フローレンス公爵家
誤字修正(2026/01/03)
カールトン伯爵は前公爵夫人の生家 と記載しました
華やかな音楽と人々の笑い声が、少しずつ背景に溶けていく。
テーブルに着くと、ソフィアは椅子に腰を下ろす前に好奇心いっぱいの瞳をこちらへ向けてきた。
「セラ様って、思っていたよりずっと気さくな方なのね!もっと近寄りがたいくらい神秘的な人だと思っていたわ」
「そんな……普通の人間ですわ。こうして気軽に話していただけて嬉しいです」
「ふふっ、嬉しいのは私の方! あっ……そのドレス、とってもお似合いです!」
「ありがとうございます。今日の舞踏会の為に準備したので、そう言っていただけると嬉しいです」
ソフィアは頬をほんのり染め、身を乗り出す。
「ところで!最初の舞を踊った殿下とは……その……やっぱり恋仲なのですか?」
その声音には、探るというより“憧れ”が混ざっていた。
私は苦笑しながらグラスを口元へ持っていく。
「殿下はエルダールの王太子ですから……」
「でも、さっきのダンス、すごく素敵でしたわ!
素敵な殿方にああいう目で見つめられたら……誰だって恋に落ちます!」
ソフィアの言葉に思わず頬が熱くなる。
でも返事をする前に、ソフィアが急に「あっ」と声を漏らした。
「いけない、ついつい聞いてしまって……! ごめんなさい、無神経だったわ」
「いいえ、そんな。同じ歳くらいの方とこういうお話をした事がなくて……とても嬉しいです」
ソフィアは嬉しそうに目を輝かせた。
その目はなんの汚れも知らない純粋さが溢れている。
私もあの日がなければ、このように笑って過ごしていたのだろうか…そんな思いが影を落とした。
「本当に? じゃあ、また聞かせてね?」
「はい!ぜひ!」
「そういえば、セラ様はうちの兄に何かされてませんか?」
「何かとは?」
私の質問にソフィアは小さくため息を漏らす。
「うちの兄、妹の立場で言うのも変ですが、顔はいいんです!ですが、女性に目が無いと言いますか……女遊びが尽きないと言いますか……とにかく女性の敵なのです!」
ギルフォードからは、そのような素振りは一切感じられなかったので、私は驚いた。
もしかしたら、私は男性を見る目が無いのかもしれない……。
「同じ三大貴公子の中でどうして兄だけがあんなに軽薄なのか……」
「三大貴公子?ですか?」
「帝国の令嬢たちの間で美男子と人気の男性のことです!私の兄とドゥーカス家の若君、あとは一番人気のアルヴェイン公爵ですね!」
ソフィアは楽しそうに指で数えながら話す。
「恥ずかしながら兄は遊び人ですのでオススメしませんが、カイン公子とアルヴェイン公爵は人としても立派な方ですわ」
そんな他愛ない会話をしていると――
ふいに、背後から声がする。
「セラ、飲み物……」
ハルだ。
私の隣の空席に視線を落とし、そのまま椅子を少し引いて座る。
ソフィアがにこやかに会釈した。
「殿下、先ほどは素敵なダンスでしたわ。セラ様と本当にお似合いで――」
「どうも」
短い返事に機嫌の悪さが滲み出ている。
さらに、少し離れたところから淡い藤色のドレスに身を包んだ夫人が近づいて来た。
フローレンス公爵夫人だ。
「王太子殿下、セラ様、娘がお世話になっております」
穏やかな声が響き、私は慌てて立ち上がり礼をした。
「こちらこそ、公爵夫人。素晴らしい舞踏会にお招きいただき、ありがとうございます」
「いえ。あなたのようなお方に来ていただけたなら、主催者としてこれ以上の喜びはありません」
そう言ってから、夫人はちらりとハルを見た。
「王太子殿下、先ほどは鮮やかなステップで。実に見応えがありました」
「……恐縮です」
そう言うが、声の温度は低い。
ハルの内心がそのまま滲んでいる。
ソフィアが小声で耳元にささやく。
「……セラ様、殿下ちょっと怒ってません……?」
「……そう、見える?」
「ええ……多分、だいぶ」
私は曖昧に笑うしかなかった。
夫人は、そんな空気すらさらりと受け流してみせる。
