ合う存在でいなければならない」

「その誓いを、ワレらは此所に」

 ブレイウゾ様が息を吸い込んでふうっ、と吐き出す。

 その息はお酒の様な臭いがした。

 次の瞬間、ルイクホウト様が大きな魔力の角を振るって魔法の炎を熾す。

 ごうと音がして、ブレイウゾ様の息に炎が付き、組み上げられた木々へ炎が移ってゆく。

 そこにダクレウト様がびゅうと魔法の風を起こして、炎を強く熱くする。

 日が傾いていて、辺りが暗くなっていた。


 深淵の森の、小さな広場に。


 大きな狼と、大きな熊と、大きな鹿と、小さなボクが。


 篝火を囲んでいる。




 八人の傭兵は、森の奥に微かな光を見つけた。

 暗くなり始めた深淵の森に、橙にさんざめく粉を。

 そこには大きな獣が三体。焚き火の向こう側に、男の子が一人。

 八人の傭兵は、感づかれないよう風下に息を殺して、時を待つ。




「深く憎しみ合う生は、愚かしいのよ」

「誰よりも輝かしい生は、醜い」

「ワシらのように、ありていでよい」

 口々にそうならべて、ボクに教えてくれる。


「だから。しょうねんよ、そのままで――」

 ブレイウゾ様が立ち上がってボクの近くへやってくる。

 大きいから少し怖かったけれど、逃げる必要はないのだとわかる。

「ガフッ――」

 篝火を巻き込んで、突然ダクレウト様が吹き飛んできた。

 ボクはブレイウゾ様に守られて、巻き込まれずに済んだけれど。

 ボクがブレイウゾ様の脇の下から様子を窺うと、剣を持った男の人が、三人。血だらけになって倒れていて、ダクレウト様もお腹からたくさん黒い血を流して倒れていた。

「どうして……」




 まず、狩るのはあの狼の魔獣。

 先んじて、鼻が利いて、狩りに長ける獣を討つ。

 そうしなければ、傭兵の一団には勝機がないと見た。

 鈍重なあの大熊の魔獣や、逃げるだけの大鹿の魔獣など、取るに足らないモノと傭兵の一団は考えた。

 そして鈍重な熊が少年に向いて近づくのを合図に、八人の傭兵は一斉に白銀の狼へ殺到する。

 もっとも、読み違えたのは言うまでもない。

 あの焚き火は少年が起こしたものではないと、誰も気が付かなかったのだ。

 森を統べるモノが、ただその体躯に有り余る力で統べているわけではない。

「風ッ」

 先んじて魔力を行使し、新雪を漕いで男は長剣の刃を向けた。

 その男。白銀の狼が放つ、風の刃を見た。

 己の顔面にその刃が向かうと見えたとき、男は既にこの世の者で無し。

 先陣を切った男の頭が輪切りになったのを見て、詰めを担う男達が畏れ。

 二人、顎と爪の餌食になる。

 だが、畏れなど知らぬとばかりに、漆黒の剣を携えた男が銀狼を討つ。

 大きく薙ぎ払われた漆黒の剣は、柔らかな腹を裂いて、狼を焚き火の中へ斬り飛ばす。

 狼の腹から流れ出る血は、その量から止め討ったと確約される。

 それを一瞬のうちに洞察し、次の獲物へと思考を巡らせる。

 次は鈍重な大熊か、能のない大鹿か。




「――」

 目の前に、黒い湖が広がる。

 湧き出るのはダクレウト様のお腹で、ボクは、それをみているだけだった。

 ギロリ、ギロリとダクレウト様の目が、ボクを探す。

「小僧、何処におる」

「こ、ここに居ります」

 ボクはダクレウト様のすぐ側に寄ったのに、

「何処に、何処に…… おお、小僧の匂いか……」

 ダクレウト様には、ボクはもう見えない。

 ボクはダクレウト様の鼻先を撫でて、死なないで、死なないでと、おねがいをする。

「敵を守るのは…… そう…… 難しい事、では…… ない……」

 どうしてそんなことを今言うのか、その時のボクには解らなかった。

 そして、ボクはルイクホウト様の啼く声を聴いた。




 魔力を持った獣を相手にすることはままあったが、これ程までに卓越したモノを相手にしたことはなかった。

 魔法を使うのである。

 確かに、古来より魔法を使う獣の話を聴くことはあるものの、実際出会う魔獣は膨大な魔力を蓄えただけの、ただの『獣』だった。

 漆黒の剣を携えた男は、握りを強くする。

 いつも通り、単なる『獣』だと計った己が悪いのだが、仲間が三人、凶牙に掛かった。

 この一団の長として、他の者を守らねばならない。

