穏やかな朝
翌朝。
薄いカーテン越しに差し込む淡い光で目を覚ますと、手のひらに人の温もりを感じた。
昨夜、泣きじゃくる私の手をハルがずっと握ってくれていたのだ。
気がつけば彼はベッドの端に寄りかかるようにして、静かな寝息を立てている。
いつもより少し乱れた白銀の髪が頬にかかっている。
その髪に朝日が触れ、まるで雪が金の光を吸い込むように淡く輝いていた。
(……こんな顔もするんだ)
眠っている彼は、普段よりほんの少し幼く見えた。冷静で、凛として立つ王太子ではなく――ただの、年相応の青年。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
すると、ハルがふっと目を開いた。
「……起こしたか?」
まだ声に眠気が残っている。
私が首を振ると、彼はゆっくり体を起こし、ほどけた手を惜しむように離した。
「ううん、昨日はありがとう……」
「少しは落ち着いたか?」
その問いかけに、私は少しだけ息を飲む。
昨日の光景はまだ、瞼の後ろに残っている。
ノアの意図は分からない。
何にしても今の私には彼の隣に立つ資格なんてない。
「……ノアのことについては、確かに衝撃だったと思う」
だけど、ノアの真意を知らないまま、決めつけてしまうのは怖い。
無知の恐ろしさは痛いほど知っているから。
「……ハルの言う通りであってほしい、って思う」
「なら、それでいい」
「うん。ありがとう」
顔を上げた私にハルは優しく微笑んだ。その微笑みに鼓動が高鳴り、私は思わず顔を逸らした。
「気を取り直して!昨日の分を挽回しなくちゃ!」
「あんまり張り切りすぎるな。ゆっくりやればいい」
ハルが、私の手にそっと触れた。
まるで大丈夫と言うように。
「でも、王国の代表としてここに来た限り、そんなことで立ち止まって居られないわ」
「お前らしいな」
彼は姿勢を整え、いつもの王太子の顔に戻る。
ただし、その視線だけはどこまでも優しかった。
「これから忙しくなる。建国祭の準備もあるしな……」
「……うん」
「だが“今朝は”これでいい」
その一言が胸に染みる。
けれど――不思議と泣きたくはなかった。
昨夜よりずっと心が軽い。
「何かあったら俺に言え」
ハルはそう言って、またそっと私の頭に手をのせた。
その温もりに、ようやく心の奥で固まっていた氷が、少しだけ溶けていくのを感じた。
――――――――――
それから三日間はゆったりとした日々が続いた。
建国祭当日だけでなく、様々な夜会や茶会に出る必要がある為、ハルに促されてドレスや装飾品を少し買い足した。
その期間で帝国での暮らしにはかなり慣れることができた。
建国祭まではまだ日数があるので、その期間は外交のためにベネット侯爵から勧められた茶会や舞踏会に出席することになっている。
そして、今日は早速、茶会に出席し無ければならない。
茶会の招待主は、帝国の誰もがその名を知る令嬢、ジェシカ・ドゥーカス。
大公爵の孫娘であり、社交界の華と謳われる人物。
そして今は――「ノアリウス・アルヴェイン公爵の婚約者」と噂されている女性だ。
大公爵家は政敵に当たるのと同時に、大公夫人であるサラは皇姉であり私の大伯母だ。幼い頃に顔を合わせたことがあるので、できるだけ接触を避けたかった。
そもそも本来は参加予定の無い茶会であったが、あの前祝いの夜会の後に彼女の侍女が直々に招待状を持ってきた為、断ることが出来なかった。
とにかく、今日の私の役目は"王国の代表セラ"として、帝国の貴族令嬢達と挨拶を交わし、目立た無いように、できるだけ早く大公爵邸から脱出することだ。
私は小さく溜息をついてドゥーカス大公爵の皇都邸に向かった。




