舞踏会
茶会から一夜明けた午後。
ハルと私は、叔父であるフローレンス公爵邸で開かれる舞踏会へ招かれていた。
叔父は私が生まれた頃には皇宮を離れていた為、親族といっても面識が無い。
ベネット侯爵が言うには、父上の政敵にならない為に、自らフローレンス公爵家に婿入りされたそうだ。
だが、父が亡くなったことで皇位継承順位が高くなった公爵は、再びその争いに巻き込まれ、今では保守派から熱い支持を受けている。
保守派は男系を重んじているため、私が皇女として帝国に戻れた場合には一悶着ある勢力には間違いない。だが、大元は皇帝派と呼ばれる、皇族に忠誠を誓っている派閥だ。
今日の舞踏会は“セラ”としての挨拶はもちろん、エリシアとしても将来に向けた布石を打つべき場だった。
(……夜会でも茶会でも、緊張してしまって上手く話せなかった。でも今日は、少しでも成果を残さなきゃ)
幸いなことに、保守派だけでなく“中立派”の家々――本来は皇帝派に近い立場の人々も参加するらしく、敵ばかりではない。
ベネット侯爵夫妻、そしてフレディ・ベネット伯爵も来るという。(※フレディ・ベネットはエルダールへの亡命に手を貸してくれた人)
伯爵とは、あの日以来会えておらず、久しぶりの再会にほんの少し胸が弾んでいた。
馬車がフローレンス公爵家の皇都邸に着く頃には、夕陽が建物の壁を赤く染め、石畳に長い影を落としていた。車輪が止まると同時に扉が開き、涼しい風とともに淡い橙色の光が差し込む。
すぐに従者の男が駆け寄り、深く礼をしてから丁寧に案内してくれた。
屋敷に入ると、控え室には湯気の立つエルダール茶や焼き菓子が整然と並べられていて、公爵家がどれほど心を砕いて準備してくれたのかが伝わってくる。
ドゥーカス家の茶会とは、出迎えの空気からまるで違っていた。
本来なら、私たちはこの公爵家で正式に帝国の社交界デビューをする予定だった。
それが、あの夜会の後に急遽、ドゥーカス家の侍女が直々に茶会の招待状を持参した為、断ることが出来ず参加せざるを得なかった。
今更どう言っても言い訳になるが、準備不足で挑んだあの茶会は散々だった。
だから今日は、胸を張って臨みたかった。
ちゃんとできるところを見せたかった。
時間になり、会場の扉が開く。
黄金の光が溢れ、シャンデリアが星のように瞬き、グラスの澄んだ音が会場に散った。
司会者の声が響く。
「――では、本日の最初の舞を。エルダール王国王太子、ハルシオン・レヴィ=ルフェリア殿下と、セラ=ヴァレンティア様に」
一瞬にして視線が集まり、息が詰まる。
隣でハルが目だけで「大丈夫」と告げるように微笑み、そっと手を取った。
音楽が流れ始め、一歩を踏み出した瞬間――世界が柔らかくほどける。
ハルの手はあたたかく、私の腰を支える動きは慎重で、優しかった。
金の瞳が礼儀正しく、しかしどこか甘く私を映す。
その度に、さっきまで強張っていた胸がじんわりと熱を取り戻していく。
「……うまく、踊れてるかな?」
「あぁ、完璧だ」
「練習頑張ったんだよ。ハルに笑われたくないから」
私が囁くと、ハルはわずかに視線を伏せ、照れ隠しのように息を漏らした。
――ハルが、人前でこんな顔をするなんて。
その変化が嬉しくて、でも少し切なくて。
私だけが知っていたハルが、少しずつなくなっていくなんて思う私がいる。
曲が終わり、拍手が響く。
私とハルは安堵の笑みを浮かべた。
「お疲れ」
ハルの言葉に実感が湧く。今日の舞踏会で最初で最大の見せ場であるファーストダンスを踊りきったんだ。
「うん。お疲れ様!緊張で喉がカラカラだけどね!」
「そうか。なら、飲み物を取ってくる」
ハルは私を壁際へと導いてから、少し名残惜しそうに私の手を離して歩いていった。
(……できた。ちゃんと踊れた!)
ほっと肩を落とした時――
「さすが!見事なダンスですな!"エリス"」
懐かしい呼び名に振り返る。
そこにはフレディ・ベネット伯爵が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「伯爵様、ご無沙汰しております」
「セラ様、どうか“フレディ”と呼んでくださいな」
その声音は、以前と変わらず優しい。
「お会いできたお祝いに一曲、お願いしてもいいですかな?」
「はい、喜んで」
あれだけ日々を共にしたのに、フレディと踊るのはこれが初めてなのだと気付く。
「無事に戻られて何よりです」
「……ありがとうございます」
「ノアとは会われましたか?」
「……はい」
フレディは私の表情から全てを読み取ったように笑った。
「ははは、若いと色々大変だな」
「伯爵は私が何歳になってもそう言ってお揶揄いになりそうです」
確か、エルダールへと亡命する際にも何かと若さで揶揄われた気がする。思い出して笑うと、フレディは少し嬉しそうに表情を緩めた。
音楽が終わると、彼は小さく笑ってハルの方を顎で示す。
「……ところで、あそこの王子殿下の視線が刺さります。どうか、我々の仲をご説明願いますよ」
見ると、ハルがグラスを二つ持ちながら、眉間にしわを寄せていた。――確かに怒っているかも。
思わず吹き出すと、フレディも肩を震わせた。
「セラ様は、どうも猛獣に好かれやすい」
「……猛獣?」
「ライオンに、鷲に、白虎」
「???」
意味が分からず首を傾げる私に、フレディは満足そうに笑い、手の甲へ軽く口づけて去っていった。
私がハルの方に戻ろうとしたその時――
ハニーブロンドの髪に同じ色の瞳をした、端正な顔の青年が手を差し出す。
「セラ様、もしよろしければ次の曲をご一緒に」
端整で、どこか皇家の気品が漂う青年……この容姿は、本日の主催者の嫡男、フローレンス公爵家の若公子――ギルフォード・フローレンスだ。
「はい。お願いいたします」
手を重ねると、彼は驚くほど自然に私を導いた。
「本日はよくお越しくださいました。聖女様にお会いできるとは光栄です」
「そんな……嬉しいですわ。控室のお茶も、とても落ち着きました」
「あれは妹が。良かったら、後ほど話してやってください」
人当たりの良い微笑みと、柔らかい声に自然と私の緊張も解れた。
皇家の血を継ぐ者なのに傲慢さが微塵もない。
ジェシカのような刺々しさはなく、むしろ場を和ませるのが上手な人だ。
曲が終わると、明るい声が弾けた。
「兄様だけずるい! 私もセラ様とお話しがしたいわ!」
駆け寄ってきたのは、妹であるソフィア・フローレンスであろう。彼女も兄と同じハニーブロンドの髪に同じ色の瞳を宿している。
ソフィアは兄に軽く叱られながらも、嬉しさを隠しきれない笑顔をこちらに向けた。
「初めまして。セラ=ヴァレンティアと申します。本日はありがとうございます」
「初めまして、セラ様!ソフィア・フローレンスです!」
「エルダールのお茶と茶菓子を準備してくださったとお伺いしました。お気遣いありがとうございます」
「いいえ、喜んでいただけて良かったですわ!」
ソフィアがぱっと顔を明るくする。
「もしよろしければ、あちらでお話しませんか?」
「喜んで」
私たちは少し離れたテーブルへと歩き出した。