 故に、俊足を誇る大鹿を討つべきである。

 鈍重な動きの大熊を先に叩いて、その隙を大鹿に突かれては五人共倒れる事は確実である。

 なればこそ、鈍重な大熊は後回し。

 残る五人、銃士二人、術者二人、漆黒の剣を携えた男。

 漆黒の剣を携えた男は、事実、単独で挑むほか無い。

 先陣を切った三人と己が抑え、銃士と術者でその後を制する。

 それがこの一団の常套句。

 だが、その語り手は今、足下に紅い点沫を広げている。

 その男、あまり、魔法は得意ではない。

 漆黒の剣を携えた男は足下に意識を集中して、邪魔な新雪を融解する。

 この状況ではそれくらいの気休めしかできないが、それでも十分、大鹿の気を引いた。

 あの足は如何なる状況でも走ることが出来る。なればこそ、こちらも遅れをとるわけにはいかないのだ。

 大鹿の下へ詰め、漆黒の剣を振るう。

 それを躱されたなどということはない。しかし、討った訳でもない。

「くっ――」

 漆黒の剣が、大鹿の角と競り合っている。

 正確には角ではなく、硬質化した膨大な魔力。

 牝鹿と思しきこの大鹿は、頭部から莫大な熱量を放出する角を生やした。

 その単なる魔力塊で漆黒の剣に競る。

「セルッ、ガゼッ! 今だっ! 撃てっ!」

 

 大口径の一粒弾、中折れ式の上下二連散弾銃を構える。年若い、双子の青年。

 獣を討つとあって、いつもの散弾を狩猟用の大口径一粒弾に切り替えていた。

 それは今、役に立つ時。

 四発。上下二連、セルが撃ち尽くせば、弾込めの際にはガゼが撃つ。

 それが二人のやり方で、それで今まで生きてきた。

 二人は銃上部、照準器の照星、照門を大鹿に合わせる。

 一連の動作など何の変哲もなく、普段やり馴れた行為を繰り返すだけ。

 撃鉄を起こすと上部銃身に収まる薬莢を、渾身で叩く時を心待ちにする。

 それがセルとガゼの持つ、散弾銃が唯一存在を認められる全能である。

 木製の銃床から、その衝撃を伝う。

 自由旋回する、大口径一粒弾が大鹿の首の根を襲う。

 だが、その粒は着弾と同時に溶けた。


「――っ」

 漆黒の剣で尖角に競る男は畏怖する。

 そもが、ただの猟を主眼にした弾丸であった。

 本物の魔獣を相手にする為に作られたモノではない。


 一発目の発射反動で、下段銃身の撃鉄が起きる。

 即座に二発、撃つことの出来る散弾銃。

 大口径であり、更に発射する際に発生する力を漏らすことなく弾丸に込めることの出来る、必殺の銃。

 その一発が外れた、正確には寸前で溶け落ちた。

 それで呆気にとられる暇など、彼らにはない。

 セルは間髪など入れず、次弾を放った。




 ルイクホウト様が、青い甲冑を着た男と競り合っている。

 先ほどまで無かった、青紫に光を放つ、大きなつので。

「どれ、ワシもゆくか」

「ブレイウゾ様っ」

 ボクはブレイウゾ様を引き留めようとしたけれど、ボクの前でひゅごー、ひゅごーと息を立てるだけのダクレウト様を、放っておけなかった。

 きっと、ここにボク一人だけなら。ダクレウト様も、男の人たちも、傷つく事は無かったし、死ぬことも無かった。

 ブレイウゾ様はぬうっと動いたように見えたけれど、ボクが気付いたときには、魔法使いの後ろにいた。

 軽々と宙を舞う魔法使いの、男の人。

 きっと何が起こったのか、わからなかったんだろう。空中で目を見開いて、ボクを眺めていた。

 もう一人の魔法使いは、女の人で、呪文を唱えると大きな炎の玉がブレイウゾ様に飛んでいった。火の玉はブレイウゾ様のお腹にあたって、毛皮が丸焦げになったけれど、ブレイウゾ様はその女の魔法使いを踏みつぶした。

 ひどい。

 深淵の森が。薄暗く、帳の落ち始めた森が、血に染まっている。




 全く、漆黒の剣を携える男には予想外だった。

 あの鈍重そうな大熊が、俊足をもって爆ぜたのだ。

 一団の裏に突如として回り込み、術者二人を一瞬のうちに亡き者とした。

 予想外なのは、大熊の、突然の参戦だけではない。

 大鹿を、大熊が助けに入るという事実。

 普通ならば、他種の獣同士が助け合うなどと言うことはない。

 そして術式より編まれた火球をものともせず、本物の魔獣は雪塵を駆る。

 

