群衆の悪意
「わたくしの指輪が盗まれたのよ!
誰か、すぐに探しなさい!」
ソフィアと共に足早にティーパーティーの会場へと戻ると、あの大公爵家の公女――ジェシカが、盛大に騒ぎ立てていた。
たとえ本当に盗みがあったとしても、格式高い外交の場でこのような騒ぎを起こすべきではない。私は主催者である皇帝夫妻の気苦労を思い、小さくため息をついた。
その時、ソフィアが私の手のひらの中にあるペリドットの指輪を震えるように指差した。
「……これ、もしかして――」
ソフィアが小声で呟く。
(あ、そういうこと……)
私は自らが置かれた芳しくない状況を察知し、もう一度、深く息を吸ってから一歩前へ出た。
「この指輪、私が拾いました。庭園の小道に落ちていて……」
だが、その言葉を最後まで聞くことなく、ジェシカは私を射抜くように睨みつけた。
「拾った? 嘘よ。あなたが盗んだに決まっているわ。
身分の低いあなたなら、尚更ね!」
周囲がざわめき、視線が向けられる。
予想のついていた状況だったが、気分の良いものではない。それでも私は、身の潔白を証明するようにできるだけ堂々と真っ直ぐに立った。
隣で、ソフィアが反論しようと一歩前に出る。
私は慌てて、その手首を掴んだ。
ソフィアはフローレンス家の公女だ。
――フローレンス家とドゥーカス家。
皇位継承を巡り、対立する二つの家門。
この場で彼女が声を上げれば、個人の問題では済まなくなる。
けれど、このまま私が盗人に仕立て上げられれば、エルダールに――ハルにまで迷惑が及ぶ。
「ジェシカ様、どうかお話を……」
私が彼女を宥めようとした時だった――
場の空気を切り裂くように、軽い声が飛んできた。
「あれ、おかしいっすね~。その指輪は主の物ですよ!」
現れたのはキースだった。
彼はノアが人選してくれた私の護衛だ。恐らく私の不利になるようなことはしないと思いたいけれど、話がどう転ぶか分からず落ち着かない。
「誰よ!貴方!何言ってるのか分かっているの?」
ジェシカの標的が私からキースへと移る。
「これはこれは、名乗り遅れました。
私の名前はキース・ルーズベルト、アルヴェイン公爵家に仕える者です」
彼の返事にその場が騒めく。
「どういうことだ?指輪はアルヴェイン公爵家の物?つまり婚約者であるドゥーカス令嬢に差し上げたのか?」
「やはり盗んだのはあの女か?」
「じゃあ彼はどうして名乗り出たのよ」
「そうよ!その指輪はアルヴェイン公爵が自ら私にプレゼントしてくれた物ですわ」
ジェシカが高らかに宣言する。
「それをこの女が盗んだのですわ!
夜会で公爵に色目を使っているとは思いましたが……ここまでとは。
どこの馬の骨かも分からない下賎の者が、帝国の公爵を狙うなんて愚かですわ。
小国の王子を籠絡できたからと、調子に乗るのも大概になさい」
その言葉を合図にしたかのように、帝国貴族たちの囁きが広がる。
「まぁ、なんてはしたない」
「身分知らずも甚だしい」
「売女が」
まるで神殿にいた時のような冷えた空気に私は指先が冷たくなるのを感じた。
「違うわ!」
いても立っても居られなかったソフィアが私の手を振り払って叫んだその時、
「何事ですか?」
騒ぎを聞きつけた主催者である皇帝夫妻がやってきた。近くにいた貴族の一人が事の経緯を二人に伝える。恐らく、ジェシカの言い分ばかりを伝えているに違いない。
自分自身はどう言われようと構わなかったが、このままではエルダールとハルに迷惑がかかる。
焦燥からか手が震え始めた。
話を聞き終えた皇后が私の方を一瞥する。
「その指輪、見せてもらえるかしら」
想定外の言葉だった。すぐにでも捕縛され、牢につれて行かれるかと思った私は目を瞬きさせながらも、こちらに歩み寄ってきた近衛に指輪を手渡す。
その指輪を受け取った皇后は柔らかく微笑むと、キースの方に声をかけた。
「宮廷にいるアルヴェイン公爵を呼んできなさい」
「はい!承知しました~」
キースはそう答えると、いつもの軽い調子で走っていく。状況を読めない私は、どうしていいかわからず、ただただ嫌な汗をかき続けた。




