玻璃の夜会
再びホールに戻った頃には、パーティーも佳境に差しかかっていた。
煌びやかな衣装の貴族たちが笑い声を響かせ、金と宝石の光が渦を巻くようにきらめいている。
けれど、私はまだ胸の奥に残る痛みを完全には拭いきれていなかった。
ふと隣を見ると、ハルがグラスを指先で軽く支え、いくつもの社交辞令を淡々とこなしていた。
その姿は、この華やかな場にあってなお、一際目を惹く。
白銀の髪は光に触れるたび静かに揺れ、金の瞳は一度こちらを向けば、誰もが反射的に息を呑んでしまう。
そのくせ、長い睫毛が落とす影は冷たく、雪のような白い肌と相まって儚さを醸し出している。完璧すぎて触れようとすれば、指先が拒まれそうな孤高さだ。
だからこそ、周囲の令嬢たちはただ見つめることしかできない。
近づきたくても、近づけない。
(……やっぱり、目立つよね)
小さく笑って誤魔化そうとした瞬間、ふと視線を感じた。
振り向くと、広間の向こう。
群衆の間を挟んで、彼がいた。
ノアリウス・アルヴェイン。
変わらぬその瞳の色。かつて焦がれたあの澄み切った水色の瞳が、まっすぐにこちらを射抜いていた。
瞬間、周囲の喧騒がすべて遠のいた。
音楽も、笑い声も、香水の匂いさえ消えて――ただ、彼の視線だけがこの世界のすべてになった。
(……ノア。)
喉がひりつく。言葉が出ない。
ほんの一瞬、永遠にも感じる視線の交差。
今の私は桃色の髪をした聖女"セラ"なはずなのに、彼の瞳の奥にも、確かに驚きと、戸惑いと、痛みが揺れていた。――いや、それは、そうであって欲しいという私の願望にすぎない。
それを断ち切るように、彼の隣の女性がこちらに微笑んで歩み寄ってくる。
「まあ……お噂のエルダールの王太子殿下ではありませんか?」
艶やかな声を掛けてきたのは、ジェシカ・ドゥーカス、ベネット侯爵が“要注意”と言っていた、皇太子候補アドルフ・ドゥーカスの娘だ。
「初めまして、ハルシオン殿下、そしてセラ=ヴァレンティア様。私はジェシカ・ドゥーカスと申します。お二人のお話はかねてより伺っておりますわ」
その腕は当然のようにノアに絡みついていた。
「こちら、アルヴェイン公爵。セレスティアの皆様と親交の深い方ですのよ」
(――ええ、知っています。彼のことは…)
でも、口にはできない。
私は、彼にとって“初めまして”のはずの女だから。
ノアも一歩前に出て、礼儀正しく頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ハルシオン王太子殿下、そしてセラ=ヴァレンティア殿」
ずっと聞きたかった声。
懐かしくて、恋しくて……。
けれど、彼の瞳には一切の感情が映っていなかった。
それは、完璧な社交の仮面――皇帝に仕える貴族としての顔だ。
それが、私を一番深く傷つけた。
「はじめまして公爵閣下、公女様」
ハルと声を合わせて挨拶をする。声が震えないように、必死で表情を整えた。
ジェシカは得意げに笑い、ノアの腕に絡ませた指先へわずかに力を込めた。
「セラ様、そのお召し物……まぁ、とても愛らしいですこと。
帝都の方々は目が肥えておりますの。あなたの純朴さは、きっと新鮮に映るはずですわ」
柔らかい声音なのに、芯のどこかが冷たい。
褒め言葉に聞こえるそれは、どこか“幼い”と評されているような違和感が残った。
ハルがわずかに眉を寄せたのが、横目に見える。
本来なら、他国の賓客に向けてこんな物言いをするのは無礼に当たる。
けれどエルダールはセレスティアにとっては小国。反論すれば、関係が悪化する。
「私のような者の衣装にまで気をかけて頂き、感謝いたします」
小さくお辞儀をすると、ジェシカは扇子を開き、その口元を隠した。
どうやら、私が平然と受け流したのが気に入らなかったらしい。
「そういえば……セラ様。先ほど、どなたかと視線を交わしていらっしゃったように見えましたけれど?
あら、気のせいでしたらごめんあそばせ。
帝都の夜会は“誘惑の多い場所”ですもの。どうかお気をつけになって」
微笑みは深まり、瞳だけが鋭く光る。
――気付いている。私がノアを見ていたことに。
つまり彼女は牽制しに来たのだ。自分の婚約者に近付くなと。
「ノアリウス様は最近、本当にお忙しくて。
お時間をいただくのも一苦労なのですのよ?
……今夜は、わたくしがどうしてもとお願いしてご一緒していただきましたの」
その言葉に、ノアは小さく微笑むだけだった。
けれどその微笑みが、まるで刃のように胸を貫く。
(……私は、知らなかっただけ。きっと、もう彼の世界に私は居ないんだ。)
視界が霞む。
震える指先を隠すようにドレスを掴むと、ハルがそっと私の腰に手を回す。
「セラ、少し疲れたか?」
彼の声は低くて、静かで、どこか刺すような緊張を和らげてくれる。
「……」
私が何も言えずに彼を見つめ返すとハルはわずかに口角を上げた。
「申し訳ございません。彼女は道中、馬車に酔ってしまい体調が芳しくありません…。先に失礼して部屋で休もうと思います」
「まぁ……長旅でお疲れだったのでしょう?
異国から来られた方には、このような社交場は少し刺激が強いですものね。
そうとは知らずお引き留めして申し訳…」
「本日は予祝に過ぎません。どうぞお早めにお休みください」
ジェシカの言葉を遮るように、ノアが静かに告げ、礼儀正しく頭を下げた。
いくら婚約者と言えど、これ以上の無礼を続けさせまいとしたのだろう。
「ありがとうございます。ではお先に」
ハルは差し出した手を、私が握るのを待っていた。
その手を握り返すと、彼は目を細めて微笑む。
ノアの視線が、ほんの一瞬だけその手元に落ちた――気がした。
けれど次の瞬間には、何事もなかったようにジェシカへと微笑んでいる。
それが、何とも言えず苦しかった。
ハルは完璧なエスコートで私をパーティー会場の出口へと案内してくれた。
その姿に、周囲の令嬢たちが一斉に息を呑む。
「まぁ……エルダールの王太子様、なんてお美しいの」
「一度でいいから、ダンスのお相手を……」
そんな囁き声があちこちから上がる。
けれどハルは一切視線を向けず、ただ私の手を離さなかった。
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作者のつぶやきです
ここまで読んでくださってありがとうございます!
この辺りまでが執筆開始前に考えていたストーリーでした。
読者の皆様の中ではハル派、ノア派等ありますでしょうか?
これから始まる帝国でのお話も楽しんで頂けると嬉しいです!
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