粉雪の舞う庭園で
それからの時の流れは、驚くほど早かった。
季節は巡り、今年も粉雪の舞う冬が静かに王都を包みはじめていた。
私はハニー宮の庭園で寒風に揺れるニゲルの花を眺めていた。
下向きにして咲く白い花弁は、清純で、その可憐さに目を留めながら、この数か月の慌ただしい日々を思い返していた。
当初、国王は私をすぐにでもセレスティア帝国へ「返す」つもりだろうと覚悟していた。
だが思いのほか、王は私を“セラ”としてハルのそばに置く決断をした。
その真意は読みきれないものの、彼なりに贖罪と責務の均衡を求めたのかもしれない。
干ばつによる食糧危機の問題には神殿に貯えられていた献金を使用して、他国から小麦を大量に仕入れることで難を凌いだ。
私達の提案で、来年からは小麦などの主食になるものは農家から国が買取り、一定額で流通させることになった。
これなら、豊作の年も不作の年も農家は一定の収入を得ることができ、国にも備蓄を貯めることができる。
その倉庫の運営に神殿に勤めていた者を雇い入れることで失業者の斡旋にもなった。
こうした成果もあり、王はハルを正式な王太子候補とし、来春には任命式を行うことを発表した。
もちろん、有力貴族たちの中には反対の声もあった。
若いハルではなく王弟を推す派閥も根強い。
王弟が王太子に立てば、おそらくは自身の子を王位に据えようと目論むだろう。
そうなれば、いずれ必ず血で血を洗う王位争いが起きる。
私は、もうハルを、そんな渦中に立たせたくなかった。
そこで私は国王に一つの提案をした。
――“伝記”の発行である。
長らく信仰を捏造してきた神殿を倒した英雄王子と、それを支えたセラ。
この物語を国家の名の元で出版し、人々に希望として示したのだ。
最初、私の存在を書くことには反対したが、国王は私がハルのそばにいる理由を簡単に広めることができ、結果、ハルの婚約者の座を狙った貴族の対立を当面の間、抑えることができるからと、譲らなかった。
ただし、聖女セラは“淡い桃色の髪”の少女として描かれた。
皇女エリシアと同一人物だと悟られぬよう、ぎりぎりの配慮だった。
ともあれ、英雄譚は民衆にも貴族にも大成功を収めた。
信仰というよりどころを失った民は、新たな象徴を求めていた。
皮肉にも――ハルの悲劇的な生い立ちは、彼を「支えたい」と思わせるには十分すぎるほどだった。
国王と私の思惑は的中し、民意はハルへ傾く。
貴族たちも世論を察して王弟派から離れ、ハル派へと移っていった。
その日から、ハルの日常は一変した。
彼は止まっていた時間を取り戻すように、寝る間を惜しんで王太子としての教養を詰め込んだ。
そのため、私と過ごす時間は少しずつ減っていったが――
「帝国に戻る時に。きっと役に立つ」
そう言って、ハルは礼儀や政務の講義の場に私も一緒に座らせてくれた。
私も必死だった。
四年間の空白を埋めるように、元皇女としての振る舞いを取り戻していく。
幸い、神殿での生活が姿勢や所作を徹底的に矯正してくれていたおかげで、基礎は崩れていなかった。
互いにふと笑み合う。
「神殿での日々も……全部、無駄じゃなかったね」
「皮肉だがな」
そんなふうに言い合えることが、どれほど尊いものか。
私は――甘えているのだと思う。
ようやく居場所と思える場所を得て、このままエルダールでハルのそばに生きていけたら、と願いはじめていた。
だけど、それはきっと叶わぬ夢。
私がハルのそばにいる理由は、“皇女”であるからであって、
“セラ”として生きられる場所ではない。
それは分かっているのに、壊したくなかった。
彼と過ごす毎日が――心地好すぎたから。
そんな思いに沈んでいたとき、ふいに背後から優しい声が降ってきた。
「……エリシア」
この国で、私を本当の名で呼ぶのは――ただ一人。
振り返ると、ハルが少し困ったような、照れくさいような笑みを浮かべていた。
「凍え死ぬつもりか?」
相変わらずの憎まれ口。
でも、その言葉の奥にある“心配”を私はもう知っている。
「これくらい平気だよ」
そう言い終える前に、ハルは自分の外套をふわりと私にかけた。
まるで大切な贈り物にリボンをかけるように、そっと紐を結んでくれる。
「あ……ありがとう」
照れがこみ上げ、思わず視線を落とす。
その瞬間――おでこに柔らかな温もりが触れた。
「ちょっ……ハル!」
慌てて手を伸ばすと、彼はその手を制するように私の頭を軽く撫でた。
その仕草が、あまりに優しくて、胸の奥がじんわり熱くなる。
気づけば、彼の目に吸い込まれそうになっていた。
白銀の睫の奥の金の瞳が、柔らかく揺れている。
最近の私は――本当におかしい。
ハルに見つめられるたびに、息が詰まりそうになる。
彼の顔が近づき、白い息が触れる距離。
私は息をするのを忘れて目を閉じた。
頬にそっと触れる柔らかい温度。
胸がきゅっと締め付けられ、世界が一瞬止まった。
離れたとき、ハルは視線を逸らしながらぼそりとつぶやく。
「……馬鹿、嫌がれ」
嫌がれるわけ、ない。
でも言えなくて、俯いた私を、彼がふわりと抱きしめる。
「……他の奴にはそんな顔をするな」
耳元で聞こえるその声は、祈りのようで、嫉妬のようで――
甘く、切なかった。
――私は、本当にどうかしている。
毎晩、眠る前にこの四年間、一度の連絡もとっていない彼のことを未だに考える。なのに、こうしてハルの温もりも求めてしまう。
ダメなことなのはわかっている。こんな感情はふしだらだ。なのに、ハルにも触れたい、離れたくないって思ってしまう……。
「ハル……私を、これ以上、ダメな女にしないで」
そう言うと、ハルは吹き出しそうになりながら私の髪を撫でた。
「……ほんと、馬鹿」
ハルはどんどん私を甘やかすのが上手になっている気がする。それに流される私も私なんだけど……
そう言えばハルはどうしてここに来てくれたんだろう……
「ハル、何か用があったから来てくれたんじゃないの?」
尋ねると、ハルはその場に片膝をつき、私の手を取った。
「来月の聖夜の祝宴。パートナーを務めていただけませんか?」
見上げる彼は、まるで物語の王子そのものだった。らしくないけど、似合ってしまうのだから不思議だ。
「はい。喜んで」
私の返事を聞いたハルは、ふっと微笑み、手の甲にキスを落とす。
「週末に、ドレスと装飾品を見に行こう」
忙しい彼からの“デートの誘い”に、胸が跳ねた。
視線を横に移すと、ニゲルの花が揺れていた。
空から、彼の髪と同じ白銀の雪が静かに降り始める。
エルダールで迎える四度目の冬は――
不思議なくらい、温かかった。
エルダール編は次章へ転換にあたる章で短めです。
9話を予定しています!




