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皇帝陛下の不採算な溺愛~転生コンサル、契約外の執着で定時に帰れません!~  作者: 深山 凛
第1部『隠れ家の監査役』

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1/5

夜禁の始まり、あるい静かなる残業

冬冬(トントン)――。冬冬(トントン)――。


胃の腑を直接揺さぶるような重低音が、暮れなずむ長安の空気を震わせた。

街鼓(がいこ)だ。日没を告げる六百回の連打。


肺の奥まで振動が伝わるたび、百を超える「(まち)」の巨大な門が、重々しい断末魔を上げて閉ざされていく。


夜禁。


この音が鳴り止んだ瞬間、都は巨大な檻へと姿を変える。

住人たちは自由を奪われ、静寂という名の鎖に繋がれる。


だが、私――林鈴(リン・リン)の鼓動は、その絶望の拍動に合わせてむしろ、高揚という名の熱を帯びていた。


(……ようやく、定時のチャイムが鳴ったわね)


私は石畳の回廊を、足早に、けれど確かな足取りで進んでいた。

向こうから走ってくる女官たちの顔には、門が閉まる恐怖で血の気が引いている。

彼女たちの奔流を避け、回廊の隅に身を寄せてやり過ごす。


まとわりつくような湿気を孕んだ夜風が、首筋を撫でた。


「……あつい」


不意に漏れた声が、湿った空気に溶ける。


身に纏うのは、最低級の品階を示す若草色の盤領袍(ばんりょうほう)

何重にも重ねられた絹は、汗を吸ってずっしりと重く、肌に張り付いて呼吸を妨げる。

首元の襟はすでに汗で色が変わり、不快な熱が皮膚を焼き続けていた。


それでも、私は歩みを止めない。

あと数分で、完全な闇が世界を塗り潰す。


私が目指すのは、煌びやかな金飾りが踊る後宮の寝殿ではない。

埃と紙魚(しみ)の死骸が堆積した、北の果てのデッドスペース――尚食局(しょうしょくきょく)の「書庫」だ。


本来、私のような最下層の才人(さいじん)がこの時間に出歩けば、容赦のない杖刑(じょうけい)が待っている。

だが、この若草色の衣には、どんな変装よりも優れた機能があった。


(……背景に溶け込むには、この色が最適解(ベスト)だわ)


誰も、数千人もいる女官の、それも平社員以下の女の顔など記憶していない。

私はこの巨大な「ブラック企業」において、風景の一部として認識を阻害するスキルを、生存戦略として極めていた。


冬冬(トントン)――。


最後の音が止んだ。


途端、鼓膜を圧迫するような、真空に近い静寂が落ちてくる。

遠く、地響きを伴って玄武門が閉じる音が聞こえた。



◆◇◆



私は書庫の重厚な扉に肩を押し当て、全身の体重を預けて押し開けた。

溢れ出してきたのは、(かび)と墨、そして乾いた竹簡が放つ、特有の()えた匂いだ。


普通の妃嬪なら顔をしかめるであろうその悪臭が、今の私には、どんな高級な龍脳(りゅうのう)よりも深く、ささくれた精神を鎮静させてくれる。


扉を閉め、背中でかんぬきを落とす。

金属の重い音が、私のプライベート空間(オフィス)の完成を告げた。


視界を奪う暗闇の中、指先の感覚だけで火打石を探し当てる。


チ、チッ。


火花が散り、灯された蝋燭の頼りない光が、うず高く積まれた巻物の山を不気味に浮かび上がらせた。

私は盤領袍の袖を捲り上げ、一番手前の棚から、背表紙が擦り切れた一冊の帳簿を引き抜く。


『尚食局・食材仕入台帳』。

その文字をなぞる指先が、微かに震えた。


本来、妃嬪の手が触れるべき代物ではない。

だが、私の前職の血が――現代日本で心身を削り、泥水を啜りながら培った「経営コンサルタント」としての倫理観が、この数字の矛盾(バグ)を、ただの紙屑として見過ごすことを拒絶したのだ。


「さて、と」


私は埃の積もった床に、袴の汚れも構わず直接腰を下ろした。

傍らに置いた算盤を引き寄せる。


指先に触れる木珠のひんやりとした冷たさが、熱を帯びた脳を急速に冷却していく。


静寂。


遠く、夜警の巡回する硬質な足音が響くが、厚い壁に遮られ、ここまでは届かない。

パチ、パチ、と蝋燭の芯が爆ぜる微かな音だけが、私の心拍数と共鳴を始めた。


私は深く、肺を洗浄するように息を吐き出し、帳簿の最初の頁を捲る。



さあ、監査(アサイン)の時間だ。



この美しき帝国の皮を一枚剥ぎ、その下に隠された「汚職」という名の膿を、無慈悲な数字で抉り出してやる。

数ある作品の中から、本作に遊びに来ていただきありがとうございます。

外資系コンサルが後宮をホワイト化していくという、前代未聞のプロジェクトが本日スタートしました!


本プロジェクトは【完結保証】です。 毎日19:00に、皆様の元へ最新の進捗報告(予約投稿)をお届けします。


読者の皆様の「いいね」や「ブックマーク」は、鈴の算盤の精度を上げ、私の執筆モチベーションを最大化させる最高の「報酬」となります。 ぜひ、評価・応援をよろしくお願いいたします!

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