守るべきものの為に
――翌朝。
夜明け前、私は胸の奥底へ沈んでいくような焦燥感を覚えていた。ハルが地下牢に囚われた以上、一刻も早く動かなければならない。だが、迂闊な行動は彼の命を縮める。
私は深呼吸し、侍女に向けてあくまで平常を装いながら言った。
「図書館に忘れ物をしてしまったので取りに行ってきます。すぐに戻りますので」
侍女は一瞬、何か察したように眉を寄せたが、すぐに表情を整え「お待ちしております」と頭を下げた。図書館には彼女の入室権限がないため、私は扉の前で彼女を残し、一人で静寂の中へと足を踏み入れた。
薄暗い室内。僅かな朝光が高窓から差し込み、書架の影が長く伸びている。
私は歩幅を一定に保ちつつ、忘れ物を探しているふりをして奥へ進む。
――ここだ。
ハルが幼い頃、座学から逃げ出すために使っていたという隠し扉。
見た目は古い本棚だが、下段に指をかけると、軋む音とともに奥へと開いた。
中は薄暗い石造りの通路。微かな湿り気を含んだ空気が流れてくる。
通路を進みながら、私は胸の奥がぎゅっと痛むのを止められなかった。
――彼は、いつだって逃げられたのに。
七歳でこの道を知りながら、神殿の地獄から逃げなかった。
逃げても居場所などないと悟り、ただ孤独に耐え続けた幼い彼を想像すると、胸が張り裂けそうだった。
そして今回も。
捕らえられる前にここへ走ることだってできたはずなのに、しなかった。
(どうして……)
通路を抜けると、朝霞に包まれた中庭へ出た。
私は宮の外壁に沿って走り、息を整える間も惜しんで、詰所前に立っていた王宮兵へ声をかけた。
「私はセレスティア帝国より亡命しておりました皇女、エリシア・ヴェル・セレスティアです!」
エルダールの国民もセレスティアでの皇太子一家が襲撃された事件を知っているはずだ。
三年半前、セレスティア帝国は属国や同盟国にまだ見つかっていない皇子の捜索依頼をし、懸賞金も大層な額であったと、サーシャにも確認した。
案の定、王兵の目が大きく見開かれる。
無理もない。三年以上前に死亡したとされていた帝国皇女が突然目の前に現れたのだ。
私は首飾りとベネット侯爵の書簡を差し出した。
帝国の直系皇族にしか持てない家紋。
それを見た瞬間、王兵の顔色が変わった。
「し、失礼いたしました! わ、私では判断しかねますので……ひとまず詰所へ!」
その後の動きはあっという間だった。この日ほど私が大国セレスティアの皇族であることに有難みを感じたことは無い。
それはそうだ。エルダールでは太刀打ちできない国力を持つセレスティアの皇女が国内に落ち延び、更には四年間も神殿で軟禁していたことを隠していたとなれば、それは反逆。
即ち、エルダールの国家の危機となる。
たとえ寝ていようと、他にどんな業務や会食、謁見があろうと私のことを優先するだろう。
即座に貴賓室へ通された私は、整った姿勢で国王を迎えた。
「お初にお目にかかります、国王陛下。
エリシア・ヴェル・セレスティアと申します」
私が優雅に礼をすると、国王は目を見開き、私の手を握りしめて跪いた。
「皇女様ッ……! こ、こ、これは……! ど、どうお詫び申し上げれば……!」
王としての威厳よりも、焦燥と恐怖が先に立っているようだ。
正直のところ、国王との謁見は賭けだった。私がセレスティアの皇女だと明らかになれば、話し合いができるか、もしくは殺して証拠隠滅されるかのどちらかだと踏んでいたからだ。
この対応…恐らく私は賭けに勝ったのだろう。なら、交渉ができるはずだ。
「いいえ、陛下。むしろ私は感謝しておりますわ。
神殿に留まっていたおかげで、こうして生きておりますもの」
「も、申し訳ございません!!!」
――謝罪を聞いている暇はない。話を前に進めなければ。
「どうかお顔をお上げください、国王陛下。
私は責めるために来たわけではございません。
交渉をしに参りましたの」
「……こう、しょう……?」
国王の顔が強張る。
「はい。私の条件を飲んでいただけるなら、
この四年の出来事は全て水に流し、帝国へ帰国した暁にはエルダールに褒美を渡しましょう」
私はゆっくりと微笑んだ。
「それは!身に余る条件でございまする!そのようにして頂けるのであれば、どんな条件でも飲む覚悟は出来ております!」
「貴方の孫……ハルシオン王子の現状をご存知ですか?」
国王の肩が震えた。
「……十年前、妻が保護のためだと……神殿に……それきりで……」
やはり……と言うにはあまりにも残酷だが、
国王はハルがこの十年間、どのように扱われ、どのように生きてきたか知らないのだ。
なんと、無責任で罪深いのか。
国王が少しでも関心を持てば彼の地獄はなかったかもしれないのに……。
「彼は今、異端の罪で地下牢に囚われています」
国王が目を見開き、顔面を蒼白にする。
「ご安心を。彼は潔白です。
これは神殿による陰謀――陛下の“無関心”を利用したものですわ」
国王は言葉に詰まらせた。
私は一歩、彼に近づいた。
「私の条件は、たった二つです。
一つ。今すぐハルシオン王子を救い出す権限を私に。
二つ。神殿改革の許可。――神の声の捏造を暴き、正すために」
「信仰を……壊す、と?」
「言葉が強すぎましたね。信仰は奪いませんわ。
壊すのは“偽り”です」
少しの沈黙ののち――
「……精鋭十名、すぐに用意させましょう」
私は深く礼をした。
「ありがとうございます。では、参りましょう。
“異端”を捕らえに」
こうして私は国王と共に、神殿へと向かった。
――ハルを、必ず救い出すために。
少しややこしいお話が続きますが、
神殿編もクライマックス!
読み続けてもらえると嬉しいです!




