夜明け
白い光が閃き、牢獄全体が昼間のように照らされた。続いて、油が弾けるような爆音とともに炎が巻き上がり、肉の焦げる匂いが押し寄せる。衛兵たちの悲鳴、鎧が床を引きずる音、誰かが倒れ込む鈍い衝撃——すべてが一瞬で地獄に変わった。
私は反射的に格子に手を伸ばして開けると、ハルの元へと駆け寄った。
「……セラ……?」
ハルは壁にもたれ、咳き込みながら私を見上げていた。煤で汚れた頬。けれどその瞳だけは、私が来たことに気づいて震えていた。
「ハル、もう大丈夫……一緒に帰ろう」
彼は弱く笑う。否定するように、静かに首を振った。
「もう……いい……。早く……逃げ……」
「大丈夫。絶対に置いていかない」
私はハルの力が抜けかけたその手を握った。
ハルの瞳がふっと揺れ、伏せられた睫毛がわずかに震える。安堵と苦悶が入り混じるその顔が、火の明かりで赤く照らされた。
奥で梁が轟音を立てて崩れた。火の粉が雨のように降り注ぎ、逃げ道がみるみる狭まっていく。
——早く鍵を開けないと。このままじゃここで燃えてしまう。
私は震える手で鍵束を拾い上げ、地面に膝をついてひとつずつ金具に差し込む。
通路の向こうで、炎に巻かれた衛兵が助けを求めて叫んだが、すぐに声は炎に呑み込まれた。
焦げた天井が軋む——次に崩れれば、ここも終わりだ。
神様がもし、本当にいるのなら…今までの理不尽を全て許してあげるから、どうか……
「お願い……お願いだから……開いて!」
心臓が痛いほど鼓動を打つ。
怖い。
本当は、逃げたい。
でも——ハルを置いていくなんて、最初から選択肢にない。
七本目の鍵を差し込んだ瞬間。
——カチリ。
扉が開く音が、天の救いのように響いた。
私は彼の拘束具を外し、腕を引き寄せた。ハルは崩れ落ちるように私の肩にもたれた。
「ハル! 立てる? 走れそう?」
「立てないと言っても走らせるだろ」
ハルは苦しそうに表情を歪めながらも口角を上げる。
「冗談言う余裕があるなら大丈夫ね」
彼の手には生々しい傷が残っていてまだ固まりきっていない。見るだけで泣きたくなるほど痛々しい。でも——立ち止まってはいけない。
私は拷問用に用意された水樽から水をすくい、自分とハルにかけた。火が移らないように少しでも湿らせるためだ。
「っ……冷っ……」
「我慢して。死ぬよりましでしょ!」
炎は獣のように唸りをあげ、通路を飲み込んでいく。熱で肌が焼け、目が開けていられないほどの煙が漂う。
「ケホッケホッケホッ」
ハルが苦しそうに咳き込んでいる。
先を急がないと!
足元では瓦礫が崩れ、先ほどまで衛兵が叫んでいた場所が炎に飲まれていた。
大神官の姿は……もう見えなかった。ただ、炎の向こうで何かが黒く沈んでいる影だけがある。
彼が選んだ“浄化”——それは救いでも祈りでもなく、ただの破滅だ。
私はハルの腕を抱え込み、低く身を屈めた。
「こっち! 息を止めて、低く!」
崩れた梁の下を潜り抜ける。火が背中で爆ぜる。煙が肺を刺し、視界が赤と黒に揺らぐ。
「…セ…ラ……」
「話すのは後!今は体力を温存して!」
ハルは何も言わず、それでも私の手を離さなかった。
石壁の割れ目から、かすかな光が差し込んでいる。
——出口だ。
「もう少しだから……お願い!頑張って!」
ハルの呼吸が荒くなるのが分かった。もう返事をする余裕も無いのだろう。それでも彼は、私の手を強く握り返してくれる。
最後の瓦礫を蹴り飛ばし、私はハルを抱えるようにしながら隙間へ飛び込んだ。
冷たい外気が一気に流れ込み、肺に刺さる。
生きている空気だ。
二人の身体が外の地面に転がり、砂と冷気が肌に触れる。
直後、牢獄の入口が崩れ落ち、内部は完全に火に包まれた。
私はしばらく腕で顔を覆い、荒い息を整える。
「……ハル……大丈夫……?」
横でハルが、震える手で私の肩に触れた。
「わからない……でも……生きてる……。それだけで……十分だろ……?」
「……うん。十分すぎるよ」
全身から力が抜け、私はその場に座り込んだ。
燃え落ちる神殿の轟きの中、夜明けの風だけが静かに二人を抱きしめていた。




