暗鬱な茶会
皇都にあるドゥーカス大公爵邸の薔薇園は秋の暖かい日差しに包まれていた。
テーブルの上には薔薇の花を模した装飾が施され、銀のティーセットの上には光がきらめいていた。
さざめく風が薔薇の香りを運び、鳥の囀りが遠くで聞こえる。
美しい──けれど、息苦しいほどの場所だった。
「セラ=ヴァレンティア様ですね、こちらへどうぞ」
使用人に案内され、円卓のひとつに座ると、周囲の令嬢たちの視線が一斉にこちらへ向けられた。
その中にあるのは興味、好奇、そしてわずかな敵意。
私は微笑みを崩さず、静かに会釈を返す。エルダールの英雄として紹介されたが、彼女たちにとって私は“どこの誰とも知れぬ異国の女”に過ぎないのだろう。
「まあ、あなたが――例の“白銀の王子”の隣にいらっしゃた方」
「素敵。エルダールではきっとたくさんの人を救われたのでしょう?」
柔らかい声色で放たれる言葉の裏に、探るような視線が混じる。
私は静かに微笑み、できるだけ穏やかに答えた。
「……いいえ。私はただ、少しお手伝いをしただけです」
「そんな!ご謙遜を!"あの本"は帝国でも人気ですのよ!」
「本日は女性だけの集まりですが、帝国にいらっしゃる間に機会があれば紹介頂きたいわ」
「あら、それなら今度、私の家が主催する夜会に……」
そんな中、ひときわ華やかな笑い声が響いた。
「まあまあ、皆さま。そんなに興味津々で見つめてはセラ様が困ってしまいますわ」
振り返れば、ジェシカがいた。
暁色の髪を上品にまとめ、手に持った白い扇で口元を覆っている。
「まぁ、ジェシカ嬢!本日は素敵なお招きありがとうございます!」
「先日の夜会の衣装、素敵でしたわ!」
「まさかあのアルヴェイン公爵と出席されるとは思いませんでしたわ!」
「本当に!絵になるお二人でした!」
皆が次々にジェシカの喜ぶ言葉をかけた。彼女は完璧に計算された笑みを浮かべ、まるで舞台の主役のようにその場を支配している。
「公爵様はお仕事で、あの日から会えていなくて残念ですけれど……昨夜も『無理をするな、ちゃんと休むように』と手紙を下さいましたの」
「まあ、優しい方なのね」
「ええ、彼は本当に……いつも私を気にかけてくださって」
ジェシカが語る一言一言が、胸に小さな棘のように突き刺さる。
私は静かにティーカップを持ち上げた。
カップの縁が指先に冷たく感じる。
紅茶の香りは素晴らしいのに、喉を通るたびに苦味だけが残った。
「ねえ、セラ様はどう思われます? アルヴェイン公爵は本当に素敵な方でしょう?」
周囲の令嬢たちの目が、一斉に私へ向けられた。
心臓が、ひとつ脈打つ。
何を答えればいいのか分からず、ほんの一瞬、視線が揺れた。
「……とても、立派な方だと思います」
それだけ言うのが精一杯だった。
「まあ、そうでしょう?あの方に並び立てる人なんて、そうそういませんものね」
ジェシカが満足げに微笑む。
その笑顔は完璧だった。どこにも綻びのない、作り上げられた美しさ。
そして、私には眩しすぎた。
「そういえば!今日これからお出しするお茶は公爵様がくださったものですわ。“君の好む茶葉を仕入れておいた”とわざわざ届けてくださって――」
「まあ! 本当にお優しいのね!」
「ええ。お仕事がどれほど忙しくても、必ず毎朝お花をくださるの。あんなにお若いのにお務めも立派にこなして、それでいて私を想ってくださるのですもの……あの方と出会えたことに感謝しかありませんわ」
ジェシカの声音は、まるで愛を語る詩のようだった。
周囲の令嬢たちはうっとりと聞き入り、微笑みを浮かべる。
けれどその輪の外側で、私は紅茶の中の小さな泡ばかりを見つめていた。
まるで自分が別の世界の住人になったような、遠い疎外感。
心臓の奥が、ぎゅっと掴まれたように痛い。
彼女の語る「公爵様」という名が、耳に届くたびに呼吸が浅くなる。
私の知るノアは、そんな派手な愛情表現をする人ではなかった。
でも……五年という時間の中で、人は変わるのだろうか。
彼が誰かを本気で想い、その誰かがジェシカであるのなら――私は、ただ祝福するしかない。
そう頭で分かっていても、心が追いつかなかった。
誰かが唐突に話題を変えた。
「ところで、セラ様はハルシオン殿下とご一緒に滞在されているのでしょう?
先日の夜会で初めてお見かけしましたけれど……まあ、なんてお美しい方かしら!」
「そうそう!まるで神話に出てくる神様のようでしたわね」
「お二人の距離感は恋仲のように見えましたわ」
「ええ。お二人はとてもお似合いでしたわ。
ねえ、実際のところはどうなの?」
え……。
ティーカップを持つ手が、わずかに震えた。
予想もしなかった方向に視線が集まる。
笑って答えなければ、と分かっているのに、喉の奥が乾いて言葉が出ない。
「……殿下は、私を救ってくださった恩人です。とても、尊敬しています」
なんとか絞り出した声に、令嬢たちの間から甘いざわめきが起こる。
「まあ、尊敬だなんて……そんな遠慮をなさらなくても。お二人の物語は皆知っていますわ」
「あのような経験をされれば惹かれ合うのも当然です」
「王子殿下が帝国の催しに貴女を連れて歩かれるなんて、もしや既に婚約されているのでは?」
「ということは、セラ様は王太子妃になられるのかしら?」
──ぱん、と乾いた音がした。
扇を閉じたのはジェシカだった。
笑顔のまま、だがその瞳は冷たい光を帯びている。
「皆さま、少し落ち着いて。セラ様を困らせてはいけませんわ」
そう言いながら、まるで慈悲を施すように私へ向き直る。
「けれど……“王国の英雄”とはいえ、帝国の建国祭は特別ですの。身分の確かな方でないと本来はご招待できないのですけれど……殿下のご厚意なのでしょうね」
笑みの奥に、確かな棘。
「私たちのような貴族社会では、身の丈に合わない行動は誤解を生むこともございますわ。お気をつけになって」
胸の奥で何かがひび割れたような気がした。
何も言い返せなかった。
気付けば、周囲の令嬢たちがジェシカに同調するように静かに頷いていた。
誰も悪意を表に出さない。
だからこそ、その場が何よりも苦しかった。




