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私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~  作者: MARUMI
エルダール編

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雪明かり

side ハル

⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆


 国王からの言葉を受け、俺は文書を胸に抱えたまま、しばらく動けなかった。


 聖夜の祝宴の余韻は、まだ体のどこかに残っている。

 キャンドルの灯りが波のように広がっていった光景。

 隣で、彼女がそっと火を掲げた瞬間の横顔。


 あの静寂で美しい時間が、すでに遠い。


 ――帝国へ。

 その現実が、心に冷たい影を落とす。


 考え込んだとしても、答えは変わらない。

 ならば、まず伝えなければならない相手がいる。


 俺はエリシアの部屋に歩き出した。


 エリシアの部屋の前に立つと、扉の下からかすかに漏れる光が見えた。

 眠っていないのだろうか。


「……セラ? 起きているか」


 返事はない。

 だが、なぜか胸騒ぎがして、そっと扉を開けた。


 部屋の奥。

 バルコニーのカーテン越しに、白い光が揺れる。

 彼女は――聖夜のドレス姿のまま、外に立っていた。


 夜気は冷たいのに、肩にはショールも掛けていない。

 ただ静かに、雪のような月明かりを眺めていた。


「……寒くないのか」


 思わずかけた声が、自分でも驚くほどかすれていた。


 エリシアは振り返る。

 その瞳は、祝宴の温かな光から遠く離れたように、深く澄んでいた。


「ハル……なんだか眠れる気がしなくて」


「……聖夜の余韻か?」


 軽い冗談のつもりだったが、彼女は小さく笑っただけで答えなかった。


 ――言わなければ。


 胸に抱えていた封書が、急に重さを増した気がする。


「帝国から、招待状だ」


 その言葉に、彼女の睫毛がわずかに揺れた。

 驚きよりも……覚悟に近い静けさ。


 帝国からの招待と国王の考えを話すほどに、彼女の表情に落ちる影が深くなっていくのが分かった。


「無理はしなくていい。ただ……一応伝えたかっただけだ。帝国へは俺一人で行く」


 伝え終えるより早く、その言葉が口をついていた。

 恐れていたのだ。

 この話を告げた瞬間、彼女がどこか遠くへ離れてしまうのではないかと。


 だから、彼女に黙って帝国へ行くという選択肢も頭にあった。

 だがそれは、彼女の意志を踏みにじることになる気がした。


「……建国祭、ですか」


 エリシアは目を伏せる。

 風がドレスの裾を揺らし、その白が淡い月光にとけた。


「それならば、王太子にはパートナーがいた方が自然でしょう。

 あの本は帝国でも人気だそうですし……聖女“セラ”が隣にいれば話題性も十分です。庶民であることが少し心配ですね…」


 彼女の声は、震えていない。

 むしろ驚くほど落ち着いていた。

 だが、そこに“彼女自身の気持ち”はなかった。


「エリシア……俺は、お前の意志を尊重したい」


 そう告げると、彼女の指先が、ほんのわずか強張った。


「……分からなくて」


 声は震えていた。

 その震えの奥に、“懐かしさ”のような感情があるのを感じた。


 彼女が帝国を逃れた時のことは以前に聞いた。

 あのとき、彼女をエルダールへ逃がし、自らは国へ戻らざるを得なかった少年がいたことも……。


「……帝国に、会いたい人がいるのではないのか?」


 その言葉に、エリシアははっとしたように俺を見た。

 そして、逃げるように視線をそらし、小さく笑った。


「……四年も前に別れた方です」


 ノア。

 その名を、彼女の口から聞いたことがある。

 神罰として五日間、牢に閉じ込められていた時、彼女がうなされながら呼んだ名だ。


 胸の奥がざわりと軋む。

 その正体を、認めたくなかった。


「忘れられてるかもしれない、ってか」


「……ええ。連絡もありませんし」


 言葉が詰まる。

 沈黙がいやに痛い。


 だから、わざとぶっきらぼうに言った。


「……なら、確かめればいい」


「え……?」


「行きたい気持ちが少しでもあるなら、行けばいい。

 帝国のことは詳しくないし……お前が来てくれた方が俺は助かる」


 エリシアは驚いたまましばらく黙り、それから息を漏らして笑った。


「……ハルって、いつもそう」


「何がだ」


「優しいのに……言葉が不器用」


「……うるさい」


 それでも、その笑顔を見てほっとした。

 彼女は、俺よりずっと強いのかもしれない。


 月明かりの下で、エリシアはまっすぐに言った。


「……行きます。セレスティアへ」


「……そうか」


 その言葉が、静かに胸の奥へと沈んでいった。

 彼女は帝国でその男と再会し、二度とここに戻ってこないかもしれない。


 その可能性が胸を締めつけるのに、引き止める言葉はどうしても出てこなかった。


「……寒いだろ。中に入れ」


 そう言って手を差し出すと、エリシアはためらいがちに、それでも素直にその手を取った。


 細くて、冷たい手

 いつでも離れてしまいそうな頼りなさもあった。


 彼女を部屋の中へ導き、そっと扉を閉めた瞬間、外の月明かりが消える。


 残ったのは、二人分の淡い呼吸だけ。


「エリシア」


 呼べば、彼女は静かにこちらを見る。


 その瞳に映るのは、俺ではなく――

 帝国の記憶か、懐かしい誰かの影か。


 それでも、俺は言わなくてはならなかった。


「……どれだけ遠くへ行っても、俺はお前を連れて帰る」


 それは約束ではなく、願いでもなく――ほとんど祈りに近い言葉だった。


 エリシアは驚いたように目を瞬き、それからそっと微笑む。


「……はい」


 その笑顔が、なぜだか胸に痛いほど沁みた。

 まるで、別れの予告みたいに静かで優しいから。


「明日、王に返事をする。出発まではまだかなりある。準備を整えて……帝国へ向かおう」


「分かったわ」


 短い返事。弱いけれど確かな声。


 彼女は再び寝台の方へ歩き、ドレスの裾を手に持ちながら振り返った。


「おやすみなさい、ハル」


「……あぁ。ゆっくり休め」


 部屋を出て扉を閉めた瞬間、胸に広がるのは安堵でも期待でもない。

 ただひとつの、どうしようもない予感。


――帝国へ行けば、彼女は“本当の居場所”を見つけてしまうかもしれない。


 その未来を恐れているのは、他でもない俺自身だった。

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