琥珀色の森で
午後の陽は傾きはじめ、森はゆっくりと琥珀色に染まっていく。
風が木々を揺らし、秋の冷たさを感じる空気が頬をかすめていった。
会場に角笛が鳴り響き、狩りの終わりが告げられると、森の奥から、次々と帰還した者たちが姿を現す。
血と土の匂い、勝利と誇示の気配。
待合の天幕からも、自然と視線が狩場へと集まった。
「……いらしたわ」
誰かが、息を潜めるように呟く。
その言葉に呼応するように、空気が変わった。
ざわめきが、一段、低くなる。
期待と緊張が混じった、特有の気配。
令嬢たちの視線の先で揺れるのはアルヴェイン公爵家の旗。
その先頭にノアがいる。
ミルクティーブロンドの淡い髪が、西日を受けてきらめく。
狩りの血臭を纏いながらも、その佇まいは不思議なほど清廉で、まるでこの場の混濁を一身に引き受け、なお余裕を残しているようだった。
「……素敵ですわ……」
「公爵は今年も皇后陛下にお捧げになるのでしょうか……」
「同年代の令嬢に捧げられたことは無いのだとか……」
囁きは、憧れと羨望に満ちている。
それと同時に、未だ見ぬ“捧げられる相手”への、
微かな嫉妬が、確かに混じっていた。
普段なら、きっと視線を逸らしていた。
自分が、その“対象”になり得るなど、考えてはいけないと。
けれど、ステラの話を聞いて、ノアから目を逸らしてはいけないと気がした。
自分が傷付くのが怖いから逃げることはしたくなかった。
人波の向こうで、ノアの視線がこちらを捉える。
次の瞬間、彼は迷いなくこちらへ歩みを進めた。
ざわめきが、驚愕に変わる。
「……え?」
「まさか……」
一瞬、場が凍りつく。
本来であれば、大国の公爵が、一介の“随行の娘”に獲物を捧げるなど、あり得ない。
それでもノアは、人々の視線の中心で立ち止まり、私の前で、静かに片膝をついた。
息を呑む音が、そこかしこで重なる。
「セラ嬢」
低く、澄んだ声。
狩場の喧騒をすべて鎮めるような響きだ。
「先日、あなたが見つけてくださったものへの返礼です」
――つまり、表向きには指輪を拾って貰ったお礼、ということだろう。
だけど、社交辞令と言うにはあまりにも目立ちすぎている。
差し出された獲物は、堂々たるものだった。
力と技量、そして誇りの象徴。
分かっている。
彼はきっと、ここで待っている間に私がどのような扱いを受けているか、誰かから報告を受けているのだろう。
これは周りを牽制し、私が軽視されないための配慮だ。
だけど、それでも、胸が、大きく波打つ。
だって、別の意図があるとは分かっていても……
ノアが私に獲物を捧げてくれたのだから。
「……ありがとうございます」
声は、わずかに震えていた。
私が獲物を捧げられた途端、周囲の空気が、はっきりと変わった。
羨望。
嫉妬。
そして、敵意。
私は、その視線を一身に浴びながら、
それでも、不思議と怖くなかった。
胸の奥が、温かい。
「受け取っていただけることを、光栄に思います」
ノアが柔らかな笑みと共にそう答えた時だった。
遠くで、慌ただしい声が上がる。
「……担架だ!」
「誰だ、怪我人は――」
視線が、一斉にそちらへ向けられる。
人々の間から、担架が現れた。
かけられた白い布には、血が滲んでいる。
白銀の髪が見えた瞬間、心臓が、凍りついた。
「……ハル……」
彼だった。
意識がないのか、目を閉じている。
だが、あれは間違いなく彼だ。
そのまま、担架が人波を割って進もうとした、そのとき。
「待ってください!」
鋭く、切羽詰まった声が響いた。
目を向けると、リュシエルが駆け寄ってくるところだった。
「殿下のご容体は? 私が――」
可憐な姫の声を、静かに制したのは、エルダール王国の従者だった。
エルダール国王の傍でよく見かけた年かさの男で、長年王家に仕えてきた者だ。
「姫君。どうか、ここまでで」
その声音は丁重だったが、はっきりと線を引いていた。
「私は婚約者候補として――」
「承知しております」
だが、従者は一歩も退かない。
「しかし、殿下は今、静養が必要です。
これ以上の同行はお控えいただきたく」
ざわり、と空気が揺れる。
リュシエルの顔色が変わった。
――彼女は拒まれた。
公の場で。
誰の目にも分かる形で。
「……では、どなたが彼を診るのですか?」
リュシエルの声は、震えていた。
その問いに、従者は一瞬だけ視線を巡らせ――
そして、迷いなく、私を見た。
「――セラ様」
名を呼ばれた瞬間、周囲が静まり返る。
私?
思わず、目を見張る。
「殿下が、最も信頼されているお方です」
淡々とした言葉。
けれど、それは何よりも雄弁だった。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
私は、無意識に一歩、前に出ていた。
「……分かりました」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
担架の横に立つと、
ハルは薄く目を開き、私を見た。
何かを確かめるように。
そして、安堵したように、わずかに瞳を細めた。
それだけで、十分だった。
担架が再び動き出す。
秋の空の下、祝祭の音は遠ざかり、
私の耳には、彼の浅い呼吸だけが残った。




