届かなかった想い
side ハル
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
意識が浮上するたび、身体のどこかが熱を持っていた。
怪我をした腕か、打った頭か、それとも胸の奥か――はっきりしない。
薬草の匂いと、低く抑えた話し声。
……ああ、そうか。
狩猟祭だ。
そこで、俺は――
思考がそこまで辿り着いた瞬間、
俺の意識は自然と、少し前の日々へと引き戻されていった。
――――――――――
あの日、昼餐会のあった日から、俺は意図的にエリシアと距離を取っていた。
ティーパーティーでエリシアが俺とリュシエルを二人きりにしたことが悔しかった。
彼女の立場では、そうせざるを得なかったこと。
彼女が自分の気持ちよりも国の利益や、俺の王太子の立場を優先する人間だということも、分かっている。
それでも――
エリシアが、俺と他の令嬢が二人で話していても何も感じないのだと思えたことが、どうしようもなく悔しかった。
逆の立場なら、俺は絶対に彼女のそばを離れないのに……。
そして、指輪の騒動を従者から聞いた時、俺はすぐに彼女のもとへ向かった。
だが、すでにそこには――
あの公爵がいた。
奴が彼女の前に跪いた時のエリシアの表情を見た瞬間、胸の奥に、言葉にできない嫌悪感が湧き上げてきた。
苛立ち。
焦燥。
――そして、嫉妬。
すぐにでも彼女のそばへ行きたかった。
だが、リュシエルに腕を掴まれ、人の波に阻まれ、辿り着けなかった。
国の利益の為には振り払えず、無理に進めない。
自分の無力さに、腹が立った。
そして、その苛立ちを彼女にぶつけてしまった自分が、何より許せなかった。
彼女のことになると、感情の制御がきかない。
人生の大半を感情を殺して生きてきたはずなのに、自分がこんなにも感情的な人間になるとは、想像もしていなかった。
そんな自分が嫌で、
彼女と顔を合わせる勇気が、持てなかった。
それでも――
彼女が今、どんな顔をしているのか。
誰といて、何を考えているのか。
どれほど気にしないふりをしても、
結局、頭から離れることはなかった。
それに、アルヴェイン公爵のことも、だ。
帝国に帰れば、奴はすぐにでも彼女を連れ戻そうとすると思っていた。
だが、夜会で婚約者がいると聞かされた。
エリシアを傷つける男だと憎みながら、
同時に、胸の奥でほっとしている自分がいた。
なのに――
あの月夜に庭園で見た二人の姿で、悟ってしまった。
エリシアと公爵の間には、
他の誰も入り込めない空気がある。
それも当然だ。
俺と彼女が出会ってから、まだ二年。
あの二人は、その何倍もの時間を共に過ごしてきたのだから。
そして畳み掛けるように、指輪の存在と、ジェシカとの婚約が虚偽だったという事実が明らかになった。
それらを知った今、
エリシアがすぐにでもノアの元へ行ってしまうのではないか――
そんな考えが、胸の奥をざわつかせた。
あの男に彼女の隣を奪われる。
そんな未来が、容易に想像できてしまった。
怒りでも、嫉妬でもない。
それよりもっと、みっともない感情。
こんなことになるのなら、
もっと早く、想いを伝えていればよかった。
だが俺は、彼女の正体を知っている。
彼女が、どれほど多くを失い、
それでも笑おうとしているのかも。
だからこそ、慎重になりすぎた。
自分の立場。
彼女の立場。
この帝国での意味。
考えれば考えるほど、
「今じゃない」という理由ばかりが積み重なっていった。
その間に――
あの公爵は、彼女との距離を縮めていく。
まるで、空白の五年など無かったかのように。
リュシエルの件も、誤解だった。
正確に言えば、
誤解されても仕方のない状況を、俺自身が作った。
彼女が婚約者候補として紹介された頃から彼女が俺に好意を向けていることは、分かっていた。
だが、応えるつもりはなかった。
公の場では無礼の無いように振舞っていたが、婚約者の話は何度もはっきりと、断った。
それでも――
彼女は引かなかった。
最後に一度、お茶をしてくれたら諦めると縋る彼女の言葉を信じてパティスリーに同伴したが、その後に突然部屋を訪ねてきたリュシエルは、泣いていた。
色気仕掛けでもするかのように迫られた。
気持ちには応えられないと拒絶すると、縋るように腕を掴まれ、感情をぶつけられた。
それ以上のことは、何もしていない。
なのに――
後からサーシャに、事の顛末を聞かされた。
その時の彼女の顔を、俺は見ていない。
見ていないのに。
見なくても、分かってしまった。
――傷つけた。
その事実だけが、胸に残った。
そして、今日の狩猟祭。
彼女に捕らえた獣を捧げるつもりだった。
そして、謝りたかった。
なのに――
張り切った挙句、落馬して怪我をした。
……情けなかった。
――――――――――――
また、意識が浮上する。
天幕の中だ。
視界の端に映った彼女の姿に、
安堵が先に来てしまった自分が、また情けなかった。
――それでも、来てくれた。
それだけで、
胸の奥が、どうしようもなく救われてしまう。
俺は何を言うべきなのだろう。
その答えだけが、
まだ、見つからないままだった。




