浄化の炎
石畳の階段を降りるたび、冷えた空気が肌にまとわりつく。
私は不安と緊張で無意識に両腕を抱いた。背後では王のローブが静かに揺れ、護衛騎士たちの足音が低く響く。
湿った石の匂いが、肺の奥に張りつく。
地下牢は、まるで神殿の“影”そのもののようだった。
光はほとんど届かず、鉄格子に触れると冷たさよりも先に、そこに染みついた誰かの“恐れ”が伝わってくる。
一番奥の牢の中に、鎖につながれたハルが座っていた。
顔には血の跡、服は焼け焦げたように汚れている。
「ハル!ハル!助けに来たよ」
彼は壁にもたれ、微かに息をしていたが、反応が無い。
「ハル……!」
声をかけた瞬間、階段上から別の足音が響いた。
「お待ちください、陛下」
白い衣が揺れ、大神官と神官長、神官達五人が現れた。
その表情には、焦りも恐れもない。ただ、不吉な確信だけを帯びていた。
「彼を解放するなど――許されません」
大神官の声は、まるでこの牢の闇を支配しているかのように響く。
だが私は一歩も引かなかった。
袖から、一冊の記録書を取り出す。
「……許されないのは、貴方達のほうです」
その瞬間、空気が凍りついた。
「これは、この十年間の神殿における処罰に関する記録です。
"浄化"という極刑がいかに非道であったか、“神子”と呼ばれた少年たちが、どのように殺されたか――すべて記されている」
それは、ハルが記してきた神子と神子候補達の記録だ。彼は興味が無い風を装って、全て記録してきたのだ。
私は記録書を大神官の目の前に叩きつけるように差し出す。
「貴方達は信仰を集めるために神子の力を利用し、自分たちの思い通りに動かなくなれば“廃棄”した。
そして今回――ハルを使い、再び同じことを繰り返そうとした」
大神官の瞳が、微かに揺れる。
「……誰がそのような戯言を」
「戯言…ですか。ではこれはどうですか?」
私が合図するとあの老爺が石を運び込む。
大神官たちの顔色が、みるみる歪んでいく。
「この手作りされた信託をどう説明されますか?」
沈黙が落ちた。
だが次の瞬間、大神官は、突如として嗤った。
「説明など必要ありませんよ、皇女殿下」
にじみ出るような、歪んだ声。
「我々は“正しい”ことをしていた。信徒達を導くために」
それに神官達が続く。
「そうだ。それに王家も黙認していたではないか。
献金による税収は大幅に増え、国庫は潤ったはずだ」
「そうです。民が神に捧げた金――我らが管理しただけのこと」
次々と溢れ出す本音。
まるで、禁忌の蓋が外れたようだ。
「皇太子夫妻を馬車の事故に見せかけて殺害したのも貴方達ですね」
私の言葉に王は青ざめてその場に崩れ落ちる。
大神官はゆっくりと両手を叩いた。
「ご名答。さすがは大国セレスティアの皇女殿下。
あの二人は献金の不自然な増加に疑問を抱き、信託の捏造に気付いてしまった。……仕方がなかったのです」
余りにも身勝手な理由に拳が震える。
「……あなたたち、正気なの……?」
「正気ですよ。
苦労して築いた“私の理想の世界”を、王族風情に壊されてたまるか」
その言葉に、牢の中でハルの指が震えた。
「……お前、たち……」
かすれた声。
私は鉄格子に手を伸ばした。
「ハル!」
だが大神官はさらに侮蔑を深めた笑みを向ける。
「滑稽でしょう? 王太子が死んで狂った王妃は、自分の息子を殺した相手に――孫を差し出したのですよ!」
王の怒声が地下牢を震わせた。
「黙れ!!」
その声は地を割るように重く、揺るぎなかった。
「貴様らの歪んだ信仰は今日をもって終わりだ。
ハルシオンを解放し、神殿の全権は王家が接収する。反論は許さぬ」
神官たちは初めて怯えた表情を見せた――
だがそれは反省ではなく、追い詰められた獣のそれだ。
「陛下……神の意志に逆らうおつもりですか?」
「逆らうのは神ではない。貴様らの欲望だ」
王が命じる。
「大神官以下、全員を拘束せよ。
その罪、すべて白日の下に晒す」
神官たちが取り押さえられる中、私は最後に大神官へ静かに問いを投げた。
「……どうして、私を神子にするよう王妃に進言したのですか?」
大神官はふっと肩を落とし、諦めにも似た笑みを浮かべる。
「人質にすれば、帝国と有利な取引ができると思った。
――神子にしたのが間違えだった。欲をかきすぎた。
もっと早く処分すべきだったのかもしれませんな」
大神官の答えは想像通りだった。こんな人達の手のひらでこの四年近く、藻掻いていたのかと思うと…何とも言えない無力感に襲われた。
もう話すことは無い。
私はハルを助け出すために牢の鍵を開ける。
王は衛兵に目配せをして、大神官も取り押さえられようとしたその時だった。
「大神官様、どうか抵抗はおやめください!」
衛兵の怒号が響いた。
そして何かが床に落ちる、硬い音。たぶん瓶だ。油の匂いが一瞬で通路に満ちる。
何が起きているのか、ここからは見えない。
「失敗した。この私が神の秩序維持を…乱した…この身に巣くった穢れを、私以外の誰が断てるというのだ?」
低く響く声は、細い鉄格子の隙間まで震わせた。
「やめろ!!」
「陛下!危険です!お逃げ下さい!」
「近づくな。浄化は……すべてを光へ還すためにある」
次の瞬間、火花の弾ける音がした。
そして——炎が爆ぜた。




