午餐会
あの夜の出来事は忘れられないまま。
それでも時間だけは、容赦なく進んでいた。
今日は、両陛下主催の午餐会が開かれる。建国祭に参加した周辺国の王族や貴賓たちが招かれる公式な集まりだ。
正直、まだ人の集まる場所に出ていくのは怖かった。
だけど、それではあの人達の思うつぼだから、そうはしたくなかった。
皇宮の白い大理石の床が、澄んだ秋の陽光を受けてきらりと反射している。
正面の大窓から射し込む陽光は、長いテーブルに並べられた銀器に淡い揺らぎを映し、まるで水面の上を光が踊っているようだ。
扉が開くたび、衣擦れの音とともに他国の王族や使節たちが入室する。色とりどりの礼服が陽光に照らされ、その場をひときわ華やかにした。
「……緊張で吐きそう」
隣で囁くと、ハルは穏やかな微笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。ここで失敗しても何かされる訳じゃない」
確かに……神殿と違って失敗しても命は取られない。って、そういう問題ではないけれど、いつもの軽口に胸が少しだけ軽くなる。
やがて、両陛下が入場すると、広間が水を打ったように静まり返った。
人々が一斉に立ち上がり、胸に手を添えて敬意を表す。
「皆さま、ようこそセレスティアへ。共に友誼を深められることを願います」
皇帝の重みある声と、皇后の柔らかな微笑みが広間を包み——
献杯の合図とともに、外交の時間が静かに幕を開けた。
各国の貴賓が互いに言葉を交わし、時折笑い声が上がる。
ハルはきちんとした王太子の顔で応対しているが、私の方を見る時には、僅かに表情が和らぐのがわかった。
午餐会が終わりに近づく頃、楽師の奏でる音色がゆるやかに落ち着き、側面の大扉がふわりと開いた。
途端に、外の空気が、少し冷えた草木の香りをまとって流れ込み、張り詰めていた雰囲気を優しく揺らす。
「ティーパーティーは庭園で行います。どうぞご移動くださいませ」
侍従の声に導かれ、客人たちは外へと歩みを進めていく。
午餐会の緊張が、澄んだ秋風の中でほどけていくようだった。
庭園には白い丸テーブルがいくつも並び、純白のクロスの上にはすでにティーセットが整えられている。
焼きたてのスコーン、いちじくのタルト、林檎のコンポート。
陽光を受けた銀器が、宝石のようにきらめいていた。
「わぁ!素敵……」
小さく呟くと、ハルが横目でこちらを見て微笑んだ。
「お前が好きそうなのがいっぱいだな」
庭園に漂う甘い花の香りが、そよぐ風に乗って流れていく。
午餐会の緊張が解け、客人たちの表情もどこか柔らかくなっていた頃——。
カン、と小さな合図のベルが鳴った。
次の瞬間、ガーデンへと繋がる回廊から、帝都の高位貴族たちが優雅な足取りで現れた。
刺繍を贅沢に施した礼服、家紋の輝くブローチ、光沢のあるドレスが、秋の陽光を受けて色とりどりにきらめく。
「おや、帝国の貴族方のご登場か。思ったより壮観だな」
「建国祭の特別茶会ですから、きっと皆さま張り切っているんでしょうね」
どこからかそのような囁き声が聞こえた。
帝国側の貴族たちが参加したことで、ガーデンはさらに華やかさを増した。
各家の若い令嬢たちは、遠方から来た王族たちを一目見ようと視線を向け、壮年の貴族たちは外交官のように静かに動き、場の空気を整えている。
中には先日の茶会や舞踏会で見かけた人物もいて、少し胸騒ぎがしたが、私を騙した令嬢の姿は見えなかった。
ふと、先頭を歩いていた大臣が二人に気づき、恭しく一礼する。
「エルダール王国の王太子殿下、セラ嬢。ご機嫌よう」
ハルは軽くうなずくだけだったが、声音はきちんと礼を踏んだものだった。
「ご丁寧にありがとうございます。プライス卿。これから皇帝陛下と皇后陛下に、改めてご挨拶に伺うところです」
普段の彼からは想像がつかないほど整った言葉遣い。
その切り替えの早さに今さらながら感心する。
「……ハル、別人みたい」
