無言の再会
秋の日差しは柔らかく、皇宮の奥庭に長い影を落としていた。
昼の時間帯だというのに、この一角だけは不思議と音が少ない。
庭園の噴水の水音さえ、ここまでは届かなかった。
私とノアは、並んで白い回廊を歩いていた。
高い天窓から差し込む光が、磨かれた石床に淡く反射している。
「……何の配慮もなく、急にお誘いしてしまいました。
心の準備も、必要でしたよね」
ノアが小さく問いかけてくる。
「大丈夫です」
本当は、少し怖い。
父と母の死は受け入れているつもりだけど、お墓という決定的なものを目の前にして、自分がどういう感情になるのか分からなかった。
だけど、隣にいるのは他の誰でもない、あの日を共に乗り越えたノアだから……私は勇気を出すことができる。
やがて、紋章が刻まれた扉の前でノアは足を止めた。
昼間だというのに、人の気配がない。
それが、この場所の特別さを物語っている。
皇族の墓所。
昼の光を受けても、その扉は冷たく、時間から切り離されているように見えた。
ノアは周囲を一度だけ確かめてから、静かに鍵を取り出す。
恐らく、本来であれば一介の公爵が立ち入れる場所ではないだろう。ノアだから、許されたのだと感じた。
「……ここから先は、何度も入れる場所ではありません」
それは制止ではなく、配慮だった。
「ですから、エリシア様の気が済むまでお祈りください」
鍵が外れる音は小さく、それでも胸に響いた。
扉が開くと、内部は思っていたより明るかった。
高い位置に設けられた細窓から、秋の光が差し込み、白い石の壁を淡く照らしている。
整然と並ぶ墓碑。
刻まれた名と称号。
――そこに、父と母の名前があった。
息が、止まる。
昼の光の中にあるはずなのに、世界が遠のいた。
私はその場に、力が抜けたように膝をついた。
石床の冷たさが、ゆっくりと身体に伝わってくる。
「……父上、母上……」
声が、かすれる。
「会いに、来ました……」
秋の穏やかな時間が、ここだけ静止している。
私は墓碑に手を伸ばし、そっと指先で触れた。
冷たい石の感触が、確かに現実だった。
「……何も出来ていなくて、ごめんなさい……」
謝罪とも、報告ともつかない言葉がこぼれる。
この場所に来るまで随分と時間がかかってしまった。
五年間、本当だったら家族で笑って過ごしていたはずだった日々。
大好きだった父と母
優しい声、温かい笑顔、その温もり……
すべてを置いて、私は生き延びてしまった。
それなのに、私はいまだに何もなし得ていない。
あの日からずっと自問自答し続けている。
私はあの日、生き延びるべきだったのか?
そんな価値のある人間なのか?と……。
「父上、母上……。
会いたいです……。
私は……どうしたら良いのでしょうか?」
答えが返ってくるはずなどない。
だけど、ここでしか言えない叫びがあった。
ノアは少し離れた場所で、黙って立っていた。
祈りを邪魔しない距離。
それは、幼い頃から変わらない、彼の優しさだ。
私はそっと、額を石に寄せる。
「私、頑張ります。
父上と母上の娘として恥ずかしくないように……
ちゃんと、胸を張って生きます」
背後で、ノアが一歩だけ近づく気配がした。
「エリシア様」
昼の静けさに溶ける、低く穏やかな声。
「ただ、あなたが生きていることを、お二人はきっと喜ばれています」
断定ではない。
祈るような、願うような言葉だった。
「おふたりはエリシア様を愛されていましたから」
私は何度もうなずいた。
涙が、静かに頬を伝って落ちる。
分かっている。
父も母もきっと、ここに居たかった。
好きで遠くに行った訳ではない。
それでも……。
どうして死んでしまったの?という問いが、
何度も頭を過ぎる。
そばに居て欲しかった。
父と母が皇族なんかでなければ良かった。
ただ、ただ、今も一緒に過ごせてたら……
それだけで良かったのに……。
どんなにそう思っても、時間は戻らない。
亡くした人は帰らない。
だからこそ、今を生きなければならない。
立ち上がろうとしたとき、足元がふらつく。
だけど、ノアの手がすぐに支えてくれた。
「……無理しないで下さい」
その手は、温かい。
生きている人の温度だ。
私は一瞬だけ、彼の腕に身を預けた。
誰にも見られない場所、誰にも咎められない時間。
やがて身体を離し、もう一度だけ墓碑を見る。
「……行ってきます」
それは別れではなく、誓いだった。
扉を閉める前、ノアは深く一礼した。
それは決まりだからではなく、ノアの意思で最大の敬意を示すものだった。
皇族の墓所を後にすると、秋の光が一層まぶしく感じられた。
冷えた石の間から解き放たれたせいか、それとも胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出したせいか、世界の色がほんの少しだけ戻った気がする。
「……ありがとうございます、ノア」
私の言葉に、彼は静かに首を振る。
「私が、したかったことですから」
その声音は、穏やかなのに頼もしい。
今日、生きてここに来られたこと。
私にとってそれは簡単な道ではなかった。
これまでの日々を思えば、
ただそれだけの事が、奇跡だ。
たくさんの人が、私を守り、支えてくれた。
そのことを、忘れてはいけない。
私はあの日から初めて、ちゃんと生きていこうと思った。
回廊を抜け、奥庭へと続く道に差しかかったところで、ノアがふと足を止めた。
「……エリシア様」
低く、慎重な声だった。
視線の先に、一人の老婦人が立っていた。
背筋はまっすぐ、白銀の髪は丁寧に結い上げられ、深い紫のドレスには帝国の紋章が控えめに刺繍されている。
皇太后陛下。
この帝国で、最も長く、最も多くを見てきた人。
ノアが一歩前に出て、深く頭を下げる。
「皇太后陛下」
私も慌てて礼を取ろうとすると、彼女は柔らかく手を上げた。
「楽になさい。今日は公式の場ではありません」
その瞳は、穏やかで、深い慈愛に満ちていた。
「こちらをお返し致します」
ノアはそう言うと、皇太后に先程の鍵を返した。
どうやら、鍵の持ち主は皇太后だったようだ。
彼女は鍵を受け取ると、その優しい視線をゆっくりと私に向ける。
「……セラ嬢、建国祭ぶりですね。狩猟祭が終わりましたらお時間を頂けますか?良かったらエルダールの王太子殿下もご一緒に」
一瞬、胸が強く鳴った。
建国祭のパレードの時に誘われた茶会のことだろうか。ハルも一緒だと言うことは、やはり故郷であるエルダールを懐かしく思われたのかもしれない。
どう答えるのが正しいのか分からなかったけれど、拒む理由も見つからなかった。
「……光栄です」
そう答えると、皇太后は満足そうに頷いた。
「では、また」
それだけ言って、彼女は侍女に付き添われ、静かに去っていった。
しばらく、私はその背中を見送っていた。
(でも……もしかしたら、私のことを……)
気付いてくれたのだろうか。
セラではなく、エリシアだと。
問いかける前に、ノアが小さく息を吐いた。
「今回、墓所へ入る許可を下さったのは……皇太后陛下です」
「え……」
「陛下は、何も仰いませんでした。ただ、“いつでも、好きな時に連れて来なさい”と」
その言葉が、胸に静かに沈んだ。
――やっぱり。
気付いているのだろう。
それでも、暴かず、縛らず、ただ場を整えた。
それが、曾祖母である皇太后のやり方なのだろう。
ノアの執務室まで戻ると、迎賓館までは、キースが送ってくれた。
道中、彼は何も聞かず、何も言わなかった。その沈黙が、今はありがたかった。