 一発、首の根本に当たった。

 セルの確信は、事実。大鹿の泣咆によって証明される。

 一粒弾は実際途中まで溶解したが、連続してほぼ同一箇所を撃ち抜くという離れ業の下に、熱の魔法障壁を瓦解した。

 体勢の崩れ落ちる大鹿に、追撃の漆黒。

 痛みに苦しみ、暴れる大鹿は術無くして雪に沈む。

 漆黒の剣を携えた男が、ルイクホウト様の首を刈る。

 むごい。

 深淵の森の主が、ひとつ消えた。




 盲進の魔獣は一瞬にしてガゼの下に詰めた。正確には突進の経路にガゼが存在した。

 狙うのはただ一つ、漆黒の剣を携えた男。

 大熊の進行方向に、進むべき方向の、その経路上に存在しただけ。

 ガゼは為す術無く吹き飛ぶ己の右半身を見て、初めて事の意味を理解する。

 感覚的には酷く遅いものだったが、理解した。

 その瞬間、ただ一縷に願うのは、双子のセルの事だけ。

 兄弟の為に握っていたはずの銃を、雪中に取り落とす。


 大鹿に止めを打った瞬間、この世のものとは思えぬ音を聞いた。

 体が礫に、爆ぜる音を聞いた。


 上下二連の散弾銃を尽くしたセルは、慌てふためいて弾の選択に躊躇した。

 あの巨体を止められるのは大口径の一粒弾しかない。

 いや、あの速度で動いているのでは当てることは不可能だから、散弾で小なりとも手傷を負わせた方が良いのでは……

 経験則からの判断を必要とする場合、常に二人で決断してきた。

 ここで用いた一粒弾ですらセルとガゼ両者の合意の下、用意してきたものであって、一人だけの運用など想定していない。

 だがその逡巡は、意味を成すことはない。

 

「ウオォォォォォン!」

 

 森中に響き渡る砲鳴は、上下二連の銃身を裂き、セルをも砕いた。




 突然、眼前に横たわるダクレウト様が吼えた。

 突然の大声にびっくりして耳を塞ぎ、目を瞑ってしまった。

 だから、次に目を開けた時、口をだらんと開いて、舌を出し、虚ろな目をしたダクレウト様の姿に、ボクは悲しんだ。

 深淵の森の主が、ひとつ消えた。




 漆黒の剣を携えた男は、ただ一人になろうとも冷静だった。

 あの大熊の、手の内を把握する事が出来たからだ。

 あの大熊は光に乗っている。

 爆発的な速度はその実、あの大熊の限界速度に合わせているだけで、何もかもを考慮しないならば、摩擦で燃え尽きるほどに加速できるだろう。

 いくつか前の戦場で、お目に掛かった芸当である。

 それを、術式を組まずに魔力だけで為すのだから、獣とは言え相当の使い手だろう。

 だからこそ、冷静だった。

 一薙の下、大熊の足下は崩れた。

 漆黒の剣は、闇を纏う。魔の剣。

 光に乗っていたのならば、その光を刈り取ればよい。

 ただそれだけで、大熊は魔力による優位を失う。

 だが、失われたのは速度であって、力の限りではない。

 

 木々に遮られた森の広場に、風はない。

 

 漆黒の剣を携えた男の四倍か。体躯の寸違いは甚だしく、その身に内在する力の限りも違う。

 ただ、その身に宿すのはどちらも同じモノだろう。

 先に動を取ったのは、大熊だった。

 そしてその大熊はあろう事か、少年へ向かう。

 削がれた魔法の為か、無様にも獣の躰で少年へ。

 背を向けたが為に、漆黒の剣は背を穿った。


「獲った」




「よいか、しょうねん。篝火はキミに――」


 そう言って、ブレイウゾ様は口を閉じた。


 瞬間、頭上には黒い剣が、突き刺さる。


 深淵の森の主が、ひとつ消えた。


 ボクは、黒い剣を携えた男の人と、深淵の森を、篝火の広場を、去った。




 黒い剣の男は、ボクが村へ帰ると英雄になった。

 深淵の森の主を倒し、ボクを連れてただ一人帰ってきた、英雄として。

 村の人たちは、他に死んだ人達が居るのに、黒い剣の男を英雄だと囃し立ててお祭り騒ぎした。

 その中には、森の中で子供を失った人が居て、森の中で旦那さんを失った人が居た。

 そこにはボクが居て、ミアが居て、カラカが居て、ルジャも居た。

 けれどボクは隙を見てそこを抜けだし、村の長のもとへ向かった。




「篝火は」

「見ました」

 ボクが村の長のもとへ行くと、そう言われた。

 だから、本当のことを答えた。

「……ならば、テト。お前が継ぐと良い」


 あの、黒い剣の男は。風伝によると、どこか遠くの戦場で死んだらしい。




 深淵の森の木々は、秋になっても色は変らない。

 足下の草花が枯れて赤茶色になって久しい頃合い、ボクは猟銃を持って倒木に腰掛けていた。

 小腹が空いたので、腰に下げた袋から干し肉を取り出して噛む。

 流石にそろそろ雪が降る頃合いか、寒い手をさすって息を吹きかける。

 その白い息の向こうに、一匹の狼が居た。

 その狼は小さく、まだまともに狩りなどできないだろうに、群れからはぐれたらしい。

 ボクが咥える干し肉を、物欲しそうに見つめるつぶらな瞳は、ボクの心を動かすには十分だった。

「これ、欲しい?」

「……」

 ボクが何を言っているのか、てんでわからないとばかりにこちらを見つめる、小さな狼。

 すっと差し出すと、つつつと寄ってきたが。

「残念。ただでは、あげないよ」

「ウゥゥ」

 小さな狼だが、低く唸る様は大人顔負けだ。

 

 けれど、ボクはもっと恐ろしい狼を知っている。


「キミに。魔法を教えてあげよう」


「オゥ?」

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