表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
建国祭編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

88/140

十三歳の誕生日

 夜更けの迎賓館は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 窓の外では秋の風が木々を揺らし、かすかな葉擦れの音が、廊下の奥まで届いてくる。


 コンコン――控えめなノック音が響いた。

 その瞬間、胸の奥がちくりと痛む。


 今は、誰にも会いたくなかった。

 けれど私は、エルダールの代表として、大国を訪問している立場だ。

 訪問者を拒むわけにはいかない。


「……はい」


 重い気持ちで扉を開けると、そこに立っていたのはノアだった。


(そうだった……後から訪ねてくれると言ってくれていたんだった……)


 色々あって、すっかり忘れてしまっていた。


 昼間と変わらぬ端正な佇まい。

 けれど灯りの陰に落ちた表情は、どこか疲れて見える。


「遅くなりました。少し、話せますか?」


 柔らかな声。

 ただそれだけで、張り詰めていた胸がわずかに緩んだ。


「どうぞ……」


 部屋に招き入れると、ノアは扉の前で一度足を止め、私の顔をじっと見た。

 その視線が、ふっと目元に落ちる。


「……泣いていましたか?」


 隠したつもりだった。

 冷やしたし、もう大丈夫だと思っていたのに。


「……少し、だけ」


 そう答えた途端、ノアの眉がわずかに歪む。

 彼は何も言わず、一歩だけ近づいた。


 指先が、そっと私の目元をなぞる。

 触れるか触れないか分からない、ぎりぎりの距離で。


 まるで、触れてしまえば壊れてしまうものを前にしているみたいに。

 彼は息を殺し、慎重に距離を保っていた。


「大丈夫です。もう……」


「大丈夫じゃなくても、いいんですよ」


 被せるように、けれど穏やかに言われる。

 責める言葉ではないのに、胸の奥に溜めていたものが、静かに揺れた。


「……ありがとうございます」


 消え入りそうな声でそう言うと、ノアは席を薦めるように手を差し出す。

 ひとつひとつの動作が丁寧で、優しくて、遠い記憶が胸をくすぐった。


「今日は……色々ありましたよね」


 その一言で、すべてを見抜かれた気がした。

 私は何も言えず、小さくうなずくだけだった。


「エリシア様、お渡ししたい物がございます」


 ノアはわずかに距離を取ると、私の手を取る。

 掌の上に載せられたのは、淡く光るペリドットの指輪だった。


「十三歳のお誕生日に、お渡ししようと思っていた物です」


 一瞬、言葉を探すように視線を伏せ、そしてまた私を見る。


「その……受け取っていただけると……嬉しいです」


 私は震える手で指輪を受け取った。

 冷たいはずなのに、掌に残る感触は不思議と温かい。


 十三歳になる前に、私は帝国から消えた。


 祝われるはずだった誕生日。

 受け取るはずだった、この指輪。


 ――止まっていた時間だけが、静かに戻ってきた気がした。


「ノア……」


「どうされましたか?」


 その声は、そっと包み込むようで、

 胸の奥がじんわりと熱くなる。


「ありがとうございます」


 聞きたいことはたくさんあったはずなのに、

 今はその言葉だけが自然と口に出た。


 ノアは少し困ったように微笑んだ。


 沈黙が二人を包む。

 何か話さないと、これまでのようにノアはすぐに退室してしまう気がして……何でもいいからと話題を探した。


「今日の帰りにソフィア嬢に皇女かと尋ねられました」


「キースから聞きましたが、エリシア様がうまく誤魔化されたと」


「多分……ですが……」


「フローレンス公女は悪い方ではありませんが……一応気をつけておくようにしましょう」

 

「そういえば、どうして、私が行方不明ということに?」


「両陛下の希望的観測と民の不安を和らげるための措置だと聞かされました」


「そう……ですか」


「このままでは露見するのも時間の問題……かもしれませんね。何か策を考えます」


 彼の返事に、私は申し訳なく思った。

 まるで私が長く帝国に滞在するつもりで考えてくれている。


 伝えるか悩んだが、彼に余計な心配をかけたくなかった。


「ノア……私は皇女になる為に戻ってきたんじゃないの。建国祭と外交の予定が終わればエルダールに帰ります」


 その答えにノアは一瞬目を瞬かせ、そして、何かを飲み込んだように呟いた。


「そうですか……」


 ノアにもこんな顔をさせたいんじゃない。なのに今日は何だか上手くいかない。俯いた私の頭上から優しい言葉が落ちる。


「エリシア様が、そんな顔をなさらないでください」


 その言葉に私は驚いてノアの顔を見た。彼はいつものように優しく微笑むと、私の顔にかかった髪を耳にかける。


「帝国にいらっしゃる間だけでも、私ができることをさせてください。何かお困りのことはありませんか?」


 私は彼を頼っていいのか迷ったが、言葉に甘えることにした。


「実は……お願いしたいことがあって」


 そう告げると、彼は静かにうなずいた。

 ゆっくりと深呼吸し、勇気を振り絞る。


「その……難しいことだと分かっているのですが……

 父上と、母上の…お墓参りがしたいのです」


 言葉にするだけで喉が詰まり、声がかすかに震えた。


 本当は――ハルにお願いしていた。

 皇帝陛下との謁見の際に頼んでもらおうと。

 けれど、エルダールの王太子として忙しく動き回る彼に、これ以上甘えたくはなかった。


「皇族の眠る場所に、他国の者が立ち入れないのは分かっています。

 でも……どうか、祈るだけでも許していただけないでしょうか」


 しばし沈黙が落ちた。

 ノアの瞳がわずかに揺らぎ、私の痛みを丁寧に受け取るかのように瞬きをする。


「……そんなに大事なことを、私に話してくださってありがとうございます」


「ノアに頼ってしまっていいのか、迷いました。

 でも……」


 ノアは小さく息をつき、ほんの少しだけ表情を緩めた。


「迷われても、最後に思い出してくださったのなら……それで十分です」


「え……」


「エリシア様が望まれるのなら、私にできる限りのことをします。

 帝国に滞在されている間に墓所に向かうための場は、必ず整えます」


 その言葉は静かで、けれど迷いがなかった。


「そんな……本当に、いいのですか?」


「いいも悪いもありません。あなたが困っているのなら、助けたい」


 彼の透き通った瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 じっと見つめられると、胸の奥がひやりとするほど綺麗な青だ。


「ノアは優しすぎます」


私の言葉にノアは驚いたように目を瞬かせた。


「それでも、この国にいる間は……私を頼ってください」


 その優しさに、私は何も言えずただ頷くことしかできなかった。

 


「夜分遅くに失礼しました。今日はお疲れでしょう。お早めにお休み下さい」


 ノアはそう言って、静かに扉へと向かった。

 去り際、振り返って、ほんの一瞬だけ視線が絡む。


「何かあれば、いつでもキースに伝えてください」


 それだけ言って、彼は廊下の闇に溶けていった。


 ノアが去ったあと、部屋には静寂だけが残った。


 私は手の中の指輪を胸元に引き寄せ、そっと息を吐く。

 冷たいはずなのに、確かに温かくて――それだけで、救われた気がした。


 この指輪が、指に嵌まる日は来ないかもしれない。


 それでも、私にとってこのサイズの合わない指輪はかけがえのない宝物だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