「お二人のご様子を拝見していると……フレディ・ベネット伯爵が心配するのも無理はありませんわ」
「――っ」
ハルの眉がほんの少しぴくりと上がる。
夫人はくすっと喉の奥で笑うと、優雅に頭を下げた。
「さて、野暮を承知で参りましたが……
王太子殿下、よろしければこの後、主人があなたに挨拶をしたいと申しておりまして」
「承知しました」
そう返事をした後、ハルの手がテーブルの下でそっと私の手を探し――
指先が、控えめに触れた。
まるで、“離したくない”と言っているように。
私は少しだけハルの方を見て、小さく微笑む。
するとソフィアが、それをしっかり見ていたらしく顔を赤らめた。
「セラ様も一緒に来られますか?」
夫人の誘いに私は二つ返事で答えた。
――――――――――
穏やかな音楽が流れる会場の一角で、夫人は私たちを奥まったサロンへ案内した。
「王太子殿下、セラ様、ようこそ公爵邸へ。一度ぜひ、お目にかかりたいと思っておりました」
柔らかい微笑み。
その穏やかさは、会場の喧騒から切り離された小さな光のようだった。
「王太子殿下。あなたとは、いつか必ず話したいと思っていました」
ハルは微かに眉をひそめる。
「……私と?」
「はい。貴方のご家族のことは耳にしておりました。
家族を失う痛みを、私はよく知っています」
その瞳には、深い影と静かな怒りが宿っていた。
「帝国の皇太子であった兄、フェリックスを私は深く敬愛していました。
恥ずかしながら、兄を失った当時、私は荒れに荒れ……周囲にも多大な迷惑をかけました」
フローレンス公爵の声は震えていた。
夫人がそっと彼の手に触れる。
ハルは言葉を失ったように、ただ静かに耳を傾けている。
「あのような理不尽な終わりを迎えさせた者を……許せるはずがない……。
それで私は皇位継承争いに参加したのです!」
その瞳が強く、まっすぐに光を帯びた。
「政治家としての野心はありません!ただ――犯人の思い通りにさせないためです。
“絶対に黒幕ではない”と分かるのは己のみ。
ならば私が皇太子になって奴らの思い通りにはさせまいと……」
言葉は穏やかだが、その意志は鉄より硬いように見えた。
だけど、公爵の話を聞いて私は思った。
公爵は皇太子に向いていない。
皇位継承争いに参戦するには、公爵はあまりにも純粋すぎる。きっと、本当の黒幕を前に彼は壊れてしまうだろう。
なんとも言えない感情が心に靄を起こす。
その時、ハルが静かに言葉を返した。
「あなたが背負ったもの……よく理解できます。
私にも、似た痛みがありますから」
その声は優しかった。
フローレンス公爵は頷き、夫人はそっと目を細める。
「ですが、皇位継承争いに参加……」
その時、
「フローレンス公爵、少しよろしいか?」
扉をノックする音と共に硬い声が割って入った。
振り返ると、前公爵夫人の生家であるカールトン伯爵を筆頭に何人かの保守派貴族が立っていた。
公爵は私たちに断りを入れると、扉を開いて穏やかに応じる。
「これはカールトン伯爵。どうされました?」
「少々、お話したいことがありましてな。
……アルヴェイン公爵家とドゥーカス家が婚姻を結ぶ可能性についてです」
アルヴェイン公爵…ノアの名が出た瞬間、胸が跳ねた。
「アルヴェイン公爵があちらに与すれば、中立派が一気に傾きますぞ」
「保守派の中にもアルヴェイン家が仕える家こそ真の皇家だと論ずる者もおります」
「もしや、既に話が進んでいるのでは?
こちらも早々に手を打たなければ。
そう言えば、ご息女の婚約者をお決めになる時期でしょう」
その言葉の後ろで――ソフィアが小さく肩を震わせた。
彼女の顔色が一気に蒼白になる。
(……ソフィア様)
私は思わずそっと彼女の手を取った。
「ソフィア様、少し外の空気を吸いませんか?
控室の方が落ち着けると思います」
彼女は驚いたように目を瞬き、それから小さく頷いた。
「……ありがとう、セラ様」
その場に残る公爵と夫人を後ろに――
私はソフィアを連れて、そっとその場を離れた。




