私の大切な人
数日後――
建国祭を告げる鐘の音が、遠くでかすかに響いていた。
祝祭の気配は、この迎賓館にまで満ちてきている。
鏡の前で、サーシャが私の髪を丁寧に結い上げていく。
淡い空色のドレスの裾が静かに揺れ、胸元には金色の小さな宝石が光っていた。
「……本当にお綺麗です、セラ様。まるで伝説の聖女みたいで」
「ふふ……褒めすぎよ」
「いえ、本心です!セラ様はもっと自信をお持ちください!
今日は全帝国民がセラ様に夢中になりますよ!」
「……聖女への憧れを壊さないように努力するわ」
「もう~!セラ様ったら謙遜しすぎです!」
サーシャは勢いよく頬を膨らませ、それからふと思い出したように声を弾ませた。
「そういえば!先日いらしたアルヴェイン公爵様は、もういらっしゃらないのですか?」
そういえば、サーシャはキースが来た時にノアに会ったのだ。
彼女に他意はないのだろうが、彼について話すのは、どうしてか胸がざわつく。
「分からないけれど……忙しい方だから」
私の返事に、サーシャは素直に肩を落とした。
「そうなのですね!帝国の公爵様って、もっと恐ろしい感じかと思っていましたが……あの方はとても穏やかな方ですね!
殿下より美しい人なんていないと思っていましたが……殿下が“白銀の月光”なら、公爵様は“淡金の星明かり”みたいです!」
(……言われてみれば、確かに)
ハルとノアはどちらも“綺麗な人”とだけど、纏う空気はあまりに違う。
「サーシャ、本当によく見ているわね」
「当然です!私だって年頃の乙女ですから!」
今年十八歳のサーシャは、いつ結婚の話が出てもおかしくない年頃だ。
「ふふ、いい人がいたら教えてね」
「もう!セラ様のお側にいると目が肥えてしまって困るんですよ!
ちなみに……セラ様は殿下と公爵様、どちらがお好みなんですか?」
「っ……!」
反射的に顔が熱くなる。
そんな質問を私にできるのは、世界でサーシャだけだろう。
(どっちが……好き?)
ハルは確かに美しくて綺麗でかっこいい。
だけど、私が好きなのはあの不器用な優しさと、隣にいるとほっとできる安心感だ。
それなら、ノアは……。
彼の声を聞くだけで、胸の奥がふわりと浮く。
落ち着かなくて、なのに温かくて……
「セラ様もそんな顔をされるんですね!」
「そんな顔?」
「恋する乙女の顔です!今、誰のことを考えていたのですか?」
誰って…ハルとノアのことを考えていたけれど、そんなこと言えなかった。
口ごもったその瞬間。
「――誰が“恋する乙女”だって?」
低い声が部屋に響いた。
振り向くと、ハルが少し不機嫌そうに立っている。
「あっ、殿下!乙女の恋話を盗み聞きなんて、最低です!」
「騒ぐな。不敬罪に問うぞ」
「できるものならどうぞ!セラ様が止めてくれますけど!」
「……セラは関係ない」
2人のやり取りに、思わず吹き出してしまう。
神殿で怯えて暮らしていた私たちは、もうどこにも居ない――
そんな当たり前の幸せが、胸に広がった。
悩みも上手くいかないこともたくさんある。だけど、今、笑い合える相手が居てくれる。それだけで、こんなにも温かい気持ちになれる。
「二人ともありがとう」
私の言葉に二人が不思議そうにしたが、それでも笑い返してくれた。
「そろそろ行くぞ。キースが馬車で待っている」
「はい!」
ハルが差し出した手を取る。
その手はいつもと同じ温かさで、指が触れた瞬間、不安が少しだけ消えた。
いよいよ建国祭だ。
緊張するけれど、私の大切な人たちがそばにいてくれる。
だからきっと、大丈夫。




