秋曇
出発の日の朝は、風のない曇天模様の空だった。
それは、嵐の前に訪れる“静けさ”のようでもあった。
私は王宮の回廊を一歩ずつ進んでいた。
背後には荷を積んだ馬車が二台、護衛の騎士たちが整列している。
今日、私はハルと共にセレスティア帝国へ向かう。
建国記念祭の招待に応じ、エルダールの代表として。
“帰る”のではない。
“向かう”のだと、彼女は自分に言い聞かせた。
あの国に残してきた痛みも、喪失も、恐怖も、今日からは新しい名前と共に背負っていく。
「……エリシア」
背後から小さく囁くような声がかかる。
振り返ると、ハルが立っていた。
王族の正装を纏った彼には堂々たる威厳が宿っていた。
「もう支度は済んだか?」
「ええ。……なんだか落ち着かなくて」
「無理もない。俺も緊張してる」
そう言って、ハルは私に手を差し出した。
短い言葉の中に、かつて“神子”として感情を失っていた彼はもう何処にも居なくて、優しくて温かい"一人の人"としての彼がいる。
その横顔を見つめながら、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
ふと視線を上げると、王宮のバルコニーに王が立っていた。
老いた瞳は優しくもどこか悲しげで、その手を静かに掲げて見送っている。
王妃の姿はない。彼女は棟へ閉じ込められ、いまだ祈りの中に生きているという。
私は小さく頭を下げた。
(あの人も、救われる日が来るといい……)
私はハルにエスコートされるがままに馬車に乗り込んだ。
「何かあったらすぐに言え」
ぶっきらぼうな言い方が、逆に彼らしい。
私は小さく笑って頷いた。
彼にとって初めての外交だ。足を引っ張る訳には行かない。
「ありがとう、ハル。……私も、精一杯支えるからね!」
出発の号令が響く。
蹄の音が石畳を叩き、ゆっくりと門が開かれた。
王都の街並みの向こうに、山々が広がる。
――セレスティア帝国。
私の祖国であり、本来私が居るべき場所。
だけど、祖国と呼ぶにはあまりにも親しみが無い。
私が知っているのは皇太子宮の中とあの亡命の日々の中で過ごした場所だけだ。
正直、帝国へ帰るのは怖い。
母や父、レオン、そして私が居なくなっても正常に動いているであろうあの国を直視できるだろうか。
ノアにも忘れられているかもしれない。
そして、皇女とバレてまた命を狙われることもあるかもしれない。
それでも、隣にはハルが居てくれる。
私たちはあの地獄のような神殿での日々を乗り越えたのだ。
きっと、大丈夫だろう。
馬車が動き出す。
王都の門を抜けると、先程まで無かった秋の気配が混じった風が吹き抜けた。
その風は、まるで“帰るべき場所”へと向かう背中を押しているかのようだった。
いよいよ帰国!再会編スタートです!