小声で囁くと、ハルはわずかに視線を落としてこちらを見る。
「逆に……俺がいつもそうじゃないのは、“お前の前だけ”だ」
その言葉に、心臓が一瞬だけ跳ねた。
けれど、ハル本人はもう視線を前に戻して、歩き出してしまっている。
——ずるい。
胸の奥に小さく湧き上がる想いを押し込めながら、彼の横に並んで歩いた。
両陛下のもとへ向かうその道中、エリシアの胸は早鐘のように鳴っていた。
皇女エリシアであった時、祖父と祖母とはほとんど会ったことがない。記憶の中でその顔は曖昧だ。きっとそれは祖父母も同じだろう。
(気付かれないといいけれど……)
庭園の中央、噴水前に設けられた席には、すでに皇帝と皇后が優雅に腰掛けていた。
白銀の装飾が施された椅子が、陽光を浴びて威厳を放つ。
「皇帝陛下、皇后陛下。本日はご招待いただき、心より感謝申し上げます」
ハルの声はよく通り、柔らかながら堂々としたものだった。私たちが二人同時に頭を下げると、穏やかな声がおりる。
「王太子殿下、そしてセラ嬢。お二人が来てくださり、私どもも嬉しく思います。……どうぞ、こちらへ」
皇后は穏やかな笑みを浮かべ、私たちへと優しい視線を注いだ。
「二人ともセレスティアの空気には慣れましたか?」
「はい、陛下。皆さまのお心遣いのおかげで、不自由なく過ごしております」
そう答えると、皇后の瞳がふと細められた。
「まあ……その瞳、懐かしいわね」
皇帝も頷く。
「まるで、行方不明の孫娘にそっくりだ」
「……!?」
エリシアと似ていると言われたことにも驚いたが、“死んだ”とされていたはずの私を、皇帝は“行方不明”と言った。
(なんで?どうして?)
気になるが、今ここで聞くことはできない。
だから私はめいいっぱい、可憐に微笑んだ。
――セラならこうするだろうと、自分に言い聞かせながら。
「皇女殿下に似ているだなんて、身に余る光栄ですわ」
我ながら自分自身を殿下呼びするのは恥ずかしかったが、私の様子を見て皇后は決まり悪そうに微笑んだ。
「不躾にごめんなさいね」
その微笑みにはどこか哀愁が滲んでいる。
話題を変えるように皇帝は静かな眼差しをハルへと向けた。
「午餐会よりこちらの方が話しやすかろう。どうかこの時間を楽しんでいかれよ」
「光栄に存じます、陛下。エルダール王国を代表し、両国の友好のため尽力いたします」
儀礼的な挨拶を終えると、人の波からそっと離れ、庭園の奥へ歩みを進めた。
私たちが一つのテーブルに戻ると、周囲にいた若い貴族たちが興味深げにこちらを見た。
その視線に気付いたハルが、自然な動作で私を自分の影に庇うように位置取って囁いた。
「大丈夫か?」
彼の問いかけに私は小さくうなずいた。
正直、聞いた時は驚いた。死んだことになっているはずの私が生きていることになっている。もしかしたら、死んでいるのも五年間行方不明なのも変わらないのかもしれない。でも、そこには大きな違いがある。
(何があったのか確認しなくちゃ)
宿舎に戻った後に、ベネット侯爵に会えるかしら。それとも、キースにお願いしてノアに確認する?
「口を開けろ」
思索していると、ハルの低い声が響き、何も考えずに言われた通りに口を緩めると、甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
「いいから食え」
開けられない口の代わりに目で彼を睨むと、面白そうな顔をしたハルが、また次に淡いピンクのマカロンを手にしている。
そんな彼の言動に、胸の奥の不安がすっと消えていくのを感じた。
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作者のつぶやき
少し 説明やしんどいお話が続いていますが
こちらの午餐会からお話しが動いていくので
引き続き読んでいただけると嬉しいです!
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